前回の記事
・最新つねき動画のご紹介
『3分で理解する「手段が目的化して思考停止」』
マスクだワクチンだと騒いでいる人たちに送りたい言葉。
あなたが守りたいものはなんですか?
マスクを手放せないのはなぜですか?手段が目的化して暴走し始めるとおかしなことになってしまう。
先の戦争でも多くの若者の命が失われてしまった。大西つねきの思想をもっと詳しく知りたい方は、公式チャンネルの動画をごらんください。
限られた生をどう生きるか?(Live配信2020/8/5)
https://youtu.be/YgAQzDE7FTU
https://www.youtube.com/watch?v=rSyrW06rklM
こういう時世だからこそ、大衆迎合主義に靡かない真の政治家の言葉が心に突き刺さります。
単純に数が多いからって、正しいわけないじゃんw
先の大戦思い出してみ?
歴史を学んだり、自分たちの力で物事を考えることをせず、組織的惰性に溺れる人たちは、その集合体に身を置くことによって『絶対君主』としての意識を持ち、果ては「常識」や「マナー」を押し付け、実際は同調圧力に負けた無力な自分を慰める念仏に過ぎないが、主にアジア諸国との歴史問題で、自分たちが抗弁できないときに持ち出す『反日』というレッテル貼りと一緒である。
文字通り「論」ではなく「イメージ操作」だけで、相手を悪と判定し、自らを正義と位置付けるのです。
つねき氏の「ワクチン論」に関しては、上述の記事で述べさせて頂きました。
‐なぜ人々は「言うことを聞かされる」のか(背後の金融資本主義)‐
もともと氏は、「お金が生み出す支配と従属」という、右も左も資本主義も社会主義も共通する“人類社会の病理”を鋭くつき、その中で生まれる個を殺す集団主義や地球規模の環境破壊など、実に哲学的な問いかけを10年近くにわたって説いてこられた。
・「読者を全て失おうとも」 民主主義を実践する作家
『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり 扶桑社
第11章|世界各国のコロナ対策事情 116・123頁より
‐小林よしのり先生とマスク真理教を考える(八つ墓村化する日本社会)‐
‐続・小林よしのり先生とマスク真理教を考える(マスク信者に現実を突きつける)‐
2020.04.07(火) 「王様は裸だ」には覚悟が要る
しかし、政治家・医者・マスコミ・言論人・芸能人から大衆まで、ほとんど全国民が「コロナ恐怖」と「自粛待望」「強権発動支持」に傾いても、わしはますます言い続けねばならない。この同調圧力に「わし個人としては」屈するわけにはいかない。
「王様は裸だ」と言い続ける覚悟をした時に、読者をすべて失ってもいいという覚悟はとうにしている。ボリス・ジョンソンのように、わし自身がコロナに罹って重症化して死んだとしても、「私」と「公」は別だから、「もう入国してしまったコロナはインフルエンザと同様に共生するしかなくなった」という「公的」なわしの考えが変わることはない。
同 玉川徹、国民は賢いか?
『羽鳥慎一モーニングショー』でようやく青木理が「緊急事態宣言が遅すぎると下からの突き上げで権力に決断させたことに危惧を覚える。マスコミはこれでいいのか?」と懸念を示した。
これはとても良心的な意見である。
だが、玉川徹は「国民は賢い。むしろ下からの圧力で、権力に決断させたことが素晴らしい」と言って、青木の意見を封じた。戦前と同じ構図が出現している。戦前のマスコミは、軍の批判をすると、読者が減ったのである。国民が圧倒的に戦争を支持したから、マスコミは部数欲しさに戦意高揚記事を書きまくった。
「鬼畜米英」「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」「権利は捨てても義務は捨てるな」
視聴率欲しさにコロナ危険を煽りまくっている玉川徹は全く一緒である。
「鬼畜コロナ」「欲しがりません勝つまでは」「自由は敵だ」「私権は捨てても自粛は捨てるな」
戦前の反省に立てば、国民は非常に感情的で危うく、マスコミは権力を監視して、正しい情報を国民に与え、自分の頭で考えて、判断させねばならないということになるはずだ。モーニングショーはコロナ恐怖を煽りまくって、視聴率を上げているので、「他国に比して日本の死亡者の少なさ」を報じない。「インフルエンザの感染者は毎年1000万人。関連死1万人の現実」を報じない。「PCR検査は命がけで、ひとり検査する度に防護服を脱いで、新しい防護服に着替えるので、一日10人が精一杯なのに、膨大な患者予備軍が殺到している」という現実を報じない。
視聴率のために、異論を許されない空気がマスコミには出来上がっているのだ。
『同』 「コロナ脳」との闘い
~小林よしのりブログ『あのな、教えたろか。』が辿った軌跡 220頁より
組織に埋没したビビりな人間たちは、互いに監視しあい、抜け駆けや異端者がいないか、血眼になっている。決して「法律で押さえつけなくても」、国民ひとり一人が『裁判官』となって、世の空気を根拠に「犯罪者」を炙り出すことを正当化している。
ある集団(a)の掟は、その集団を内包する集団(A)に規定される。
ゆえに日本社会(集団A)が、各コミュニティ(集団a①、集団a②、集団a③・・・)に「マスクをつけろ」「自粛をせよ」と命じれば、根本にある“集団主義の論理”でもって、各コミュニティに属する人々は何の疑問も持つことを許されず、その命令に従わねばならない。
右や左にしろ「どっちも集団主義者」だし、いずれも個に対して抑圧的だ。
一人ひとりの考えなど、どうでもよく、その集合体の総意こそが真理となる。
ゆえに、大なる組織に靡き、異端者をパージするコミュニティで、あらゆる倫理や人権を説いても、かなりの違和感を感じてならない。
在日コリアンの友人や私ふーくんは、そういうものに一切のNOを表明致します。
学校や職場等、日本社会の『画一教育』を受けたロボット達は、それぞれの「倫理」を武器に、狭い箱庭で背伸びし合っているに過ぎず、この鉄格子に閉じ込められた「組織になじめない人たち」にとっては、まさに“針の筵”と化している。
しかし、似非リベラルの人権商売屋たちは、そんなマイノリティに思いを馳せることなどせず、偽善を剥き出しに、これ見よがしに「国権拡張」を叫ぶ。まさに戦前の幸徳秋水ら社会主義者が処刑され、朝鮮半島が大日本帝国に併合されたとき、時のリベラル人士は、こぞって『併合の慶事』を祝った歴史から、彼らの本質は“一ミリたりとも”変わっていない。
国家という巨大組織に対して、本来民主主義を是認する構成員がやらねばならないのは、その絶対的擁護と運用維持であり、とりわけ『表現の自由』に関しては、在日コリアンの友人曰く「自分は日々イラストや漫画を描く立場として、常にその恩恵を受けている」ので、他よりも高い意識を持っています。
『平成のブルース』
https://www.youtube.com/watch?v=-ODNMe8gduM
まさに世相を表した一曲。
正直10代の頃に聴いたときは、あまりピンときませんでしたが、こんな本質的な歌詞が書けるマーシーは天才だなぁと改めて思いました。
<参考資料>
・Youtube動画 『3分で理解する「手段が目的化して思考停止」』
https://www.youtube.com/watch?v=rSyrW06rklM
・同 『平成のブルース』
https://www.youtube.com/watch?v=-ODNMe8gduM
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり 扶桑社
<ツイッター>
【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】
https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As
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