今回、ツイッター上においての「探ぱん 探偵になってパンツを当てるゲーム」がゲームマーケットにおいて販売したことに対しての私の批判意見に反対する方が見え、いくつか疑問と反対意見がありました。
とても良い質疑と反対意見だったのでここでいくつか答えていきたいと思います。
あの作品のテーマは残念ながら実際に日本の社会問題になってる子どもへの性暴力が下敷きになってます。実際に起きていることがテーマになっていて、なぜそんな事が起こるのかをまずは考えてみます。性暴力とフェティシズムとして嗜好することの境界や、子どもや女性の権利に対して、何をもって侵害することになるかがわからない人が溢れているということです。政治家でさえ女性に対して子を産む道具といった発言が日本では飛び交いますよね。それぐらい人権について無知な社会環境によって、子どもたちや女性の権利が貶められているのが現状です(これは誰がなんと言おうと変わらない事実)。すでに特定のグループの人権が社会的現状によって貶められているのにもかかわらず(今回の場合は女性やこども)さらにそのグループの人権を貶めるような体験をゲームが強いているということです。
先ほど、ザ・ペーパーさんも引用リツイートされてましたが、「暴力」は良くてなんで「性暴力」はだめなんだ。と、うっかり理解できていない問題と、このゲームが性暴力を表現していると告白してしまっていますが、ここはその疑問についてスッキリしない方もいると思いますので、私の見解を解説してみます。当然暴力も過度になればレーティング(規制)の対象になりますよね。さらに単純な暴力、例え罵詈雑言であっても、特定のグループを攻撃、侮辱することはヘイトスピーチに当たります。例えばある性別や人種を特定して攻撃することがあたかも当然であると表現することは、人の尊厳を傷つけ、ひいては人権を貶め社会に差別意識を持たせる行為です。このゲームの場合は日本の性暴力に対して軽率な現状や、子どもや女性に対しての人権が軽んじられているという社会的背景を無視し(12歳以上であればプレイできるうえ、注意書きや現代の問題についての言及さえない。そもそも誰でも出入りできるゲームマーケットで売られている)、さらにあろうことか実際に起こっているセクハラをあそびとして実体験させ女性や子どもの人権を軽んじているゲームを公で販売することが大きな問題です。「表現の自由だ」と幾人か声高らかに仰っていますが、既に女性と子どもの人権がとんでもなく軽んじられいる状況を公の場でさらに悪化させ、軽視させる表現を自由にし、批判せずにどうするんですか。そもそも抑圧されている現状にさらに泥を塗りたいってことですよね。
さらに”定春@”さんもおっしゃていますが「フィクションと現実の区別がつかない人に架空の作品を楽しむ資格も素養もありませんよ。」そもそもテーマ自体は社会問題なので現実におこっているし、さらにゲームの仕様上セクハラが再生産されてもおかしくない環境を作っていますが、それ以前にこの方もしっかり理解されています。「フィクションと現実の区別がつかない人がこの作品に触れることが危険である」ということです。さて、このゲームは12歳以上がプレイ対象になっています。こんな日本社会で政治家や多くの権力者が人権を貶めるような失言を連発する社会です。彼らはどう見ても12歳以上であるけれど、そもそも年齢で分別がいく社会になっていないということですよね。はてどうやって12歳の子どもたちがこのゲームを前にしてセクハラや性暴力を再生産させず、回避するための会話や行動ができると思うのですか。大人ですら難しいと思います。12歳であれば小学生ですよね。わざわざ彼らに身を守るための行動をさせるんですか。12歳の子どもたちが輪になってこのゲームを遊ばせたいですか。彼らに自己解決させなければいけない責任を押し付けていませんか。
このゲームはフィクションと現実の区別がつかない人の場合は、よりセクハラを実際に軽視する効果がプレイヤー全体に互いに伴います。
大人であってもあなたたちはきちんとこれがフィクションであって、実際にしてはいけないと全ての参加者に理解させられますか。そしてゲーム中も周囲に賛同を得てプレイできますか。子どもたちの人権はこのゲームによって貶められないように、一切の注意を払うことができますか。これらを自己解決として個人の問題にできるほど社会は成熟していますか。
これらの行動はより良い行い(道徳)でさえありません。人を人として扱うこと。つまり「人権」です。
ゲームマーケットにはいろんな人が来ます。小さい子供から大人。女性、男性、あらゆる性別の方やセクシャリティを持つ人。外国からやってくる方も見えるし、身体能力や発達能力の様々な違い。外見もさまざまでしょうし、さらにいろんなフェティシズムを持っていることと思います。
当然個人個人が安全に楽しく、感性や創造性や人間関係を進めることができることが何よりです。しかし、今回のボードゲームマーケットは特にある一定のグループの人々にとっては安全な場所ではなくなりました。その人々の存在は尊重されなかったということです。
このことを「私には関係のないこと」と考えて放っておくことも自由です。
私はそういう人を「私には関係のないことですむ特権」を持っている人たちで、且つ自分たちが楽しむために他の人が苦しむことに対して見て見ぬふりをする人というレッテルを貼ります。
それ以上に率先して性暴力を軽視するゲームを楽しむのはおろか、他の人に強要してプレイングを聞かせたりすれば、それはもう完全なセクシャラハラスメントであり、性犯罪の加害者です。
どのような立場であっても判断されないということはありません。
今回のTwitterでの多くの反対意見や批判のやりとりをする中で何度も特権を持っている側の無知な発言に苦しいと感じましたが、かく言う私も他者からは男性としてみられる立場であり、「私には関係のないことですむ特権」を持つ一人です。実際に女性として、声をあげることはおろか、生活をしていく上でさえ声を奪われいくという感覚は今回感じたことなど、実情の被害から考えれば小指の甘皮にも満たないことだと思います。被害を被る立場でありながら声をあげたり、問題提起しないことで身を守ることが当事者にとっては必要不可欠である場合も当然あると思います。そんな方々は何よりも身を守ることを優先するべきだと思います。
また、今回の「探ぱん」のゲームの製作者の方々も、ゲームマーケットの運営者も気づかなった、わからなかったとしても今後の立ち振る舞いや、次回のゲームマーケットでの行動においてどういう立場をとるのか、誰もが自分たちで考えて判断できることと思います。全ての人が、どのような立場を皆さんが取ったのか判断し、皆さんを評価していくことになると思います。
齊藤 あきら