李容洙 『証言』の変遷

李容洙

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『証言』の変遷

李の証言については「国民服を来た日本人の男から、ワンピースと革靴をもらってうれしくてついて行った」と話していた内容が「日本の軍服を着た男らが家にやってきて、男から何かとがったものを背中に突きつけられ船に乗せられて行った」と“軍による強制連行”を主張する内容に変更していることから信憑性がないと産経新聞により指摘されている[51]

  • 1993年当時のイ・ヨンスの証言 1993.7「写真記録 やぶられた沈黙」1993.10「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」より抜粋
「1944年夏のある日、酒屋をやっていた友達(キムプンスン)のお母さんが「今のような苦しい生活をしている必要はないじゃないか。私の言うところに行けばご飯がたくさん食べられ、豊かな生活ができる」と言いました。ですが私は「嫌だ」と言って飛び出て来ました。
それから何日かたったある日の明け方、キムプンスンが私の家の窓をたたきながら「そうっと出ておいで」と小声で言いました。私は足音をしのばせてそろそろとプンスンが言う通りに出て行きました。母にも何も言わないで、そのままプンスンの後について行きました。~(中略)~行ってみると川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。その男の人は四十歳ちょっと前ぐらいに見えました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。その人は私に包みを渡しながら、中にワンピースと革靴が入っていると言いました。~(中略)~それをもらって、幼心にどんなに嬉しかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座について行くことにしました。大邱から私たちを連れて来た男が慰安所の経営者でした。」

『証言・強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』(韓国挺身隊問題対策協議会 明石書店 1993)での本人の証言をもとに列記する。

  • 1944年秋(満16歳)貧乏な様子におばさんから働けと勧められ、「軍服みたいな服を着た男」(国民服に戦闘帽の男の日本人)に服と靴で釣られて働けるものとついて行った。大連から船に乗った。
  • 1945年(17歳)新暦の正月、爆撃下の船上で強姦される。台湾の新竹に到着したが股に腫れ物ができて血がべったりついていて歩けない。嫌だと言うと慰安所の経営者に電話線のコード巻き付けられ拷問された。トシコという名で主に特攻隊の相手をした、その際に性病を移された。
  • 1945年8月(17歳)朝鮮人の人が終戦だと教えてくれた、経営者はもう逃げていなかった。埠頭にある収容所に行った。麦が青い芽を出す頃(11月頃)家に帰った。
  • 2002年6月26日の「しんぶん赤旗[52]では「14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられた」「拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけた」と証言している。
  • 2004年12月4日に開催された『12・4全国同開催「消せない記憶」』では「1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強姦される。台湾では、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。「慰安所」では1日に何人もの兵士の相手をさせられ、抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれたりの暴行を受けた」と紹介されている[53]
  • 2006年10月13日、『上田知事の「従軍慰安婦」否定発言を問う県民連絡会』の集会後の記者会見では、「15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間も慰安婦をさせられた」と述べた[54]
  • 2007年2月23日、日朝協会主催の「イ・ヨンスさんのお話を聞く会」で「15歳のとき、小銃で脅され、大連から、台湾に連行され新竹海軍慰安所で特攻隊員の慰安婦とされた」と証言している[55]
  • 2007年3月1日、上田清司埼玉県知事と面談後の記者会見では「16歳のとき、台湾で特高隊員に口を塞がれて連れて行かれた」と述べている[56]
  • 2007年4月27日の「asahi.com」の記事[57]では「私は15歳の時に拉致された。まわりの女性は誰も売春婦のようにはお金をもらっていなかった」と証言している。
  • 2007年4月28日にハーバード大学で行った講演では「16歳の時に強制連行され、2年間日本兵の慰安婦をさせられた」「日本兵に足をメッタ切りにされ、電気による拷問を受けた」[58]と証言している。
  • 2007年6月14日に開催された『旧日本軍の性暴力被害者に謝罪と賠償を求める国会前スタンディング』で「15歳の時、両親のもとから連れ去られ、台湾の特攻隊の慰安所に送られた」「台湾の慰安所で、私は殴られたり、蹴られたりしました。『言うことを聞いたら、お父さんお母さんにまた会わせてやる』と言われ、されるがままになりました。ひどいことをされ、腹膜炎になりました。」と証言した[59]
  • 2007年に放送された韓国ESBテレビ「時代の肖像」で「1944年10月、夕方に家の外に出てからわけも分からないまま台湾にある日本軍慰安所までつれて行かれた」「台湾につれて行かれる船に日本海軍300人と朝鮮娘5人が乗っており、船の上でもう純潔を失って悽惨に身を踏み躙られた。」「強要に負けて‘一日に少なくとも20人、多くは70人の日本軍’に性暴行にあって‘生理中にも日本軍を受けると’したし、要求を拒否でもすれば‘刀でぐいぐい裂く’残忍な暴力と殺しまであわなければならなかった被害者たちに自分の考えで身を売ったという意味を持つ‘慰安婦’という呼称は当然しない」と証言している[60]
  • 2011年12月13日のニューヨークの韓人有権者センターとクィーンズボローコミュニティカレッジのホロコーストセンター(ナチスのユダヤ人虐殺記念館)が設けた記念講演で「15歳の時に台湾の神風部隊に連れて行かれあらゆる拷問に遭いほとんど死ぬところだった。一緒に連れて行かれた他の女性2人は死んだ。」と証言した[61]
  • 2012年9月12日、日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会が主催した講演会で「15歳のときに、自宅で寝ていたところを日本軍によって連行されました。帰りたいと言うと「言うことをきかなければ殺す」と脅され、軍靴や棒で顔や体に暴力を受けました。各地を日本軍とともに転々とし、17歳で父母の元に帰るも、「また捕まるのではないかと思うと、顔を上げて歩けない。誰にも話せなかった」と証言した[62]
  • 2012年9月に慰安婦関連のイベントで招聘されたときに「1944年、16歳の時に台湾の新竹にある慰安所へ。生理の時も強姦された」とプロフィールが更新された[63]

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