・私たちは「マスコミ報道」にやられた

 

 

2020年9月24日秋風月増大号 『週刊新潮』記事より

 

‐もうお手上げ?ウイルス恐怖と差別を煽る『コロナ脳』岡田晴恵教授‐

 

前回の『週刊SPA!』に引き続き、本日『週刊新潮』の記事で、小林よしのり氏に関するコラムが執筆(中川淳一郎氏)されていました。

 

私自身、この問題に対しては「右や左」という硬直した考えに囚われず、ある一方では歴史的事実を遡って比較してみたり、現在の『感染絶対悪』の一極集中した考えに、徹底したNOを突きつけ、言論の多様性を失った社会こそ問題だということを、いくつかの記事で述べさせていただきました。

 

やはりポイントとしては、コロナ云々以前に、社会的な非常事態に陥ったとき私たちはいとも簡単に「マスコミに流される」危険性が浮き彫りとなりました。

 

パンデミックの「根拠地」となった中国・武漢のセンセーショナルな報道に始まり、ダイヤモンド・プリンセス号の顛末有名芸能人の感染死等々、それを真に受けた人々が、実際の数値よりも『最悪の事態』を相手に押し付けることによって、一瞬で善悪の基準を支配し、それが「空気」となって“世間の意識”となったとき、もはや手が付けられない“妖怪”と化す。

 

たとえば、コロナという主体(A)が、別のモノ(B)にすり替わった場合でも、私たちは“同様の境地”となり、かつての関東大震災(1923年)では政府(大日本帝国)と傘下マスコミのデマによって、憤怒した大衆が多くの朝鮮人や中国人、一部日本人を無惨に虐殺しましたし、中国大陸(1931年/1937年)や連合国(1941年)との戦争も、時の空気に呑まれた民衆の『自発的選択』によって為されました。

 

「マスクを付けなければ人に非ず」

 

‐小林よしのり先生とマスク真理教を考える(八つ墓村化する日本社会)‐

 

‐続・小林よしのり先生とマスク真理教を考える(マスク信者に現実を突きつける)‐

 

「一円五十銭と言えないものは不逞鮮人だ」という、戦前日本人が掲げた絶対正義と、現代の「コロナ対策」も本質は同じで、外敵(暴徒/ウイルス)から社会を守るんだと、これに抗う者は当時代の「逆賊」朴烈を弁護した布施辰治と同じく、相当の勇気と覚悟を必要とし、コロナ騒動が幾分過ぎた段階だから言える『マスク不要論/自粛解除論』について、各々が議論を始めるべきです。

 

コンビニの有線アナウンスでは、絶えず「マスク着用」が洗脳のごとく連呼される反面、ひとたび飲み屋街じゃあ、全員が密状態で、飯を食らい酒をひっかけながら、ペチャクチャおしゃべりし、スポーツジムの更衣室やプール&サウナでも、マスクは「しなくていい」し、矛盾した営業時間含めて、もう全部が意味不明すぎるんですよ。

 

マジで誰も答えられねーべ。このツッコミに(笑)

 

そういう下らなすぎる茶番に、とことん嫌気が差しているから、私は最初からマスクをしないし、全員が福島原発作業員のように、体中を防護服で纏い、ガスマスクを装着し、各家に専用の通路を設け、そこで消毒噴射を受けるのなら、話の筋は通ってると思いますが、いかんせん現実があべこべだから、『空気による支配』は本当に恐ろしいものだなと、史料や記録映像ではない「肌感覚(リアル)」で勉強させて頂きました。

 

 

<参考資料>

 

・2020年9月24日秋風月増大号 『週刊新潮』記事

 

 

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