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「わた、私!トレーナーさんなら!OKですから!」 トレーナーさんの部屋で二人。彼にクッションに押し付けられて。 私、スペシャルウィークは精一杯の言葉を紡ぎました。 それを見て、トレーナーさんはあっけにとられた顔で私を見ます。 ……もしかして私はなにか大きな勘違いを、空回りをしているのでしょうか。 お母ちゃん。こういうときはどうすればいいの。 私はもう訳がわからなくなって、ギュッと目をつぶりました。
「失礼します!」 トレーナー室をノックしてなるべく礼儀正しく、そして元気に私は部屋に入りました。 部屋の中には長机と椅子が2つ。 そのうち1つにはトレーナーさんが座っています。 北海道から遠いこの大都会の中にあるトレセン学園。 ここに来たばかりの、右も左もわからなかった私をスカウトしてくださって。 そして色々トレーニングを付けてくれるトレーナーさんには感謝の気持でいっぱいです。 最近ではレースの成績も良くて……何だか、本当に日本一のウマ娘になる夢が叶う気がしています。
今日は急遽ミーティングを行うということで、早めにトレーナー室に来ました。 いつもにこやかに私に声をかけてくれるトレーナーさんは1枚のプリントを見つつ、頭に手を当てながら私に挨拶をしてくれました。 「ああ……急に呼び出してごめん、スペシャルウィーク」 普段は見せない悩ましげな彼の顔に、ちょっとドキッとしました。 私の田舎にはトレーナーさんくらいの若い男性はほとんどいなくて、まだあまり男性に対して慣れていないです。 トレセン学園がウマ娘の専門学校で良かったって思います。 それにしても……悩む男性の顔って、確かに良いものなんですね……セイちゃんの漫画で読んだ通りです。 「今日はなんでしょうか?新しいトレーニングメニューについてですか?それとも、次のレースについてですか?」 トレセン学園に来てから、楽しいこと、挑みがいのあることばかりでワクワクします。 それを支えてくれているトレーナーさんは、今日はどんな話をしてくれるんでしょうか。
彼は、スッと私に手にしていたプリントを私に差し出しました。 そこには見覚えのある、忘れたい数字がいくつかと……見たくない通達の言葉。 「……しばらく、トレーニング後に勉強をしようか」 それは私がトレセン学園に入学してからの定期テストの点数と、追試回数、そして次の追試に関するお知らせでした。
「スペは転入生だったから授業に遅れ気味というのは聞いていたけれど、まさかここまでとは思わなかった」 「すみません……」 恥ずかしくて、耳も尻尾も伏せてしまいます。 「少し先だけど、スペには次はG1レースに出走してもらうことを考えている。そのための出走登録の前準備をしに行ったんだけど……教師陣から話を聞いてな」 トレーナーさんは私から成績の記された紙を再び受け取って、苦笑しました。 「別に成績が悪かったらG1に出られないってわけじゃないんだけど……優勝候補にもなりうるウマ娘が補習の常連なのはさすがにマズイんじゃないか、という指摘があってな……トレセン学園は文武両道がモットーだから」 「はい……」 返す言葉もありません。
確かに初めての都会と学園生活が楽しすぎて、勉強が疎かになっていたのは事実です。 「まず、次の追試は一発で受かるように。そしてその次の期末テストでは赤点なしを目指す。そのために、今日からトレーニングが終わった後にこの部屋で勉強だ。いいな?」 「はい!……あ、でも、私わからないことが多くて……」 誰かに教えてもらわないと、厳しいかもしれません。 「そう思って一応スペの学年の教科書とテスト内容はチェック済みだ。暗記科目は自分で頑張ってもらうとして、それ以外の英語や理系の内容は俺でも教えられると思う」 さすがトレーナーさんです。 私のためにそこまで骨を折ってくれるなんて……尊敬します。 トレーナーさんはガシッと私の両肩を掴みました。 「いいか、絶対に成績を上げるぞ」 彼の目が笑っていません。 もしかすると相当な指摘があったのでしょうか。 「は、はぃ……」 私はその圧に気後れしながら返事しました。
「どう、でしょうか?」 トレーニング後に疲れた体のまま追試範囲の復習をして。 トレーナーさんが教師からもらってきたという英語の小テストを受けてみました。 採点をしたトレーナーさんは目をつぶって、眉根に皺を寄せています。 「……週末も、勉強会だな」 「ダメでしたか!?」
「というわけで、今日から毎日トレーナーさんに勉強を見てもらって。週末はトレーナーさんの家でも勉強を教わることになりました……」 次の日のカフェテリアにて。私はみんなに報告しました。 「エルは今回はバッチリだったデース!」 エルちゃんも私と同じようにグラスちゃんのノートを見せてもらってたのに。 どこで差がついたんでしょうか。 「それは仕方ないですね。スペちゃん。私も手伝いますから、がんばりましょう」 グラスちゃんの教え方は結構厳しいです。 「へぇ~スペちゃん、トレーナーの家に行くんだ」 セイちゃんなんて全然勉強しているところ見たことがないのに。 なんで私よりも成績が良いんでしょうか。
ふいに、セイちゃんがニヤッと笑いました。 「スペちゃん、男の人の家に行くの初めてじゃないの~?」 そういえば、そうです。 それを聞いた途端、緊張してきました。 「そういうスペちゃんにぴったりの漫画を今日は貸してあげよう」 セイちゃんは自分の隣に置いていた紙袋を私の前に置きました。 「あ、ありがとう!この間の漫画も返すね!」 私は先週借りた漫画の入った紙袋を取り出して、彼女に返しました。 「……スペちゃん?勉強しないとダメですよ?」 グラスちゃんがジトッとした視線を私に向けます。 「も、もちろん!これは息抜きに読むだけだから!」 本当です。でも、貸してくれたセイちゃんにも悪いので、一巻くらいは今日読んじゃおうかな……。 「それにしても、スペちゃんがトレーナーさんの部屋にお呼ばれか~。緊張しすぎて、大変なことになるじゃないの~?」 「そうデスね~。スペちゃんはトレーナーさんラブ!デスから」 セイちゃんとエルちゃんがからかってきます。私は顔を真っ赤にしました。 そんなにわかりやすいんでしょうか……。 その後二人から最近のトレーナー寮での噂やちょっとエッチな話、トレーナーとカップルになった担当ウマ娘の話などを聞かされて。 「二人とも。それ以上スペちゃんをからかってはダメですよ」 グラスちゃんの言葉で、ようやく止まってくれました。
セイちゃんの貸してくれた漫画は、私くらいの少女と教師のちょっとエッチな恋愛漫画でした。 田舎では本屋も遠くて、漫画の貸し借りをする友達もほとんどいなかったので……こういうのは新鮮です。 セイちゃんが「ぴったりの漫画を貸してあげよう」と言った理由がわかりました。
……『勉強教えてもらえるからって一人で男の部屋に来てさ、無防備過ぎない?』『なんだ、ダセえ下着つけてんな』『初めてかよ。まあ、気持ちよくしてやるから安心しろって』……。
鼻血が出そうです。 「スペちゃん、顔がすごく赤いけど、大丈夫?熱でもあるの?」 同室のスズカさんが心配してきました。 「大丈夫です……ところでスズカさん」 私は自分衣装ケースを開けて、下着を二枚取り出しました。 「こっちとこっち、男の人に見せるなら、どっちが良いんでしょう?」 「スペちゃん!?」 結局、スズカさんにもわかりませんでした。
生徒寮からトレーナー寮まで歩いてすぐです。 インターホンを押して。私は深呼吸しました。 「お、来たか。あんまりきれいなところじゃないけれど上がってくれ」 トレーナーさんが顔を出しました。いつもよりラフな格好です。 「失礼しま~す」 思わず小声になりながら、彼の部屋に入りました。 「本当はトレーナー室を使いたかったんだけど、今月の週末は改修工事とかで使えなくてな……ここに座ってくれ」 トレーナーさんの部屋は想像していたより整理されていて、いかにも大人の男性の部屋って感じがしました。 それにこの普段よりも濃いトレーナーさんの匂い。 トレーナー室で嗅ぐものとは段違いです。 なんでしょう。変な気持ちになっちゃいそうです。
不意にトレーナーさんが振り向いて、私をジッと見てきます。 もしかして。 「前に外で見たときとは違う、可愛い服を着てるね。でも、学園内だから別にジャージでも良かったんだよ。今日の目的は勉強だからね」 「あ、ありがとうございます」 褒められて嬉しいです。 セイちゃんに相談した甲斐がありました。 「ちょっとスカート短めとかにしたら、トレーナーも気にしちゃうんじゃない~?」というアドバイスにはさすがに従えませんでしたけれど。
少し小さめのテーブルに教科書と参考書、ノートを広げて。 設問を一つずつ解いていきます。 わからないことがあれば隣りに座っているトレーナーさんに聞きました。 いつもより距離が近くて、ドキドキします。 集中できません。 「スペ?手が止まってるよ。追試は週末明けてすぐなんだから、それだけは確実に合格しないと」 「はい!」 威勢よく返事はしますが……どうにも集中できません。 「あの、おトイレ借りてもいいでしょうか?」 「どうぞ。ちょっと休憩を入れようか。スペも集中力が落ちているみたいだし」 ……1時間も集中できない勉強ダメダメウマ娘に思われているみたいです。 なんとか挽回しなきゃ。
トイレから戻ってくるとトレーナーさんは飲み物とお茶菓子を用意して待っていました。 至れり尽くせりで申し訳ないです。 ……あれは、食べたことのないお菓子です! 思わずしっぽを振ってしまって。 その勢いで棚に乗っていた何かを落としてしまいました。 慌てて振り向いた途端にバランスが崩れて。
気づいたら……私はトレーナーさんの手で、床に敷いたクッションの上に押し付けていました。
顔がすごく近いです。 少し無精髭が見えます。 その視線は私の顔をジッと見ていて。 これは、あの漫画と同じシチュエーションじゃないでしょうか!? あの時の主人公は、なんて言ってましたっけ。
「わた、私!トレーナーさんなら!OKですから!」 トレーナーさんはあっけにとられた顔で私を見ます。 目を閉じた私の前で、ため息の音が聞こえました。 「とりあえず起きて、スペ」 「は、はい」 彼は私を引き起こしました。真面目な顔を見せます。 「そういうことはするつもりもないし、しない。いいね?」 「はい……」 私の盛大な勘違いだったんでしょう。 恥ずかしすぎて今すぐここから逃げ出したいです。 「勉強に集中してないと思ってたら、スペはそういうこと考えてたのか……」 「違います!その、エルちゃんやセイちゃんから最近学園でそういうこともあったって噂を聞かされて……」 私の言葉を聞いて、トレーナーさんはどこか遠い目をしました。 「俺もスペは魅力的な女の子だと思うけれど、まだ未成年だし、それよりも今はレースだ。そっちに集中しよう。そのためにまずはこの勉強からだ」 「はい……すみません」 トレーナーさんの言うとおりです。 一人で盛り上がって、私は何をしてるんでしょうか……。
トレーナーさんの指が、私の目尻に触れました。 ちょっと涙が出ちゃってたみたいです。 そのまま頬を触られて。顎を持ち上げられます。 逆の手で耳……耳を撫でられちゃいました。え、これって……。 「それとも……スペには、こういうご褒美を用意してあげたほうが良いのかな?」 トレーナーさんは、ちょっと笑いながらそのまま頭を撫でてくれます。 こんなの、漫画であったような……。
「わかりました!私、がんばります!」 トレーナーさん指を振り払うようにテーブルに向き合って。 用意されたお菓子や飲み物を退けて。 再び教科書とノートを広げました。 トレーナーさんが何か言った気がしますが……私はかつてないほどの集中力で問題を解きはじめたので、聞き取れませんでした。
トレーナーさんにみっちりと勉強を教えてもらったおかげで、追試は無事合格できました。 ようやくみんなに勉強で追いつけた気がします。 この調子で彼に勉強を教わっていけば、次の期末テストもきっと大丈夫です。 ……トレーナーさんはどんなご褒美を用意してくれているんでしょうか。 今度こそかわいい下着を買ったほうが良いのかな。 お母ちゃん!私、がんばるからね! もしかすると……立派な人をそっちに連れて帰れるかも!
「……っていう冗談を言ってしまったんですよ」 俺は懇意にしている先輩トレーナーと学園近くの飲み屋に来ていた。 「あのなあ……年齢を考えろよ。ここは中央。お前が前にトレーナーをしていた、ママさんウマ娘も参加してたような地方のオープンクラスとは違うんだぞ」 先輩は呆れたように言い、ビールを注いでくれた。 彼の左手の薬指には指輪が入っているのが見える。 最近になって身につけ始めたものだ。 「まあ、俺もお前に偉そうなことを言えない身だしな……」 先輩はそんな言葉を漏らしながら、大きめの絆創膏が貼られた首筋を抑えた。 「それ、どうしたんですか?」 俺が聞くと、彼は自嘲気味に笑った。 「本格化した現役レースウマ娘の力とか、ほかいろいろ……すごいぞ。逆らえない。マジで」 事情はわかった。
俺はスペシャルウィークのことを脳裏の浮かべた。 あの可愛らしいキラキラした瞳を持った、天真爛漫な彼女もそうなのだろうか。 「とりあえず、ちゃんと話はしろよ。あるいは責任を取るように」 「……はい」 最近、レースだけでなく勉学の成績もうなぎ登りな俺の担当ウマ娘。 彼女への『ご褒美』をどうするか……頭に手を当てて考えた。