偉大なるタルタリア帝国
13世紀から19世紀初頭まで、タルタリア帝国という国が存在していました。
上の地図をご覧ください。緑色の「GREAT TARTARIA」と書かれている範囲が、タルタリア帝国の領土です。
ユーラシア大陸の北側全体、シベリア、中央アジア全域をカバーしています。東は千島列島から満州、朝鮮半島まで、南はインドの一部、西はウラル山脈から小アジア半島までカバーしていますね。
これだけではなく、北アメリカ大陸の大半と、ブラジル・ペルーなどの南アメリカ大陸の一部まで、版図にしていたようです。まさに史上最大の帝国です。
え、そんな国知らないよ、はじめて聞いた。ていうか、学校で習った記憶ないけど、という方、それには理由があるのです。
タルタリア帝国は、イギリスを中心とするDSヨーロッパと激しい戦闘を繰り広げ、1816年、大量の核兵器による攻撃で、国民もろとも、この世界から姿を消してしまったからです。
その後、DSは、あらゆる手段を講じて歴史を改ざんし、この帝国の存在そのものを、人類の記憶から消し去りました。
各地に残るタルタリアの痕跡
なんでそんなことがわかるんだ、というと、タルタリア帝国はこの世から消え去りましたが、あまりにも偉大だったタルタリア文明の痕跡は、現代世界にたくさん残っているからです。
もちろんDSの歴史改ざんによって、その本来の用途は隠されていますが、よくみると、それが本来何に使われていたのかわかってきます。またタルタリア文明がどのようにして滅ぼされたのかも、その痕跡を見ることによって、十分予測することができるのです。
玉ねぎ頭の大聖堂
以下の写真を見てください。
みなさんおなじみの建造物だと思います。上はロシア正教の寺院、真ん中はアメリカの議会議事堂、下は王妃の墓といわれていますね。しかし、国や用途を超えて、共通の建築様式があるように思えないでしょうか。
一番上には尖塔が立っています。その下にはドーム、その下には柱がいっぱい立った円形の構造物、1階部分のアーチ型の扉や窓も印象的です。
ヨーロッパの大聖堂や、中国、日本の建物の中にもこの様式の建物はいっぱいあります。これこそが「タルタリア様式」の建物なのです。
ちなみにこのタルタリア式大聖堂の本来の用途は何だったのでしょうか?これは宗教施設でも、墓でも何でもありません。
これこそが、タルタリア文明の根幹をなす、エーテルエネルギーを電気に変換する、フリーエネルギー発電所なのです。
星形の城塞
次の写真をご覧ください。
これは星形要塞(スターフォート)と呼ばれるものです。このような独特の形をした要塞(?)が、現在世界中に500か所以上残っています。
日本でも、函館五稜郭をはじめ、長野県や大阪枚方、神戸などに同様の城塞が残っていますね。
これはもちろん城塞ではありません。大体こんな形の城では大砲打ち放題で防衛にもなんにもならないでしょう。
これはタルタリア文明におけるエーテルエネルギーの増幅装置です。独特な形の城壁の周りに水を巡らせ、音波によって水の結晶構造を変えて、水にエーテルエネルギーを吸収させて増幅し、そのまま水流の形で各地にエーテルエネルギーを運ぶ、エネルギー中継センターなのです。
ちなみに大聖堂、という名の発電所に鐘が装備されていることが多いのは、鐘の音によって、水の結晶構造を操作するためです。
赤レンガ倉庫
次はおなじみ赤レンガ倉庫です。 これも世界各地にたくさん見られます。
これは有名な、横浜の赤レンガ倉庫ですね。もちろん倉庫としての用途はありますが、この建物の本来の用途はそこではありません。
赤レンガは酸化鉄を含み、電気を通します。タルタリア文明においては、赤レンガ倉庫は、電気エネルギーを蓄積する蓄電池として使われていました。大聖堂で発電した電気を、建物自体に大量に蓄電して、そこから町の各所に無線で送っていたのです。
その他建造物
そのほかにも、大体こんな感じの建造物はタルタリア文明の遺物です。
石造りやレンガ造りの壮大な建物ですね。現代でも再現するのはかなり大変そうな建物ばかりです。
タルタリアでの生活
このタルタリア帝国内では、国民はどのような生活を送っていたのでしょうか。
タルタリアの主流をなしていたのは、ロシア系のアーリア人(白人)、モンゴル系のタタール人(黄色)及び、ネイティブアメリカン(黄色)だったようです。
人々は互いに助け合い、穏やかで文化的な文明が形成されていたようです。エネルギーが無料なので、農作物も豊かで、食料の心配などもなかったようです。
タルタリアではエーテルから電気を抽出する技術が確立されており、文明はフリーエネルギーで動いていました。ふんだんな電気を無料で大量に使うことができたため、電気技術が発達し、技術水準は現代文明をはるかに凌駕していたようです。
19世紀初頭のタルタリアの科学技術の映像が残っています。
はっしーさんのツイートから引用させていただきます。
見ればわかりますが、自動車、鉄道、航空機、モノレールなどは全部あります。ほかにも動く歩道や、丸い一人乗りの自転車、ロボットなどもあり、すべて電気で動いているようです。
照明はすべて電気で、冷暖房は電気によるセントラルヒーティングが各建物に完備されていたようです。
燃料を燃やすことで動力を得る現文明よりもはるかに発展していたことがわかります。
巨人との共生
タルタリア帝国のもう一つの大きな特徴は、人間と巨人が仲良く手を取り合って共存していたということです。
巨人と普通の大きさの人間が協力していた様子がよくわかりますね。
タルタリアの滅亡
このタルタリア帝国は、DSによって、一夜にして滅亡を迎えることになりました。それは1816年2月のことです。
この1816年は一般には「夏のない年」と呼ばれています。
6月にケベックにおいて30センチの積雪が記録され、7月8月にペンシルバニアで気温が氷点下となり、河川や湖が凍結しました。翌1817年の冬には気温がー32度まで低下し、この異常低温は3年間続きました。
何らかの物質が空を覆い、太陽の光が差さなかったために起きた現象と思われます。
また、ロシアにおいては、シベリアを中心に多数のまん丸の湖が存在し、それはまるでクレーターのようです。それらの湖は、地元住民から「悪魔の湖」「災厄の湖」などという名で呼ばれています。
さらには、シベリアのタイガの針葉樹はすべて樹齢が200年以下の若い木からなっています。杉は通常1000年程度生きるにもかかわらずです。
これらのことから、ロシアを中心にタルタリア帝国の版図に大量の核兵器が撃ち込まれ、帝国は壊滅的打撃をこうむり、シベリアの植物は全滅したと考えられています。また核の灰が地球を覆いつくし、3年間にわたる異常低温を迎えたのではないかといわれています。
しかし、人類の災厄はこれだけにとどまらなかったのです。
マッドフラッドによる文明のリセット
現在においても、石づくりやレンガ造りの建物で、一階部分が地中に埋まった建物がよく見られます。これらはロシアやアメリカで特によく見られます。
何の変哲もない建物ですが、よく見てください。地中ぎりぎりに窓があるのがわかります。これは設計段階でこんな場所に窓をつけたのでしょうか。
そうではありません。この建物はもともと5メートルほど下にあった地面に立っていたのです。
その後、何らかの原因で大量の土が積もり、一階部分が半分埋まってしまい、こんなところに窓が来たというわけです。ちなみに入り口は本来二階であった部分に設置されています。5段程度の階段で入るようになっていますが、本来二階だった部分に扉をつけたため、このような階段が必要になったのです。
もっと直接的な記録もあります。これは19世紀のアメリカの都市です。人々が、泥に埋まった建物を一生懸命掘り出しているのがわかると思います。
これらの記録が意味するものはただ一つです。
核戦争後に、地球的規模の大洪水が世界を襲い、人々は死に絶え、都市が泥に埋まってしまったということです。
しかしタルタリアの建物は頑丈だったため、洪水に耐えきり、住民がすべて死に絶えた後も、一階部分が泥に埋まった状態で、存在し続けたというわけです。
この世界中の都市が大量の土砂によって埋め尽くされた現象は、泥の洪水(マッドフラッド)と呼ばれています。
人類の文明は、19世紀初頭、核戦争とそれに続くマッドフラッドによって、一度リセットされているのです。
その後DSは、何食わぬ顔で都市を掘り出し、タルタリア帝国の遺跡を破壊しながら、生き残った人たちを無人の都市へと移住させ、歴史を改ざんして帝国とそのフリーエネルギー文明の存在そのものを、歴史の彼方へと葬り去ったということなのです。