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・フェイクニュース番組 堕つ
2020.04.06(月) モーニングショーがやっと死亡者数の少なさに気づいた
今日の『羽鳥慎一モーニングショー』は、政府に対して、文句文句文句、文句のオンパレードで本気に五月蠅かった。よく年寄りは、あんな文句番組を見ていられるなあ。
わしが見るのはあの番組が最もコロナヒステリーが進行していて、大衆の不安を煽るアジテーターの役割をはたしているからだ。ヒトラーが五月蠅いからといって、チャックせずに放っておいたら、ユダヤ人を収容所に送り込む集団殺人国家になっていたという歴史に学ばなければならない。コロナ陽性を検査で炙り出して隔離しろという考えも、ユダヤ人を炙り出して隔離しろという考えにそっくりだから驚く。
番組の最後でようやくコロナの「死者数」が他国に比べて抑えられているという事実に、山口真由が着目したが、それに玉川徹が奇妙な反論をしかけたところで番組が終わってしまった。
実はこの番組、徹底的に「感染の増加」のみをクローズアップして恐怖を煽り、視聴率を上げてきた。「死者数」に注目させたら、途端に破綻してしまうからだ。
玉川が言おうとしたのは陰謀論である。
毎年、肺炎で10万人も死んでいるから、その中にコロナ感染者が含まれているはずだという根拠なき陰謀論である。他国に比べて日本のコロナ「死者数」の少なさは、驚異的だからだ。
だから、アメリカも玉川も「日本の検査数が少ないから」と言うのだが、それでは「死者数」の少なさを説明できない。検査はしてもしなくても、感染者は増え続けるのであって、感染経路は追えるはずがなく、結果としてインフルエンザの感染者数1000万人まで増えても何ら不思議ではない。
問題は「死者数」なのだ。イタリアもアメリカも、日本人(アジア人)をコロナで差別していたのはつい数週間前だ。コロナ感染は日本が先行している。日本が先行していて、アメリカが遅れて感染が始まり、あっという間に日本の「感染者数」も「死者数」も抜き去っていったのだ。
当然、アメリカの惨状は「国民皆保険」がなく、貧困層は医者にかからず、医療体制が遅れているというアメリカ特有の事情がある。肥満体が多く、不潔で、マスク着用の習慣もなく、キス・ハグ・ビズの濃厚接触は当たり前という国民性が、コロナウイルス増殖の最適の環境になっている。それがアメリカの惨状の原因だ。日本がアメリカのようになるという根拠はないのだ。
医療崩壊になるのは、感染者を強制的に入院させるからであって、ベッドが足りなくなるのは当たり前、医療のマンパワーが無駄に裂かれるからだ。
医療は徹頭徹尾、重症者に注がれるべきであって、「死者数」を減らすことに全力を尽くした方がいい。軽症者は自宅療養、他人に感染させないように自分で自分を管理しておくしかない。そうやって軽症者・あるいは無症状の人は、いずれ回復し、「集団免疫」を獲得した戦士に変身して、感染を止める壁になるのである。
『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり 扶桑社
「コロナ脳」との闘い
~小林よしのりブログ『あのな、教えたろか。』が辿った軌跡 219~220頁より
現在「反自粛」「反マスク」の急先鋒のような拙ブログにおいても、パンデミック当初の2020年3月~4月あたりは、結構な「コロナ危険論者」でした。ゆえに最初に小林よしのり氏の論述を拝見したときは、とても訝しく見ていた記憶がありましたが、ウイルスの動向や世の中の矛盾に触れて行くにつれ、徐々に懐疑的意識が募り、改めて小林氏の作品を読んだときは、とても体系的な実証データと哲学知に深い感銘を受けました。
・TPO≒滅私奉公
マスクはマナーとか言っている連中、もはや「体裁だけ」ということを自らバラしてしまったに等しい。ひとたび、ランチや居酒屋で密になりながらおしゃべり飛沫天国をかましていたり、さらにはプールやサウナ、スポーツ競技等、あらゆる局面で『濃厚接触がある』という指摘について、未だまともに答えられず、ただ逃げ回るしかないのだ。
つまり、この時点で彼らの「防疫論」は崩壊する。
そして、後に残った『巨大な同調圧力』をバックにする奢りに基づいた、マイノリティ(少数派)に対する居丈高な恫喝とリンチであり、到底良識に基づいた意見ではない。
とりわけ市井に蔓延るネズミたちは、この虎の威を借りて闊歩する。
先の大日本帝国では、戦争協力こそが『マナー』だった。
「黒である」と思ったら、異端者を出さず全て黒に塗りつぶさなくてはいけないとして、他者への干渉や押し付け、果ては特定の価値観に基づいた差別意識すら持つ。
本来、民主主義社会を「機能させる」意味においては、時世の対極にある主張も「遊び(余地)」として許容しなくてはならない。これは冷静に考えたら、誰にでもわかることです。
普段は「民主主義」や「自由」を是とするリベラル人士は、コロナという“非常事態”に陥ったとき、ものの見事に化けの皮が剥がれ『全体主義者としての本質』をあらわにした。
人権や歴史にしても、単なる知識(記憶)として保存するだけで、その本質を抽出することはせず、見せかけで戦争の反省など口にすれども、「心の中では」そう思っていなく、社会の過ちが目の前に体現され、失業者や自殺者で溢れかえようとも、まったく意に介そうとはせず、ひたすら“滅私奉公の論理”をゴリ押す時点で、もはや結末は見えている。
こちらは徹底的に言論・表現で抗います。
無論、彼らはコロナ脳をこじらせている意味でも、二重の意味で厄介さを極めており、その思考のベースに、強烈なまでの「テレビ言説」があり、高齢者や主婦層がターゲットの『モーニングショー』は、その“恐怖サティアンの現場”と化した。
※サティアン‐『オウム真理教』の宗教施設
大勢が右を向いている今こそ、しっかり自分の頭で考え、孤独に苦しみ悩みぬく過程を経て、よりよい認識にたどり着こうとするプロセスを放棄するばかりか、つまはじきの恐怖に屈服した恥ずかしさを紛らわすために、無意識に気取って「マナー」を説いたり、これ見よがしに「ウイルスの脅威」を断片的にアピールする始末である。
「他人よりも自分が可愛い」という人間の本質を露骨に表出させ、休んだら経済死を免れない人々を平気で蹴落とす『自粛の空気』を作る一方で、「人権ガー。ヘイトガー」なるシュプレヒコールを唱える時点で、もう頭がおかしいとしか・・・。とりわけリベラルと呼ばれる偽善者の集まりについては、しっかり糾弾していかなくてはなるまい。
私は何よりも“自分の命が大切”と思うからこそ、それと同等で直結する精神的自由を大切にし、ひいては、これらの安寧を担保する民主社会の拡充発展こそが、唯一の突破口であると信じています。
『右★アナーキー cover』
https://www.youtube.com/watch?v=5VqMMsNupdw
※亜無亜危異都市『右』より 亜無亜危異(アナーキー) 在日コリアンの友人(拙ブログ共同管理者)提供
CDは2010年9月25日と、友人が19歳の頃にアマゾンで購入したもの。
まさか10年後の2020年に、戦前を彷彿とさせる『集団主義』が燃え上がり、まつろわぬ人々を罵倒パージする世の中が訪れようとは、夢にも思わなかったし、物事のバランサーが狂い「両面を見ることができない人たち」が、こんなに大勢いたことも、かなり衝撃的でした。。。
<参考資料>
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり 扶桑社
・Youtube動画 『右★アナーキー cover』
https://www.youtube.com/watch?v=5VqMMsNupdw
・友人の画像資料 亜無亜危異都市『右』 亜無亜危異(アナーキー)
<ツイッター>
【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】
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