ずっとお城で暮らしてる(G)

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2019-10-10 01:25:27

あかるくすこやか、NCTオールキャラ大学生パロ。全員出てくる予定。とりあえずのところジョンウとルーカスが新入生です。今回はドヨン→ジョンウがあります。

ずっとお城で暮らしてる


 ジョンウは姫になりたい。
 小さいころからずっと、つまさきが地面から三センチほどふわふわと浮いて歩くようなお姫さまになりたかった。といっても、そのためにドレスを着たりウィッグをかぶったりしていたわけではない。あるいは女になりたいわけでも、男が好きなわけでもなかった。
 ただ漠然と、姫になりたい。そして、自分はそれにふさわしいきよらかさと愛らしさをそなえている。ジョンウはそう信じていた。
 だから十九年間生きてきて、それを見透かされたように言葉にされたときには心の底からおどろいた。
 大学に入ってから最初の金曜日、体験入部していたサークルの新歓コンパの帰りである。酔いつぶれた先輩が送っていくというのを振り切れずついて行ったが、逆にジョンウが支えて歩いたほどだった。自転車を引きながら、ときどき「うぇっ」とえづいて丸まる先輩の背中をゆっくりとさする。振り返ると、電信柱の下の植え込みに彼の胃が戻した吐瀉物が光っているのが見える。あわてて目をそらした。
 さんざんだった。高貴な姫君はこんな安い新歓コンパに参加したり、ゲロを吐いているような男と一緒に帰ったりはしない。吐いていること自体がどうとかいうのではなく、自分の面倒も見られない人間とは一緒にいないという意味だ。みじめだ。春だった。ジョンウが経験するただ一度きりしかない、十九回目のうつくしい春の夜。その空気を肺いっぱいに吸い込むと、吐瀉物の匂いがした。
 うぇえと声がする。ひそかにため息をついた。ジョンウは何度目かに自転車を止めてうずくまってしまった男の、黒いつやつやした頭を見下ろす。まっすぐな髪に電灯が光の輪をつくっている。少年のように薄く厚みはないのに、大人のようにひろびろとした背中をしていた。
「先輩、大丈夫ですか」
「ジョンウたんほんとごめん俺、こんな……
 消え入りような声で彼が言う。駅はもうすぐそこだ。繁華街の喧騒が遠くから聞こえる。まぶしい光と大勢の人の気配。この線路沿いはこんなにも暗く静かなのに。
 彼が立ち上がろうとしてよろけた。ジョンウはとっさに彼を支えようと屈み込む。そのとき彼が顔を上げたものだから、不意におどろくほど顔が近づいた。半目の切れ長のまぶたがすっと開いて、黒く濡れた目がのぞいた。その目が言う。
「ジョンウ、すごくかわいい。おまえだけ、なんかきらきらしてる。お姫さまみたい
 面と向かって、そんなことを言われたのは初めてだった。しかも同世代の男に。
 ジョンウは同世代の男がなんとはなしに苦手だった。一人一人話すと気のいいやつなのに、集まると途端に野蛮な雰囲気をまとう。猥雑でどぎついジョークを言いあい、体をぶつけあって互いを羽交い締めにし、やれあいつがカマくさいだのあの女は性格ブスだのという笑えないヤジを飛ばした。サッカーは好きだったが、その付き合いが苦になってクラブをやめたくらいだった。
 息苦しい。ジョンウはそんなものとは無関係に生きたい。そこからはるか彼方に遠ざかりたい。でも、そんな野蛮さと無縁に存在できるものとは、この世でいったい何なのだろう?
 たぶん、それこそがプリンセスだった。彼女たちはただきよらかで気高く可愛いらしいままで、誰にも汚されない。誰のことも汚さない。だからジョンウは姫になりたい。
「ドヨン先輩
 ジョンウは胸が熱くなるのを感じる。涙がせりあがり、目が潤むのを感じる。思わず彼の手を握りしめる。さらに顔が近づいて、彼の頬のやわらかいうぶげの数まで数えられそうだ。薄い唇の膜にさえふれられそうだ。
「ジョンウうそ、まさかおまえ俺のこ」
 そこまで言ってガクンと直角に首を折ると、彼はマーライオンのように音もなく口の中のものを吐き出した。ジョンウが大学に入っておろしたばかりの、ぴかぴかの白いスタン・スミスの上に。


 翌朝めざめると同時に、カトクが来た。案の定ドヨン先輩だ。
 アカウントを教えてなかったにもかかわらず、どこかでジョンウの番号を聞き出してきたらしい。政治家なのだ。
「昨日は本当の本当にごめん!!謝っても謝りきれない。一緒に同じ靴買いに行こう。もちろん俺が払うし」と、うさぎが手を合わせているスタンプつきのメッセージが表示される。感じるところがないわけでもなかったが、なんだか面倒くさくなってそのままにした。
 あのスタン・スミスはジョンウが受験勉強のあいまを縫ってバイトで貯めたお金で、母親と一緒に買いにいったものだ。入学祝いに思い切って使おうと思って買った。だから思い入れがある。他のもので簡単に代用できるものじゃない。それを思うと、なおさら悲しかった。まだ一週間も履いていなかったのに。自分の大学生活そのものが台無しになった気もした。
 結局その日は何もできなかった。一日じゅう家でごろごろし、翌日ようやく授業に出た。基礎論の大教室に入っていくと、ひときわ背の高い人間がさらに長い腕をこちらに向かって旗のように振り続けているのが見える。
 留学生のルーカスだ。ルーカスとは入学前にすでに大学主催のボランティアで知り合っていたので気楽な仲だった。とにかく心がひろくほがらかで、ジョンウが不安に思うことも簡単に笑い飛ばしてくれるし、品のないことや意地悪なことを言わないところもよかった。
「おお!昨日演習にいなかったからどうしたかと思った」
「うん、ちょっとね。ルーカス、あとでノート見せてもらってもいい?」
「もちのろん!ジョンウは勉強人間だから、たぶんこれからお世話になるのはこっちだと思うし〜ってか俺の字汚くて読めないかも」
「大丈夫だよ。ありがとう」
 ルーカスは豪快に笑うが、まだこちらに来てから日が浅くてハングルに慣れていないだけだ。大雑把に見えても、人の話を熱心に聞いてきちんと丁寧にメモを取る。意外に真面目な性格なのだ。ジョンウは彼のおぼつかない韓国語をアシストするのが苦ではない。
 隣の席に腰かけると、すぐに講義が始まった。昨日の埋め合わせをするように集中してノートを取っていると、あっという間に九十分が過ぎる。終了後はいつものように二人で肩を並べて学食に行った。
 すると、食べ終わって彼のノートを写しているあいだ、なんとなくルーカスが落ち着かなげにもじもじしているのに気づいた。
「どうかした?」
「あー、あのさ
 首をかしげてたずねると、ルーカスが言いにくそうに目をつぶって「ごめん」と手を合わせて謝った。
「そういえば昨日ジョンウが休んだのって、カトクに関すること?そうだったらごめん。俺、昨日の朝ウィンウィン先輩にお願いされて、ジョンウの番号教えちゃった
 なんだ、ルーカスから漏れたのか。それは別に気にならなかった。ウィンウィン先輩はルーカスと同じ留学生寮に入っている、北京出身の留学生だ。同じ中国出身と思いきや、ルーカスは香港出身なので母語は違うらしい。複雑だ。どうやって会話しているのかたずねたことはないが、よくルーカスの話に出てくる。
 ウィンウィン先輩とドヨン先輩のつながりもよくわからなかった。ただ、あいだに相当な人数が媒介しているのではないかと感じる。なんとなく。
「うーん。そうとも言えるし、そうとも言えないかもだし。でも、ルーカスのせいじゃないよ。気にしないで」
「えーっ、そんなん逆に気になるじゃん。お詫びさせてよ」
「このノートでじゅうぶんだって。あ、でも夕方ひまなら靴買うからついてきて」
「ぜんぜんオッケイ」
 食堂の薄いコーヒーをすすりながらルーカスが勢いよく親指を立てる。
 笑ってしまうほど大きな手だ。いつだったか手を合わせたとき、あまりにもジョンウの手より大きかったので、実際声に出して笑ってしまった。赤ちゃんの手!とルーカスはルーカスでジョンウの手を指差して笑っていた。それももはや懐かしい。すっかり春だった。


 それぞれ午後の講義に出席してから、学生会館の前で待ち合わせて駅の近くの繁華街に向かった。駅ビルで買い物が済めば御の字だし、それで間に合わなければもっと大きな駅まで出るつもりだった。
 大学から駅まで歩いていると、自然おとといの夜道が思い出される。「ジョンウ、すごくかわいい。お姫さまみたい」という声。それだけでわけもなく胸がときめいて体がふるえた。どんなにその言葉がジョンウを感動させたか。それを口にしたのが誰だっていい。その言葉が魔法の言葉だった。でも次の瞬間、すぐ後の音と匂いと靴の惨状を思い出して、気分が落ち込む。
「ジョンウ、さっきから一人で赤くなったり青くなったりしてるよ?」
「やそうなんだ。実はおとといサークルの新歓コンパ行ったら、帰りにそこの先輩に靴に吐かれちゃって。それでお詫びのカトクが来た」
「ああ!それで靴とカトクなわけね!つながってんだ!納得いった」
 それにしても災難だったね〜とルーカスはからから笑っている。ルーカスの大きな声で笑い飛ばされると、少し気分が楽になった。
 大学につづく小道の角を曲がると、道幅がひろがって両脇の歩道にレンギョウの黄色い花がわんわんとあたりにかすむほど咲きほこっている。その後ろには白いモクレンの影が。春だ。それは不安にこわばるジョンウの体を少しだけ解放し、つまさき三センチとまではいかないまでも、浮足立たせるような気がする。
「あぶないよ」
 ふとルーカスが急にジョンウの腕を引いて、道の端に引き寄せた。間髪入れずにすぐそばを自転車が通り過ぎる。ジョンウが慣れない靴裏で地面を感じながらぼうっとそれを見ていると、その後頭部とチェック柄のシャツに見覚えがあるのに気づいた。
「あ」
 思わずつぶやくと同時に、自転車の男がペダルを漕ぎつづけながら後ろを振り返る。目があった。
 ドヨン先輩だ。
 しかしこちらを見つめながらも彼はそのまま漕ぎつづける。漕ぎつづけて、ずっと向こうの方に小さくなっていく。
 よかった。ジョンウはなんとはなしにホッとした。どっちみちもうサークルには行かないつもりだったが、彼に何か言われるのではないかと怖かったからだ。カトクも放置したままだし。
 が、安心したのもつかのま、よく見ていると遠ざかった自転車が今度はみるみるうちに近づいてくるのがわかった。猛スピードで。そしてジョンウとルーカスの目の前まで来ると、ザザーッとブレーキをかけながら横向きにスライドする。さらに両足を下ろしてアスファルトに摩擦させ、傾いた車体を止めた。
「アキラじゃん!!」
「誰それ?」
 オーマイガッ!カネダズバイクスライドブレーキシーン!!とルーカスは興奮して意味のわからないことを叫んでいる。ジョンウが怪訝そうに首をかしげていると、ドヨンが「いってぇ〜マジ足が死んだ」とぶつぶつ言いながら、キッと顔を上げてこちらを見た。
「ジョンウたん!!なんで既読無視すんの!?」
「あすみません」
 ジョンウは反射的に謝罪した。面倒なことになりそうだと思ったからで、それ以上の理由はなかった。
「いや!!まあもとはといえば俺が悪いんだし!本当にごめん。今から新しいの買いに行こ。ほら、後ろに乗って」

 ドヨンが自転車の荷台を手のひらでぱんぱんと叩く。ジョンウはどうしたらいいのかわからなかった。
 隣のルーカスを見ると、ジョンウの腕をつかんだまま口を開けてまだドヨンの自転車を見ている。普通のママチャリだと思うけど。
ドヨン先輩、あの、大丈夫です。僕たちちょうど今から靴買いにいこうと思ってたんで
「なんで?俺の責任だし俺が出すってば」
「いえ、自分のお金で買います。なんとなく、人のお金で買った靴履くのって気持ち悪いし
「気持ちわ!?」
 ドヨンは目をまるくしている。が、すぐにまたキッとした目に戻って宣言した。
「まあいいや、聞いてくれキム・ジョンウ。俺が言いたかったのは、だおまえはお姫さまだってこと。初めて見たときからめちゃくちゃ可愛かったし、日が沈んで夜になっても、酔っ払って俺が死ぬほど吐いてても、おまえはやっぱり可愛くて、ただきらきらと星みたいだった。それを忘れられない。ジョンウは俺のお姫さまだよ」
「はい」
「だから王子が必要だ。だろ?おとぎ話では、お姫さまには王子が必ず現れる。俺はおまえの王子なんだ、ジョンウ。迎えに来た。俺がずっとおまえを守る。だから後ろに乗って」
はい?」
 意味がわからなかった。目を潤ませてこちらを見つめているドヨンを無視して、ジョンウは呆然と立ち尽くす。お姫さまなのはわかる。可愛いのもわかる。きらきらしているのも。しかし、王子さまとは?さっぱりわからない。
 たしかにジョンウは姫になりたい。でも、だからといって王子が必要だとは考えたことすらなかった。ジョンウの漠然と考えていた「お姫さま」とは、ただ清らかで力強く完結した一個の存在であり、特にほかの誰をも必要としていなかった。ましてや誰の添えものでもない。
「大丈夫です」
 ジョンウは自然と顔を上げて、きっぱりと答えていた。ドヨンは眉間にしわを寄せてたずねる。
「え大丈夫って、何が?」
「歩いていくので大丈夫です。先輩の自転車には乗りません。あのう差し出がましいようですが、お姫さまはどこへでも歩いていけるんですよ、先輩」
 そうなの?とドヨンがさらにしわを深めて、いぶかしげに問う。
「そうですよ。ほら、〈グッドガールは天国に行く、バッドガールはどこへでも行く〉って言うでしょう?言いません?僕のお姫さまってずっとお城で暮らしてる、そういうんじゃないんです。うまくいえないけど、必要なのは馬車じゃなくって、どこにでも歩いていける勇気みたいな。天国にも、地獄にも、靴を買いにも」
 だから、大丈夫です。
 首をかしげて微笑む。耳にかかった髪を優雅にはらうと、ルーカスの手を引いて歩き出した。ゆっくりと自転車にまたがったドヨンを追い越したが、そのまま歩きつづける。まるで姫であるかのように、ゆったりと、息を大きく吸って。世界は春の匂いがする。
 すると後ろからドヨンが自転車で追いかけてきて、声を張り上げた。「あのさ!俺も一緒に行っていい?ついてくだけだから!」ジョンウはふりかえって、うなずく。ドヨンはそれを見て力を抜くと、「じゃあ先行って、自転車駅前に止めてくるわ」と答えてスイーッとジョンウとルーカスを追い越していった。なるほど。
 その後ろ姿を見ながら、ルーカスがつぶやく。
「あー、ジョンウの靴に吐いた先輩って、あの人かあ
「知ってるの?」
「けっこう有名じゃん?ほら、大学の構内に超古い寮があるじゃん。木造の。あそこに住んでる学生の一人と思う」
「ああ
 ジョンウもおぼろげにしか知らなかった。お化け屋敷だとか、ウィンチェスターハウスだとか言われている築百年超の学生自治寮。それがだだっぴろい大学の敷地内のどこかにあるらしい。
「それよりさ、今のでなんかおなかすいた
「さっき昼食べたばっかじゃん。あ、駅ビルの上のサーティワンでアイス食べようよ」
 アイス!いいね!ジョンウってば天才!!とルーカスが途端に活気づいて、親指を立てて笑う。ルーカスはチョコミントとピスタチオのアイスが好きだ。ジョンウは柑橘系とチョコ系が。
 ドヨン先輩は何が好きなのだろう。それを考えるのは少し胸が躍る。たぶん、もうすぐ答えがわかるはずだ。





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