ネルソン・マンデラとガンジー
よくネルソン・マンデラとガンジーは並べて例えられますが、それは誤りです。
ぼくはマンデラ氏は傑出した政治家だと思うし、彼がいなければあのような平和な形での政権交代は無かったでしょう。
ですが、彼は単に非暴力・非服従だけの人間だったのではありません。
マンデラはANCの武装組織MK(民族の槍)の初代司令官です。同時代の日本共産党は武力革命を指向し、武装組織を有していましたが、それと似たようなものです。
本気度と、過激さにおいてはより以上でした。
ANCは国外に拠点を置き、ソ連など外国の支援を受けて南アに対してゲリラ攻撃を行ってきました。故に南ア国防軍は長駆してアンゴラなどに侵攻していたわけです。
我が国のアフリカ研究者には一般に左翼やリベラルの思想に傾倒しているためか、ソ連や左翼のプロパガンダを鵜呑みにして、南アの近代史に関して南ア国防軍の戦いは常に負け戦だったかのようなこと書いている人が少なくありません。それが本当ならば白人政権はもっと昔に倒れています。
それから当時の南アの白人達にとってあの戦いは、共産主義との戦いであるとの思いが強かった。それはぼくが接触した多くの南ア人の共通した意識でした。
マンデラ氏が大統領だった時代、彼は同国の兵器ショーに来ませんでした。
ですが、開会式ではいつも国防大臣が彼のメッセージを読み上げていました。そこでは常に「兵器産業は国の財産である」との主張がなされ、兵器の輸出を是としていました。
つまり彼は軍事を頭から否定する空想的な「平和主義者」ではなく、リアリストだったわけです。
因みに一度南アの兵器ショーには我が国の某巨大宗教団体の関係者が来ておりました。何でも「警備会社」、今でいう民間軍事会社をつくるとかで、小火器のみならず155ミリ自走砲、35ミリ対空機関砲、大型装甲車輛など民間軍事会社があまり興味を持たないようなものまでリストに入っていました。
そのリストを某雑誌の関係者に見せてもらいましたが、リストの中にはシロウトが知らないような試作品まで含まれており、背筋が寒くなった経験があります。
幸い「商談」は成功しなかったようですが。どこの団体かはあたしも自分の身が可愛いのでいいません。皆さんのご想像しているところです。
さて、余談はさておき、マンデラ氏が内外での自分のイメージをよく把握しており、そのイメージを大事にしていたから兵器ショーに出席してスピーチなどをしなかったわけです。
それがケシカランとは思いませんが、日本のメディアは彼のそのような一面を伝えず、好々爺的なイメージばかりを増幅して伝えています。ですが、それでは事実は見えてきません。
ですが、彼はまた暴力がすべてを解決するわけでは無いことも知っていました。
故に白人に対して、暴力や権力的圧力をを持って報復をおこなって国を危うくした、60年代に独立したブラックアフリカ諸国の愚を繰り返さなかったわけです。
これはいうに易しですが、実行は非常に困難だったでしょう。それが出来たのもマンデラ氏の卓越した政治力、平和を望みつつも、軍事のリアリズムを把握してた度量の深さがあったからです。例えば福島瑞穂氏ではこのようにはいかなかったでしょう。政治家としての格がまったく異なります。
長年の投獄生活に於ける思索が彼を変えたのかもしれません。ぼくのように30年かけて小学生時代に教師に報復(拙著「弱者のための喧嘩術」参照」するような度量の狭い人間とは人としてのスケールが違います。
問題はマンデラ氏が亡くなった後のANC政権がどうなるかです。ヘタをするとジンバブエのような事態が起こるかも知れません。
ぼくはマンデラ氏は傑出した政治家だと思うし、彼がいなければあのような平和な形での政権交代は無かったでしょう。
ですが、彼は単に非暴力・非服従だけの人間だったのではありません。
マンデラはANCの武装組織MK(民族の槍)の初代司令官です。同時代の日本共産党は武力革命を指向し、武装組織を有していましたが、それと似たようなものです。
本気度と、過激さにおいてはより以上でした。
ANCは国外に拠点を置き、ソ連など外国の支援を受けて南アに対してゲリラ攻撃を行ってきました。故に南ア国防軍は長駆してアンゴラなどに侵攻していたわけです。
我が国のアフリカ研究者には一般に左翼やリベラルの思想に傾倒しているためか、ソ連や左翼のプロパガンダを鵜呑みにして、南アの近代史に関して南ア国防軍の戦いは常に負け戦だったかのようなこと書いている人が少なくありません。それが本当ならば白人政権はもっと昔に倒れています。
それから当時の南アの白人達にとってあの戦いは、共産主義との戦いであるとの思いが強かった。それはぼくが接触した多くの南ア人の共通した意識でした。
マンデラ氏が大統領だった時代、彼は同国の兵器ショーに来ませんでした。
ですが、開会式ではいつも国防大臣が彼のメッセージを読み上げていました。そこでは常に「兵器産業は国の財産である」との主張がなされ、兵器の輸出を是としていました。
つまり彼は軍事を頭から否定する空想的な「平和主義者」ではなく、リアリストだったわけです。
因みに一度南アの兵器ショーには我が国の某巨大宗教団体の関係者が来ておりました。何でも「警備会社」、今でいう民間軍事会社をつくるとかで、小火器のみならず155ミリ自走砲、35ミリ対空機関砲、大型装甲車輛など民間軍事会社があまり興味を持たないようなものまでリストに入っていました。
そのリストを某雑誌の関係者に見せてもらいましたが、リストの中にはシロウトが知らないような試作品まで含まれており、背筋が寒くなった経験があります。
幸い「商談」は成功しなかったようですが。どこの団体かはあたしも自分の身が可愛いのでいいません。皆さんのご想像しているところです。
さて、余談はさておき、マンデラ氏が内外での自分のイメージをよく把握しており、そのイメージを大事にしていたから兵器ショーに出席してスピーチなどをしなかったわけです。
それがケシカランとは思いませんが、日本のメディアは彼のそのような一面を伝えず、好々爺的なイメージばかりを増幅して伝えています。ですが、それでは事実は見えてきません。
ですが、彼はまた暴力がすべてを解決するわけでは無いことも知っていました。
故に白人に対して、暴力や権力的圧力をを持って報復をおこなって国を危うくした、60年代に独立したブラックアフリカ諸国の愚を繰り返さなかったわけです。
これはいうに易しですが、実行は非常に困難だったでしょう。それが出来たのもマンデラ氏の卓越した政治力、平和を望みつつも、軍事のリアリズムを把握してた度量の深さがあったからです。例えば福島瑞穂氏ではこのようにはいかなかったでしょう。政治家としての格がまったく異なります。
長年の投獄生活に於ける思索が彼を変えたのかもしれません。ぼくのように30年かけて小学生時代に教師に報復(拙著「弱者のための喧嘩術」参照」するような度量の狭い人間とは人としてのスケールが違います。
問題はマンデラ氏が亡くなった後のANC政権がどうなるかです。ヘタをするとジンバブエのような事態が起こるかも知れません。
この記事へのコメント
ただ重火器までリストにというのが逆にリアリティが無いともいますが。ただ、宗教は何をするのか我々には理解しがたいところもありますから。
これは、全部非暴力主義のマハトマ・ガンジーの言葉でっせ。日教組の影響かわかりませんが、どうも「都合のいい部分」だけつまみ食いしているようです。
ふと思ったのですが、ナミビアは南アフリカにおける満州だったのではないですかね?我が国も、東トルキスタンやモンゴルに接触して、反共国家を樹立し、共産主義の拡大防止工作を行っていましたが、ナミビアがアンゴラにおける共産主義最前線だと考えれば、南アフリカが国際世論から袋叩きにされていたのは、どうも当時のソ連の宣伝工作が働いていたのではないかと考えたくなります。
例の如くのイチャモンを期待してますよ、キヨダニさんw
「丸」2007年6月号のレオパルド2A6Eの紹介記事で、砲塔後部の対RPGに対するモジュール装甲と説明されていましたが、あれは装甲ではなくてグローサーではないでしょうか。
現地の取材で件の戦車のクルーに取材したのですが、彼女がかなりたどたどしい英語で「あれはRPGに対する特殊な装甲だ」というような説明していました。実は現在取材でパリの見本市に来ております。ご指摘の件をKMW社の技術者に問い合わせましたところ、グローサーを並べてもさほど対RPGの防御には役に立たないとのことでした。クルーの彼女はさほど英語力がなかったこと、それと恐らくは多少でも防御力が上がれ
ば嬉しいというような希望も入っていたのだろうと思います。
ここにお詫びして訂正いたします。
ご指摘ありがとうございました。今後このようなミスが無いように努力します。
カリスマのバランス感覚によって何とか維持できている国がカリスマが死去すると崩壊してしまうという図式はどっかで見たことがあるような。ユーゴスラビアだったかな。
ユーゴスラビアのチトー氏の時は(色々あったにせよ)国家が維持できていたが、死去して20年程度でユーゴスラビアという国は無くなってしまった。
勿論、南アフリカとユーゴスラビアとは国家分裂懸念(民族・宗教・言語)等について違う点が多いので、似ているというのは不適当かもしれませんが。