1985年はコンピュータRPGにとってひさびさの当たり年でした。長いあいだ「ウィザードリイ」「ウルティマ」の二大シリーズが圧倒的だったのですが、ようやくそれを脅かすような存在が現れたのです。「バーズ・テイル」「ウィザーズ・クラウン」「オルタネイト・リアリティ」と歴史的な名作が次々と発表され、「ファンタジー」(Phantasie)もそのひとつでした。
「ファンタジー」は1985年にSSIから発売された作品で、続編も3作つくられた人気シリーズです(うち最終作は日本のみで発売)。作者は当時大学院生だったウィンストン・ダグラス・ウッドなる人物で、「ファンタジー」の終了後、1988年には同じSSIからSFテーマのRPG「スター・コマンド」を発表しますが、それを最後にゲーム制作から離れています。
「ファンタジー」はスタークラフトから移植版が発売されており、国産機でもプレイできたことで、日本のユーザーにとっても身近な存在となりました。特に最後の第4作はなぜか本国アメリカでは未発表で、日本のみの発売となったのですが、昨年2月に公開されたこのインタビューではそのあたりの事情についても触れてあります。
最初の「ファンタジー」を作っておられた頃はまだ学生だったそうですが、ゲームを作るようになったきっかけは何だったんでしょうか。
作り始めたのは大学2年の時で、発売される頃には大学院に通っていた。とにかくやってみようって気になっていた。コンピュータRPGだったら自分でも作れるのは分かっていた。優れたものが出来ると思ったんだ。
発売元にSSIを選んだ理由について。
最初に作ったゲームを10以上のゲーム会社に持ち込んだけど、興味を示してきたのは2社だけで、SSIはそのひとつだった。SSIは外部制作の作品を数多く扱っていたし、ゲーム作家とのやりとりにも慣れていた。それで決めたんだ。
今のコンピュータRPGだと同じジャンルの他の作品に影響を受けるのがごく普通ですが、当時は影響を受けようにも、そもそもコンピュータRPG自体があまりなかったですよね。「ウィザードリイ」や「ウルティマ」のような他のコンピュータRPG、あるいは「D&D」のようなテーブルトップRPGからの影響はどれほどのものだったんでしょうか。
「ウィザードリイ」と「ウルティマ」はすでに遊んでいて、そのおかげでコンピュータこそRPGに最適の媒体だと思うようになったんだ。
テーブルトップRPGについては、D&Dと、それから「ルーンクエスト」という作品をプレイした。「ファンタジー」の戦闘やキャラクター成長の仕組みについては「ルーンクエスト」からヒントを得ている。
「ファンタジー」を作るうえで目標にしていたことは何でしたか。当時まだコンピュータRPGで実現されていない要素で、自作に取り入れたいと思っていたことはありましたか。コンピュータRPG、あるいはビデオゲーム全般において、あなたが必要だと思った要素は何でしょうか。
最初の「ウィザードリイ」は、たった1つのダンジョンを舞台にひたすら戦闘とマッピングを繰り返すって感じの作品だった。キャラクタ同士のやりとりもほとんどない。最初の「ウルティマ」はプレイヤーキャラクタが1人しかいない。
作品の世界をもっと豊かなものにしたかった。いろんな場所に入れるようにしようと思ったんだ。ダンジョンに城、要塞、島。神話に登場する場所とかね。戦闘でも、いろんな武器や防具を使い分けたりとか、もっと細かいことが出来るようにしたかった。
パーティも人間だけじゃなくて、他の種族も加わるようにした。オークにゴブリン、トロール、ノーム、ピクシーといったようにね。エルフやドワーフ、ハーフリングなんかも入れれば、もっと幅が広がる。
それから作中のパズルにしても、他のキャラクターとのやりとりや、アイテムを使い分けることで解けるようなものにしたかった。
「ファンタジー」の世界は、トールキン風の幻想文学と、古代ギリシャの神話を組み合わせたようなところがあります。このようにいろんな要素を取り入れた理由は何なんでしょうか。
トールキンの小説は読んでいたし、古代ギリシャの神話や文化についても知識があったのは事実だ。それから「ナルニア年代記」とかのファンタジー小説もいろいろ読んではいた。ただ、元になった作品と言われても、具体的に挙げるのは難しい。単に自分で気に入っていた要素を使っただけだから。もっとも、そういういろんな要素をひとつにまとめたところが「ファンタジー」の良さになっているのかもしれない。
ニカデモス(「ファンタジー」における悪の親玉)というキャラクターを思いついたきっかけは何だったんでしょうか。
「フリスビーおばさんとニムの家ねずみ」(ロバート・C・オブライエン作、1971年刊の児童書。映画「ニムの秘密」の原作)という小説があって、それに出てくるニコデマスっていう登場人物が元なんだ。悪役らしい名前だと思った。確か、聖書にも登場する名前なんだけどね。ただ綴りは変えてある。そのまま使うのはさしさわりがあるかもしれないと思ったから。
「ファンタジー」では受身のスキルがいろいろ登場していますね。ワナとか隠された財宝、モンスターの接近があらかじめ分かるような能力のことですが。設定としては今も昔もあまり見られないものですが、ああいう要素はあなたにとって重要なものだったんでしょうか。
ああいう設定はD&Dや「ルーンクエスト」から来ているんだ。おかげで、個別のキャラクタの幅がより広がることになった。要はパーティ全体でバランスが取れていればいいわけだから。
キャラクターがモンスターの様子をうかがったり、罠を探ったりすれば、それだけ現実味が増すし、危機感もより真に迫ったものになる。まあ、テーブルトップRPGだとおなじみの要素なんだけども。
作品に入れたかったけど実現しなかった設定はありますか。
「ファンタジー」には能力値としてロッククライミングを設定しておきたかった。その値が高ければ、なにかと有利になるようにね。だけど、時間とかの都合で無理だった。
「ファンタジー」ではダンジョンの状態が毎回保存されていました。当時のRPGではあまりないことでしたが、そこのところがあなたにとっては不満だったわけですか。また、ああいう要素を実装するのは大変だったのでしょうか。
城とか建物、ダンジョンみたいなもののレイアウトを、プレイヤーに見てもらえるようにしたかったんだ。城だったら、内部もそれらしくしてね。空っぽの部屋がいくつか通路でつながっているだけ、みたいなものじゃなくて。
それと、ダンジョンのマップ作りを手ごたえのあるものにするってことは、最初の「ウィザードリイ」がすでにやっていたからね。同じことをやっても仕方ないと思ったんだ。
面白い要素になると思ったし、実装するのも別に難しくはなかったよ。
ダンジョンでは、プレイヤーの倫理感を問うようなイベントがありましたね。たとえば、溶岩でいっぱいの空間に「美しい女」と「有能な男」がとらわれていて、どちらか一方しか救い出せない、というような。どちらを選ぶかで、結果もまた違ったものになっていました。こういう二面性はあえて取り入れていたのでしょうか。
そういう問いかけを入れていたってことは、まったく覚えがない。でも、なかなかいいアイデアだと思うよ。
当時のRPG、たとえば「ウィザードリイ」や「ウルティマ」のような作品では、ダンジョンでは本人視点になっていて、移動そのものが重要でした。それに比べて「ファンタジー」はまったく別のアプローチを採っていましたね。ダンジョンは上からの見下ろし視点で表示されていて、徐々にマップが明らかになるという作りでした。
それぞれ最初の「ウィザードリイ」と「ウルティマ」をプレイしてみて感じたことだけど、ダンジョンを本人視点にすると、紙にマップを描くくらいしかやれることがない。それにマップを描くのも、ぼくにとっては退屈だった。テーブルトップRPGだと上から見下ろすのが普通だし、それに慣れていたから、同じことを再現しようと思ったんだ。
SSIのRPGには論理パズルがよく出てきました。あなたにとって、ああいうパズル要素は重要だったのでしょうか。パズル要素をRPGと組み合わせたことについては、満足のゆく仕上がりになりましたか。
ぼくとしては、ゲームをいろんな方法でクリアできるようにしておきたかった。ひとつしか解法のないパズルをいくつも解くことでクリアできる、なんてものじゃなくてね。そもそも謎解きをクリアの必要条件にするつもりもなくて、キャラクタの成長にしか興味のないプレイヤーでもクリアできるようにしたかった。
もっとも、そういうところがSSIは気に入らなくて、新しいパズルを付け足すか、既存のパズルを変えるようにいってきた。要するに、パズルが解けないとクリアできないようにしろってことだ。
ただ、パズルの要素そのものはゲームにうまく組み込めたと思うし、出来には満足している。
「ファンタジー」シリーズのうち、2だけはアミーガにもIBM-PCにも移植されませんでした。
移植をどうするかってことはタイミングと、有能なプログラマを確保できるかどうかってところが大きい。移植に関してはSSIがすべて取り仕切っていたんだ。
「ファンタジー3」では戦闘のシステムに変更があり、より細かい指定が出来るようになっていました。ダメージを身体の部位ごとに設定することで、いっそう的確なものになったと思うのですが、より複雑にもなってしまいました。あなたとしては、この変更は作品をより面白くすることになったと思いますか。複雑にすると、それだけとっつきにくいものになりがちですが。
身体のダメージを部位別に設定したことで、より面白いものになったと思うよ。同業のゲーム作家にとっても、参考になったかもしれない。
ただ、より複雑にすることが、必ずしもゲームの面白さを増すことにつながるわけではないのも確かだ。
ぼくの場合、テストプレイヤーが何人かいて、彼らが遊んでいるところを直接見ることも出来た。それがゲームのバランスを調整するのに役立ったんだ。身体のダメージを部位別にするってアイデアはテーブルトップRPGの「ルーンクエスト」が元になっている。
(「ファンタジー3」では、キャラクターの身体部位が独立して扱われるようになりました)
1990年には「ファンタジー4」が日本でのみ発売になりました。作品のクレジットを見ると、シリーズの作者としてあなたの名前が出てきますが、開発は日本のスタークラフト名義になっています。この作品について、あなたはどういう感じで関わったのでしょうか。
「ファンタジー4」はすべてぼくが作ったものだ。幸いにも日本に行けて、スタークラフト側のプログラマたちにも会うことができた。ただテストプレイにはいっさい関われなかったけれども。
「ファンタジー」の後で、また同じジャンルのRPGを作ることも考えたけど、結局はSFテーマの作品をやることにした。それが「スター・コマンド」なんだ。
「ファンタジー4」ですが、どのような経緯で作られたものなのでしょうか。スタークラフトから依頼があったのですか。それとも既に出来ていた作品を、スタークラフトから発売したということでしょうか。
スタークラフトからSSIに連絡があったんだ。日本で「ファンタジー4」を出したいってことでね。それでSSIから話があって、あれを作ったってわけ。
あの作品は日本だけで発売されましたね。
アップルⅡかコモドール64みたいなマシンに移植してくれる人がいたら、SSIも出したと思うけど、そうはならなかった。当時ぼくは別の仕事を抱えていて、自分でやるわけにもいかなかったんだ。
「ファンタジー」シリーズの評価については満足されていますか。売れ行きは好調だったのでしょうか。そうだったとすれば、どうしてシリーズは終わってしまったのでしょうか。
最初の「ファンタジー」については評判も良かったし、満足している。SSIの中でもとりわけ売れた作品だったし、数年間はけっこう目立っていたんだ。
ただ、シリーズも2、3となるにつれて、売れ行きも落ちてしまった。次はもっと新しいことをやらないといけないと思ったし、だったらまったく新しい作品を作った方がいいと判断したんだ。
「ファンタジー」シリーズの次にあなたが手がけたのが、SFテーマのRPG「スター・コマンド」でした。ファンタジーと神話の世界からSFに移ることについて、当時はどう考えておられたのですか。
個人的にも、ゲーム市場にとっても目新しいことだったから、とてもやりがいがあった。それと、アップルⅡからIBM-PCに移行したいって気持ちもあった。IBM-PCの方が高性能だし、当時のアップルⅡはゲーム市場が縮小していたけど、PCはゲームも売れ始めていたからね。それと、PCでゲームを作るならSFの方がいいかなって思っていたこともある。
残念ながら確認が取れなかったのですが、アバロンヒルにも同じ名前のボードゲームがあるそうです。それとの関連についてはいかがですか。
ぼくはファンタジーのRPGを2、3やったことがある程度で、SFテーマの作品についてはRPGもボードゲームもやったことがない。「スター・コマンド」にあるアイデアの大半は独自のものだ。
「スター・コマンド」はキャラクター成長のところで「トラベラー」に通じるものがあるように思えます。たとえば、キャラクターの成長が、ミッションの進捗と密接に関連しているところとか。そういう要素について、あなたの狙いは何だったのでしょうか。
狙いとしては、キャラクターの生成や成長について、「ファンタジー」のものよりも、より数値とか細部に関連したものにしたかったんだ。
前作で使った、従来型のD&D的なシステムと比べてどうでしょうか。
ファンタジーRPGの標準的なシステムと比べて、別にいいとも悪いとも思わないけど、SFテーマの作品だったらまだこっちの方が向いているんじゃないかな。
「スター・コマンド」では戦闘に関して、宇宙と地上で2つの異なったシステムを使い分けていますね。
宇宙空間での戦闘については、映画や本を元に考えた。宇宙と地上という2つの戦闘をこなすために、時間とお金をバランスよく配分する必要があるってことにすれば、面白くなるんじゃないかって思ったんだ。
(「スター・コマンド」での戦闘画面)
「スター・コマンド」では、ミッション別の探検と、オープンワールド的な宇宙探索の両方をうまくこなしていく必要がありました。一部のミッションはランダムの要素が強いものでしたが、金銭を得るには商取引や、敵船を拿捕して軍装品を奪うことが主でした。こういう要素を思いついたのはどういったことからなんでしょうか。
覚えてないけど、共作者のエリック・リーベナーが思いついたことなんじゃないかな。
実現したかったけど、技術的な限界や時間の都合などで実現できなかった機能などはありましたか。
「スター・コマンド」については、おおむね納得のゆく出来になった。深みもあるし、多彩な要素が揃っている。
ただ、もっと時間があったら、広大な宇宙を探索するにあたって、もっと面白いイベントを盛り込んでおきたかったけどね。
「スター・コマンド」は、当時のSFテーマのRPGとしては、実にユニークで面白い作品でした。さまざまな装備を使い分けることができたほか、ミッションもこちらの想像をかきたてるようなものでしたし、作中の世界も実に巧妙に作りこまれていました。当時の評価としてはどのようなものだったのでしょうか。作品の出来栄えのわりには、いまひとつ知名度が低いように思うのですが。今ふりかえってみて、あの作品をどう思われますか。
当時は雑誌でも好意的に取り上げられたし、IBM-PCのゲームとしては売れ行きも良かったよ。
ただ、SSIのお客さんっていうのはアップルⅡかコモドール64のユーザーが中心なんだ。そして、それらの機種に「スター・コマンド」を移植することはできなかった。
アミーガやアタリSTには移植できたけど、残念ながらマシンの性能を存分に生かした出来にはなっていなかった。
そんなわけで、全体的な売れ行きとしては「ファンタジー」を下回ってしまったんだ。
共作者のエリック・リーベナーについて教えてください。すでに最初の「ファンタジー」でグラフィック担当として名前が出ていますが、どうして彼と一緒に「スター・コマンド」を作ろうと思われたのですか。
彼はぼくのいとこなんだ。最初の「ファンタジー」でグラフィックをやってもらった時はまだ15歳だった。2、3でも引き続きグラフィックを担当して、「スター・コマンド」では共作者になってもらった。彼はプログラミング以外のあらゆる面に関わっているし、とりわけ複雑なところについては半分は彼が作った。
「スター・コマンド」の後であなたはゲーム業界から引退されましたね。どうして身を引かれたのでしょうか。それからは何をされていたのですか。
「スター・コマンド」の後で、日本のゲーム会社向けに3つゲームを作ったんだ。プログラミングを任せてしまえば、それだけグラフィックやゲームプレイに集中できると思った。だけど、そうやって作ったゲームのうち、実際に発売されたのは「ファンタジー4」だけだった。
ちょうど同じ頃、ぼくは土木関係のプログラムを作る会社で仕事する機会があった。それで、そっちの方が収入も安定しているものだから、転職したってわけ。今も同じ会社で働いている。
ところで、今のぼくは「ファンタジー」の新作を作っているんだ。なんせ時間がないから、なかなか進まないけどね。一年後にまた聞いてくれれば、進捗について話せると思うよ。
ぜひお願いします。その新作について教えていただけますか。これまでの「ファンタジー」と似た感じになるのでしょうか。まったく新しい要素を取り入れるつもりはありますか。
まだ本当に手をつけたばかりだし、まったくの趣味でやっているからね。どういう形で出すのかについては、まったく考えていない。PCのゲームだけど、評判が良ければiOSやAndroidでも出すかもしれない。
作品としては、作品世界の規模は大きくなるけど、ゲーム自体は以前の「ファンタジー」とよく似たものにするつもりだよ。具体的には何ともいえないけど、見た目としてはスクロール表示のマップが中心となる。戦闘や探検も同じマップで展開されることになる。
ありがとうございました。
というわけで、このインタビューから1年以上たった今でも、残念ながら続報のようなものは伝わってきていないのですが、「ファンタジー」の新作を作っているという話には驚きました。
日本のみの発売だった「ファンタジー4」がスタークラフトの依頼を受けて作られたことはすでに公表されていましたが、他にも日本向けに作った作品が複数あったものの未発表に終わったという話はおそらく初出でしょう。
外国人のゲーム作家が作り、日本側がプログラミングを担当したRPGというと、同じスタークラフトが手がけた「トンネルズ&トロールズ」がありました。もっともこちらは、アメリカでもIBM-PC版が発売されています。それにしても「ファンタジー4」が本国アメリカで発売されなかったのは何とも残念なことでした。
いつ発表になるのかまったく分からないとのことですが、「ファンタジー」シリーズの新作にはぜひ期待したいところです。
(1988年作の「スター・コマンド」。当時「スターフライト」「センチネル・ワールド」と宇宙探索もののすぐれたゲームが出ていましたが、これもそのひとつです)
Winston Douglas Wood on Phantasie and Star Command - RPG Codex
「ファンタジー」はスタークラフトから移植版が発売されており、国産機でもプレイできたことで、日本のユーザーにとっても身近な存在となりました。特に最後の第4作はなぜか本国アメリカでは未発表で、日本のみの発売となったのですが、昨年2月に公開されたこのインタビューではそのあたりの事情についても触れてあります。
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最初の「ファンタジー」を作っておられた頃はまだ学生だったそうですが、ゲームを作るようになったきっかけは何だったんでしょうか。
作り始めたのは大学2年の時で、発売される頃には大学院に通っていた。とにかくやってみようって気になっていた。コンピュータRPGだったら自分でも作れるのは分かっていた。優れたものが出来ると思ったんだ。
発売元にSSIを選んだ理由について。
最初に作ったゲームを10以上のゲーム会社に持ち込んだけど、興味を示してきたのは2社だけで、SSIはそのひとつだった。SSIは外部制作の作品を数多く扱っていたし、ゲーム作家とのやりとりにも慣れていた。それで決めたんだ。
今のコンピュータRPGだと同じジャンルの他の作品に影響を受けるのがごく普通ですが、当時は影響を受けようにも、そもそもコンピュータRPG自体があまりなかったですよね。「ウィザードリイ」や「ウルティマ」のような他のコンピュータRPG、あるいは「D&D」のようなテーブルトップRPGからの影響はどれほどのものだったんでしょうか。
「ウィザードリイ」と「ウルティマ」はすでに遊んでいて、そのおかげでコンピュータこそRPGに最適の媒体だと思うようになったんだ。
テーブルトップRPGについては、D&Dと、それから「ルーンクエスト」という作品をプレイした。「ファンタジー」の戦闘やキャラクター成長の仕組みについては「ルーンクエスト」からヒントを得ている。
「ファンタジー」を作るうえで目標にしていたことは何でしたか。当時まだコンピュータRPGで実現されていない要素で、自作に取り入れたいと思っていたことはありましたか。コンピュータRPG、あるいはビデオゲーム全般において、あなたが必要だと思った要素は何でしょうか。
最初の「ウィザードリイ」は、たった1つのダンジョンを舞台にひたすら戦闘とマッピングを繰り返すって感じの作品だった。キャラクタ同士のやりとりもほとんどない。最初の「ウルティマ」はプレイヤーキャラクタが1人しかいない。
作品の世界をもっと豊かなものにしたかった。いろんな場所に入れるようにしようと思ったんだ。ダンジョンに城、要塞、島。神話に登場する場所とかね。戦闘でも、いろんな武器や防具を使い分けたりとか、もっと細かいことが出来るようにしたかった。
パーティも人間だけじゃなくて、他の種族も加わるようにした。オークにゴブリン、トロール、ノーム、ピクシーといったようにね。エルフやドワーフ、ハーフリングなんかも入れれば、もっと幅が広がる。
それから作中のパズルにしても、他のキャラクターとのやりとりや、アイテムを使い分けることで解けるようなものにしたかった。
「ファンタジー」の世界は、トールキン風の幻想文学と、古代ギリシャの神話を組み合わせたようなところがあります。このようにいろんな要素を取り入れた理由は何なんでしょうか。
トールキンの小説は読んでいたし、古代ギリシャの神話や文化についても知識があったのは事実だ。それから「ナルニア年代記」とかのファンタジー小説もいろいろ読んではいた。ただ、元になった作品と言われても、具体的に挙げるのは難しい。単に自分で気に入っていた要素を使っただけだから。もっとも、そういういろんな要素をひとつにまとめたところが「ファンタジー」の良さになっているのかもしれない。
ニカデモス(「ファンタジー」における悪の親玉)というキャラクターを思いついたきっかけは何だったんでしょうか。
「フリスビーおばさんとニムの家ねずみ」(ロバート・C・オブライエン作、1971年刊の児童書。映画「ニムの秘密」の原作)という小説があって、それに出てくるニコデマスっていう登場人物が元なんだ。悪役らしい名前だと思った。確か、聖書にも登場する名前なんだけどね。ただ綴りは変えてある。そのまま使うのはさしさわりがあるかもしれないと思ったから。
「ファンタジー」では受身のスキルがいろいろ登場していますね。ワナとか隠された財宝、モンスターの接近があらかじめ分かるような能力のことですが。設定としては今も昔もあまり見られないものですが、ああいう要素はあなたにとって重要なものだったんでしょうか。
ああいう設定はD&Dや「ルーンクエスト」から来ているんだ。おかげで、個別のキャラクタの幅がより広がることになった。要はパーティ全体でバランスが取れていればいいわけだから。
キャラクターがモンスターの様子をうかがったり、罠を探ったりすれば、それだけ現実味が増すし、危機感もより真に迫ったものになる。まあ、テーブルトップRPGだとおなじみの要素なんだけども。
作品に入れたかったけど実現しなかった設定はありますか。
「ファンタジー」には能力値としてロッククライミングを設定しておきたかった。その値が高ければ、なにかと有利になるようにね。だけど、時間とかの都合で無理だった。
「ファンタジー」ではダンジョンの状態が毎回保存されていました。当時のRPGではあまりないことでしたが、そこのところがあなたにとっては不満だったわけですか。また、ああいう要素を実装するのは大変だったのでしょうか。
城とか建物、ダンジョンみたいなもののレイアウトを、プレイヤーに見てもらえるようにしたかったんだ。城だったら、内部もそれらしくしてね。空っぽの部屋がいくつか通路でつながっているだけ、みたいなものじゃなくて。
それと、ダンジョンのマップ作りを手ごたえのあるものにするってことは、最初の「ウィザードリイ」がすでにやっていたからね。同じことをやっても仕方ないと思ったんだ。
面白い要素になると思ったし、実装するのも別に難しくはなかったよ。
ダンジョンでは、プレイヤーの倫理感を問うようなイベントがありましたね。たとえば、溶岩でいっぱいの空間に「美しい女」と「有能な男」がとらわれていて、どちらか一方しか救い出せない、というような。どちらを選ぶかで、結果もまた違ったものになっていました。こういう二面性はあえて取り入れていたのでしょうか。
そういう問いかけを入れていたってことは、まったく覚えがない。でも、なかなかいいアイデアだと思うよ。
当時のRPG、たとえば「ウィザードリイ」や「ウルティマ」のような作品では、ダンジョンでは本人視点になっていて、移動そのものが重要でした。それに比べて「ファンタジー」はまったく別のアプローチを採っていましたね。ダンジョンは上からの見下ろし視点で表示されていて、徐々にマップが明らかになるという作りでした。
それぞれ最初の「ウィザードリイ」と「ウルティマ」をプレイしてみて感じたことだけど、ダンジョンを本人視点にすると、紙にマップを描くくらいしかやれることがない。それにマップを描くのも、ぼくにとっては退屈だった。テーブルトップRPGだと上から見下ろすのが普通だし、それに慣れていたから、同じことを再現しようと思ったんだ。
SSIのRPGには論理パズルがよく出てきました。あなたにとって、ああいうパズル要素は重要だったのでしょうか。パズル要素をRPGと組み合わせたことについては、満足のゆく仕上がりになりましたか。
ぼくとしては、ゲームをいろんな方法でクリアできるようにしておきたかった。ひとつしか解法のないパズルをいくつも解くことでクリアできる、なんてものじゃなくてね。そもそも謎解きをクリアの必要条件にするつもりもなくて、キャラクタの成長にしか興味のないプレイヤーでもクリアできるようにしたかった。
もっとも、そういうところがSSIは気に入らなくて、新しいパズルを付け足すか、既存のパズルを変えるようにいってきた。要するに、パズルが解けないとクリアできないようにしろってことだ。
ただ、パズルの要素そのものはゲームにうまく組み込めたと思うし、出来には満足している。
「ファンタジー」シリーズのうち、2だけはアミーガにもIBM-PCにも移植されませんでした。
移植をどうするかってことはタイミングと、有能なプログラマを確保できるかどうかってところが大きい。移植に関してはSSIがすべて取り仕切っていたんだ。
「ファンタジー3」では戦闘のシステムに変更があり、より細かい指定が出来るようになっていました。ダメージを身体の部位ごとに設定することで、いっそう的確なものになったと思うのですが、より複雑にもなってしまいました。あなたとしては、この変更は作品をより面白くすることになったと思いますか。複雑にすると、それだけとっつきにくいものになりがちですが。
身体のダメージを部位別に設定したことで、より面白いものになったと思うよ。同業のゲーム作家にとっても、参考になったかもしれない。
ただ、より複雑にすることが、必ずしもゲームの面白さを増すことにつながるわけではないのも確かだ。
ぼくの場合、テストプレイヤーが何人かいて、彼らが遊んでいるところを直接見ることも出来た。それがゲームのバランスを調整するのに役立ったんだ。身体のダメージを部位別にするってアイデアはテーブルトップRPGの「ルーンクエスト」が元になっている。
(「ファンタジー3」では、キャラクターの身体部位が独立して扱われるようになりました)
1990年には「ファンタジー4」が日本でのみ発売になりました。作品のクレジットを見ると、シリーズの作者としてあなたの名前が出てきますが、開発は日本のスタークラフト名義になっています。この作品について、あなたはどういう感じで関わったのでしょうか。
「ファンタジー4」はすべてぼくが作ったものだ。幸いにも日本に行けて、スタークラフト側のプログラマたちにも会うことができた。ただテストプレイにはいっさい関われなかったけれども。
「ファンタジー」の後で、また同じジャンルのRPGを作ることも考えたけど、結局はSFテーマの作品をやることにした。それが「スター・コマンド」なんだ。
「ファンタジー4」ですが、どのような経緯で作られたものなのでしょうか。スタークラフトから依頼があったのですか。それとも既に出来ていた作品を、スタークラフトから発売したということでしょうか。
スタークラフトからSSIに連絡があったんだ。日本で「ファンタジー4」を出したいってことでね。それでSSIから話があって、あれを作ったってわけ。
あの作品は日本だけで発売されましたね。
アップルⅡかコモドール64みたいなマシンに移植してくれる人がいたら、SSIも出したと思うけど、そうはならなかった。当時ぼくは別の仕事を抱えていて、自分でやるわけにもいかなかったんだ。
「ファンタジー」シリーズの評価については満足されていますか。売れ行きは好調だったのでしょうか。そうだったとすれば、どうしてシリーズは終わってしまったのでしょうか。
最初の「ファンタジー」については評判も良かったし、満足している。SSIの中でもとりわけ売れた作品だったし、数年間はけっこう目立っていたんだ。
ただ、シリーズも2、3となるにつれて、売れ行きも落ちてしまった。次はもっと新しいことをやらないといけないと思ったし、だったらまったく新しい作品を作った方がいいと判断したんだ。
「ファンタジー」シリーズの次にあなたが手がけたのが、SFテーマのRPG「スター・コマンド」でした。ファンタジーと神話の世界からSFに移ることについて、当時はどう考えておられたのですか。
個人的にも、ゲーム市場にとっても目新しいことだったから、とてもやりがいがあった。それと、アップルⅡからIBM-PCに移行したいって気持ちもあった。IBM-PCの方が高性能だし、当時のアップルⅡはゲーム市場が縮小していたけど、PCはゲームも売れ始めていたからね。それと、PCでゲームを作るならSFの方がいいかなって思っていたこともある。
残念ながら確認が取れなかったのですが、アバロンヒルにも同じ名前のボードゲームがあるそうです。それとの関連についてはいかがですか。
ぼくはファンタジーのRPGを2、3やったことがある程度で、SFテーマの作品についてはRPGもボードゲームもやったことがない。「スター・コマンド」にあるアイデアの大半は独自のものだ。
「スター・コマンド」はキャラクター成長のところで「トラベラー」に通じるものがあるように思えます。たとえば、キャラクターの成長が、ミッションの進捗と密接に関連しているところとか。そういう要素について、あなたの狙いは何だったのでしょうか。
狙いとしては、キャラクターの生成や成長について、「ファンタジー」のものよりも、より数値とか細部に関連したものにしたかったんだ。
前作で使った、従来型のD&D的なシステムと比べてどうでしょうか。
ファンタジーRPGの標準的なシステムと比べて、別にいいとも悪いとも思わないけど、SFテーマの作品だったらまだこっちの方が向いているんじゃないかな。
「スター・コマンド」では戦闘に関して、宇宙と地上で2つの異なったシステムを使い分けていますね。
宇宙空間での戦闘については、映画や本を元に考えた。宇宙と地上という2つの戦闘をこなすために、時間とお金をバランスよく配分する必要があるってことにすれば、面白くなるんじゃないかって思ったんだ。
(「スター・コマンド」での戦闘画面)
「スター・コマンド」では、ミッション別の探検と、オープンワールド的な宇宙探索の両方をうまくこなしていく必要がありました。一部のミッションはランダムの要素が強いものでしたが、金銭を得るには商取引や、敵船を拿捕して軍装品を奪うことが主でした。こういう要素を思いついたのはどういったことからなんでしょうか。
覚えてないけど、共作者のエリック・リーベナーが思いついたことなんじゃないかな。
実現したかったけど、技術的な限界や時間の都合などで実現できなかった機能などはありましたか。
「スター・コマンド」については、おおむね納得のゆく出来になった。深みもあるし、多彩な要素が揃っている。
ただ、もっと時間があったら、広大な宇宙を探索するにあたって、もっと面白いイベントを盛り込んでおきたかったけどね。
「スター・コマンド」は、当時のSFテーマのRPGとしては、実にユニークで面白い作品でした。さまざまな装備を使い分けることができたほか、ミッションもこちらの想像をかきたてるようなものでしたし、作中の世界も実に巧妙に作りこまれていました。当時の評価としてはどのようなものだったのでしょうか。作品の出来栄えのわりには、いまひとつ知名度が低いように思うのですが。今ふりかえってみて、あの作品をどう思われますか。
当時は雑誌でも好意的に取り上げられたし、IBM-PCのゲームとしては売れ行きも良かったよ。
ただ、SSIのお客さんっていうのはアップルⅡかコモドール64のユーザーが中心なんだ。そして、それらの機種に「スター・コマンド」を移植することはできなかった。
アミーガやアタリSTには移植できたけど、残念ながらマシンの性能を存分に生かした出来にはなっていなかった。
そんなわけで、全体的な売れ行きとしては「ファンタジー」を下回ってしまったんだ。
共作者のエリック・リーベナーについて教えてください。すでに最初の「ファンタジー」でグラフィック担当として名前が出ていますが、どうして彼と一緒に「スター・コマンド」を作ろうと思われたのですか。
彼はぼくのいとこなんだ。最初の「ファンタジー」でグラフィックをやってもらった時はまだ15歳だった。2、3でも引き続きグラフィックを担当して、「スター・コマンド」では共作者になってもらった。彼はプログラミング以外のあらゆる面に関わっているし、とりわけ複雑なところについては半分は彼が作った。
「スター・コマンド」の後であなたはゲーム業界から引退されましたね。どうして身を引かれたのでしょうか。それからは何をされていたのですか。
「スター・コマンド」の後で、日本のゲーム会社向けに3つゲームを作ったんだ。プログラミングを任せてしまえば、それだけグラフィックやゲームプレイに集中できると思った。だけど、そうやって作ったゲームのうち、実際に発売されたのは「ファンタジー4」だけだった。
ちょうど同じ頃、ぼくは土木関係のプログラムを作る会社で仕事する機会があった。それで、そっちの方が収入も安定しているものだから、転職したってわけ。今も同じ会社で働いている。
ところで、今のぼくは「ファンタジー」の新作を作っているんだ。なんせ時間がないから、なかなか進まないけどね。一年後にまた聞いてくれれば、進捗について話せると思うよ。
ぜひお願いします。その新作について教えていただけますか。これまでの「ファンタジー」と似た感じになるのでしょうか。まったく新しい要素を取り入れるつもりはありますか。
まだ本当に手をつけたばかりだし、まったくの趣味でやっているからね。どういう形で出すのかについては、まったく考えていない。PCのゲームだけど、評判が良ければiOSやAndroidでも出すかもしれない。
作品としては、作品世界の規模は大きくなるけど、ゲーム自体は以前の「ファンタジー」とよく似たものにするつもりだよ。具体的には何ともいえないけど、見た目としてはスクロール表示のマップが中心となる。戦闘や探検も同じマップで展開されることになる。
ありがとうございました。
* * *
というわけで、このインタビューから1年以上たった今でも、残念ながら続報のようなものは伝わってきていないのですが、「ファンタジー」の新作を作っているという話には驚きました。
日本のみの発売だった「ファンタジー4」がスタークラフトの依頼を受けて作られたことはすでに公表されていましたが、他にも日本向けに作った作品が複数あったものの未発表に終わったという話はおそらく初出でしょう。
外国人のゲーム作家が作り、日本側がプログラミングを担当したRPGというと、同じスタークラフトが手がけた「トンネルズ&トロールズ」がありました。もっともこちらは、アメリカでもIBM-PC版が発売されています。それにしても「ファンタジー4」が本国アメリカで発売されなかったのは何とも残念なことでした。
いつ発表になるのかまったく分からないとのことですが、「ファンタジー」シリーズの新作にはぜひ期待したいところです。
(1988年作の「スター・コマンド」。当時「スターフライト」「センチネル・ワールド」と宇宙探索もののすぐれたゲームが出ていましたが、これもそのひとつです)
Winston Douglas Wood on Phantasie and Star Command - RPG Codex