11月3日は「文化の日」。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨として制定された記念日である。皇居では文化勲章が下賜され、文化に功労が著しい方々が叙勲される。だが、「文化の日」のその実は、昭和21(1946)年に日本国憲法が公布された日であり、第二の「憲法記念日」というのが正しい。
教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇を偲び、我が国の文化を奨めるの「文化の日」ならいざ知らず、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは詭弁であり、実質的護憲運動である。
憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・」という記述があるが、「平和を愛する」という感情と、現実的に平和を守るというのは違う次元だ。戦後のあらゆる不条理を検証せねばならない。
現在の日本国憲法は、表面上は新憲法の制定とはなってはいるが、ハーグ条約違反を躱す為に、建前上は日本人の手に因って大日本帝国憲法(欽定憲法)第七十三条の改正で創られたものとされている。
大日本帝国憲法第七十三条の条項は「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」となっている。
昭和21年11月3日の帝国議会に於いて、昭和天皇は「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」と日本国憲法を国民に下賜された。
これが示す通り日本人自身で制定されたこととなってはいるが、当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の高圧的な対応や様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相であり、現憲法が米国からの「押し付け憲法」と断じられるのはこういうことだ。
米国から押し付けられたものは憲法だけではない。戦後民主主義や新自由主義、現皇室典範や労働三法もそうだろう。戦後の平和や繁栄にしろ、ファッションや価値観に至るまで米国製である。我が国が喪失してしまった国家の大本を取り戻す上で、隘路を切り開くには米国製の現憲法を見直す以外には手は無い。
現憲法で得たものは、成否は別として「自由主義」「民主主義」「人権尊重」「平和主義」等であり、今日の基を築いたと言っても好いだろう。だが、逆に「礼節」「長幼の序」「忍耐」「我慢」「滅私奉公」「信義」「忠義」「孝養」「恥」等等、失ったものはそれ以上に多く、何より「天皇」を軽んじている。
失ってしまったものが現憲法の所為かどうかは分からないが、日本人はいつの間にか利己的なことを恥じない人間ばかりが殖え、自己犠牲の精神など皆無に等しくなったのは戦後民主主義教育後であるのは明らか。
己を犠牲にして他人に尽くすことこそ日本人足る所以であり美徳美風というものだが、今や心の中の高貴さを失い、高邁な知性の磨きを様を忘れ、目先の価値観と目先の欲望に溺れていることさえ気付くこともない。
「文化の日」である11月3日は、明治天皇の天長節であり、戦前は「明治節」として国民挙って奉祝した記念日であるこの日を選び、現憲法を公布させたということに米国の如何わしい意図が窺える。
占領統治時代にはこうしたことが幾度も実行されている。例えば、昭和21年に開廷された「東京裁判」で所謂「A級戦犯」28名が起訴されたのは、同年4月29日の「天長節(昭和天皇の誕生日)」だった。
そして、当時の皇太子殿下(上皇陛下)の誕生日である12月23日を選んで東条英機閣下以下7名の絞首刑が執行された。現憲法の発布を、明治天皇の誕生日という記念日を選んだという事実は、国民と天皇の繋がりを薄れさせ、日本人に対し贖罪意識を植え付ける為のものであることは言うを俟たない。
こうした事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が占領下に於いて如何に非情で無慈悲な、日本人矯正を実行したかが理解出来よう。東京裁判史観とヤルタポツダム体制の検証を急がねばならない。
保守派や愛国団体の中には11月3日を「明治の日」に制定しようとする運動も見られるし、本日は「明治節」として、明治神宮を参拝し、明治天皇の御遺徳を啓蒙するという行動も見受けられる。「明治節復活」は異論はないが、果して明治神宮がそれに相応しいかといえばまたそれもまた疑問である。
明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社である。然し、平成16年に明治神宮は突如として神社本庁から離脱し一宗教法人となった。
明治神宮側は神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に「『陛下』を『殿下』と誤記してしまった責任を取った」と離脱した理由を語っている。だが、それは詭弁であり、見苦しい言い訳に過ぎず、神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのが真相である。
明治神宮の宮司らは、「明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ」という創建あれた際の本分を忘れ、神社を私物化して、神社庁に属さなくても維持出来ると営利至上主義に奔っている証左であり、こうした明治神宮の現状は正に憂慮すべき事態である。保守派並びに愛国団体は明治神宮のこうした姿勢も糺すべきであろう。
ザ・右翼ジャーナル社々主 佐久間五郎
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメントやメッセージ、近況報告等は mr.cordial@live.jp まで御気軽にメールを寄せられたい。
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教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇を偲び、我が国の文化を奨めるの「文化の日」ならいざ知らず、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは詭弁であり、実質的護憲運動である。
憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・」という記述があるが、「平和を愛する」という感情と、現実的に平和を守るというのは違う次元だ。戦後のあらゆる不条理を検証せねばならない。
現在の日本国憲法は、表面上は新憲法の制定とはなってはいるが、ハーグ条約違反を躱す為に、建前上は日本人の手に因って大日本帝国憲法(欽定憲法)第七十三条の改正で創られたものとされている。
大日本帝国憲法第七十三条の条項は「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」となっている。
昭和21年11月3日の帝国議会に於いて、昭和天皇は「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」と日本国憲法を国民に下賜された。
これが示す通り日本人自身で制定されたこととなってはいるが、当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の高圧的な対応や様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相であり、現憲法が米国からの「押し付け憲法」と断じられるのはこういうことだ。
米国から押し付けられたものは憲法だけではない。戦後民主主義や新自由主義、現皇室典範や労働三法もそうだろう。戦後の平和や繁栄にしろ、ファッションや価値観に至るまで米国製である。我が国が喪失してしまった国家の大本を取り戻す上で、隘路を切り開くには米国製の現憲法を見直す以外には手は無い。
現憲法で得たものは、成否は別として「自由主義」「民主主義」「人権尊重」「平和主義」等であり、今日の基を築いたと言っても好いだろう。だが、逆に「礼節」「長幼の序」「忍耐」「我慢」「滅私奉公」「信義」「忠義」「孝養」「恥」等等、失ったものはそれ以上に多く、何より「天皇」を軽んじている。
失ってしまったものが現憲法の所為かどうかは分からないが、日本人はいつの間にか利己的なことを恥じない人間ばかりが殖え、自己犠牲の精神など皆無に等しくなったのは戦後民主主義教育後であるのは明らか。
己を犠牲にして他人に尽くすことこそ日本人足る所以であり美徳美風というものだが、今や心の中の高貴さを失い、高邁な知性の磨きを様を忘れ、目先の価値観と目先の欲望に溺れていることさえ気付くこともない。
「文化の日」である11月3日は、明治天皇の天長節であり、戦前は「明治節」として国民挙って奉祝した記念日であるこの日を選び、現憲法を公布させたということに米国の如何わしい意図が窺える。
占領統治時代にはこうしたことが幾度も実行されている。例えば、昭和21年に開廷された「東京裁判」で所謂「A級戦犯」28名が起訴されたのは、同年4月29日の「天長節(昭和天皇の誕生日)」だった。
そして、当時の皇太子殿下(上皇陛下)の誕生日である12月23日を選んで東条英機閣下以下7名の絞首刑が執行された。現憲法の発布を、明治天皇の誕生日という記念日を選んだという事実は、国民と天皇の繋がりを薄れさせ、日本人に対し贖罪意識を植え付ける為のものであることは言うを俟たない。
こうした事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が占領下に於いて如何に非情で無慈悲な、日本人矯正を実行したかが理解出来よう。東京裁判史観とヤルタポツダム体制の検証を急がねばならない。
保守派や愛国団体の中には11月3日を「明治の日」に制定しようとする運動も見られるし、本日は「明治節」として、明治神宮を参拝し、明治天皇の御遺徳を啓蒙するという行動も見受けられる。「明治節復活」は異論はないが、果して明治神宮がそれに相応しいかといえばまたそれもまた疑問である。
明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社である。然し、平成16年に明治神宮は突如として神社本庁から離脱し一宗教法人となった。
明治神宮側は神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に「『陛下』を『殿下』と誤記してしまった責任を取った」と離脱した理由を語っている。だが、それは詭弁であり、見苦しい言い訳に過ぎず、神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのが真相である。
明治神宮の宮司らは、「明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ」という創建あれた際の本分を忘れ、神社を私物化して、神社庁に属さなくても維持出来ると営利至上主義に奔っている証左であり、こうした明治神宮の現状は正に憂慮すべき事態である。保守派並びに愛国団体は明治神宮のこうした姿勢も糺すべきであろう。
ザ・右翼ジャーナル社々主 佐久間五郎
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメントやメッセージ、近況報告等は mr.cordial@live.jp まで御気軽にメールを寄せられたい。
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