兵 法 塾 |
TOP ・ Ohasi ・ Takeoka ・ SiteMap ・ Link ・ Information ・ WebShop ・ Comment 祈願・三陸皆様の心の復興 2011.3.11 |
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『 馬鹿野郎!戦争だぞ! 』 -- 大橋先生の戦争 -- ◯ 東部軍参謀になってからのことである。初めて東京空襲のあった翌日、東京都庁の役人が血相を変えてやってきた。「銀座に不発弾が落ちて、家をこわしたから弁償せよ・・・」というのである。これは大変なことになったと、一緒に現場にとんで行こうとして考えた。東京周辺には高射砲が一師団も構えている。これが一斉に撃ち出したら、不発弾はないとしても、砲弾の破片が雨のように降ってくる。賠償金をいくら準備したらよいものか?と途方にくれたのである。・・・そのうちに私の脳裏に戦場の状況がよみがえった。私は急に顔を上げて都の課長(部付少尉の同僚)を睨みつけ「馬鹿野郎!戦争だぞ!」と、半分は自分に向かって怒鳴りあげて、幕となった。(同台経済懇話会発行「草萌え」第一号に発表され「兵法経営研究会」会報第13号に転載された大橋先生の二・二六事件、盧溝橋事件、東部軍参謀、本土防衛作戦・第五十三軍参謀時代の体験談の一部です) 先の戦争を知らない我々世代は戦車やミサイルでは解決できない「戦争(戦い)」に突入している!「人類の敵」は京劇の仇役のような顔をしていない!軽症80%という顔をしているかも知れない・・・。ー 2020年3月28日 サイト主宰者 ー |
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『 チャーチル |
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「チャーチル」 アングロサクソンの世界戦略 |
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◯ 日本は目的を誤っていた
兵法は「目的を誤ってはならない。
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大橋先生著 ---- 「チャーチル」 アングロサクソンの世界戦略 | |||||||||||||||||||
『 日本陸軍史百題 |
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「日本陸軍史百題」 なぜ敗けたのか |
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創業は易く守成は難しということわざがある。日本陸軍史はこの言葉がそのままあてはまる。
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武岡先生著 ---- 「日本陸軍史百題」 なぜ敗けたのか | |||||||||||||||||||
『統帥綱領入門 |
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「将官」と「参謀」のために説かれた門外不出の国軍統帥の大綱 -- 統帥綱領 -- |
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6 将帥の具備すべき資性としては、堅確強烈なる意志およびその実行力を第一とし、至誠高邁なる品性、全責任を担当する勇気、熟慮ある大胆、先見洞察の機眼、人を見る明識、他人より優越しありとの自信、非凡なる戦略的識見、卓越せる創造力、適切なる総合力を必要とする。 敵に勝つことを第一とする将帥に最も必要な性質能力は、堅確なる意志とその実行力で、これこそ人を支配し、戦場の主人公となる第一の要件である。古来、わが国で名将といわれた人々は、ただ堅確強烈な意志、剛勇等において卓越していたばかりでなく、人徳を備えていたことは事実である。しかしいかに人徳を備えていても、全責任を負う勇気がなくては、部下を統率することはできない。下級指揮官に行動の自由を与えた場合でも、その結果に関する責任は、つねに上級指揮官がこれを負わねばならない。利益をあげることのできない者は経営者の資格はない。従って経営者には商才が必要である。しかし商才があるだけでは、組織を動かして利益をあげることは不可能である。将帥は卓越せる戦略的創造力と戦略的識見をもつことが必要であるが、これらは戦術的能力のように、平時において練磨し発揮する機会がなく、また、平時におけるこれら(戦略的創造・戦略的識見)は戦時においてはほとんど用をなさないので、泰平が続くとともに、適格でない将帥が出現しやすい。 -- 略 -- 平時の敏腕にも似ず、実戦場裡において失敗する将帥共通の欠点は、戦勢の推移を支配する要機を看破できず、状況の変転に翻弄され、細事に拘わって大綱を逸する点にある。 二 将帥の要綱 28 ある前提のもとに合理的な計画または方策を策定するのは、実は、そんなに難しいことではない。ほんとうに難しいのは、意外な事変・錯誤・障害の圧迫下に立ち、真偽不明、万事不確実で、混沌たる情勢のうちに一道の光明を発見し、戦いの真相を捕捉し、機を失せず規定の計画などに至当なる修正または改変を加えて、実況に適応させ、しかも根本目的を逸しないことである。 -- 略 --、 計画の実行には障害がつきものであり、リーダーたる人間の役目は、これをいかに処理するかにある。経営者が不況を歎くのはおかしい。好況時の会社は経営者などいなくても動く。経営者は不況時のためにあるもので、倒産の危機に際会したら「待ちかねた! 今こそ出番」と勇み立つべきと思う。計画の障害には、予期したものと、予期しないものとあるが、われわれは予期した障害に当面したときにもあわてることが多い。こんなときには錯覚を起こし、いらぬ手を打って、かえって事態を悪化させてしまう。異様な事態に不意に当面したときには、立案の基礎条件を思い出すことで、これに変化のない限り、何事が起ろうとも、予定どおり実行する英知と度胸を持たねばならない。 |
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大橋先生著----「統帥綱領入門 |
『 新釈 孫子 |
二五〇〇年前の兵書がなぜこのように現代に通ずるか。他の古典はそうでないとはいわないが、『孫子』の場合は顕著である。理由はいくつかある。
天野鎮雄博士は、「孫子は宇宙の目から戦争を捉えている」と述べているが、換言すれば、「現代的センス」で戦争を捉えているということではなかろうか。第二は自然界の原理や人間の性をよく研究し、その仕組みやルールに余計な彩りを加えずに用兵原則を作っていることだ。自然界の原理や人間の性は、二五〇〇年前も今も変わらない。むしろ物質文明が進んでいないだけに、自然界の仕組やルールは捉えやすい。とはいえ慎重な『孫子』は、それを『易』の二元論を研究し、黄河文明を作った原理から捉えているのである。 中略・・・このように『孫子』はすぐれた書である。だが現代の書物に比し、"簡古隠微"(かんこいんび、簡単で古色を帯び、実体がかすかでわかりにくい)といわれるほど解読がむずかしい。簡潔すぎる文章の壁、兵書解読に必要な軍事知識の壁、それも目に見える戦術的用兵ではなく、その奥にあって戦術的用兵を動かしている戦略原理の壁である。 さらにその戦略原則を処世、経営、ビジネス面に活かすには、軍事と経済常識をもってする橋渡しが必要だ。これらの障害除去は、大地震直後の瓦礫に埋もれた人命救出にも似ているが、その瓦礫を少しでも取り除いて、読者諸賢の理解を容易にするように努めたのが本文庫版である。 |
-- 武岡先生「 新釈 孫子 |
『 兵法と戦略のすべて |
孫子からランチェスターまで戦略的発想・思考法が身につく! |
Q 兵法を学べば、何が得られますか
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武岡先生著----「兵法と戦略のすべて |
「マキャベリ兵法」--君主は愛されるよりも恐れられよ(2013年 PHP文庫) |
彼の言葉は非情痛烈で、人間の本質をふまえており、われわれとしても、正直思いあたるところが少なくなく、まさにわれわれ自身のはらわたをつかみ出して見せつけられる思いがする。
〇 積極的に立ち向かえ(政略論-78・83、君主論-50)一五一二年、神聖同盟軍が北イタリアでフランスと戦った時のフィレンツェのように、結局は無関係であることを許されない場合には、君主は断然どちらかの味方をしなければならない。本来、いかなる国でも、常に安全策をとってばかりはいられず、むしろ、いつも冒険策を選ばねばならないものと考えるべきで、世の中のことは、当面の苦難を回避すれば、その後なんの苦難にもあわないですむというわけにはいかないのである。しょせん避けられない苦難であるとすれば、進んでこれに立ち向かい、よくその実態を確かめ、なるべく損害の少ないようにこれを処理することを考えるのが賢明である。 〇 運命を管理せよ(君主論-61)運命は河である 運命には勝てないといわれているが、運命が支配できるのは人間の半分だけで、あとの半分は、運命もわれわれ自身の支配にまかせている。運命は河である。怒り出すと手に負えないが、堤防やダムによってその猛威をそらすことはできる。時勢に乗れ 君主自身には何の変りもなく、運命に任せきっているのに、今日栄えている者が明日滅びるようなことがよく起きるのはなぜだろう。それは運命の方が変るからである。運命にまかせている者は運命と盛衰をともにする。運命を無視して全然変らない者はある時は栄え、ある時は滅びる。運命の変転と自分のやり方の調和に成功した者だけが、いつも幸福でおれることになる。変化する時勢に自分のやり方を調和させることができるかどうかが、君主の成功不成功を決する鍵であるが、これがまたなかなかむずかしい。人間はその本来の性質を変えることのできないものであり、特に今まで成功してきた方法を放棄する決断が不足するのは残念である。そのため多くの人が、時勢の変転に調和できなくて不幸になっている。 〇 君主は将軍の名声を喜ばない(政略論-27)君主は疑い深く、自分の地位が危なくなるのではないか?とつねに心配しているものである。戦地に派遣された将軍が大勝して名声を博すると、君主はまず喜び、次に不安を感じる。そして、いったん芽生えたこの不信感は、戦勝将軍の思い上がった言動に刺激されるようなことでもあれば、いよいよ高まるばかりになる。元来、君主というものは、自分の地位の安泰ということを第一に考え、そのためには手段を選ばない通有性がある。したがって不信感が爆発すると、感謝しなければならない戦勝将軍を殺したり、その名声を落とす策謀までもしかねない。-中略ーこのように、常識では考えられないほどの猜疑心は、どんな人でも君主になれば、その心の底には必ず持つことになる、いわば君主に備わった本性であって、いかに自戒しても、この悪徳から逃れ切ることはできない。それに、功績に酬いることは大変な負担になるが、功績を罰することは楽であり、金もかからないし、財産没収などによる利益もある。君主のために大きな働きをした名将たちが、意外に不幸な末路をたどることの多いのは、このためである。出征将軍を信じ、これに酬いることのできない君主は、初期ローマの皇帝のように、自ら外征軍の陣頭に立つべきである。軍の指揮をとろうともせず、宮中にあって徒らに猜疑心や嫉妬心に苦しむことなど、まことに愚かなことである。君主がこのように愚かなものであるとすれば、その部下たる出征将軍の生きる道は次の二つよりほかない。一、勝利を得たらすぐ戦列をはなれて君主のもとに帰り、おとなしくしていて、功績を誇るような素振りも見せない。二、戦勝によって得たものの一切を自分のものにして、君主に渡さず、独立自衛の策をたてる。多くの将軍は、この二策のどちらにも徹底できず、中途半端な行動に出て自滅する。 |
大橋先生著----「
マキャベリ兵法 |
昭和の数多の経営者を成功に導いた「兵法経営論」のエッセンスがいま甦る! |
5 理想をもて 経営者が理想をもっていないと、気持ちがいやしくなり、少しばかりの成功に満足して浪費をし、ついには部下と利益を争って、統率力を失うようになる。89 合従(がっしょう)の策 合従は蘇秦の唱えた策で、次項の連衡(れんこう)とともに戦国策の中枢思想をなすものであり、その趣旨は、「諸小国は大国秦の侵略に備え、連合戦線を結成して戦うべきだ」というにある。蘇秦の論拠は次のとおりである。中国斉に対して90 連衡(れんこう)の策 この策の狙いは各個撃破である。多くの小国が連合して抵抗しようとするのに対し、大国秦は小国の一つと結ぶことによって、その統一戦線を分断し、全小国を一つずつ逐次に処理しようというのである。 |
大橋先生著----「 経営幹部 100の兵法 」(PHP 文庫 2013年8月)より ---- |
「戦いの原則 |
「戦いの原則」―人間関係学から組織運営の妙まで (1986年) |
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大橋先生著 --「戦いの原則」(プレジデント社1986年11月)(PHP文庫 2001年10月)--- まえがき・はじめにより --- |
「 兆候を読む!」 |
兆候を読む!―繁栄と衰亡の兆候をどう見分けるか(1986年) 見える兆候で見えない本体を見る!! |
将来を予測するには、予想できる変化を推理し、可能性のある動き(可能行動)を仮説し、その兆候の有無を探求するアクティブな手法(「状況判断」・兆候分析・意義分析)が欠かせない ・・・・ 。「晴天の霹靂(へきれき)」という言葉がある。晴れた日に、突然鳴り渡って、 |
武岡先生著---「兆候を読む! |
『戦略と謀略』 |
ピンチをチャンスに変えた六つの国家戦略 |
戦略と謀略―正をもって合し,奇をもって勝つ (1978年) |
「ピンチはチャンスなり」である。ピンチとチャンスは同じ姿をしている。そのため、同じ状況でも、名将はこれをチャンスと見、凡将の目にはピンチにうつるようなことがおきるのである。 |
大橋先生著---「戦略と謀略」(マネジメント社1978年(S53)11月)--まえがき・書きおえてより --- |
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「兵書抜粋」「闘戦経」は電子書籍です。 |
兵書には兵法すなわち兵学と兵術が書かれてある。兵学とは戦いの理論と哲学で、兵術とは兵学を実行する術策であり、文字に表現しつくせないものが多分にある。 -- 兵書抜粋 まえがきより -- |
「闘戦経」を世に出すようになった経緯 -- 「闘戦経」を考えるより -- |
この作品(兵書抜粋)は、1962年に出版されベストセラーとなった「兵法で経営する」を 1977年8月にビジネス社より復刊されるにあたり、付録として新たに書き下ろされたものです。 1980年に開講された「兵法経営塾」の基本教科書(私家版・兵書抜粋)として塾生に下賜されたものをこの度、御遺族(著作権継承者)のご了解を得て電子書籍として作成・編集させて頂きました。 2013年2月26日 https://www.heihou.com/ 「兵法塾」 |
この作品(闘戦経 大江匡房・著伝 大橋武夫・解説)は、1982年に私家版として出版され 1980年より開講された兵法経営塾の研究対象及び教科書として研修生に下賜されたものです。 1984年4月にマネジメント社から出版された「兵法経営塾」の付録としても掲載されました。この度、御遺族(著作権継承者)のご了解を得て電子書籍として作成・編集させて頂きました。 2013年2月26日 https://www.heihou.com/ 「兵法塾」 |