コメント
証拠の重要性について
泉正弘さんが、このように仰られています。
> この無理難題な「証拠」要求というのが今の日本社会で蔓延っており、二言目には「証拠」だの「エビデンス」だの「ソース(source)」だのと言ってくるのです。証明できるような性質ではないものに対しても、です。また、「証拠」として提出したものを解読できる能力がないために、「証拠」と認めないケースもあります。
これは大変重要な指摘です。科学的手法(自然科学に限らず)を取る上では、自分の主張の「論理」や「(状況)証拠=その仮説を補強するための事実の積み重ね」、引用する場合は「引用元・出典(ソース)」を明示するのが基本的な態度です。
本質的に重要なのは「論理」であり、「その論理を構築する材料となる事実の積み重ね」であると思います。
例えば、日本の国会では政府の新型コロナウイルス対策方針に対する質問として「そのやり方にエビデンスはあるんですか?」と言った趣旨の文言が投げつけられることが多々あります。この場合のエビデンスという言葉には「何らかの実験等を行った結果として、その対策の有効性を証明するだけの結果がありますか?」という意味合いが含まれています。
新型コロナウイルスに対する対策は人類が初めて直面する事態ですから、当然ですが完全なエビデンスは有りません。ただ、「専門家が現在ある知見や合理的推測(仮説)を出して話し合った結果に、政治的判断を加えて決めた対策方針」が存在するだけです。ですから、議論するのであれば「政府の対策方針を決めた論理と、その論理を構築する材料はどのようなものでしたか」と質問するのが正しいのです。明らかに答えが無いのをわかっていて聞いてるわけですから、これは「質問」ではありません。よって、鈴木は「~と言った趣旨の文言が投げつけられる」と表現しました。
要するにこれは問答では無く、一方的に返答に困るような言葉を投げつけているだけです。国権の最高機関たる国会において行われている「議論」と称するものの実態がこうですから、国民が議論についておかしな理解をするのも致し方ない気もしてきます。(もちろん、おかしな議論をすることを許容する意味で言っているのではありません)
一方で、「断片的な情報」であったり「思い込み」であったり、「イメージ(自己の中にある対象物への印象・先入観)」に引きずられたりして、有効な根拠を示さずに主張をする方が沢山います。例えば、西村博之とラテン語さんのTwitter上での論争の中で西村博之が主張した、「英語はイギリスの貴族がフランス語を喋ってた時代に庶民でも話せる頭の悪い言語として生まれた」などの主張は、「断片的な情報に基づいて、イメージに引きずられて考えついた頭の弱い西村博之の思い込み」の典型例です。こういう人間に対しては、論拠を示させてその不備を徹底的に叩く必要があります。
「証拠を示してください」「エビデンスを示してください」「ソースを提示してください」というよりも、「そのように主張される根拠はなんですか?どういった材料(事実)をもとに、どのような論理でその主張にたどり着いたのですか?」という聞き方をするのが望ましいと私は思います。
> この無理難題な「証拠」要求というのが今の日本社会で蔓延っており、二言目には「証拠」だの「エビデンス」だの「ソース(source)」だのと言ってくるのです。証明できるような性質ではないものに対しても、です。また、「証拠」として提出したものを解読できる能力がないために、「証拠」と認めないケースもあります。
これは大変重要な指摘です。科学的手法(自然科学に限らず)を取る上では、自分の主張の「論理」や「(状況)証拠=その仮説を補強するための事実の積み重ね」、引用する場合は「引用元・出典(ソース)」を明示するのが基本的な態度です。
本質的に重要なのは「論理」であり、「その論理を構築する材料となる事実の積み重ね」であると思います。
例えば、日本の国会では政府の新型コロナウイルス対策方針に対する質問として「そのやり方にエビデンスはあるんですか?」と言った趣旨の文言が投げつけられることが多々あります。この場合のエビデンスという言葉には「何らかの実験等を行った結果として、その対策の有効性を証明するだけの結果がありますか?」という意味合いが含まれています。
新型コロナウイルスに対する対策は人類が初めて直面する事態ですから、当然ですが完全なエビデンスは有りません。ただ、「専門家が現在ある知見や合理的推測(仮説)を出して話し合った結果に、政治的判断を加えて決めた対策方針」が存在するだけです。ですから、議論するのであれば「政府の対策方針を決めた論理と、その論理を構築する材料はどのようなものでしたか」と質問するのが正しいのです。明らかに答えが無いのをわかっていて聞いてるわけですから、これは「質問」ではありません。よって、鈴木は「~と言った趣旨の文言が投げつけられる」と表現しました。
要するにこれは問答では無く、一方的に返答に困るような言葉を投げつけているだけです。国権の最高機関たる国会において行われている「議論」と称するものの実態がこうですから、国民が議論についておかしな理解をするのも致し方ない気もしてきます。(もちろん、おかしな議論をすることを許容する意味で言っているのではありません)
一方で、「断片的な情報」であったり「思い込み」であったり、「イメージ(自己の中にある対象物への印象・先入観)」に引きずられたりして、有効な根拠を示さずに主張をする方が沢山います。例えば、西村博之とラテン語さんのTwitter上での論争の中で西村博之が主張した、
「証拠を示してください」「エビデンスを示してください」「ソースを提示してください」というよりも、「そのように主張される根拠はなんですか?どういった材料(事実)をもとに、どのような論理でその主張にたどり着いたのですか?」という聞き方をするのが望ましいと私は思います。
別の動画
「ひろゆき」は、一つ目ツイートの末尾に、前回のマクロン氏がサッカーの結果を知った時の動画とは別の動画のリンクを貼っています。これに対し 「ラテン語さん」が即座に〈この「putain」は強調ではない〉とツッコミを入れています。
https://twitter.com/latina_sama/status/1423501224616239111
https://twitter.com/latina_sama/status/1423501224616239111
Re: 証拠の重要性について
鈴木良照さん
コメントの末尾の部分にだけ異論があります。
>「証拠を示してください」「エビデンスを示してください」「ソースを提示してください」というよりも、「そのように主張される根拠はなんですか?どういった材料(事実)をもとに、どのような論理でその主張にたどり着いたのですか?」という聞き方をするのが望ましいと私は思います。
一般論としては、それが正しいと思います。ところが、肚(はら)の底まで腐りきった詭弁屋・西村博之には、そもそも相手の質問に真っ直ぐ答える意思がありません。答える能力が自分に具わっていないことは自覚しているので、常に、はぐらかしを試みます。
こういう輩と議論する意味はありません。徹底的に無視して、侮蔑し唾棄する理由を述べた文書を誰にでも閲覧できるようにしておくのが有効な反撃方法です。それも、百回の愚かな攻撃に対して一回ぐらい反撃しておけば十分です。
コメントの末尾の部分にだけ異論があります。
>「証拠を示してください」「エビデンスを示してください」「ソースを提示してください」というよりも、「そのように主張される根拠はなんですか?どういった材料(事実)をもとに、どのような論理でその主張にたどり着いたのですか?」という聞き方をするのが望ましいと私は思います。
一般論としては、それが正しいと思います。ところが、肚(はら)の底まで腐りきった詭弁屋・西村博之には、そもそも相手の質問に真っ直ぐ答える意思がありません。答える能力が自分に具わっていないことは自覚しているので、常に、はぐらかしを試みます。
こういう輩と議論する意味はありません。徹底的に無視して、侮蔑し唾棄する理由を述べた文書を誰にでも閲覧できるようにしておくのが有効な反撃方法です。それも、百回の愚かな攻撃に対して一回ぐらい反撃しておけば十分です。
Re: 別の動画
「みやゆふ」さん
「ラテン語さん」のツイートのお知らせ、ありがとうございます。
「ラテン語さん」のおっしゃることのうち、
〈この「putain」は強調ではない〉
という部分は正しいのですが、その先はいけません。
フランス語の「putain + de + 無冠詞の名詞」は、
「侮蔑」や「苛立ち」「激昂」を表わすのです。だから「いまいましい」といった翻訳になります。これもまた、決して「単なる強調」ではありません。
念のため、手許の仏仏辞典を調べてみました。間違い無く
【「mépris (軽蔑、侮蔑)」や「exaspération (苛立ち、激昂、激怒)」を表わす】
と書いてありました。
「ラテン語さん」のツイートのお知らせ、ありがとうございます。
「ラテン語さん」のおっしゃることのうち、
〈この「putain」は強調ではない〉
という部分は正しいのですが、その先はいけません。
フランス語の「putain + de + 無冠詞の名詞」は、
「侮蔑」や「苛立ち」「激昂」を表わすのです。だから「いまいましい」といった翻訳になります。これもまた、決して「単なる強調」ではありません。
念のため、手許の仏仏辞典を調べてみました。間違い無く
【「mépris (軽蔑、侮蔑)」や「exaspération (苛立ち、激昂、激怒)」を表わす】
と書いてありました。
意図的な論点ずらし?
鱈太郎さんからのコメントに対する小島先生の記事、泉正弘さんのコメント、どちらも大変わかりやすく納得のいく内容で全面的に賛同させていただきます。
特に泉正弘さんの一文が常々私も感じていた事なので大いに頷きました。
その一文を引用いたします。
###
これを意図的な論点ずらしだと指摘する人もいます。しかし私は意図的ではないと見ています。
文意を読み取れず、自然に論点がずれてしまっただけだと思います。単純に、文章が読めない人ではないでしょうか。
###
小島先生の発言「強調のためによく使われる」の「よく」を抜いて発言をしているのは計算して歪曲引用をした訳では無く、、
「よく」を抜いても発言の意味に大差ないと本気で思い込んでいるように見受けられます。
「よく」という言葉を抜いている問題点はTwitterでも指摘されていますが、無反応なのはその指摘の問題点が理解できないからではないでしょうか?
ひろゆき自身が自己引用している場面でも言葉が抜ける事があるのも同じ理由だと考えられます。
ひろゆきのフランス語・日本語の能力については小島先生の言葉が的を射てると思います。
特に泉正弘さんの一文が常々私も感じていた事なので大いに頷きました。
その一文を引用いたします。
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これを意図的な論点ずらしだと指摘する人もいます。しかし私は意図的ではないと見ています。
文意を読み取れず、自然に論点がずれてしまっただけだと思います。単純に、文章が読めない人ではないでしょうか。
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小島先生の発言「強調のためによく使われる」の「よく」を抜いて発言をしているのは計算して歪曲引用をした訳では無く、、
「よく」を抜いても発言の意味に大差ないと本気で思い込んでいるように見受けられます。
「よく」という言葉を抜いている問題点はTwitterでも指摘されていますが、無反応なのはその指摘の問題点が理解できないからではないでしょうか?
ひろゆき自身が自己引用している場面でも言葉が抜ける事があるのも同じ理由だと考えられます。
ひろゆきのフランス語・日本語の能力については小島先生の言葉が的を射てると思います。
Re: 証拠の重要性について
小島先生
> 一般論としては、それが正しいと思います。ところが、肚(はら)の底まで腐りきった詭弁屋・西村博之には、そもそも相手の質問に真っ直ぐ答える意思がありません。答える能力が自分に具わっていないことは自覚しているので、常に、はぐらかしを試みます。
> こういう輩と議論する意味はありません。徹底的に無視して、侮蔑し唾棄する理由を述べた文書を誰にでも閲覧できるようにしておくのが有効な反撃方法です。それも、百回の愚かな攻撃に対して一回ぐらい反撃しておけば十分です。
仰る通りと思います。最初、「世の中の一般的なエビデンス見せろよ的な風潮」について書き始めて、典型的なダメな意見として「西村博之」を例示してしまったのが良くなかったと思います。また、「こういう人間に対しては、論拠を示させてその不備を徹底的に叩く必要があります。」の部分も、「そもそもまともな議論をする資格の欠落した人間」であることを忘れていました。
なかなか実社会ではあそこまでのクズには出会わないので、ついつい、忘れてしまいます(汗
コメント処理お忙しいと思いますので、特に何もなければ返信無しで問題ありません。
> 一般論としては、それが正しいと思います。ところが、肚(はら)の底まで腐りきった詭弁屋・西村博之には、そもそも相手の質問に真っ直ぐ答える意思がありません。答える能力が自分に具わっていないことは自覚しているので、常に、はぐらかしを試みます。
> こういう輩と議論する意味はありません。徹底的に無視して、侮蔑し唾棄する理由を述べた文書を誰にでも閲覧できるようにしておくのが有効な反撃方法です。それも、百回の愚かな攻撃に対して一回ぐらい反撃しておけば十分です。
仰る通りと思います。最初、「世の中の一般的なエビデンス見せろよ的な風潮」について書き始めて、典型的なダメな意見として「西村博之」を例示してしまったのが良くなかったと思います。また、「こういう人間に対しては、論拠を示させてその不備を徹底的に叩く必要があります。」の部分も、「そもそもまともな議論をする資格の欠落した人間」であることを忘れていました。
なかなか実社会ではあそこまでのクズには出会わないので、ついつい、忘れてしまいます(汗
コメント処理お忙しいと思いますので、特に何もなければ返信無しで問題ありません。
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
一連の所感と願いです。
F爺様
ひろゆきの論法(紛い)へのご指摘、大変興味深く拝見しました。
仰る通りで、ひろゆきはたびたび「証拠はありますか?」といった発言をし、
実のない質問で議論を停滞させることがあります。
議論を発展させずに相手の発言を封じることで、勝ったように見せかけるという彼の常套手段です。
実際にはただの迷惑行為に過ぎないですが、それを良しとする信者が多いのも事実です。
近年日本では、彼のおかげか『論破』という言葉が流行っていますが、
多くの場合、彼にとっての論破は「相手が呆れて何も言えなくなること」であり、
またそれを見た人の中に「ひろゆきが黙らせた」と勘違いすることが多いのも、日本の悲しい現状です。
国語辞典に ―相手が呆れて議論が止まる、または終わること《俗》 などと追加される日も来るのでしょうか。
彼が証拠を執拗に求めるのは、論を構築するための経験、知識、熟慮、想像力が欠落した結果のように思えます。
そのせいか、自分には異様に甘く、外部のソースを妄信し、特に吟味せず根拠として用いたり、
putainの用例に対し「学校の前にとか通りがかるとメッチャ言ってる」
(https://www.youtube.com/watch?v=JgUX4-9THck 動画内3:24辺りから)
などの、怪しすぎる実体験を平気で根拠として用います。
(幸運にも子供たちが大人が激昂してそう言ったのを面白がって真似てる場面等に出くわしたのかもしれませんが)
聞きかじりの経験や思い込みで全能感に浸れる神経は、ある種驚嘆に値するものですが、
少なくとも今現在、日本では彼が若者に影響力をもった人間であるのが事実ですので、
このような人として恥ずべき行為を、無遠慮に行うのはやめてほしいと願うばかりです。
恐らくではありますが、彼には「人がどう感じるか」という部分が欠落していて、
言葉には額面通りの意味しかないと勘違いしているフシがあります。
敢えて無視している可能性もありますが、だとすれば言及すると自分が不利になるからでしょう。
デンベレとグリーズマンの例においても、彼はツイッターにおいて
「差別用語が使われていない時点で、差別かどうかを外国人が判定するのは無理がある」(8月10日投稿)
などと見当違いの発言をしています。
TPOという言葉を知らないのかもしれません。
多くのニュースが「差別」ではなく「差別的」と表現する意味が全くわからないようです。
行為が差別的であったことが問題視されているのに、差別用語の有無や語義に執着し、
「自分は最初からそれに関してしか言及していない」と言わんばかりに、一見「確かに」と思わせるような逃げに転じる。
何と言われようが逃げられる位置から発言する、という彼の常套手段でもあります。
これは誰でも出来る厚顔無恥な論法(紛い)であり、誰にも真似してほしくないものであります。
私は、彼を信じる少なくない人たちが、彼を信じたことで間違った方向に進まぬことを願っています。
ここからは言葉の話になります。
英語の中に「putain」に少し似た原義を持つ「son of a bitch」(直訳:売女の息子)という言葉があります。
現代では「クソが!」くらいの使われ方もされ、明確な卑語ではありますが、「聞く機会もある一般的な語彙」として認識されています。
日本でも、カタカナで「サノバビッチ」と見ることがあるので、それなりに周知された言葉です。
ofの目的語となっている「bitch」(売女)も似た使い方をしばしばされます。
「売女」という言葉を使うこと自体避けられているので、web辞書などではややマイルドに「あばずれ」と表現されています。
「putain」と同じく、「売女」「売女の息子」の額面通りの意味を失しておらず、英語話者はまず間違いなくそれを理解しています。
間投詞として使うことはあれ、人に向ければ強烈な嫌悪を伴った言葉になりますし、
元の意味も相まって「人として底辺」というかなり差別的な意味を伴うこともあると、英語話者は理解しています。
間違っても「初対面の人がいる公の場」では、ジョークでも使う言葉ではないという常識があります。
友人間でならノリで済むこともあるでしょうが、TPOを弁えなければ「そういう言葉を使うヤツ」と認識されます。
「意味を理解せず使う子供」なら許されることもあるでしょうが、躾がなっていないという事実は免れません。
私は仏語に明るくないので、F爺様のブログを見て、英語で言うとこのこれかな? と思ったに過ぎないのですが、
私の認識が正しければ、ひろゆきは「強度の差別的語義を持つ外国の卑語」を「言葉、文化、社会に馴染みもないくせに」、
「的外れな用例をあげて」、「普通に使っても問題ない言葉であると触れ回っている」ことになります。
……なんだこの重罪人、と思ってしまいました。
ひろゆきの論法(紛い)へのご指摘、大変興味深く拝見しました。
仰る通りで、ひろゆきはたびたび「証拠はありますか?」といった発言をし、
実のない質問で議論を停滞させることがあります。
議論を発展させずに相手の発言を封じることで、勝ったように見せかけるという彼の常套手段です。
実際にはただの迷惑行為に過ぎないですが、それを良しとする信者が多いのも事実です。
近年日本では、彼のおかげか『論破』という言葉が流行っていますが、
多くの場合、彼にとっての論破は「相手が呆れて何も言えなくなること」であり、
またそれを見た人の中に「ひろゆきが黙らせた」と勘違いすることが多いのも、日本の悲しい現状です。
国語辞典に ―相手が呆れて議論が止まる、または終わること《俗》 などと追加される日も来るのでしょうか。
彼が証拠を執拗に求めるのは、論を構築するための経験、知識、熟慮、想像力が欠落した結果のように思えます。
そのせいか、自分には異様に甘く、外部のソースを妄信し、特に吟味せず根拠として用いたり、
putainの用例に対し「学校の前にとか通りがかるとメッチャ言ってる」
(https://www.youtube.com/watch?v=JgUX4-9THck 動画内3:24辺りから)
などの、怪しすぎる実体験を平気で根拠として用います。
(幸運にも子供たちが大人が激昂してそう言ったのを面白がって真似てる場面等に出くわしたのかもしれませんが)
聞きかじりの経験や思い込みで全能感に浸れる神経は、ある種驚嘆に値するものですが、
少なくとも今現在、日本では彼が若者に影響力をもった人間であるのが事実ですので、
このような人として恥ずべき行為を、無遠慮に行うのはやめてほしいと願うばかりです。
恐らくではありますが、彼には「人がどう感じるか」という部分が欠落していて、
言葉には額面通りの意味しかないと勘違いしているフシがあります。
敢えて無視している可能性もありますが、だとすれば言及すると自分が不利になるからでしょう。
デンベレとグリーズマンの例においても、彼はツイッターにおいて
「差別用語が使われていない時点で、差別かどうかを外国人が判定するのは無理がある」(8月10日投稿)
などと見当違いの発言をしています。
TPOという言葉を知らないのかもしれません。
多くのニュースが「差別」ではなく「差別的」と表現する意味が全くわからないようです。
行為が差別的であったことが問題視されているのに、差別用語の有無や語義に執着し、
「自分は最初からそれに関してしか言及していない」と言わんばかりに、一見「確かに」と思わせるような逃げに転じる。
何と言われようが逃げられる位置から発言する、という彼の常套手段でもあります。
これは誰でも出来る厚顔無恥な論法(紛い)であり、誰にも真似してほしくないものであります。
私は、彼を信じる少なくない人たちが、彼を信じたことで間違った方向に進まぬことを願っています。
ここからは言葉の話になります。
英語の中に「putain」に少し似た原義を持つ「son of a bitch」(直訳:売女の息子)という言葉があります。
現代では「クソが!」くらいの使われ方もされ、明確な卑語ではありますが、「聞く機会もある一般的な語彙」として認識されています。
日本でも、カタカナで「サノバビッチ」と見ることがあるので、それなりに周知された言葉です。
ofの目的語となっている「bitch」(売女)も似た使い方をしばしばされます。
「売女」という言葉を使うこと自体避けられているので、web辞書などではややマイルドに「あばずれ」と表現されています。
「putain」と同じく、「売女」「売女の息子」の額面通りの意味を失しておらず、英語話者はまず間違いなくそれを理解しています。
間投詞として使うことはあれ、人に向ければ強烈な嫌悪を伴った言葉になりますし、
元の意味も相まって「人として底辺」というかなり差別的な意味を伴うこともあると、英語話者は理解しています。
間違っても「初対面の人がいる公の場」では、ジョークでも使う言葉ではないという常識があります。
友人間でならノリで済むこともあるでしょうが、TPOを弁えなければ「そういう言葉を使うヤツ」と認識されます。
「意味を理解せず使う子供」なら許されることもあるでしょうが、躾がなっていないという事実は免れません。
私は仏語に明るくないので、F爺様のブログを見て、英語で言うとこのこれかな? と思ったに過ぎないのですが、
私の認識が正しければ、ひろゆきは「強度の差別的語義を持つ外国の卑語」を「言葉、文化、社会に馴染みもないくせに」、
「的外れな用例をあげて」、「普通に使っても問題ない言葉であると触れ回っている」ことになります。
……なんだこの重罪人、と思ってしまいました。
Re: 意図的な論点ずらし?
K.Forest.Islandさん
【詭弁屋・西村博之の数々の歪曲改竄引用は、意図的なものではない。そもそも日本語能力が低すぎるのだ】
というご意見のようですね。
賛成できません。詭弁屋・西村博之は、常に自分に都合の良いように組織的に捏造引用をします。根底に極度に邪悪な意図があるとしか考えられません。
記事にも追記を施しましたので、是非お読みください。
【詭弁屋・西村博之の数々の歪曲改竄引用は、意図的なものではない。そもそも日本語能力が低すぎるのだ】
というご意見のようですね。
賛成できません。詭弁屋・西村博之は、常に自分に都合の良いように組織的に捏造引用をします。根底に極度に邪悪な意図があるとしか考えられません。
記事にも追記を施しましたので、是非お読みください。
Re: 一連の所感と願いです。
白井誠さん
初投稿、ありがとうございます。「ひろゆき」の邪悪な本質を見抜いている人は、日本でも少なくはないようですね。
フランス語にも「売女の息子」と逐語訳できる罵倒用語があります。但し、「売女」の部分には、「putain」とは異なる言葉が入ります。辞書にも載っていますが、「卑語」「下品」という注釈付きです。勿論、時と場所と場合を弁えずに使って良い言葉ではありません。誰でも知っている言葉であることは確かですが・・・。
初投稿、ありがとうございます。「ひろゆき」の邪悪な本質を見抜いている人は、日本でも少なくはないようですね。
フランス語にも「売女の息子」と逐語訳できる罵倒用語があります。但し、「売女」の部分には、「putain」とは異なる言葉が入ります。辞書にも載っていますが、「卑語」「下品」という注釈付きです。勿論、時と場所と場合を弁えずに使って良い言葉ではありません。誰でも知っている言葉であることは確かですが・・・。
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他言語理解
小島さんへ
>マクロン氏が大統領になる前に贔屓のサッカー・チームが敗退した時の無念さを表現する独り言を捉えたものです。撮影されていることを知っていたのですから軽率でした。そのため、大統領になった後でその動画が公になった時、フランス国民の笑いを誘ったのです。
というように笑えるような言葉なのに
デンベレとグリーズマンの使い方の場合は差別用語になる。
この事実から日本語で近い言葉を探してみると「クソ」というのが近いのではないかと思います。
フランス語を無理やり日本語に当てはめることに無理があることは理解していますが
どうも他言語はなじみがなくこの言葉がどのような意味があるか把握できていません。
小島さんが考える今回問題になっている差別用語の日本語訳を教えてほしいです。
>マクロン氏が大統領になる前に贔屓のサッカー・チームが敗退した時の無念さを表現する独り言を捉えたものです。撮影されていることを知っていたのですから軽率でした。そのため、大統領になった後でその動画が公になった時、フランス国民の笑いを誘ったのです。
というように笑えるような言葉なのに
デンベレとグリーズマンの使い方の場合は差別用語になる。
この事実から日本語で近い言葉を探してみると「クソ」というのが近いのではないかと思います。
フランス語を無理やり日本語に当てはめることに無理があることは理解していますが
どうも他言語はなじみがなくこの言葉がどのような意味があるか把握できていません。
小島さんが考える今回問題になっている差別用語の日本語訳を教えてほしいです。
ひろゆきの論戦手法は、概ね2つに大別できます。
・相手にだけ(原理的に不可能な類いのものであっても)計量可能な客観的証拠を要求する。
・議論の文脈を無視して、極端な反例を持ち出す。
例えば、「カラスは黒い」と言う相手に対して、「世界中のカラスが1羽残らず黒いという証拠を出せ」「アルビノのカラスは白い」と言い募るのを「得意」としています。
そして、本来の議題がどのようなものであったとしても、自身の無茶な問いに相手方がひとつでも答えられなければ「勝ち」と考えているように見受けられます。
此度の小島先生とのやり取りについても、そもそもの議題は、「デンベレとグリーズマンの言動は、差別的・侮蔑的な意図に基づくものか」ということであったはずなのですが、ひろゆきはその点に関しては最早何も語っておりません。「putain」という一語の解釈において、一箇所でも小島先生の論に瑕疵を見つけられればそれでよし、と考えているのです。
ところで、ひろゆきがマクロン氏が「putain」という語を用いたことを以て、自説の補強としている点につき大いに疑問を覚えます。
私はフランス語を解しませんが、「国立行政学院出身の知的エリートと見られていた氏が、『putain』という語を使ったことが、氏のパブリックイメージに反していて面白かった」ゆえフランス人の笑いを誘ったものと推察致します。
この前提となるのは、「『putain』という語は、知識人・教養人に似つかわしくない」という一般的認識です。
即ちひろゆきが再三言及している動画は、「『putain』という語は下品な言葉、卑語である」ことの裏付けにしかなっておらず、自説への反証でしかないと思われますが、小島先生はどうお考えでしょうか。
・相手にだけ(原理的に不可能な類いのものであっても)計量可能な客観的証拠を要求する。
・議論の文脈を無視して、極端な反例を持ち出す。
例えば、「カラスは黒い」と言う相手に対して、「世界中のカラスが1羽残らず黒いという証拠を出せ」「アルビノのカラスは白い」と言い募るのを「得意」としています。
そして、本来の議題がどのようなものであったとしても、自身の無茶な問いに相手方がひとつでも答えられなければ「勝ち」と考えているように見受けられます。
此度の小島先生とのやり取りについても、そもそもの議題は、「デンベレとグリーズマンの言動は、差別的・侮蔑的な意図に基づくものか」ということであったはずなのですが、ひろゆきはその点に関しては最早何も語っておりません。「putain」という一語の解釈において、一箇所でも小島先生の論に瑕疵を見つけられればそれでよし、と考えているのです。
ところで、ひろゆきがマクロン氏が「putain」という語を用いたことを以て、自説の補強としている点につき大いに疑問を覚えます。
私はフランス語を解しませんが、「国立行政学院出身の知的エリートと見られていた氏が、『putain』という語を使ったことが、氏のパブリックイメージに反していて面白かった」ゆえフランス人の笑いを誘ったものと推察致します。
この前提となるのは、「『putain』という語は、知識人・教養人に似つかわしくない」という一般的認識です。
即ちひろゆきが再三言及している動画は、「『putain』という語は下品な言葉、卑語である」ことの裏付けにしかなっておらず、自説への反証でしかないと思われますが、小島先生はどうお考えでしょうか。
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このコメントは管理者の承認待ちです
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意図的な論点ずらし?訂正・追記
小島先生
私のコメントに対し記事の追記までしていただきありがとうございます。
より一層理解が深まりました。
それと同時に私のつたない文章力に恥じ入っております。
私としても先生が仰るとおりで歪曲改竄引用はひろゆきに備わっている邪悪な面だというのは同じ認識です。
日本語が読めないだけですべてが意図的ではないというつもりではありませんでした。
しかし、私の書き込みはそう受け取ることしかできない拙い内容でした。
私としては全てでは無く泉正弘さんが例に挙げていた部分に関しての「強調のためによく使われる」の「よく」を抜いているのは深く考えを巡らせずにやっているように思えたからです。
意図的に歪曲や改竄引用を行っているが、それが杜撰で幼稚に見えたから日本語能力が低いのだろうという結論でした。
ひろゆきの日本語運用能力が低いと言うことを明確に述べていたのでその点で泉正弘さんに賛意を示しました。
私の頭の中では先生と同意見で根底に邪悪な面があると思っています。
その共通認識を元に書き込みをしましたが、私の意見を述べてない状況で先生に伝わるわけは無いという単純なミスをしていました。
以上をもって最初の書き込みの訂正と追記とさせていただきます。
私のコメントに対し記事の追記までしていただきありがとうございます。
より一層理解が深まりました。
それと同時に私のつたない文章力に恥じ入っております。
私としても先生が仰るとおりで歪曲改竄引用はひろゆきに備わっている邪悪な面だというのは同じ認識です。
日本語が読めないだけですべてが意図的ではないというつもりではありませんでした。
しかし、私の書き込みはそう受け取ることしかできない拙い内容でした。
私としては全てでは無く泉正弘さんが例に挙げていた部分に関しての「強調のためによく使われる」の「よく」を抜いているのは深く考えを巡らせずにやっているように思えたからです。
意図的に歪曲や改竄引用を行っているが、それが杜撰で幼稚に見えたから日本語能力が低いのだろうという結論でした。
ひろゆきの日本語運用能力が低いと言うことを明確に述べていたのでその点で泉正弘さんに賛意を示しました。
私の頭の中では先生と同意見で根底に邪悪な面があると思っています。
その共通認識を元に書き込みをしましたが、私の意見を述べてない状況で先生に伝わるわけは無いという単純なミスをしていました。
以上をもって最初の書き込みの訂正と追記とさせていただきます。
Re: 他言語理解
sato mituharuさん
>小島さんが考える今回問題になっている差別用語の日本語訳を教えてほしいです。
どんな言葉も、使用した状況によって最適の訳語は異なります。
マクロン氏の独り言
マクロン氏のあの状況での独り言は、
「ちきしょうっ(*)、今回も駄目だったか」
ぐらいに訳せますが、直前の様子が分からないため、これが最良訳だと断言は出来ません。
(*)「畜生」の正しい(笑)読み方は「ちくしょう」です。この動画の場合は、「思わず一人で毒づく」場面ですから、崩れた「ちきしょうっ」という発音のほうが近いだろうと推測します。
デンベレの悪態
「デンベレのあの場面での悪態」は、当ブログの記事〈Ousmane Dembéléウスマン・デンベレとAntoine Griezmannアントワーヌ・グリズマンの日本人差別〉https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3030.htmlで示した、
「ひでえ言語だな。俺には一言も解らんが、聞くに堪えん」
が適訳だと今でも確信しています。
「ひでえ」も「俺には一言も解らんが、聞くに堪えん」も、映像からあの場の雰囲気を感じ取った上での「言外」を言葉に表わした「超翻訳」です。
この場面では、「putainだけ」の「適訳」は、ありません。
外国映画の台詞(せりふ)の日本語字幕が原文とどれほど懸け離れているかをご存じの方には理解していただけると思います。
>小島さんが考える今回問題になっている差別用語の日本語訳を教えてほしいです。
どんな言葉も、使用した状況によって最適の訳語は異なります。
マクロン氏の独り言
マクロン氏のあの状況での独り言は、
「ちきしょうっ(*)、今回も駄目だったか」
ぐらいに訳せますが、直前の様子が分からないため、これが最良訳だと断言は出来ません。
(*)「畜生」の正しい(笑)読み方は「ちくしょう」です。この動画の場合は、「思わず一人で毒づく」場面ですから、崩れた「ちきしょうっ」という発音のほうが近いだろうと推測します。
デンベレの悪態
「デンベレのあの場面での悪態」は、当ブログの記事〈Ousmane Dembéléウスマン・デンベレとAntoine Griezmannアントワーヌ・グリズマンの日本人差別〉https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3030.htmlで示した、
「ひでえ言語だな。俺には一言も解らんが、聞くに堪えん」
が適訳だと今でも確信しています。
「ひでえ」も「俺には一言も解らんが、聞くに堪えん」も、映像からあの場の雰囲気を感じ取った上での「言外」を言葉に表わした「超翻訳」です。
この場面では、「putainだけ」の「適訳」は、ありません。
外国映画の台詞(せりふ)の日本語字幕が原文とどれほど懸け離れているかをご存じの方には理解していただけると思います。
Re: タイトルなし
神谷俊成さん
一ヶ月ぶりのコメント投稿、ありがとうございます。
明日掲載する予定の記事〈論理破綻王「ひろゆき」は自分の矛盾に本当に気付かないのか〉の冒頭で神谷俊成さんのコメントの後半の部分を引用いたします。ちょうど、準備していた記事の趣旨と合致しているのです。
そちらにもコメントのご投稿を期待しております。
一ヶ月ぶりのコメント投稿、ありがとうございます。
明日掲載する予定の記事〈論理破綻王「ひろゆき」は自分の矛盾に本当に気付かないのか〉の冒頭で神谷俊成さんのコメントの後半の部分を引用いたします。ちょうど、準備していた記事の趣旨と合致しているのです。
そちらにもコメントのご投稿を期待しております。
Re: 逆鱗
「nao土佐清水市出身」さん
>多分、急用!が逆鱗に触れたと思います。
は ?
前便のコメントは、謎だらけです。
# この件に関して何も発言していないK爺さんになぜ言及するのか
# 件のコメントがなぜ「不自然」なのか
# 仮にそこに何らかの疑惑を抱く読者がいたとして、それがF爺と何の関係があるのか
# そもそも、何がなぜ「急用!」なのか
# 何をおっしゃりたいのか
# 何のためのコメントなのか
さっぱり分かりませんよ。
何か・・・数行に亙る大規模な・・・脱字でもあるのでしょうか・・・。
>多分、急用!が逆鱗に触れたと思います。
は ?
前便のコメントは、謎だらけです。
# この件に関して何も発言していないK爺さんになぜ言及するのか
# 件のコメントがなぜ「不自然」なのか
# 仮にそこに何らかの疑惑を抱く読者がいたとして、それがF爺と何の関係があるのか
# そもそも、何がなぜ「急用!」なのか
# 何をおっしゃりたいのか
# 何のためのコメントなのか
さっぱり分かりませんよ。
何か・・・数行に亙る大規模な・・・脱字でもあるのでしょうか・・・。
Re: 意図的な論点ずらし?訂正・追記
K.Forest.Islandさん
書き込みの訂正と追記、しかと承りました。ありがとうございます。
>私のつたない文章力に恥じ入っております。
私としても先生が仰るとおりで歪曲改竄引用はひろゆきに備わっている邪悪な面だというのは同じ認識です。
日本語が読めないだけですべてが意図的ではないというつもりではありませんでした。
しかし、私の書き込みはそう受け取ることしかできない拙い内容でした。
>私の頭の中では先生と同意見で根底に邪悪な面があると思っています。
その共通認識を元に書き込みをしましたが、私の意見を述べてない状況で先生に伝わるわけは無いという単純なミスをしていました。
今度は共通認識が明確に伝わりました。
しかし、
原文通りの「強調のためによく使われる」を否定するのと
改竄した 「強調のために使われる」を否定するのとは、全く違います。
この点に関しても、F爺には、事後の撤回・訂正が無い以上、「ひろゆき」は意図的に歪曲したのだとしか考えられません。
泉正弘さんの真意は、どうなのでしょうね。似たような「意図しなかった省略」があるのかもしれません。ご連絡があると良いのですが。
書き込みの訂正と追記、しかと承りました。ありがとうございます。
>私のつたない文章力に恥じ入っております。
私としても先生が仰るとおりで歪曲改竄引用はひろゆきに備わっている邪悪な面だというのは同じ認識です。
日本語が読めないだけですべてが意図的ではないというつもりではありませんでした。
しかし、私の書き込みはそう受け取ることしかできない拙い内容でした。
>私の頭の中では先生と同意見で根底に邪悪な面があると思っています。
その共通認識を元に書き込みをしましたが、私の意見を述べてない状況で先生に伝わるわけは無いという単純なミスをしていました。
今度は共通認識が明確に伝わりました。
しかし、
原文通りの「強調のためによく使われる」を否定するのと
改竄した 「強調のために使われる」を否定するのとは、全く違います。
この点に関しても、F爺には、事後の撤回・訂正が無い以上、「ひろゆき」は意図的に歪曲したのだとしか考えられません。
泉正弘さんの真意は、どうなのでしょうね。似たような「意図しなかった省略」があるのかもしれません。ご連絡があると良いのですが。
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Re: □□□□(伏せ字をしました)
「nao土佐清水市出身」さん
対話が成立していません。次の質問にだけは、お答えください。
前々便で、なぜ、この件に関して何の発言もなさっていないK爺さんに言及したのですか。
対話が成立していません。次の質問にだけは、お答えください。
前々便で、なぜ、この件に関して何の発言もなさっていないK爺さんに言及したのですか。
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意図的かどうか
私のコメントがこれほど多く引用された記事になるとは思いませんでした。鈴木良照さんにも評価をいただき、書いてよかったと思う反面、恐縮でもあります。
私のコメントで一か所、もしかしたら訂正が必要なところがあるかと思います。
> この無理難題な「証拠」要求というのが今の日本社会で蔓延っており、二言目には「証拠」だの「エビデンス」だの「ソース(source)」だのと言ってくるのです。証明できるような性質ではないものに対しても、です。
この「証明できるような性質ではないものに対しても」の「も」は、無い方がいいかもしれません。「証明できるような性質」のものに対しては、証拠やエビデンスが必要です。問題は、そうでないものに対しても証拠やエビデンスを要求することです。
小島さんがおっしゃった「悪魔の証明」という表現は、まさに私の言いたかったことです。また、神谷俊成さんがおっしゃった「相手にだけ(原理的に不可能な類いのものであっても)計量可能な客観的証拠を要求する。」というのもそうです。このような手法を自分の都合に合わせて使うので、直感的におかしいと思っても、よほどの知的訓練を受けた人間でないと、なかなか反論できません。
さて、今回の記事の追記で、一箇所だけ賛同できない重大なことがあるとのご指摘を受けました。それについてお話します。
「(putainが)強調のためによく使われる」を「強調では使わない」と受け取ったひろゆきは、意図的に論点をずらしたのか、それとも無意識のうちに論点がずれてしまったのか。ここは見解が分かれると思います。私はこれは意図的というより、無意識にそうなってしまったのではないかと見ています。
というのも、普段からひろゆきを見ていると、あまり人の言うことを丁寧に聞かないし、まして普段は会話やツイッターでやり取りをしているから、文章を丁寧に読む習慣がないだろうという想像がつくのです。ブログである程度まとまった文章をじっくり読む気構えがないだろう、と。だから文意の細かい部分を読み落とすことは十分考えられると思いました。
それから、もしひろゆきが意図的に論点をずらしたのだとすると、これはあまりに稚拙な論点ずらしであり、かえってひろゆきが損をすることになると思うのです。実際に、多くの人が「ひろゆきは文章が読めていない」とツイッターや掲示板で指摘していました。それにも拘わらず、ひろゆきは相変わらず「強調では使わない」とF爺は言っている、という認識のままです。これはどう考えても得策ではないと思います。これでは多くの人に「ひろゆきは理解力がない」と思われてしまい、今後のインターネットでの「ゲンロンセーカツ(言論生活)」に支障をきたすことになるのではないでしょうか。「なんだ、ひろゆきって相手の文意も理解できないバカなんだな」と思われたら、若者からの支持も失ってしまうでしょう。しかもそもそも「putain」は元々は本筋の話ではありませんでした。一体、「putain」にこだわる必要がひろゆきにあったのでしょうか。そこが私にとっては不可解なのです。
そう考えると、これは意図的にというより、無意識のうちに、条件反射的に反応してしまったということの方が説明がつくと思うのです。ひろゆきは「putain」という卑語を、日常的にはよく聞いていた。だから「「強調のためによく使われる」は、何かの間違いでしょう」という字面に対し、条件反射的に反応してしまった。なぜなら「強調のためによく使われる」ケースをよく耳にしていたからです。
その後、小島さんから猛烈な批判記事が出されました。「ひろゆきの十戒」と称されたものがツイッターでも5ch掲示板でも引用され、多方面に広まりました。「歪曲引用」「議題のすり替え」と指摘されている中で、ひろゆきがいまだに当初の主張を変えていないのは、自身が「歪曲引用」「議題のすり替え」をする人間であることをさらに印象付けてしまい、やはり得策ではないと思います。普通は、今後は無視を決め込んで二度とこの話題に関わらないか、誤読させてしまう小島さんの文章が悪いのだと批判する方向に持って行くと思います。その方がひろゆきのダメージは少ないでしょう。
ひろゆきは小島さんだけにではなく、いろいろな方面に自説を展開し、専門家はもちろん、事情に詳しいアマチュアからも批判され続けています。そのような、あらゆる方面に食って掛かるスタイルに無理があることは一目瞭然でしょう。こんな無茶なことを続けるひろゆきの目的は何なのか。「根底に極度に邪悪な意図がある」と小島さんおっしゃっています。この「邪悪な意図」が何なのかは私にはよくわかりませんが、多くの人から絶大な支持を受けるオピニオンリーダーのような存在になりたがっているのだとは思います。しかしそうだとしても、今回のような言動にメリットがあるとは考えにくいのです。
ひろゆきという人間を少し前から観察してるのですが、この人には何らかの発達障害があるのではないかと思っています。
ひろゆきは小学生のころトカゲが好きだったそうです。ある日、近所のおばさんの家に行ったとき、自分の好きなトカゲをおばさんにもあげようと思って、トカゲをばらまきました。おばさんもトカゲが好きだろうと思ったからです。もちろんおばさんはものすごく怒りました。そうしたらひろゆきも怒り、おばさんの腕に噛みつきました。せっかく親切にしてあげたのに、ということでしょう。ひろゆきはこの経験から以下のような結論を出しました。
「僕にとっては価値があるトカゲが、相手にとっては不快だった。でも、それは仕方ないことだと思うんですよね。それ以降、他の物事も同じように考えるようになりましたね。僕は自分が良いと思うことをする。その結果、相手がどう思うかは気にしない。ただそれだけです。」(ダイヤモンド・オンライン 記事『ひろゆきが「人に嫌われてもいい」と考えるようになった原体験』より)
https://diamond.jp/articles/-/270783(該当記事のリンク)
いくら小学生と言えども、自分がトカゲが好きだからって近所のおばさんもトカゲが好きだろうという思い込みは、私にとっては理解しがたいのです。トカゲが好きな人は一般的にそれほど多くはなく、特に女性は好まないだろうということは小学生にでも何となくわかると思うからです。しかし、より問題なのは、その事件後のひろゆきの結論です。「僕は自分が良いと思うことをする。その結果、相手がどう思うかは気にしない。」という、こんな結論を導き出してしまうのです。なぜ「自分が良いと思うことを相手がどう思うかはわからない。だから気をつけよう」とはならないのか。私は、少年ひろゆきの軽率な行為もそうですが、その結論に対し、この人には何らかの障害があると思ってしまうのです。共感する能力が欠落している、とでもいうのでしょうか。もちろん発達障害だからといって、そのこと自体をを決して批判するつもりはありません。
このようなエピソードも勘案すると、ひろゆきは意図的というより無意識にやったのではないかと私は思うのです。もちろん「教養が無いから理解できずに歪める時と、小狡(こずる)いから自分に都合の良いように歪める時」もあるとは思います。けれども、今回の論点ずらしが意図的だったのか。意図的だとしたら、ひろゆきは状況を見誤ったのか…。
もしかしたら、このような稚拙な論点ずらしであっても執拗にやり続けた方が、狂信的な信者を獲得でき、商売的には正しいと考えているのかもしれません。あるいは、私は大衆の知的能力を過信しているのかもしれません。ひろゆきを批判している人はごく一部で、大多数は今回の騒動を知らないまま、ネットニュースに出てくるひろゆきを何となく支持し続けるのかもしれません。
いずれにしても、ひろゆきはおそらく今後も物議を醸すような事件を引き起こすと思います。そのときに、もっとはっきりしたことがわかるでしょう。
私のコメントで一か所、もしかしたら訂正が必要なところがあるかと思います。
> この無理難題な「証拠」要求というのが今の日本社会で蔓延っており、二言目には「証拠」だの「エビデンス」だの「ソース(source)」だのと言ってくるのです。証明できるような性質ではないものに対しても、です。
この「証明できるような性質ではないものに対しても」の「も」は、無い方がいいかもしれません。「証明できるような性質」のものに対しては、証拠やエビデンスが必要です。問題は、そうでないものに対しても証拠やエビデンスを要求することです。
小島さんがおっしゃった「悪魔の証明」という表現は、まさに私の言いたかったことです。また、神谷俊成さんがおっしゃった「相手にだけ(原理的に不可能な類いのものであっても)計量可能な客観的証拠を要求する。」というのもそうです。このような手法を自分の都合に合わせて使うので、直感的におかしいと思っても、よほどの知的訓練を受けた人間でないと、なかなか反論できません。
さて、今回の記事の追記で、一箇所だけ賛同できない重大なことがあるとのご指摘を受けました。それについてお話します。
「(putainが)強調のためによく使われる」を「強調では使わない」と受け取ったひろゆきは、意図的に論点をずらしたのか、それとも無意識のうちに論点がずれてしまったのか。ここは見解が分かれると思います。私はこれは意図的というより、無意識にそうなってしまったのではないかと見ています。
というのも、普段からひろゆきを見ていると、あまり人の言うことを丁寧に聞かないし、まして普段は会話やツイッターでやり取りをしているから、文章を丁寧に読む習慣がないだろうという想像がつくのです。ブログである程度まとまった文章をじっくり読む気構えがないだろう、と。だから文意の細かい部分を読み落とすことは十分考えられると思いました。
それから、もしひろゆきが意図的に論点をずらしたのだとすると、これはあまりに稚拙な論点ずらしであり、かえってひろゆきが損をすることになると思うのです。実際に、多くの人が「ひろゆきは文章が読めていない」とツイッターや掲示板で指摘していました。それにも拘わらず、ひろゆきは相変わらず「強調では使わない」とF爺は言っている、という認識のままです。これはどう考えても得策ではないと思います。これでは多くの人に「ひろゆきは理解力がない」と思われてしまい、今後のインターネットでの「ゲンロンセーカツ(言論生活)」に支障をきたすことになるのではないでしょうか。「なんだ、ひろゆきって相手の文意も理解できないバカなんだな」と思われたら、若者からの支持も失ってしまうでしょう。しかもそもそも「putain」は元々は本筋の話ではありませんでした。一体、「putain」にこだわる必要がひろゆきにあったのでしょうか。そこが私にとっては不可解なのです。
そう考えると、これは意図的にというより、無意識のうちに、条件反射的に反応してしまったということの方が説明がつくと思うのです。ひろゆきは「putain」という卑語を、日常的にはよく聞いていた。だから「「強調のためによく使われる」は、何かの間違いでしょう」という字面に対し、条件反射的に反応してしまった。なぜなら「強調のためによく使われる」ケースをよく耳にしていたからです。
その後、小島さんから猛烈な批判記事が出されました。「ひろゆきの十戒」と称されたものがツイッターでも5ch掲示板でも引用され、多方面に広まりました。「歪曲引用」「議題のすり替え」と指摘されている中で、ひろゆきがいまだに当初の主張を変えていないのは、自身が「歪曲引用」「議題のすり替え」をする人間であることをさらに印象付けてしまい、やはり得策ではないと思います。普通は、今後は無視を決め込んで二度とこの話題に関わらないか、誤読させてしまう小島さんの文章が悪いのだと批判する方向に持って行くと思います。その方がひろゆきのダメージは少ないでしょう。
ひろゆきは小島さんだけにではなく、いろいろな方面に自説を展開し、専門家はもちろん、事情に詳しいアマチュアからも批判され続けています。そのような、あらゆる方面に食って掛かるスタイルに無理があることは一目瞭然でしょう。こんな無茶なことを続けるひろゆきの目的は何なのか。「根底に極度に邪悪な意図がある」と小島さんおっしゃっています。この「邪悪な意図」が何なのかは私にはよくわかりませんが、多くの人から絶大な支持を受けるオピニオンリーダーのような存在になりたがっているのだとは思います。しかしそうだとしても、今回のような言動にメリットがあるとは考えにくいのです。
ひろゆきという人間を少し前から観察してるのですが、この人には何らかの発達障害があるのではないかと思っています。
ひろゆきは小学生のころトカゲが好きだったそうです。ある日、近所のおばさんの家に行ったとき、自分の好きなトカゲをおばさんにもあげようと思って、トカゲをばらまきました。おばさんもトカゲが好きだろうと思ったからです。もちろんおばさんはものすごく怒りました。そうしたらひろゆきも怒り、おばさんの腕に噛みつきました。せっかく親切にしてあげたのに、ということでしょう。ひろゆきはこの経験から以下のような結論を出しました。
「僕にとっては価値があるトカゲが、相手にとっては不快だった。でも、それは仕方ないことだと思うんですよね。それ以降、他の物事も同じように考えるようになりましたね。僕は自分が良いと思うことをする。その結果、相手がどう思うかは気にしない。ただそれだけです。」(ダイヤモンド・オンライン 記事『ひろゆきが「人に嫌われてもいい」と考えるようになった原体験』より)
https://diamond.jp/articles/-/270783(該当記事のリンク)
いくら小学生と言えども、自分がトカゲが好きだからって近所のおばさんもトカゲが好きだろうという思い込みは、私にとっては理解しがたいのです。トカゲが好きな人は一般的にそれほど多くはなく、特に女性は好まないだろうということは小学生にでも何となくわかると思うからです。しかし、より問題なのは、その事件後のひろゆきの結論です。「僕は自分が良いと思うことをする。その結果、相手がどう思うかは気にしない。」という、こんな結論を導き出してしまうのです。なぜ「自分が良いと思うことを相手がどう思うかはわからない。だから気をつけよう」とはならないのか。私は、少年ひろゆきの軽率な行為もそうですが、その結論に対し、この人には何らかの障害があると思ってしまうのです。共感する能力が欠落している、とでもいうのでしょうか。もちろん発達障害だからといって、そのこと自体をを決して批判するつもりはありません。
このようなエピソードも勘案すると、ひろゆきは意図的というより無意識にやったのではないかと私は思うのです。もちろん「教養が無いから理解できずに歪める時と、小狡(こずる)いから自分に都合の良いように歪める時」もあるとは思います。けれども、今回の論点ずらしが意図的だったのか。意図的だとしたら、ひろゆきは状況を見誤ったのか…。
もしかしたら、このような稚拙な論点ずらしであっても執拗にやり続けた方が、狂信的な信者を獲得でき、商売的には正しいと考えているのかもしれません。あるいは、私は大衆の知的能力を過信しているのかもしれません。ひろゆきを批判している人はごく一部で、大多数は今回の騒動を知らないまま、ネットニュースに出てくるひろゆきを何となく支持し続けるのかもしれません。
いずれにしても、ひろゆきはおそらく今後も物議を醸すような事件を引き起こすと思います。そのときに、もっとはっきりしたことがわかるでしょう。
Re: 意図的かどうか
泉正弘さん
>ひろゆきは「putain」という卑語を、日常的にはよく聞いていた。だから「「強調のためによく使われる」は、何かの間違いでしょう」という字面に対し、条件反射的に反応してしまった。なぜなら「強調のためによく使われる」ケースをよく耳にしていたからです。
賛成できません。「ひろゆき」の言うことを鵜呑みにするのは間違いです。「ひろゆき」は、「putain」という言葉を、自室に閉じ籠って眺めていた古い映画の中でだけ聞いた可能性のほうが遥かに大きいのです。フランス語の基礎の基礎も知らない「ひろゆき」には、その類の言葉を頻用するようなフランス人同士の早口の会話を理解することは出来ません。
〈小学生の時の蜥蜴の話〉だって、どこまで本当だか分ったものではありませんよ。
F爺は、
【「ひろゆき」がF爺の発言を組織的に歪曲し改竄し捏造して侮辱・攻撃している事実】
を重要視します。「ひろゆき」は、本源的に卑劣で嘘吐きなのです。
そして、明白な歪曲・改竄・捏造のどれ一つ撤回も謝罪もしていません。
これを説明するには、邪悪な意思以外の何物も見当たりません。
>ひろゆきは「putain」という卑語を、
賛成できません。「ひろゆき」の言うことを鵜呑みにするのは間違いです。「ひろゆき」は、「putain」という言葉を、自室に閉じ籠って眺めていた古い映画の中でだけ聞いた可能性のほうが遥かに大きいのです。フランス語の基礎の基礎も知らない「ひろゆき」には、その類の言葉を頻用するようなフランス人同士の早口の会話を理解することは出来ません。
〈小学生の時の蜥蜴の話〉だって、どこまで本当だか分ったものではありませんよ。
F爺は、
【「ひろゆき」がF爺の発言を組織的に歪曲し改竄し捏造して侮辱・攻撃している事実】
を重要視します。「ひろゆき」は、本源的に卑劣で嘘吐きなのです。
そして、明白な歪曲・改竄・捏造のどれ一つ撤回も謝罪もしていません。
これを説明するには、邪悪な意思以外の何物も見当たりません。
事の始点
F爺様こんにちは。
皆さんのご意見を見ていて1点だけ気になる事があります。
元々、ひろゆき氏は「putain」を「ピュータン」と表現しておりました。
この時点で、ひろゆき氏は「putain」を聞いたことも使った事(自身で発声)もないと証明されております。
世間がデンベレ氏の発言について騒がしくなってから、初めて「putain」について辞書か何かで調べたのでしょう。
初めて聞いた言葉に対して、自身の勝手な解釈をして、それを大々的にTwitterで主張しても滑稽なだけですね。
皆さんのご意見を見ていて1点だけ気になる事があります。
元々、ひろゆき氏は「putain」を「ピュータン」と表現しておりました。
この時点で、ひろゆき氏は「putain」を聞いたことも使った事(自身で発声)もないと証明されております。
世間がデンベレ氏の発言について騒がしくなってから、初めて「putain」について辞書か何かで調べたのでしょう。
初めて聞いた言葉に対して、自身の勝手な解釈をして、それを大々的にTwitterで主張しても滑稽なだけですね。
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
Re: 事の始点
「とり天を愛す男」さん
改称のご快諾、ありがとうございます。
>元々、ひろゆき氏は「putain」を「ピュータン」と表現しておりました。
この時点で、ひろゆき氏は「putain」を聞いたことも使った事(自身で発声)もないと証明されております。
いや、ちょっと違います。
その件で証明できているのは、
【「ひろゆき」にはフランス語が正しく聞き取れないし発音もできない】
ことです。
その単語を「聞いた」ことや「使った」ことはあったかもしれませんよ。通じたかどうかは別の問題ですが(笑)。
改称のご快諾、ありがとうございます。
>元々、ひろゆき氏は「putain」を「ピュータン」と表現しておりました。
この時点で、ひろゆき氏は「putain」を聞いたことも使った事(自身で発声)もないと証明されております。
いや、ちょっと違います。
その件で証明できているのは、
【「ひろゆき」にはフランス語が正しく聞き取れないし発音もできない】
ことです。
その単語を「聞いた」ことや「使った」ことはあったかもしれませんよ。通じたかどうかは別の問題ですが(笑)。
Re: No title
K.Forest.Islandさん
記事のお知らせ、ありがとうございます。
>(・・・)多数のマスゴミは記事の内容そのものよりもクリック数、閲覧数が稼げれば何でも良いという姿勢で記事を書いているのだと思います。
ちょうどその題材として悪目立ちする、最近話題になっているひろゆきを使っているのだとそう感じています。
クリック数を稼ぐためなら恥を捨てても良いと言うメディアが多数あるのが今の日本の現状なのだと言うことです。
なるほど。その分析には説得力があります。
>上記リンクはひろゆきを取り上げる現状を憂[え]ている記事[で]す。
記事の最初から後半までは首をひねるような内容もあるのですが最後の段落
「教祖のように持ち上げるメディア」以下の内容が先生のコメントにあった疑問の答えに近いと思います。
「首をひねる」どころではありません。この記事の大半は、「ひろゆき」のべた褒めです。最後まで読むと実は批判しているのだと分りますが、そこまできちんと読む訪問者はどのくらいいるのでしょうか。
リンク先の記事は、6ページ全てに亙って冒頭に「ひろゆき」の顔写真を載せています。極めて不快です。申し訳ございませんが、今回のコメントは、非表示のままとします。
記事のお知らせ、ありがとうございます。
>(・・・)多数のマスゴミは記事の内容そのものよりもクリック数、閲覧数が稼げれば何でも良いという姿勢で記事を書いているのだと思います。
ちょうどその題材として悪目立ちする、最近話題になっているひろゆきを使っているのだとそう感じています。
クリック数を稼ぐためなら恥を捨てても良いと言うメディアが多数あるのが今の日本の現状なのだと言うことです。
なるほど。その分析には説得力があります。
>上記リンクはひろゆきを取り上げる現状を憂[え]ている記事[で]す。
記事の最初から後半までは首をひねるような内容もあるのですが最後の段落
「教祖のように持ち上げるメディア」以下の内容が先生のコメントにあった疑問の答えに近いと思います。
「首をひねる」どころではありません。この記事の大半は、「ひろゆき」のべた褒めです。最後まで読むと実は批判しているのだと分りますが、そこまできちんと読む訪問者はどのくらいいるのでしょうか。
リンク先の記事は、6ページ全てに亙って冒頭に「ひろゆき」の顔写真を載せています。極めて不快です。申し訳ございませんが、今回のコメントは、非表示のままとします。