前回の記事
・海外出羽守総出! 日本も自由を捨てよ
2020年10月29日号 『週刊新潮』記事より
少し前まで、『週刊新潮』は反中国を筆頭に「体制側」の雑誌だと思っていて、今でもそうした記事はあるのだが、ことコロナウイルス関連の記事では、大衆迎合主義とは対極に、すばらしく勇気ある記事を書いていて、そのあたりは大いに評価しています。
こちらの方でも、新コロ死者数の少なさが、はるか以前に識者から指摘されていたが、自称リベラルの「自分の生命至上主義者」たちは、社会構造や文化も違う海外を例に持ち出して、その危険性を煽りに煽った挙句に、狂った社会情勢で若者が自殺しようとも、何一つ疑問を持たず、持続可能な共同体を破滅に追い込む蛮行に手を染めている。
‐【追記】コロナではなく「対策」で命を落とす人たち(女性自殺者が急増中)‐
もとが「善意」だろうと、人殺しをすれば、立派な犯罪者だ。
小林 実際、今、自殺相談ダイヤルの電話は鳴りっぱなしと聞きます。借金を抱えて店をたたまざるを得なくなった自営業者だけでなく、学生の相談も増えている。入試に合格したのに、学校に全然通えないのでは、鬱になるのも無理はない・・・・・・。
今後、自殺者は再び2万人を超えることが予想されているのに、政府はまったく想像力が働いていない。居酒屋などの飲食店は、自転車操業の店も多いのに、補償はまったく足りず、家賃の支払いで首が締まっている。
わしは生まれて初めて、(居酒屋を経営する)オッチャンが泣いている姿に涙したくらいだよ。
木村 補償は必要ですが、経済的損失以上に精神的ダメージが大きい。しかも、コロナには他にも多種多様な「つらさ」が付きまとう。店の営業を再開しても、もし感染者が出たら罪人扱いされたり・・・・・・。
4月に、複数の大学病院の研修医が飲食店で酒を飲んだ末、感染してしまい、メディアはこれを激しく叩きました。確かに、褒められたものではない浅はかな振る舞いですが、研修医もつらいなかで憂さ晴らししたかったんだろうな、と同情しました。
叩くのはいいが、彼らが現場に出てこなくなったら医療資源がその分、失われることになります。だから、この件で週刊誌の取材を受けたときに「反省して速やかに現場に復帰してください」とコメントをしたんです。
小林 『週刊少年ジャンプ』(集英社)の編集者が1人感染したら、雑誌そのものが発行されなくなった。感染者を出せば編集部がロックダウンされ、雑誌は出ない。原稿料が入ってこなくなれば、ウチにも従業員がいるし、仕事場の家賃も払わなければならないから他人事じゃない。
『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり 扶桑社 49~50頁より
正直、私は「叩くこと」も反対の立場です(それが同調圧力になってしまうから)。
フェア党代表(元れいわ新選組構成員)の大西つねき氏がおっしゃる『土地の公有化』をすれば、家賃収入で実態価値を生まない「怠け者」を淘汰できるのですが、現実は常に「金」「金」「金」の世界ですから、保身丸出しコロナ脳たちは、一度でも、身近な現実に目を向けたことがあるだろうか。
そういう想像力が決定的に欠けている人たちの発言に、少しの温かみも感じないのが率直な感想です。
・「防疫」に傾倒するあまり かえって死者を増やす
歴史上、数々の「甚大な疫病」があったが、それで“人類が滅亡”したという事実はない。
むしろウイルスのおかげによって、私たちの遺伝子は進化してきたという事実がある。
詳しくは(『ゴーマニズム宣言 コロナ論 第12章|ウイルスとは進化の鍵だ』 扶桑社 127~134頁)にて記載されているので、ご興味のある方々は、ぜひ一読を願いたいが、とりわけアジア人はウイルス感染に強い歴史がある。
『ソーシャルディスタンスも自粛もマスクもいらない(Live配信2020/6/10)』
https://www.youtube.com/watch?v=r5FQtjNCx3Q
他にも過剰なアルコール消毒による常在菌の消失によって、どんどん自分の体を「無菌状態」にすれば、免疫力の低下など、外からの耐性(バリア)がなくなり、逆にウイルスに対する脆弱性を露呈する結果となります。
2020年9月22・29日号 『週刊SPA!』記事より
清潔性については、お隣の朝鮮半島も白いチョゴリを熱湯で洗う習慣がありました。
(『ゴーマニズム宣言 コロナ論 第14章|グローバリズムと権威主義の失墜』 扶桑社 176~179頁)
こうした知性を反芻することもなく、防疫の範疇を飛び越えた同調圧力によって、自分たちを“集団”という「安全圏」に身を置く人々は、相変わらず沈黙を保ち続けているが、そうした空気に抗うことは、本来かなりストレスを受ける行動だ。
‐大西つねきと小林よしのりを応援したい!(コロナ同調圧力に抗う人たち)‐
漫画家の小林よしのり氏が、しっかりと科学データと哲学知、さらには現実の体験でもって、自らの読者を失うリスクを抱えながらも、民主主義と自由を守るために、必死に執筆活動をされているというのに、とりわけ普段から人権擁護などと喚いているリベラル連中(左翼)は、ここぞとばかりに『国家主義』に転向し、やれ“共同体を守るため”と豪語するが、実態はコロナヒステリー下で全体主義を説いているだけである。それ以前に、彼らほど歴史(戦争の反省)を蔑ろにしている連中は見たことはない。
ネトウヨなど自称保守連中(極右)の方が、日ごろから「嘘をついていない」だけマシである。
殊に連中はひどすぎる。
とんでもない偽善者だ。
日々の惰性や慢心におぼれ、極右との組織対決に奔走した先に、そこからこぼれ落ちた人々の人権など「どうでもよく」、過度な自粛社会で経済的にも精神的にもボロボロに破壊され、自殺や犯罪による社会的混乱が誘発されればこそ、共同体存続の危機が生まれる要因となろうに、黙っている連中は「まだまだ余裕があって」、所詮は他人事なのだろう。
口先では“地球市民としての連帯”など大言壮語を並べるが、目の前の困窮者を労われない時点で、何もかも終わっている。
彼らの脳内を突き詰めれば、「集団主義」に基づくジェンダー連帯やアジア諸国の連帯であり、冷酷なまでの異端者排除、繰り返しの表現で申し訳ないが「そこに馴染めない人」に対する配慮が、悲しいほどまでに想定されていない。
結局武器は使わねど、「組織(集団)」という軍隊の中で、対立する者同士が文字や言葉上の「ころし合い」をやっているに過ぎない。
本来の意味で、人権や民主主義的価値を擁護するのなら、一人ひとりの生き方を尊重し、過度な集団主義にNOを突きつけるべきだが、仮に北東アジアで「アメリカの干渉」がなくなり、軍事的危機が過ぎ去ろうとも、対立する国家組織が消えてなくなっただけで、別の国家主義の本質だったり、集団(組織)による個人管理を推奨するのならば、本当の意味での自由や救いはないのかもしれない。
北朝鮮では「コロナ感染者の疑いのある亡命者」が、射殺され焼却されるという大事件が起きているが、関係ブログでは「まったく取り上げられず」、一方でマイノリティの人権擁護記事だけが書かれ、当事者である在日コリアン(朝鮮籍)の友人と一緒に「これって一体どうなのよ?」と、思わず疑問符が浮かんでしまった。
人権を大切にするのなら、共同体存続以前に、それを構成する「ひとり一人の命」を大切にするのが先でしょう。これが出来ぬのなら、単なる「滅私奉公の念仏」に過ぎない。
笑顔で映るマスク姿の学生たちを見て、もし「マスクを付けなかったら」集団でいじめられたり、周囲からハブられて、マイノリティ社会で村八分に遭うのかなと・・・。本国の方針がアレなのだから、下部組織の体裁についてもおのずと結果が予想できてしまう。
‐大西つねきと小林よしのりを応援したい!(コロナ同調圧力に抗う人たち)‐
私はいずれの記事で、日本社会における「集団主義」にを述べましたが、その中で繰り返される無慈悲な闘争について、常に相手を「コントロールしよう」とする意識が作用して、各コミュニティや属する人たちは「自分こそが正義」と、対立集団との戦いに明け暮れ、それぞれの兵隊が「言うことを聞かなかったら」“敵前逃亡”と見なされ、あらゆる処罰や私刑が横行する。
もう私たちは後には戻れない。
今までの紐帯すら失うかもしれない危機感をはらみながら、本当は心中穏やかな記事を書いていたかったが、本質とは異なる自分を演じた先に「精神崩壊」は避けられないでしょう。
最近、なにが正義なのかわからなくなっています。
<参考資料>
・2020年10月29日号 『週刊新潮』記事
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり 扶桑社
・Youtube動画 『ソーシャルディスタンスも自粛もマスクもいらない(Live配信2020/6/10)』
https://www.youtube.com/watch?v=r5FQtjNCx3Q
・2020年9月22・29日号 『週刊SPA!』記事
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