お金の奴隷になるか? お金を奴隷にするか? | 富の哲学

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お金の奴隷になっている人とは、お金のために働いている人である。

 

「自分はお金のためではなく、社会のために働いている」という人がいるけども、

お金を稼がなければ生計が成り立たないのであれば、やはり“お金のため”なのだ。

世のほとんどの人は、お金の奴隷になっている現実がある。

これは自分が無能だと認識する人も、有能だと豪語する人も同じなのだ。

 

お金を得るために、自分の労力と時間を提供しなければいけない。

 

「人より能力が高ければ楽をできるのでは?」と考えるかもしれないが、

有能であればあるほど、相応の仕事をまかされることが多い。

 

電通に勤務していた高橋まつりさんもしかり。

あれほど有能な彼女が過労で自死したのは、

自身の能力を超える業務の処理に追われたからだ。

 

 

お金のために働くということは、ときに自分の命をも削ることになってしまう。

 

 

それに対して、お金を奴隷にできる人もいる。

多額の資産があり、それらを動かして資産を増やしていける人である。

お金のために働くのではなく、お金に働いてもらうわけだ。

 

僕が考える“最強の人”である。

 

お金を稼ぐために自分の時間を提供する必要がなければ、自由な時間が生まれる。

お金と時間の両立ができれば、人生はより楽しく豊かになっていく。

 

そうした無限の選択肢を与えられたうえで、

「やっぱり自分は仕事が好き」というのであれば、そのときは働けばいいのだ。

 

・お金がないから否応なしに働く

・お金はあるけど仕事が好きだから働く

 

どちらも働いていることに違いはないが、両者には天と地ほどの差がある。

 

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