「太りすぎです」
医者は厳かな表情でそう言った。一瞬「そんなもん医者じゃなくてもわかるわい」と突っ込もうと思ったが、場が凍ると後の展開がキツいので思いとどまった。ナイス判断。続く医者の言葉は「HbA1cの数値9.8は今すぐ入院してもおかしくないくらいです」。
ということで、忙しがって外食に頼っている場合じゃなくなった。仕方なく自炊である。そして炭水化物を、豆腐か厚揚げに置き換える生活が始まった。八宝菜みたいな野菜多めの餡かけや、出汁を利かせた鶏挽肉と菜の花の銀餡なんかを作って、焼いた厚揚げを焼きそばに見立てて餡かけにしたり、木綿豆腐をご飯代わりにした親子丼なんかを作って、日々過ごしている。
幸いなことに長い独居生活のおかげで、料理はそこそこできる。しかし、それゆえに自分の作る料理の味に飽きて、何か違う味のものが食いたくなるのだ。長年かけて染みついた手癖というか、自己流のやり方が何を作っても同じような味に落ち着く理由である。
そんな時は基本に戻るに限る。
レシピサイトのほとんどは、手間なしカンタンレシピみたいなヤツで、求めるものとどうも違う。クルマで言えば、サスペンションのアライメント出しみたいに、基準点を確認するためには、正しいプロの基本形が知りたい。ということで、少なくとも和食に限っては「白ごはん.com」を当てにしている。
ちょっと前に生姜焼きを作った時に思い知ったのだ。普通、生姜焼きごときでわざわざレシピは見ない。目分量でちゃっちゃっと作ったって普通に美味い。ある日敢えて白ごはんドットコムのレシピを見て、調味料を正確に計量して作ってみて驚いた。大さじ1杯ってこんなに多いのかとか、タマネギ1/2の指定を、残り半分をラップで包んで冷蔵庫にしまうのが面倒なばかりに、1個まるまる使っちゃうとどう仕上がりが異なるのかを実感した。発見の連続。出来上がった料理は確かにお店の味、求めていたぴしっと軸の通った味がそこにあったのだ。
豆腐の親子丼も頑張った。たった大さじ4杯の出汁のために、出汁昆布をキッチンペーパーで拭いて、少し水で戻してからハサミで注連縄(しめなわ)に付ける紙垂(しで)みたいに切って弱火で煮出し、味を見つつ、粘りが出ないうちに昆布を取り出して、今度は厚節を入れて弱火でしっかり出汁を取る。きっと市販の和風出汁の素で代用したって、そこそこ美味くはなるのだろうが、基準の味はそこにはない。
親子丼のレシピは、流石に冗長なので白ごはんドットコムで検索してもらいたい。ひとつだけサイトに載っていないことを説明すれば、豆腐をご飯代わりにするには水気をいかに抜くかだが、パックからバットに取り出して、ラップをかけずに冷蔵庫で一晩。食前にキッチンペーパーに包んで電子レンジで温めると完璧だ。
と、要するに自己流を見直したことと、そうやってできた美味いロカボ飯によって、医者の「食事と運動くらいで下がる数値ではない」という宣言をひっくり返し、2週間で9.0までは落とした。ちょっと気持ちいいが、まだあと3くらい落とさねばならず、ゴールはだいぶ遠い。精進あるのみである。
日本はいつの間に「化石賞」の国になったのか
今回は欧州の企み(たくらみ)を明らかにしていきたい。
例によって長い記事なので、結論を先に言うと「欧州の電気自動車(EV)戦略は、未来を見据えて考えられたものではなくて、打つ手が全て外れた結果、やむなく企んだものではないか」ということだ。
筆者は欧州政界や産業界にディープ・スロートがいる論者でもないし、野暮な日本スゴイデスネ論者でもない。自動車関連の公開されたファクトを、論理的に積み重ねていくと、どうもこれは「戦略」というより「企み」という言葉が似合うのではないか……と思った次第だ。ひとつの考え方としてご笑覧いただければと思う。
現在欧州各国政府は「地球環境の改善は待ったなし」と口を揃えて言う。そして2030年から40年あたりにかけて、ガソリンエンジン廃止を目標に据えている。揚げ句に日本に対しては、不名誉にも「化石賞」などという当てこすりをする始末である。
しかしながら、こんな風に感じている読者の方は多いのではないか。
「環境と言えば、米国のマスキー法とか、それに対応したホンダのCVCCとかで、ずいぶん昔から日本メーカーは大気汚染問題に取り組んできたはずじゃないのか、いつのまにこんな上から目線で欧州に叱られるようになっちまったんだ?」
これはその通りで、日米は1970年代から、大気汚染問題に積極的に向き合ってきた。日本の例を挙げれば、昭和51、53年(1976、78年)から、厳しい排ガス規制を国内に課してきたのだ。そうやって40年も前から日本が取り組んできた課題に、欧州は2000年代になって気がついた。
……信じられないって? この話が理解しにくいのは、自動車の「排気ガス(排ガス)」にまつわる問題が大別して2種類あるからだ。
大気汚染に早くから向き合ってきた日本
ひとつは大気汚染、公害を生む有毒排気ガス問題。
もうひとつは地球温暖化を呼ぶといわれている温室効果ガス(温暖化ガス)問題(温室効果ガスではフロンが先にやり玉に挙げられたが、現在の注目はCO2である)。
1970年代から日米が取り組んでいたのは公害、つまり主にNOx(窒素酸化物)の削減である。当時、焦点が当てられた公害の要素は主に3つあり、CO(一酸化炭素)とHC(炭化水素)とNOxだった。ちなみにNOxの末尾のxは「数が未定」ということを表しており、つまり窒素とx個の酸素分子が化合したものを言う。
さてこのうち、COとHCの削減は技術的にさほど難しくない。要するに燃料に含まれるC(炭素)とH(水素)に対して酸素が十分にあれば、COはCO2(二酸化炭素)に、2HCはH2O(水)とCO2になって無害化する。燃料に対する酸素の比率が上がればいいわけだから、そのためには混合気(燃料と空気の混合気体)を薄くすれば良い。燃やす燃料が減るからパワーは諦めねばならないが、理屈は簡単だ(ここは細かいことを言い出すともっと色々あるのだが、ざっくりと言えばおおよそこういうことだ)。
ところが、そこにトレードオフが発生する。混合気を精密にコントロールできないと、酸素不足が一変、酸素過多になる。その場合、余った酸素は、燃焼の熱エネルギーを受けて、そのエネルギー余剰を解決するため何かと化合したがるのだ。
あぶれた酸素は、本来安定的な窒素と化合して、通常自然にはあまりないNOxが発生する。そういうメカニズムになっている。そのNOxは太陽光で光化学スモッグに変質する。これが喘息などを引き起こして問題化していたわけだ。
酸素が足りなければCOとHC、余ればNOxという具合で、どちらに転んでもいけないところが、なかなか悩ましい。日本ではこの問題を酸化還元触媒と排気ガス中の残留酸素を測定するO2センサーのフィードバック制御という技術で克服し、1980年代には後顧の憂いなく、精密混合気を燃焼室にバンバン送り込んで高出力エンジンに仕立て、パワー競争に突入していったのである。
京都議定書でCO2が「主役」に
しかし、この潮目が1990年代に徐々に変わり始める。
国連傘下にある「気候変動枠組条約締約国会議」が、「地球温暖化」を解決するために組織され、突如CO2をクローズアップし始めたのだ。このCO2削減については、1997年に初めて具体的規制案が盛り込まれた「京都議定書」が採択された。
しかしながら、日本では、早くから工場設備などに対して徹底して公害問題に取り組んで来た結果、すでにCO2を含むあらゆる排出ガスの大幅な削減を実現していた。
欧州の運動で、削減目標の基準年は1990年となった。それまで出し放題にCO2を排出して来た欧州は、簡単に1990年比マイナス6%の目標を達成したが、すでに計量時のボクサー並みに環境対策を進めてきた日本にはもうそれだけの削減余力がない。これにより日本は莫大なクレジット(罰金)を買い取らされることになったのである。
京都議定書を今振り返ると、日本が環境問題について技術的には遙かに先行していたにもかかわらず、それに応じた基準、例えば人口当たりCO2排出量などの公平なルール交渉をまとめられず、欧州側に押し切られて全世界一律の削減率を認めさせられたことがわかる。しかも、こともあろうに自らがホスト国である京都会議で提案させられるハメになった。言ってみれば技術ではなく政治の敗北である。
さて自動車だ。早くから排ガス問題に取り組んで来た日米両国に対し、欧州は「有毒ガスよりCO2を削減すべし」という立場であった。筆者にしてみれば「20年も無策だったわりには、ずいぶん上からな言いぐさだな」と感じたのが正直な感想である。
そのCO2削減についての、欧州の切り札がディーゼルエンジンだった。
ディーゼルは確かにCO2の排出量がガソリンエンジンより少ない。が、NOxとPM(粒子状物質、要するに煤)ではガソリンエンジンよりもずっと劣等生である。
ディーゼル車乗り入れ禁止は「欧州のNOx規制が緩かった」から
温暖化対策としてディーゼル車が大量に走り回るようになった結果、2013年ごろから、パリやロンドンといった大都市の大気汚染が酷いことになった。光化学スモッグである。最悪の時期にはエッフェル塔の頂上が見えないほどだとちょっとした騒ぎになり、当時の外紙がその異様な風景を伝えている。
都市圏として世界最大の人口を持つ過密都市・東京では、ディーゼルエンジン搭載のトラックが多数走り回っているが、空気は諸外国に比べて圧倒的にキレイだ。これは1970年代からのNOx規制に加えて、石原慎太郎東京都知事時代にPMの厳しい規制を施行したことが大きい。要するに先んじてちゃんと規制をしてきたからで、やるべきことをちっともやってこなかった欧州との差がここに出た(1999年に「ディーゼル車NO作戦」がスタートし、規制は2003年10月から実施)。
日米欧のディーゼル乗用車の排出ガス規制の推移(図は環境省の資料より転載、オリジナルは
こちら)
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欧州は自らの不作為をカバーせざるを得なくなり、やむなくEURO6規制(2014年9月~)で、ようやく日米並みのNOxとPMの規制を追加したのだが、元よりそれだけの技術を積み上げて来なかった欧州の一部の自動車メーカーは、急激な規制強化(NOxで6割減)に追いつけなかった。
そこで、不正なプログラムで測定結果を誤魔化した。これが、2015年に明るみに出たフォルクスワーゲン(VW)のディーゼルゲート事件である。NOxとPMをまき散らし、内燃機関全体の大幅なイメージダウンを引き起こした。
ディーゼルゲートでEVが緊急登板?
「欧州では、大都市への内燃機関の乗り入れ規制が始まった」と聞くと、たいへん先進的、前向きな取り組み、というイメージになると思う。
しかし「都市部で使うと光化学スモッグを起こすような内燃機関を未だに使っているので、乗り入れを規制する」というのが、筆者に言わせればより実態に近い。「日本が1970年代に解決済みの光化学スモッグ問題が、今頃深刻化しているのか、なんと時代遅れな」としか思えない。
規制すべきところをゆるゆるにしていたEURO5(2009年導入)までのディーゼルエンジンと、不正プログラム搭載のEURO6対応ゴマカしエンジンの結果を見て、内燃機関全般にアレルギー反応を起こす。かようなことはわが国では「羮に懲りて膾を吹く」と言う。科学的に、原因を特定して手持ちの技術で排除すればいい話を、ヒステリックに「もう全部禁止です!」と叫んでいるにすぎない。
欧州は環境意識が進んでいるのではなく、日本より40年も遅れているのではないか、と考えてしまう。
ということで頼みの綱だったディーゼルを、自らの不正でお家断絶状態に追い込み、困り果てた欧州は、本当はハイブリッド車(HV)に進みたかったのだが、こっちはトヨタの特許で身動きが取れない。やむを得ず、育成段階にある次のエースを緊急登板させた。それがEVだ。
ここまでの歴史を振り返ってみれば、欧州の「そこまで言うか?」と思うほどのEVシフト(と、諸外国へのアピール)は、時系列で考えると、迷走を重ねた欧州が行き着いた先、と見たほうが正しいのでは、と思う。
CAFE規制とムービングゴールポスト
この問題の重要なポイントに、欧州が定めたCAFE(企業別平均燃費基準)というのがある。パリ協定と連携して定められたこの規制は、メーカー毎の規制地域内販売実績に対し、年を追って段階的に平均CO2排出量規制を強化していこうというものだ。
言ってみればクラスの平均点で罰金を設けるような制度である。これがCO2問題に対し、欧州全体がオフィシャルに定めたルールであり、だからこそこれを基準に日本のメーカーは開発を計画し、進めてきた。
いまさら全欧州基準であるCAFEをないがしろにして、EU各国がばらばらな独自ルールを決めて「わが国では●●年以降はEV以外認めない」などと言い出すのは、明らかなムービングゴールポストであり、信義に反する。そもそも地球温暖化という問題に対して取るべきアプローチはあくまでもCO2の削減であって、それに対応するためにどういうシステムを構築するかは手段でしかない。目的と手段がすり替わると、大抵敗因につながるのが世の倣いである。
連載の第1回「菅総理の『電動車100%』をファクトベースで考える」で、CAFEに対応するアプローチは2つあって、環境的に100点満点(制度上の見なし数値。これは計算方法がLCA=ライフサイクルアセスメントになれば通じない)のEVを主軸とする、VWが代表するやり方と、満点は取れないが平均点を超えるHVを主軸とするトヨタのやり方がある、という話をした。
現状ルールでは、EVはCO2排出量ゼロで、対するHVは良くて1キロ走行あたり70グラムを切るくらい。普通に考えれば満点のEVのほうが優秀だが、補助金付きでも売れない。満点戦術でEVを作ったVWは約130億円の罰金を支払い、まさに手段を目的に先行させた結果となった。
一方、トヨタは満点こそ取れないものの、2020年規制では平均点以上のHVを主要マーケットで販売台数の4割から5割も売ってCAFE規制をクリア、「この成績なら、台数が出ないスポーツモデルが足を引っ張っても平均値に影響なし」とばかりに、涼しい顔でスープラやヤリスGR4などのスポーツモデルをリリースする余裕っぷり。
ここで欧州が何に失敗したかをもうすこし俯瞰的に見ると、パリ協定の2030年目標と2050年目標をごっちゃにしているところに原因があったのではないか。
2030年目標は「CO2のトータル排出量を概ね半減させること」が目標であり、求められるのは半減までの速度感である。対して2050年目標は「CO2排出量を限りなくゼロに近づけること」にある。HVでは2050年目標には到達できないだろうが、EVでは2030年目標には間に合わない。その区別と技術の使い分けができてないのだ。
トヨタは冷徹にそろばんをはじく
世界中のメーカーは数年前にはこの勝負の行方はわかっていた。それはそうだ。販売状況が見えてくれば、誰でもわかる話である。その結果、各国のメーカーが水面下でトヨタに「HV技術を売ってくれ」と交渉を始めたのだ。トヨタの幹部に聞いたところによれば、こうした問い合わせがあまりにも多いため、トヨタは2019年4月に、HVの特許を無償公開するとともに、HVのシステム外販部門を設立し、500人の専属エンジニアを配置した。
トヨタのHVシステムをエンジンごと提供するなら話は早いのだが、各社にもプライドがあり、自社製エンジンとトヨタのHVシステムを組み合わせたいと言う。エンジンとモーターシステムの摺り合わせ開発は片手間でできる業務ではないので専属部署を作ったのだ。
当時、「すでに5年先までの仕事は予約で埋まっており、売り上げ規模は1000億円」と件の幹部は予測していた。「この仕事は儲かるわけじゃないです。しかしトヨタのシェアは世界中でせいぜい11%とか12%くらいしかないんです(世界シェアをそれだけ取っておいての言いぐさに筆者は吹いた)。地球環境を早急に改善するには残る80何パーセントの人達にも一緒に頑張ってもらわないといけない。だからわれわれは世界中の自動車メーカーの平均点引き上げ(CO2的には引き下げ)に協力しなくてはならない、と思うのです」と言う。
ちなみに、この「開発仕事」をトヨタは世界中のエンジニアリング会社に外注化するつもりでいる。トヨタが例に挙げたわけではないが、IAVとか、リカルドとかAVLとかマグナとかそういうエンジニアリング会社は世界中に沢山あって、各メーカーから様々な開発仕事を請け負っている。彼らにエンジンとハイブリッドシステムの摺り合わせ技術を伝授すれば、対応に速度感を求められる中、トヨタが請け負い切れない仕事は彼らが進めてくれるという寸法だ。
もちろんトヨタは慈善事業はしない。最低限の利益は部品収益や開発請負から得ると言うが、その事業を拡大したいほど儲かるわけではないのは、エンジニアリング会社に業務を振ろうとしている話からも想像できるだろう。
余談が長くなった。
それにしても、なんぼなんでも欧州がそんな愚策を連発するなんて、と思うかもしれない。欧州は環境・安全技術のトレンドセッターだ、と感じている読者の方も多いはずだ。
欧州が提示した新技術とその後
ではここで、もう一度歴史を振り返ろう。テーマは「欧州が提示した新技術とその後」である。
●燃料電池
1990年ごろ、欧州は「次世代の自動車の動力源は燃料電池」と豪語していた。ダイムラーベンツは1993年のフランクフルトモーターショーでヴィジョンA93を発表し、床下に燃料電池スタックを収める革新的なパッケージについてアナウンスした。後の1997年に、Aクラスとしてデビューしたこのクルマは、数年以内に燃料電池を搭載した世界初の燃料電池車(FCV)となる予定だった。
同じ1997年にデビューした世界初のHV、トヨタ・プリウスは、「次世代は燃料電池に決まっているのに何をいまさらそんなつなぎの技術に大金を投じているのだ」と欧州から散々バカにされた。それは昨今のEV出遅れ論と鏡に映したように酷似している。しかし待てど暮らせど「決まっている」はずのAクラスはおろかどこのメーカーからもFCVは登場せず、ついに話は立ち消えになった。そして2014年に、なんとトヨタが、世界初の量販FCVとしてMIRAIを発売した。これが史実である。
●オフセットクラッシュ
1980年代からの日本車の快進撃に危機感を募らせたドイツは、「ドイツ車の安全性」をアピールすべく、官・民・メディアが三位一体となって、新しい仕掛けを作った。それが「オフセットクラッシュ」だ。
オフセットクラッシュとは、クルマの事故の多くが完全に真正面からぶつかる正面衝突ではなく、車体幅の半分ずつズレた衝突、つまりオフセットが付いた衝突であることが多い、とすることから導き出された新しい安全の概念である。
構造的に見れば、ボディの片側だけで巨大な衝突エネルギーを吸収しなければならないだけに、正面衝突より難しい課題だ。ドイツは1990年に突如この実験方法を主張して、日本車を含む世界各国のクルマを集めて実際にオフセットクラッシュテストを行い、自動車専門誌「アウト・モトール・ウント・シュポルト」誌がこれを報じた。
常識的に考えて、それだけの実験を行う設備を借り、多くのクルマを破壊する実験が一雑誌の予算でできるはずもなく、ドイツの自動車メーカーと監督官庁、それにメディアが協力して行った日本車のイメージダウンのためのキャンペーンであった、と筆者は考えている。
衝突安全試験というのは通常、予め試験項目が明らかになっていて、その測定方法で安全が確認されるもので、設計時に想定していないどんなぶつかり方でも安全なクルマなど存在しない。例えば鉄パイプを積載したトラックに乗用車が追突して、ちょうどフロントガラスが鉄パイプに当たるというような衝突を想定したら、パスできる市販車はこの世に存在しないだろう(フロントウィンドー部に頑丈な装甲を与えて、前方視野はカメラとモニターで構築するくらいのドラスティックな手段を取らなければ、そんな基準はパスできない)。オフセットクラッシュは当時としてはそれと同じ、突然持ち出された新しいテスト方法だったわけだ。
しかし、これが意外な結末を迎える。当時の未熟な衝突安全技術では、ドライバーとステアリング、あるいは内装材などとの距離を取らないと、ドライバーの身体がそれらとぶつかり、安全が確保できなかった。その結果、それまでドイツ車が大事にしてきたドライビングポジションが一部のモデルで崩壊したのである。
「ドイツ車は安全性が高い」という評判を作ることには確かに成功したが、同時に大事なものを失ったという意味で、ブランド価値的には果たして成功だったのかどうか疑わしい。
後日談を書けば、この衝撃的なトラップに気付いた世界中の国々は早急にオフセットクラッシュテストを安全基準に取り入れた。日本も1993年にはこの安全基準を策定し、数年でキャッチアップに成功した。ドイツがこの分野でリードできた期間はごくわずかだった。
●ディーゼルエンジン
ディーゼルエンジンについては、すでに行数を割いて書いてきた通りなので、項目を挙げるにとどめたい。
●ディゾット
ディゾットはダイムラー・クライスラー(当時)が2000年代初頭に提唱した新しいエンジンだ。ディーゼルエンジンとオットーサイクルエンジン(通常のガソリンエンジン)の良いとこ取りをしたシステムで、日本語では予混合圧縮着火、別名HCCIともいわれる。ここで「ん?」と思った方は、マツダファンだろう(笑)。
従来のオットーサイクルでは不可能なほど薄い混合気を燃やすことができるため、CO2排出で有利になる。しかしこの技術も結局日の目を見ることがなかった。そして結果的に実用化まで持ち込んだのはマツダで、現在それはSKYACTIV-Xとして市販されている。
●ダウンサイジングターボ
ダウンサイジングターボは、VWなどが中心になって提唱した新技術であり、排気量とシリンダー数を削減したエンジンに過給して、低速回転で高トルクを発生させることを主眼としている。
エンジンの仕事量とは詰まるところトルク×回転数だが、回転数を上げると、様々なロスが生じる。これを回避するためには使用回転数を低く抑えて、「積」が同等になるようにトルクを上げれば良い。これこそが画期的なCO2抑制策だと喧伝されたのだが、大きな欠点がひとつあった。このエンジンは高回転まで回すと、CO2排出が激増するのである。
ところが、ここでエンジンのテスト方法にワールドワイドな統一規格が策定される。それがWLTPであり、日本の法規上使えない超高速域をカットした基準が日本式のWLTCである。この新規格では、従来と桁違いの高負荷加速がテストモードに組み入れられ、高回転を避けて通れなくなった。その結果、ダウンサイジングターボの苦手な領域が露わになってしまった。こうして、新時代の技術であったはずのダウンサイジングターボは一時の勢いを失い、どうも廃れていく気配である。
まるでブラック魔王じゃないか
そしてとどめが、2020年のCAFE規制を余裕でクリアしたのはEV専門メーカーを除けば、トヨタ1社だった、という現実である。「世界の環境を善導すべく決めたオフィシャルな規制」を、言い出した側のはずの欧州メーカーがクリアできないのではとの噂が絶えなかった。最終的には排出権の購入などでほとんどがクリアするのだが、VWは達成できなかった。
こうして史実を振り返ると、ドイツを中心にした欧州は、1990年から30年にわたり「次の自動車の主要技術はこれである」と豪語し、時にそれは、競合である日本を“罠に嵌めよう”としてきたことが描き出されてくる。
そして、それは「えっ、そんなことに気がつかなかったのか?」と言いたくなるような理由で、次々と自らを窮地に追い込んでいる。
自分で仕掛けた罠に自分が嵌まっているケースの多さに、筆者は「チキチキマシン猛レース」のブラック魔王を思い出してしまう。悪だくみをしては自分が酷い目に遭って、ケンケンに笑われるというオチだ。
そして今、欧州は「次はEVの時代だ」と言っている。まあこれまでパーフェクトに外してきた人が今回こそ予想を当てることもあるかもしれないが、どうなのだろうか。
安全、エネルギー源、環境対策と、欧州は「逆らいようのない価値のある目標」を設定することが実にうまい。それを利用して規制を作ったり雰囲気を醸成し、先行するライバルに追いつき追い越そうとする戦術も、国際競争としては「あり」だろう。
それは認めた上で、真面目に折れずに開発を続け、結局欧州が諦めた燃料電池やディゾットの技術をものにしてきた日本のエンジニアたちに、筆者は心から敬意を捧げたい。翻って、まんまとしてやられる日本政府には一言言いたいし、妙な法律を作って敵に塩を送らないことを切に祈る。
ブレ始めた欧州のEV戦略
その欧州がなぜ自縄自縛に陥るのか、EUの様な複合体の場合、関連する国、メーカーが多岐にわたり、しかも「EU」としての共同歩調も求められるだけに、せっかく企みを巡らしても、とんでもないところでツメが甘くなるのかもしれない。
すでにEVに対する欧州の政策はだいぶブレ始めている気がする。EV化が進んだとして、原価の4割はバッテリーであり、そのバッテリーの供給元は最有力が中国、次点が韓国、生産余力が限られているものの、それに加えるとすれば日本である。しかも寡占が進んでいる上に需給が締まっているので、売り手市場。それでは欧州の自動車メーカーはやられ役にしかならない。いくらEVの旗を振っても、儲けは中国に持っていかれてしまう。
それに気付いた欧州は、バッテリーの域内生産に舵を切った。
水力発電を中心に電源構成がキレイなスウェーデンにバッテリー生産会社「ノースボルト」を設立し、ここから、欧州域内の自動車メーカーに供給する作戦である。
前回も書いたが、噂されている通り、LCAとカーボンプライシングがセットで施行されることになれば、電力消費の大きいバッテリー生産は、カーボンプライシングによる実質的な関税で非常に不利になる可能性が高い。それを回避するためには電源のクリーンな国でバッテリーを作るしかないし、現状で電力があまりクリーンでない中国や韓国のバッテリーを締め出すことができる。という意味で、その作戦はよくわかる。
しかし2021年3月15日にフォルクスワーゲンが発表した欧州バッテリー製造計画では、最初に稼働すると発表されたノースボルトのバッテリー工場は、スウェーデンだけでなく、ドイツにも建設される。常識的に考えて、これはEV化に向けた産業構造の大転換に際して、ドイツでの雇用が大幅に失われることへの対策だろう。しかし、ドイツはEUの中では決して電源がクリーンな国ではない。スウェーデンの電源は非化石電源がほぼ100%。対するドイツは半分に届かない。
これではLCAとカーボンプライシングへの対策にはならない。例えばドイツで生産されるEVは全て国内販売用とするならまああるかもしれない。しかし計画されているのはEUで計6カ所の工場だ。現状で明らかにされているのは、フランスか、スペイン、ポルトガルのどれかに1カ所、東欧に1カ所だが、9割が非化石燃料による発電のフランスは良いとして、スペインもポルトガルもドイツ並みでしかない。恐らくEUの各国が電池生産を勝ち取るために猛烈なアピールを繰り広げているのだろう。
もともと、スペインとポルトガルは欧州内部で長らく工場の役割を果たしてきた国だ。安い労働力で物作りを得意としてきた。しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊してから、労働力と地価がさらに安い東欧があらたに欧州の工場として台頭し、以後相対的な地位と、国単位での経済力を下落させてきた。両国にとっては、散々工場として便利に使ってきたくせに、東欧へとシフトし、さらに中国へとシフトし、次は北欧だと言われれば反発も起きる。ブレグジット後のEUに取って、これ以上の離脱の動きはとても不味い。ということで、バッテリー戦略の合理性とEU内部の政治的な駆け引きがどうやら対立を起こしている……ように見えるのだ。
さて、一口に「EV化」と言っても、極めて複雑で多様な問題が組み合わさっていることがご理解いただけたと思う。こういう状態をイメージ先行で、例えば「環境問題で世界をリードする欧州」という視点だけで理解しようとするのは、「電子レンジで簡単調理」みたいなもの。細かい手順を省いてわかり易くしてしまうと、本質を見誤る。簡単にできることは簡単にして理解すれば良いが、複雑なままでしか理解できないこともあるのだ。
CO2削減とはそもそもどこから来た話か? EVを作ると誰がどう儲かるのか? 原点に立ち返り、面倒でも基本をひとつずつ掘り下げていくと、自分が今まで持っていたイメージとはちょっと違うものが見えてくる。料理と同じく、基本的なことをおろそかにはできないのだなと思う。
■訂正履歴
記事掲載当初、本文中で事実確認が不十分な点がございました。「そしてとどめが、2020年のCAFE規制をクリアしたのはEV専門メーカーを除けば、トヨタ1社だけ、という現実である。『世界の環境を善導すべく決めたオフィシャルな規制』を、言い出した側のはずの欧州メーカーは1社もクリアできず、メンツ丸潰れの結果になった。」としていましたが、こちらを「そしてとどめが、2020年のCAFE規制を余裕でクリアしたのはEV専門メーカーを除けば、トヨタ1社だった、という現実である。『世界の環境を善導すべく決めたオフィシャルな規制』を、言い出した側のはずの欧州メーカーがクリアできないのではとの噂が絶えなかった。最終的には排出権の購入などでクリアするのだが、VWは達成できなかった。」に、「VWは1000億円を超える巨額の罰金に沈み、」を「VWは約130億円の罰金を支払い、」に、お詫びして訂正します。本文は修正済みです [2021/03/26 09:00]
この記事はシリーズ「池田直渡の ファクト・シンク・ホープ」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
106件のコメント
護民官ペトロニウス
猫
その昔、ドイツの国民車な会社の車を乗っていた頃のお話。
ディーラー(トヨタ系)の営業にいつ本邦にディーゼルエンジンを搭載した国民車が投入されるんですかねーと聞いたら、困った顔をしていた。
後にドイツの国民車な会社のディーゼルエンジンの排ガス
不正が判明。...続きを読むもしかしたらトヨタは・・・。
春
NHKや日本のマスコミはドイツから賄賂をもらって、EV電気自動車推しをやっているのか?と疑います。
当のドイツ与党議員がマスク企業から賄賂を受け取ったように。
basementape
我が国の政府は、議員も官僚も自分たちでルールをつくるとか、世界を(都合良く)コントロールしようという気はないのでしょうね。他人が決めたルールに従う方が気楽だし、そもそもルールに従わなくちゃならないのはどうせ『民間』だし...
今日もデパート
では「コロナ対策のためマスクして離れてください」「温暖化対策のため空調を効かなくしてます」の放送がひっきりなし。その一方で厚労省の人達は夜遅くまで宴会してたらしいし。
...続きを読むそれでもEUの新たなルール真っ先にクリアしてゆくのは日本のメーカーでしょう。
そのために政府に出来ることは、CO2的にクリーンな原発を全部国営にしてでも安全に(安心なんて薄っぺらな宣伝文句は要りません)稼働させることですよ。それくらいやってください。
J.B.C.
【電池から電池をつくる EV普及、リチウム争奪戦に先手】
日経新聞(2021年4月3日)
電池から電池をつくる試みが静かに始まった。大地に眠る様々な元素からつくりあげた電池を再び元に戻し、電池に仕上げる。各国が電気自動車(EV)の普及に力を
入れ、元素争奪戦への焦りが背景にある。人類が初めて電池を手にしたのは1800年ごろ。リチウムイオン電池は現代のデジタル社会を支えるまでになった。電池の誕生から200年以上がたち、役目を終えた電池が新たな資源として重要な意味をもつ時代が訪れようとしている。
...続きを読む最初の焼き加減が肝心だ――。DOWAホールディングス傘下でリサイクル事業を担うDOWAエコシステム(東京・千代田)に集まるのは、EVや家庭用の蓄電池、スマートフォンなどに使ったリチウムイオン電池だ。これを丸ごとセ氏700度以上で焼く。電解液が蒸発し、感電の危険がなくなる。
単なる焼却処分ではない。希少な資源が詰まる電池から、リチウムやコバルトを取り出す。同社環境技術研究所の本間善弘副所長は「理論上は使用済みの電池から新しい電池を生み出せる」と話す。
温暖化ガス排出量を実質ゼロにする取り組みは、覚悟とともに変化への焦燥感を抱かせる。その一つがEVの大量導入に伴う資源不足だ。
動力源となる様々なリチウムイオン電池はリチウムやコバルト、ニッケル、マンガンを含む。石油天然ガス・金属鉱物資源機構によると、リチウムの埋蔵量は世界で1400万トン。国別ではチリ(約60%)などに偏る。生産量(2018年)は世界で8.5万トンにとどまる。
EVが使うリチウムは19年には1.7万トンだったとみられるが、世界でEVの新車販売が2000万台を超えるとされる30年には、必要量が10倍以上に達すると国際エネルギー機関(IEA)は分析する。コバルトも19年の1.9万トンから30年には10倍近くに需要が増える。
埋蔵量では「十分足りる」計算だが、すぐに採掘できるとは限らない。一時的とはいえ争奪戦が起きるという心理が焦りを呼ぶ。バイデン米大統領は電池や重要な鉱物などの安定確保に乗り出した。
J.B.C.
読者の端くれ様
ご返信ありがとうございます!
>電池の再生もそうなる可能性はあると思います。
全くご指摘の通りだと思います!
記事中の
>コストを考えると「元の金属に完全に戻すのが正解とは限らない」(本間副所長)。発想を変えて、混ざり
物があっても電気をためられるような新しい電池も必要になる。
...続きを読むこれが本当に実現可能かどうか?
が試金石ではないでしょうか?w
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