飯塚事件
飯塚事件(いいづかじけん)とは、1992年に福岡県飯塚市で女児2人が殺害された事件である。犯人の久間三千年には死刑が執行されたが、その後冤罪を誘導する偏向・捏造報道によって、遺族感情は逆撫でされ、証人(特にTさん)や捜査・司法関係者は大迷惑を被っている。
最近は判決全文がWikisourceで読めるようになったことで、冤罪ではないことや偏向・捏造報道が明らかになってはいるが、未だに報道を基に冤罪であると信じている人も多く、死刑廃止論者に都合良く利用されている。本記事では関係者の名誉のためにも、いかにこれらの報道がひどいかを紹介する。
以下、報道内容を引用する場合は緑色、判決文を引用する場合は茶色にする。
目次
「ザ・スクープスペシャル」(テレビ朝日、2009年8月9日)[編集]
自白がないことをやたら強調[編集]
- 司会者の鳥越俊太郎もナレーションも字幕も、「一度たりとも自白をしませんでした」「66日間の取り調べ 自白なし」というのをやたらと強調
→実際に冤罪が認められた事件は、捜査段階での自白が問題となるものばかりで、いつもは強引な自白の存在を冤罪と結びつけているのに、なんたる背理であろうか。罪を認めたら死刑は間違いない事案で、犯人が頑なに自白しないというのは別に何らおかしくない。これが通用するなら、往生際の悪い犯人だけが得をすることになる。
DNAが決め手というウソ[編集]
- ナレーション「DNAが逮捕の決め手」
→捏造。実際はDNA型が一致するという結果が出ても逮捕には踏み切れておらず(日経新聞1994年9月24日)、女児の衣服に遺された繊維が久間の自動車のものと一致したことをもって逮捕になった(毎日新聞1994年9月24日)というのが真相。
実際は何も怪しくない目撃証言と隠されたJさんの存在[編集]
- 遺留品発見現場の自動車の目撃情報について、「目撃者が警察に証言したのは事件から17日も経ってから」(字幕では17を大きく強調)
→この目撃者(Tさん)は、事件の翌日に遺体発見のニュースを聞いて、職場で同僚Jさんに対して前日その付近で不審な車を見たということを話題にしており、さらに翌日も話題にしていた。そしてこの同僚Jさんは、裁判で出廷して、そのときにTさんから聞いた車の特徴(紺色ダブルタイヤのワゴン)とTさんが裁判で証言した車の特徴は同じである、と証言した。そのことは、第2審判決で触れられており、そして何よりJさんの証言は、Tさんの目撃証言の信憑性を検証するにあたって真っ先に言及すべき重要な証拠であるにもかかわらず、この番組では一切触れず(もっとも、この後に続く冤罪誘導報道もJさんの存在に一切触れない。よほど触れられたくない証拠なんだろう)。
- 目的を知らされていない鳥越に実際に現場の山道を走ってもらい、何か覚えていないかと鳥越に聞いて、Tさんほど詳細に目撃証言ができないことを検証。
→Tさんはそのときは職場の乗り慣れた車であり、この場所に土地勘があって何度も走行しており、森林組合職員であるから山道の専門といってよい。それに対して鳥越は、「紺色、ブルーというか紺色のボックス型のワンボックスカーです」「その車の向こう側に人影が見えました」「人は茶系統のベストみたいなものをシャツの上から着てるのは見えました」と、おそらく初めて乗る自動車で全く土地勘のない初めて通る道の割にはかなり詳しい目撃証言ができている。自動車に乗り慣れている点や土地勘の有る点や対向車の少ない冬(鳥越の取材は夏と見られる)という点を差し引いていけば、この鳥越の証言は結局Tさんのような目撃証言ができることを裏付けているのではないだろうか。
- 実際に厳島行雄日本大学教授(心理学)が2000年に実施した被験者45人の実験ではTさんのような詳細な証言はできなかったことと、鳥越の運転する車載カメラでもダブルタイヤに気付きにくかったことを紹介。
→この2000年に実施した実験結果は、確定判決(第2審、2001年)でも触れられており、判決では対向車の数が全然違うことやダブルタイヤに気付きにくい条件でなされていた点を指摘されてこの実験結果は採用されなかったが、この番組では全く触れず。
- 「詳細な目撃情報の真相に迫った」として、長野智子がTさんの自宅に直接取材に行ったが、Tさんは「話したくない」として取材を拒否。
→ただでさえ警察の事情聴取に応じて面通しとか多大な労力をかけて捜査に協力し、なおかつ裁判では第1審と第2審の双方で証人として出廷する羽目になるなど、たいへんな負担をかけてきたにもかかわらず、19年前のことについて自宅にまでメディア(しかも自分の証言があたかも間違っていて人殺し扱いにすることが予想されるメディア)が自宅に押しかけてきたら断るのは当たり前。
→Tさんの目撃証言は遺留品発見現場の横だが、誘拐現場でも同じ車が2名によって目撃されている。しかし、この番組では一切触れず。この目撃証言をしたWさんは、「ダブルタイヤで人気があった車なので、車種を覚えていた。午前8時半に知人と通学路で待ち合わせしており、日付も時間も間違いない」[1]と述べているのに、なぜこちらも取材しないのだろうか。
何も問題ない血液型[編集]
- A型とB型のうちB型の凝集反応が強かったことから、科警研が「おそらくB型」と判断したことに対して、「『おそらくB型』という判断は科学的には明らかな間違いです」「被害者がA型ですからB型とAB型の人が犯人あるいは関係者として残る」という日本大学押田茂實教授の見解を紹介
→仮に押田教授の意見を採用したとしても、犯人は「B型又はAB型」で久間はB型なのだから何ら矛盾していない。
久間のDNA型を再鑑定した結果は…[編集]
- 久間の遺された毛髪等からDNA型を再鑑定し、当時のマーカーでは16-26型ならば新たなマーカーでは18-29型になるはずで、もし違っていたら犯人ではない可能性が濃厚と説明し、鳥越曰く、「すでに具体的な数字が出てきているが、弁護団がまだ出さないでくれと言ってくれから出さない。しかし、私が見たところによると久間さんは真犯人ではないという可能性が非常に強まった」、長野智子曰く、「テレビ朝日としても最終的な鑑定結果が出ていない現段階で途中経過を報じることは適切ではないと判断した」。
→その後、最終的な結果が出たはずなのに、その結果は全く触れられていないし、再審請求でもこの再鑑定の結果は全く言及されていない(やっぱり久間の再鑑定でも一致したんじゃないの?鳥越はいったいどのような数字を見て真犯人ではないという可能性が非常に強まったと述べたのか)。
- ナレーション「久間さん、菅家さん、2人の人生を狂わせた当時のDNA鑑定」
→なぜ久間が冤罪であることが既成事実になっているの?やはり、冤罪だという既成事実を先に創作してから取材・報道しているわけだ。
死刑のスピード執行というウソ[編集]
- ナレーション「ここ数年の平均では死刑確定から6年 久間さんは2年でスピード執行」
→ここ数年っていつから???yourpediaに書かれているように、この頃は2年で執行は普通だった(しかも、この番組の放送のときはまさにその傾向が続いていた)し、久間と同日に執行された高塩は確定後01年10月での執行だった。
何も問題ない判決を下した裁判官なのに[編集]
- 鳥越は、根底として判決が問題として、わざわざ1審から最高裁まで判決を下した裁判官計11人の氏名をフリップで示す。
→そもそも、この番組では、被害者衣服に付着していた繊維片が久間の車のシートと同じだったことはおろか、犯人の陰茎出血と久間の亀頭包皮炎という病状が一致したことも、車内から大量の人尿痕が発見されて久間がその理由を説明できなかったことも、誘拐現場での久間の車と一致する目撃証言も、車内の血痕のTH01型・PM型鑑定が被害者のものと一致したことも、全く報道していないのに、何が判決が問題だ。報道の方がよっぽど問題である。こんな偏向報道をした最後に実名を出せば、騙された視聴者がこれらの裁判官に要らぬ不信感を抱いたり、場合によっては嫌がらせもするかもしれない。裁判官大迷惑。
NNNドキュメント'13「死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”」(日本テレビ、2013年7月28日)[編集]
この番組でも、逮捕の決め手になった繊維片はおろか、犯人の陰茎出血と久間の亀頭包皮炎という病状が一致したことも、車内から大量の人尿痕が発見されて久間がその理由を説明できなかったことも、誘拐現場での久間の車と一致する目撃証言も、車内の血痕のTH01型・PM型鑑定が被害者のものと一致したことも、全く報道していない[2]。なお、同じ内容が日本テレビ「NEWS ZERO」2013年4月11日放送、日本テレビ「news every」2013年4月13日放送でもニュースの特集として流されており、ずいぶんの熱の入れようであるにもかかわらず、どれも都合の悪いことは報道していない。
ミスリーディングな「一貫して」[編集]
- 久間は「一貫して無実を主張」
→一貫していたのは犯行の否認にすぎず、久間は有罪の根拠となり得る自身のアリバイや病状に関して、主張をコロコロ変えており、久間の主張する根拠はまったくもって一貫していない。鳥越番組と同様、これが通用するなら往生際の悪い犯人が得をしてしまう。
何も問題ない目撃証言と問題だらけの厳島実験・論文[編集]
- 「弁護団はT氏の目撃証言は信用できないとする。……弁護団は日本大学に目撃証言の再現実験を依頼した」として、厳島行雄教授の30人に対する実験結果から、誰もTさんのような詳細な目撃証言ができなかったということを紹介。
→ザ・スクープSPの実験は45人だったが、この実験では30人とのことなので再審請求で提出した第2次実験ということなのだろう。この実験方法については、厳島教授の論文(法と心理14巻1号17頁以下)に書かれているが、そこではTさんの目撃証言が目撃の17日後であるとして14日後に被験者に聴取をしている。しかし、すでに述べたように、Tさんの場合、目撃の翌日にまさにその山で小学1年生2人の遺体が発見されたという大ニュースがあり、それを聞いて職場の同僚Jさんと不審車両に関して2日連続で会話し、このニュースはその後も毎日のように地元で報道されているのである(そして上記のとおりJさんは、そのとき聞いた車両の特徴とTさんの証言は一致していると証言しているのである)。それにもかかわらず、この実験では「供述調書に従って翌日に簡単な出来事の想起を求めた」(厳島論文20頁)だけで14日後に聴取しているなど、さすがにこの実験からTさんの目撃証言と同僚による証言を揺るがすことは素人目にも無理だろうと思うのだが、この番組では実験内容の詳細にまるで触れず。
→ちなみに、この厳島論文は、「T氏は、目撃時に特にこの車や人を覚えておく必要があると認識するような特段の理由は無かった。……そのために、特に目撃対象の詳細を記憶するような方略をとらなかったはずである。それにも関わらず、供述調書では、『目撃の翌日の午後6時頃、ラジオを聞きながら残業中に事件の報道に接し、同僚に目撃の話しをしたり、自分にも小1の娘がいる等のこともあり、『関心を持っているので、車を見たときの状況などを覚えている』と供述している。この供述が問題なのは、目撃者の出来事を覚えている理由が、目撃時にはそれが何らかの事件と関わるという意識がないはずであるにも関わらず、事後の後知恵的な理由が付与されている点である。覚えることへの意図、すなわち『小学生の子供を持っていて事件に興味があって覚えている』というのは、目撃時には機能していないはずであり、そのような記憶の意図を語ってしまうのは奇妙と言わざるを得ない」(厳島論文25-26頁)としている。しかし、Tさんが森林組合勤務であるという事実を見落としている。森林に利害のある人が、この山道で車が停まっていることが極めて珍しい時期に、いかにも不法投棄でもしてるかのような怪しい車両・人物を見つけたのだから、この論文がいう「目撃時に特にこの車や人を覚えておく必要があると認識するような特段の理由」としては十分すぎる(被験者もランダムに集められたようなので、この場所に土地勘がなくこの時期にこの山道で車が停まっていることがいかに珍しいかを知らないような人たちであるから、前提がまるで違ってくる)。Tさんの「小学生の子供を持っていて事件に興味があって覚えている」という供述は、不審車両に関する記憶を定着させる理由として述べているのだから、何が奇妙なのだろうか。この分析の方が奇妙である。
→ついでに言うと、この実験って弁護団が依頼したということは、実験の金は弁護団(と依頼人である久間の妻)が出しているはずで、その点もきちんと報道しなければならないだろう。
- ナレーション「教授によれば、T氏の証言には不自然な部分があるという」厳島教授「『車体にラインが入っていない』とは一体何のことだろうと思った」ナレーション「ラインがない車を見て、わざわざラインが入っていないというのは不自然だという」
→別の刑事事件で一般論として言及されているように、「捜査官による供述調書は、単に供述者が自発的に述べたことをそのまま書き取るものではなく、取調べの結果を事後的に整理し、編集要約して記載するものである」[3]。そのため、捜査官が「車体にラインはあった?」と質問し、「なかったと思う」と答えれば、「車体にラインが入っていない」という供述調書になるのである。これは心理学者ならば知らなくてもしょうがないが、犯罪を扱うジャーナリストなら誰でも知っているような事柄であり、自白のある事件では報道はそのような供述調書の特徴から自白の任意性に難癖をつけるのに、今回はこの厳島教授の発言を流して視聴者をミスリードするとは何たる背理であろうか。
- 「新たな捜査資料が見つかった」として、「2月20日 車を目撃した日」「3月9日 (警察官がT氏の)目撃調書を作成 久間元死刑囚に捜査の的」という画面に、新情報として「3月7日 捜査員 (久間の)車を確認」というのを紹介し、3月7日に久間の車を確認した捜査員が3月9日のTさんへの聴取で内容を誘導した旨の疑惑を流す。
→前述のとおり、遺体発見のニュースが出た日とその翌日(2月21・22日)にTさんは同僚に不審車両の話をしており、その同僚はそのときの不審車両の特徴が一致している旨の証言をして、これが裁判でもTさんの目撃証言が信用できる根拠とされているのに、この番組では一切触れず。3月7日に捜査員が久間の車を確認していたことが分かったところで、2月21・22日の話が揺るぐはずがないのに何たる偏向報道か。
- 「当時捜査員からどのような聞き取りがなされたのか」として、取材陣がTさんの自宅に直接取材に行った(しかも夜中)が、Tさんは「話したくない」として取材を拒否。
→ザ・スクープSPで述べたのと同じ。それどころか、さんざんTさんの証言が怪しい旨の偏向・捏造報道をしておいて、さらにTさんが取材拒否したVTRを流せば、このTさんが犯行に関わっているのかという印象すら視聴者に与えるのではないか。
問題だらけの本田教授の見解[編集]
- 「足利事件のDNA型再鑑定を行った筑波大学の本田克也教授にこのフィルムの分析を依頼した」
→これでは本田教授があたかも足利事件で無罪を導いた鑑定をしたかのような印象を植え付けるが、足利事件の再審請求においては、本田教授の鑑定は採用されていない。「検察官は、本田鑑定の信用性を争うものの、鈴木鑑定については信用性を争わない」[4]として、鈴木廣一大阪医科大学教授の鑑定結果が採用されて再審になったのが真実。
- 「今回ネガフィルムで重大な事実が明らかになった。実は科警研の鑑定写真は一部を切り取ったものだ。なんと切り取ったすぐ上には被害者でもなく久間元死刑囚でもない第三者すなわち真犯人の可能性があるDNA型が鮮明に出ていたというのだ」
→下記参照。
- 久間は血液型B型であるところ、ナレーション「本田教授は、当時の鑑定を見直したところ、単独犯だとすればその血液型はAB型しか考えられないと主張したのだ」
→すでに確定判決では、AB型と鑑定された血痕が単独のものか否かがすでに検証されており、それによると、「血痕からは、4本のバンドが検出されているのであるから、右血痕が2人以上の人間の混合血であることは疑問の余地がない。……AB型単独の血痕ではあり得ない」、とそもそも単独の血痕ではないことが認定されている(被害者のA型と犯人のB型が混合)。この時点で本田教授による「単独犯だとすれば」という部分は前提が崩れるのに、あたかも新事実が発見されたかのような報道であり、捏造といってよいレベルである。
ミスリーディングな黒塗り情報[編集]
- 久間の死刑執行に関する情報公開を求めたところ、黒塗りの情報が出てきた。
→久間に限らず他の死刑被執行者の情報公開をしても同じく黒塗りの情報が出てくる[5]。この番組のやり方では、あたかも久間の死刑執行にだけ黒塗りが出てきて後ろめたい点があるかのような印象を植え付ける。
清水潔『殺人犯はそこにいる』(新潮社、2013年12月、文庫版は2016年6月)[編集]
上記日本テレビの放送は、ジャーナリスト清水潔がチーフディレクターとなって制作したものであるから、この本と重複しているものが多い。しかし、本は本で相当たくさんの問題がある[6]。
この本が検証しない目撃証言[編集]
- Tさん以外の4人の目撃証言に対して「ずいぶん印象が軽い。事件当日に被害者の通う小学校近くで紺色のマツダ・ボンゴと思われる車を見かけた、という程度なのである」(文庫版419頁)として検証せず。
→捏造と言ってよい。この目撃証言は、被害者の通う小学校近くという程度のものではなく、「被害児童が略取又は誘拐された時刻、場所と極めて接着した時刻、場所」での目撃証言なのである。具体的には、誘拐現場4人のうち2人(DさんとVさん)は職場の同僚であり、車線のない狭い道路(4.5メートルの道路)を通りながらも3分くらいの差で被害女児2名を見ていると見ていないとの差があるから、この間にこの付近で誘拐されたのは間違いなく、そして残りの2人(XさんとWさん)の目撃証言は、当該道路でDさん・Vさんとは反対方向に進んで車両を止めたところでDさん・Vさんと見られる車の他に、久間が乗っていたのと同じ紺色・ダブルタイヤのワゴン車を見たというのであるから、まさに誘拐場所・時間の目撃証言であり、決して印象は軽くない。そして、上記のとおり目撃者のWさんは、久間の逮捕後に新聞社の取材に答えているのだから、なぜこちらも取材しないのであろうか。
- Tさんに直撃取材するも、取材拒否。「T氏を責めに来たわけではまったくないのだが、なぜここまで頑ななのか」(文庫版428頁)
→遺体発見のニュースを聞いた日とその翌日にTさんから聞いた不審車両の内容とTさんの目撃証言は合致している、と同僚が裁判で証言したことには全く触れないで、この書き方。しらじらしい。
不十分にしか採り上げない車内の血痕、全く採り上げない尿痕と新たなDNA型判定法[編集]
- 「その他の証拠の一つとしては、久間氏のマツダ・ボンゴから発見されたO型の血痕がある。県警は車を押収した時点で徹底的に車内のルミノール反応検査を実施しているが、その時は血液反応は出ていない。ところが、不思議なことにそれから1年後、切り取ったシートの布地の裏から血痕が見つかったとして鑑定、これが被害者の血液型と一致したという。しかし、久間氏の家族にもO型はいる」(文庫版428頁)
→あたかもO型の血痕があったことを裁判所が証拠として評価しているような記述であるが、これはほとんど捏造に近い。判決では、O型の血痕があるというのは客観的事実として触れられているにすぎず、久間の車内にある程度の出血とかなりの量の失禁の痕跡があったにもかかわらず、久間がそれについて合理的な説明ができないことを証拠としているのである。
→そしてこの血痕については、第2審判決でその経緯が詳細に触れられている。 →さらに、この血痕については血液型だけでなく、新たに開発されたTH01型、PM検査法によって、つまり清水が問題視しているMCT118型検査よりも新しいDNA型検査で、鼻血をかなり出していた被害者A子の方と一致しているというのであるが、この点は本では一切触れず。また、ルミノール反応云々の話は、そこだけ見れば捜査機関が捏造しているかのような印象を与えるが、その経緯は第2審で詳細に触れられている。さらにこれを持ち出すのであれば、久間がシートを外して水洗いしていた点とその結果として第1審時点の技術ではDNA型が検出できなかった点に触れなければいけないはずなのに、この点は本では一切触れず。
犯人のDNAに関する“新たな証拠”のウソ[編集]
- 「これまでの科警研鑑定では犯人、久間氏ともに『16-26』型で一致したとしていた。ところが、本田教授の鑑定によると、久間氏の型は『16-27』だというのだ」(文庫版417頁)
→「本件でいえば、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16-26型は、アレリックラダーマーカーを用いた場合には、18-30型ばかりではなく、18-29型、18-31型に判別される可能性もある」(福岡高裁判決)とあって、上記ザ・スクープSPで映った対照表だと、123塩基ラダーマーカーの16-27型はアレリックラダーマーカーの18-31型なので、仮に本田教授の見解を採ったとしても何もおかしな点はない。
- 「届いたネガフィルムを弁護団がデジタルカメラで複写し、本田教授にパソコンで解析してもらった。すると、驚くべき事実に行き当たった。……被害者の者でも久間氏のものでもない、第三のDNA型があったのだ。……『飯塚事件』のネガフィルムは弁護団の請求によって、かつて法廷に提出されたことがあり、弁護団も目視している。その際の小さなフィルムでは、カットされたバンドの存在は弁護団も気がつかなかったという。……カットされた『41-46』型のバンド」(文庫版430-431頁)
→写真が切り取られていた!とセンセーショナルに報道されたが、検察は、「ネガも証拠として提出している。写真は書面のサイズの問題で一部を切り取っただけ」[7]と反論しており、現に「98年1月の1審・福岡地裁の公判で、科警研技官が、裁判長から『41-46』型について尋ねられた際、エキストラバンドと説明」(読売新聞2012年11月20日西部朝刊39頁)。つまり、裁判ですでに審理されているのである。実際に、再審請求審で「上記写真のもととなった酒井・笠井鑑定のネガフィルム自体は保存されており、確定第1審においても、証拠として提出され、笠井技官に対する尋問でも使用されている」と判示されるなど、要は証人尋問というマスコミにも裁判傍聴者にも公にされている場で、元のネガと照らしながら、後に弁護士が真犯人のバンドだとか言うバンドについても尋問がなされており、証人尋問である以上は当然弁護士も鑑定人に反対尋問したのであるから、一体どこが新証拠なのだろうか。
→ちなみに、再審請求審ではエキストラバンド(いわゆるノイズ)という結論になったが、それ以前にも検察側でも弁護側でもない第三者の評価として、関西医科大学の赤根敦教授(法医学)は、「弁護側が新たに見つかったと主張するネガに写っていた部分は、その人の本来のDNA型とは別の型が出てしまう『エキストラバンド』(鑑定に不必要な余分な帯)の可能性が高く、これをもって『真犯人の型』とは言えない」[8]と述べているほか、久留米大学の神田芳郎教授(法医学)も、「弁護団の『第三者の型の発見=真犯人』説には懐疑的」[9]としている。
- 「帝京大学で鑑定を実施した石山昱夫教授は、当時、福岡地裁に証人として出廷している。その際、この科警研鑑定の写真を見てこう証言している。『鑑定方法が杜撰で、技術が低い。私の教室ならやり直せ、と命じたい』」(文庫版418-419頁)
→この福岡地裁で証人としてこのように述べたというのであれば、その判決で石山教授が驚いたことに言及されている点に触れなければならない。つまり、「これらの鑑定資料は、坂井・笠井鑑定の段階では、……脱脂綿に採取された液体で、濃淡の差はあるがいずれも脱脂綿の表面全体が赤く染まっていたものが、科警研においてこれ以上鑑定できないという程度にまで資料を費消した結果、石山鑑定の段階では、ごく少量の綿をつまみ取ってよったようなものに、かすかに色がついているかどうかという状態になっていたことが認められ(この違いは、法廷でそれを知った証人石山が驚くほどのものであった。)」というのが判決である。すなわち、違いがあることに石山教授が驚いていることが言及されているのであるから、本で書かれている石山証言は、違いを知って驚く前の証言なのかそれともその後なのか。本では全く言及なし。
- 「飯塚事件の弁護人の一人である岩田務氏は言う。『試料は指先大のものが4つもあったんです。あれだけの量があれば、百回は鑑定できたと言われています』」(文庫版415頁)
→あたかも100回以上の鑑定量が残っていたことが真実かのように書かれているが、実際は、弁護団がそのような主張をしているにすぎない。しかも、弁護団の著書をよくよく読んでみると、「石山昱夫教授(当時)によれば、これらを被害者の膣内から採取した脱脂綿には、DNA鑑定実験を少なくとも100回以上は実施可能な量があった」[10]として石山教授を出典としていながら、そもそも上記の通り、石山教授は当初の脱脂綿を見ていないのである。いやしくも真実を追求することが使命のジャーナリストなら、まずこちらの100回云々の真相を検証すべきではないのか。
繊維片に関する(切り取られた)判決文[編集]
- 「被害者の着衣に付着していた繊維とボンゴのシート繊維が一致した、という証拠もあるが、地裁判決では<被害児童の着衣に付着していた繊維片がマツダステーションワゴン・ウエストコーストから脱落した繊維片であるとまで断定することはできない>と結論づけている。控訴審では<マツダウェストコーストの座席シートの繊維と着衣付着の繊維とは極めて類似しほぼ一致するものと認めることができる>と変更された」(文庫版428頁)
→判決文を読めていないのか、地裁判決と高裁判決が証拠に対する評価を変更したと書かれている。実際は、地裁判決は、「マツダ以外の自動車メーカーが製造した自動車の中に、その座席シートの原糸材質が……マツダステーションワゴン・ウエストコーストと同じような配合比で使用されている可能性は、証人R田の供述によって、ほとんどないということはできても、そのような現実的な可能性が全くないとまで認定することのできる証拠は存せず」と述べて、次の文で「したがって、……断定することができない」といっているのである。つまり地裁判決も高裁判決も、100%ではないが99%間違いないという意味でどちらも結論を下しているのに、これをもって地裁判決と高裁判決で結論を変更したというのは、ひょっとして読解力がこの程度なのだろうか。しかし、次の問題点↓を読むと意図的なミスリーディングのようにも映る。
- この繊維片に関する証拠について、「控訴審では、……<付着繊維に関する鑑定等の結果は(中略)各目撃供述を補強するものであり、目撃された車両がマツダボンゴ車と認められることと併せると、本件の犯人車がマツダボンゴ車以外の車種であるとの現実的な可能性は認め難く>と堂々巡りの論理である。つまりはいずれも弱い状況証拠であり、それらが互いにもたれ合っている構造だと言わざるを得ない。目撃証言がひっくり返れば、他も総崩れになってしまうのである」(文庫版428-429頁)
→中途半端な引用をして「互いにもたれ合っている構造」としているが、判決を読めば、繊維片という証拠も目撃証言も、いずれも独立の証拠として、ただしどれもが単独では有罪の証拠にはできないという意味で使われている。この点は、「これらの情況事実は、いずれも犯人と犯行とを結びつける情況として重要かつ特異的であり、一つ一つの情況がそれぞれに相当大きな確率で犯人を絞り込むという性質を有するものであり、これらは相互に独立した要素であるから、その結果、犯人である確率は幾何級数的に高まっていることが明らかである」と状況証拠の総括部分で明確に書かれているのであるから、何をどう読んだら「互いにもたれ合っている構造」となるのだろうか。
逆手に取って誘導する「Iちゃん行方不明事件」[編集]
- 2女児殺害事件の4年前、当該事件と同じ地区(飯塚市潤野)でやはり同じく小学1年生のIちゃんが行方不明となった事案があり、この女児は行方不明直前に久間の家に行っており久間が最後の目撃者であるという事実があった。この本では、まず「何より、少女への声かけ事例どころか、自宅に招き入れていたというのは心証としては最悪だ」(文庫版408頁)という当初の自身の考え方を示し、「捜査に当たった県捜査員が裁判で久間氏について次のように証言していた。/『Iちゃんという小学校1年生がいなくなったことがありまして、その最後の接触者といいますか、目撃者といいますか、そういう人だということです。久間被告人の家に遊びに来ていて、それ以降行方が分からなくなったと、それ以後確たる目撃者はない、ということです』」(文庫版434頁)とわざわざそのときの捜査員の証言を紹介した後、「だが、取材をしてみれば少し事実は異なる」(文庫版435頁)として、「確かにその日、Iちゃんは久間氏の家にやって来ていたようだ。だがそれはIちゃんの弟と一緒にだ。そしてその弟は、久間氏の息子と幼稚園で友達だったのだ。その日曜日、久間氏は庭の塀にニスを塗っていたとのことで、妻も家にいたという。どこが声かけ事例なのだ。小さな子供がいるごく普通の家庭に、ごく普通に友達が遊びに来ただけではないか。」(文庫版435頁)と憤慨している。
→ここでは、あたかも久間がIちゃんに声をかけて自宅に招き入れた後にIちゃんが行方不明になったが、取材の結果、実は単に友達の家に遊びに来たのが真相であり、怪しくも何でもないという印象に誘導している。しかし、そもそも誰も声かけ事例とは言っておらず、清水が自分に勝手に声かけ事例扱いにして取材の結果実は違ったと言っているだけである。実際に、2児女児殺害事件で久間が逮捕されたときの報道においても、「弟と一緒に自宅から約百メートル離れた弟の友人宅に遊びに行った後、行方が分からなくなった」(朝日新聞西部1994年11月11日夕刊)、「弟と二人で自宅近くの被告宅に寄った後、足取りが途絶えている」(読売新聞西部1995年1月3日、同2月5日)と書かれているのであるから、取材などしなくても新聞の記事検索サービスを使えば分かる情報なのである。ということは、以上の記事は、本当に取材をした結果かというのが疑わしくなってくる。当初から読者を“久間は怪しい”と見せかけた後に、“
久間は怪しくない。警察の見込み捜査だ”という心証に誘導するつもりで脚色した、つまりいったん落としておいてから持ち上げるパターンで誘導しているのではないか。
→そもそも、小児が行方不明になった未解決事案で、自分が最後の目的者になる経験をしたことがある人などどれくらいいるだろうか。しかもこれに加えて、最後の目撃者になったのと同じ地区で数年後に小児2人誘拐される事件が起こるというのは、天文学的に低い確率である。そのため、このような経験がある久間を怪しいと思うのは、自然な流れである。しかし、この本ではこれを逆手に取って、実は怪しくないが未解決事件があるために警察が不当な見込み捜査をしたのではないかという心証に誘導している。
ひどい推測[編集]
- 文庫版あとがきにおいて、「『飯塚事件』に関しては、本書に対して“何者か”による奇妙な反応があったことも付記しておこう。ネット上に、<久間は絶対クロ><判決文を読めば間違いなく真犯人だと分かる>、というような匿名の書き込みが多数行われた。……調べてみると、複数の書き込みに使われたパソコンのIPアドレスは同一。更に調べていくと、そのIPアドレスから接続されたサイトも分かった。福岡県関連サイトが多い。どうやら、『飯塚事件』に利害関係のある、司法分野の“何者か”であるようだ。何が特定できたかこれ以上書かない」(文庫版486-487頁)
→これはひどい。いったいどの書き込みかも書かれていなければ、なぜ特定できたのか(よもやWikipediaとかで司法関係者がIPアドレスのまま書き込んでいるとか、amazonのレビューでamazon側がIPアドレスを公開してくれたとでもいうのだろうか)、何を特定できたのかも書かれていない。そのため、読者はこのIPアドレス云々が真実か否か調べようがないのである。百歩譲ってこのIPアドレスが福岡県のものだったというのならまだしも、単に福岡県関係のサイトを見ただけで利害関係者扱いって大丈夫だろうか。偏向・捏造報道を許せない読者が書き込んだという発想にならないのだろうか。きっと、このEnpediaのページ編集者も、飯塚事件の利害関係者になるのだろう。
このように、清水潔の本や番組は、冤罪に導く誘導だらけである。厄介なのは、この清水は、桶川ストーカー殺人事件や足利事件でジャーナリストとして相当な功績があったため、信奉者が多く、この度の飯塚事件の偏向報道でも無条件に信じてしまう読者・視聴者が多い点である。当時写真週刊誌の記者だった清水は、桶川ストーカー殺人事件の著書において、「間違った報道が随分あった。間違ってはいなくとも偏った報道も相当あった」[11]と、偏向報道を批判し、「『一流』メディアが歪めた、この事件の本当の構図と被害者像を改めて伝える」[12]と述べている。その清水が、今度はその「一流メディア」である日本テレビに所属して、その報道番組で以上のような偏向報道をしているのは、何とも皮肉である。
片岡健『絶望の牢獄から無実を叫ぶ』(鹿砦社、2016年2月)[編集]
鳥越俊太郎や清水潔に比べるとかなり無名のジャーナリストの本。内容は、以下の点からお察しください。
ここでも触れられないJさんとWさん・Xさんの証言[編集]
- 「久間さんの裁判では、DNA鑑定以外でもまともな有罪証拠が何一つ示されませんでした。/たとえば、この事件には一応、目撃証言が存在します。女の子たちの衣服やランドセルが遺棄されていた八丁峠の草むら近くの路上で、事件当日に久間さんの車とよく似た車が停車していたのを目撃したという男性が名乗り出ているのです。/しかし、この男性は急なカーブが続く八丁峠で下り方面に車を走らせながら、その途中ですれ違っただけに過ぎない路上に停車中の車の特徴を異様に詳しく証言しており、捜査員に誘導されていることが明らかでした。」(18-19頁)
→この本も、目撃証言はこのTさんの証言にしか触れておらず、Tさんの目撃証言の裏付けとなるJさんの証言、誘拐現場で久間と同じ特徴を持つ車を見たWさん・Xさんの証言に全く言及しない。要するに、冤罪誘導メディアは、意地でもJさん、Xさん、Wさんの証言に触れないのである。なぜなら、これらの証言に触れると、やっぱり久間はクロでしょうと言われてしまうからである。
PM法は今からみると証拠として価値はない、というウソ[編集]
- 第2審判決で久間の有罪を導く根拠の一つになったDNAのPM検査について、「96年に実用化後も6年余りで精度に問題があったために犯罪捜査で中止された検査手法です。そのため、今からみると証拠として価値はないのです」(20頁)。
→は?リンク先の論文で示されているように、PM法は2万3000人に1人の割合で判定でき、その後1100万人に1人の割合で判定できる手法が開発されたため、2003年にPM法検査が廃止されたにすぎない[13]。今は使われていないというだけで、今から見ても証拠の価値はないという飛躍がどうして生じるのであろうか。
捜査・司法関係者に大迷惑な取材申込み[編集]
何というか無意味な取材攻撃と当たり前すぎる回答と飛躍した片岡の評価がこの著作に登場している。これらの取材と評価はすべて、飯塚事件が冤罪であるという前提でなされている。ジャーナリストの目的は、真実の追求であり、特定の事実を前提とした評価ではないということを肝に銘じてほしいところである。
取材対象 | 取材の経緯と回答 | 片岡健の評価とツッコミどころ |
---|---|---|
村井温 久間逮捕時の県警本部長 |
秘書が回答し、『村井は『警察官時代の職務に関することについては、一切取材をお受けしていません』ということで、よろしくお伝えくださいとのことです』(24頁) | 「無料動画配信サイトには、村井氏が同サイトの取材に応じ、福岡県警本部長時代に『一万何千人』もいた部下を以下にマネージしたか、当時の経験が今の会社でいかに役立っているかを笑顔で語っている動画がアップされており、編者はため息がでました。」(24頁) →単に個別の事案には答えられないという意味で取材拒否したんでしょう。 |
村山弘義 久間起訴時の福岡地検検事正 |
手紙の後に電話→『実は昨日付けで返事を差し上げました。ご要望には沿いがたいということで、取材お断りの趣旨のことが書いてあります』(24頁) 取材を断る理由を尋ねる→『理由なんか申し上げることはありません。色々考えて、お断りしたということでございます』(24頁) この事件について語るべきことはないか尋ねる→『そんなことを申し上げることもありません』(24頁) 冤罪だと思っていなのか確認→『はいはい、すみません』(24頁) さらに送られた手紙を写真で掲載。手紙の内容→『このたび『飯塚事件』に関し、取材の申込みをいただきましたが、ご要望には応じ難く、お断りさせていただきますので、悪しからずご了承願います。/時下、ご健勝の程をお祈りいたします。』(25頁) |
電話での回答について→「飯塚事件に関与した過去に触れられたくないという強い意思が感じ取れました」(25頁)
手紙について→「簡潔な文章だが、強い拒絶の意思が感じ取れる」(25頁) →ただの取材拒否です。 |
坂井活子、佐藤元 当時の科警研技官 |
定年退職していたため、警察庁に取材の取次を依頼するも断られる(25頁) | |
笠井賢太郎 同上 |
現職のため手紙で取材を申し込んだ上で科警研に電話→「総務課の職員に笠井氏への取次を頑なに拒否されました。そこで笠井氏には再度、返信用の郵便書簡を同封した手紙により、取材を受けるか否かの返事をくれるように依頼しましたが、音沙汰はありませんでした」(25-26頁) | |
陶山博生 第1審裁判長 |
現在は弁護士で、かつて弁護士事務所に直接訪ねて取材依頼→「『全然お話しするつもりはありません』『黙秘です』『急ぎますので』などと頑なに拒否されました」(26頁) 今回は事務所に電話→「陶山氏は電話にも出てくれませんでした」(26頁) |
「取材拒否の姿勢がいっそう強固になった印象でした。」(26頁) →ただの取材拒否です。 |
小出錞一 第2審裁判長 |
手紙で取材依頼→『お手紙の転送を受け、拝見いたしました。ご丁重なお手紙をありがとうございました。/担当した事件については、すべて、立場上、取材をお受けすることはできないと考えております。……』(26-27頁) | 「実を言うと、小出氏は、……名張毒ぶどう酒事件の奥西勝死刑囚に対し、再審を開始する決定を出した人です……。そのため、冤罪問題に詳しい人たちの間でも小出氏の評判は決して悪くありません。/そんな裁判長でも飯塚事件のような酷い死刑判決を追認してしまうところに、事実を見きわめる難しさが示されています」(27頁) →なんで冤罪という前提で話してるの?そんな裁判長でもクロと判断するほど証拠が揃っていた、という評価に至らないのでしょうか。 |
森英介 死刑執行時の法務大臣 |
電話とファックスで取材申込み→『森に確認したところ、とくにお答えすることがないと申しております』(30頁) | 『公式ホームページによると、森氏の座右の銘は『人生の最も苦しい、いやな、辛い損な場面を真っ先に微笑をもって担当せよ』だそうですが、森氏の態度はこれに反するように思えました。』(30-31頁) →なんで冤罪という前提で話してるの? |
小津博司 死刑執行当時の法務省事務次官 |
『……退官後、このような取材は全くお受けしておりません。この度のお申し出もお受けすることはできませんので、悪しからずご了解いただき、今後の連絡もお控えいただきますよう、お願いいたします。……』(31頁) | 「言葉は丁寧ですが、強い拒絶の意思が感じ取れました」(31頁) →ただの取材拒否です。 |
大野恒太郎 死刑執行時の法務省刑事局長 |
手紙で取材を申し込みむと最高検企画調査課の検察事務官から電話がかかってくる→『今回の取材申し入れに関しては、大変恐縮なんですが、お断りさせて頂きたいということです』(32頁) 取材拒否の理由を尋ねる→『とくに賜っておりません』(32頁) |
「大野氏はもちろん、周辺の検察職員たちも飯塚事件関係の取材にはナーバスになっている雰囲気がうかがえました。」(32頁) →ただの取材拒否です。 |
佐渡賢一 死刑確定時の福岡高検検事長 |
『執行事務手続きなんで、僕はこの事件のことは何も知らないんだな。執行事務には、判断が入る余地はないから』(32頁)ほか、記憶にない旨 | 「佐渡氏は落ち着いた語り口で、うしろめたそうな様子は感じられませんでした。飯塚事件や久間さんのことを忘れていたというより、そもそも自分が関与していたことを最初から知らなかったそうです」(33頁) →事務処理的なことをする機関の代表者に聞いても知らないのは当たり前でしょう。そもそもこのような事務手続きに行政の一構成員にすぎない検事長がいちいち自分の意見を反映させることがあれば、それこそ大問題である。 |
栃木庄太郎 死刑執行時の福岡高検検事長(法務大臣から死刑執行命令書を受領) |
『僕は知らないなあ、その事件』『あんまり印象にないんですよ。……単なる事務手続きだけだと思うんで』『角印なら事務官が保管していて、押しているはずですね。……』(33頁)ほか、記憶にない旨 | 「人の生命を奪う究極の刑罰の執行手続きが多くは事務官に委ねられ、機械的に進められている内実が察せられました。」(33頁) →同上。 |
さらにこれに飽き足らないのか、ネットメディアで3年後にまた同じことをしている。リンク先でも分かるが、いちいち想定される年収やら何やらを書いている。
取材対象 | 取材の経緯と回答 | 片岡健の評価とツッコミどころ |
---|---|---|
稲田伸夫 死刑執行時の大臣官房長 |
「男性職員が『「個別事件に関する事柄で、取材をお受けすることができない」という回答になります』と事務的に告げてきた。」[14] | |
小津博司 (上記に次いで2度目) |
「小津氏の事務所はいつも留守番電話になっており、入稿締め切りまでに電話は一度もつながらなかった。」[15] | |
大野恒太郎 (上記に次いで2度目) |
「女性秘書から『9月いっぱいは海外に出張しています』と告げられ、入稿締め切りまでに回答を得られなかった。」[15] | |
甲斐行夫 死刑執行時の刑事局総務課長 |
「高松高検企画調査課の男性職員が『「今回の取材は、個別事件に関することなので、お受けできない」ということです』と回答を拒否」[15] | |
中川清明 死刑執行時の大臣官房秘書課長 |
「公安調査庁渉外広報調整室の女性職員が『個別の案件についてはお答えできかねるので、取材についてもお断りさせていただきたいと思います』と同様の理由で回答を拒んできた」[15] | |
尾崎道明 死刑執行時の矯正局長 |
「女性秘書から『海外に出張しており、9月末まで戻りません』と告げられ、入稿締め切りまでに回答を得られなかった」[16] | |
大塲亮太郎 死刑執行時の矯正局長 |
「男性職員が『せっかくの取材の申し込みですが、「お断りさせていただきます」と大塲が申しております。取材を断る理由についても「差し控えさせていただきたい」というかたちです』と回答を拒んできた」[16] | |
富山聡 矯正局成人矯正課長 |
再就職先が分からなかったためか取材できず。(「富山氏は2018年9月に辞職しているが、再就職したという情報は確認できない」[17] | 「現在は家族との時間や趣味の時間を大切にしているのかもしれない」 |
坂井文雄 死刑執行時の保護局長 |
「本人が電話に出て、『具体的な事件の内容ですからね。しかも、現職ではございませんので、何か申し上げる立場ではございませんので、ご勘弁ください』と回答を断った」[16] | 「電話口での態度はおどおどしており、やましい思いを抱えていそうな印象を受けた」 →死刑執行の判断とまるで無関係な立場なのに取材されたことが不気味すぎるだけです。 |
柿澤正夫 死刑執行時の保護局総務課長 |
「『個別の案件ですので、コメントはできないと思っています』と回答を拒否」[17] | 「口調は落ち着いており、やましい様子は感じられなかった。法務省プロパーの幹部官僚たちは死刑執行の決裁の際、名前を貸すだけのような感覚で決裁文書に押印しているのかもしれない」[17] |
大矢裕 死刑執行時の保護局総務課恩赦管理官 |
「『個別具体的なことは何も申し上げられないんです。公務員なので、守秘義務もありますし。10年も前のことなので、正直、その人の名前も記憶にないです』と断ってきた」[17] | 「口調は落ち着いており、やましい様子は感じられなかった。法務省プロパーの幹部官僚たちは死刑執行の決裁の際、名前を貸すだけのような感覚で決裁文書に押印しているのかもしれない」[17] |
脚注[編集]
- ↑ 読売新聞1994年9月26日西部夕刊7面
- ↑ なお、この報道では、Tさんの部分はすべてA氏になっているが、統一するためにここではT氏として引用する。
- ↑ 函館地裁平成9年3月21日判例時報1608号33頁以下
- ↑ 東京高裁2008年(平成20年)12月19日決定・判例タイムズ1303号92頁。
- ↑ 朝日新聞2017年12月30日3頁
- ↑ なお、この書籍では、Tさんの部分はすべてA氏になっているが、統一するためにここでもT氏として引用する。
- ↑ 毎日新聞2012年10月26西部朝刊
- ↑ 朝日新聞2013年5月13日西部朝刊35面
- ↑ 日経新聞2012年11月20日西部朝刊17面
- ↑ 飯塚事件弁護団編『死刑執行された冤罪・飯塚事件』13頁
- ↑ 清水潔『桶川ストーカー殺人事件 遺言』文庫版8頁
- ↑ 清水潔『桶川ストーカー殺人事件 遺言』文庫版10-11頁
- ↑ https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu/55/8/55_559/_pdf
- ↑ https://www.data-max.co.jp/article/31703
- ↑ 以下の位置に戻る: 15.0 15.1 15.2 15.3 https://www.data-max.co.jp/article/31702
- ↑ 以下の位置に戻る: 16.0 16.1 16.2 https://www.data-max.co.jp/article/31701
- ↑ 以下の位置に戻る: 17.0 17.1 17.2 17.3 17.4 https://www.data-max.co.jp/article/31700