Sの話だ。
 Sは作家である。
 かつてSは作家ではなかった。
 俺の古い知己である作家T(※ここ数年連絡が取れない。嫌われたのだろう)の「ファン」であった。
 広く使われる穏当な意味の「ファン」ではなく、語源であるfanaticの方の「ファン」であった。
 その未作家時代に俺はSと出会った。ファーストインプレッション。「眼鏡だな」「眼鏡だな」「よくよく見ると眼鏡だな」。俺自身も眼鏡であるため他眼鏡にはピンとくる。こいつは眼鏡だ。「眼鏡(メガネ)」は単に「眼鏡(がんきょう)」ではなく精神性を指す。眼鏡か眼鏡以外か。人はそのように分けられる。
 ところでTがSに与えた影響は計り知れない。そもそもTを審査員に据えた小説賞がSを作家に変成させる端緒であった。
 たまたま俺はSが賞を取りデビューすることとなったレーベルに著作があり、レーベルメイトとなった。無論、先輩風という強風を吹かせた(※その後、俺は怠惰からレーベルをドロップアウトしSとは只の知り合いに再び格下げとなった)。
 作家Sはまず粗削りであった。
 素手で本来触れてはならないものを無造作に掴んでしまうような、それを見た人が顔をしかめてもその表情がいかに魅力的か逆に滔々と説明してくるような(※その手は大怪我を負っているのである)、そういうタイトロープダンサーなところがあった(※それは作家Tにも通底すると俺は思っている)。
 Sの作品は未完成ではあるが未成熟ではない、かといってネオテニーでもない。これはS自身にも言えることで、俺が好ましく思う部分でもあった。
 Sの作品にはどろっとした濃い色の血のような、サナギの中身のような、クセはあるが滋養に富むであろう何かが流れていた。
 しかしその作品は下手に弄ると出血して大怪我をする類いのナイーブなクリーチャーだ。
 俺は下手に弄りかけたことがある。
 某社で俺をディレクターとしたPCゲームのプロジェクトが立ち上がり、俺はSをシナリオライターに起用したのだ。
 Sの快諾を得て俺たちは早速企画を練り始めた。
 T作品への挑戦意欲も感じられる大きなスケールを持つSの草案を、キャッチボールの要領でやり取りした。
 しかし俺は時にクライアントや顧客へのアピールを重視し、球筋のあまり良くないボールを返すこともあった。
 それに対しSは真摯に応えてくれてはいたが、致死量ではないにせよ、作品は血を流していたと思う。
 結局、某社の制作が先行き不透明となったため、俺はプロジェクト中止を決断した。俺はSの作家としての貴重な時間を無駄にした。
 あれから六年ほどが経つ。
 作家Sの創作は止まることなく、今はデビュー時とは別のレーベルで活躍を続けている。俺がどれだけ安堵しているか。別にそれはどうでもいい。俺は安堵よりも呪詛を送りたい。
 十年目の誕生日におめでとう。
 次のディケイドもその次も、血と羊水に塗れ臍の緒を食いちぎり生まれ続けて欲しい。