(1)佯北試敵――わざと逃げて敵を試す。
 私が調べるに、兵法にこうあります。両軍の戦力が等しく、将軍が敵情をまだ分かっていないときは、必ず敵方を偵察して、先手を打ちます。そのとき何か変化が生じたなら、計略によってそれに応じます。それで、公子突は敵と当たってすぐに逃げることで北戎を殲滅し、呉起は軽快で精鋭な部隊で敵を試すことを武侯に答え、黄子英は戦いを挑んですぐに逃げることで姜寶誼を捕虜にしたのです。今の将校で、このようにできる人は、いったいどれだけいるでしょうか。
①公子突
 春秋時代、異民族の北戎が鄭国を攻め、鄭国の君主・鄭伯が防戦しました。
このとき鄭国の公子突は、鄭伯に言いました。
「勇ましいけれど、強くない者を敵にぶつからせ、すぐに退かせます。陛下は伏兵を三つ配置して、敵軍が追いかけてくるのを待ち伏せてください」
 かくして北戎軍は、逃げる鄭軍を追いかけて進撃したのですが、伏兵に襲われて逃げ出しました。
 それを鄭国の将軍・祝?が追撃し、北戎軍の前後を包囲して、全滅させました。
②呉起
戦国時代、魏国の君主・武候は、名将の呉起に尋ねました。
「敵軍と対峙しているとき、敵将の能力が分からなくて、それを知りたい場合、どのようにすればよいだろうか」 
 呉起が答えました。
「身分は低いけれど勇敢な者を選んで、その者に軽快で優秀な兵士を率いさせ、試しに敵を攻撃させます。このとき、逃げることを優先させ、勝とうとさせてはいけません。そして、この攻撃に敵がどう反応するかを見ます。
 敵が、進むも退くも整然としており、こちらが逃げてもわざと追いつけないふりをし、こちらが利を示してもわざと気づかないふりをするなら、敵将は智将であり、これと戦ってはいけません。
 しかし、こちらが攻撃をしかけたとき、全軍がざわつき、軍旗がふらつき、各隊が勝手に動き、隊列が乱れ、こちらが逃げると急いで追いかけようとし、こちらが利を示すと急いで手に入れようとするなら、敵将は愚将であり、敵が大軍でも勝てます」
③黄子英
 唐王朝の姜寶誼は、武徳初年に右武徳衛将軍となりました。
 当時、唐王朝の宿敵・劉武周は、武将の黄子英に雀鼠谷のあたりで行動させていました。
 唐王朝の初代皇帝・李淵は、武将の姜寶誼に黄子英の軍勢を迎撃させました。
 黄子英は、身軽な兵士で部隊を編成し、何度も姜寶誼の軍勢に戦いを挑ませたのですが、唐軍から反撃されるとすぐに逃走させました。こういったことを再三にわたり行うと、姜寶誼は全軍をあげて追撃してきました。
 そこへ待ち伏せていた黄子英の伏兵が姜寶誼の軍勢に襲いかかり、大敗させました。このとき姜寶誼は捕虜となりました。

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