当時はよくわからなかった
金大中(キム・デジュン)事件というのがあった。
45年前、1973年の夏の事件である。
のちの韓国大統領・金大中氏が、日本から連れ去られ、数日後に韓国で発見された事件である。
当時、私は高校生だったが、日本中で騒いでいた印象が強い。
国会で取りあげられ、連日話題になっていた。ただ、国会で何かが進んだり解決したりした記憶はない。たぶん、いまと変わらず、同じところをぐるぐるまわっているだけだったのだろう。いつしか騒ぎはおさまっていった。
金大中の名前はそれから何度か耳にした。
軍事政権下で逮捕され、死刑判決を受けたが減刑され、やがて韓国の大統領に就任した。ああ、あの、金大中事件のあの人が、というふうに眺めていた。ある世代以上はずっとそうだったとおもう。
金大中事件は、当時はどういう事件なのかはっきりしないままだった。「彼は自分の意志で韓国に帰ったのだ」と言う人もおり、韓国政府や当人から何ら説明がなかった当時は、そのあたりの真偽がまったくわからなかった。
のち大統領になり、自伝を書き、いろんな状況があきらかになってくる。
北も南も独裁国家だった
しばらく前の週刊現代(2018年6月9日号)には「金大中拉致事件を語ろう」という鼎談記事が載っており、この取材原稿の手伝いをした。
あらためて金大中事件について調べ、またその背景などの話を聞き、この事件の詳細を知ることになった。いろいろと驚いたことがある。
そもそも、45年経つと、いろんな風景を忘れているものだとおもった。
韓国は、いまでこそ、日本のような自由な国になっているが、45年前はまったく違っていた。
金大中事件が起こったときの大統領は朴正煕(パク・チョンヒ)であり、かれは1961年の軍事クーデターにより暴力的に政権を奪っている。暴力的に権力奪取した者の常として、独裁政治を敷いていた。いちおう選挙が行われているので民主国家の体裁を装っていたが、実態はそうではなかった。
1970年ごろの朝鮮半島は、北も南も独裁国家だったのだ。とても荒っぽい時代であった。
そういうことを忘れてしまっている。
事件の背景
それにしても金大中拉致事件は荒っぽすぎる。
この事件は、拉致というより「謀殺未遂」事件である。
金大中は、密かに殺され、海に投棄されるはずだった。命令者はおそらく朴正煕大統領である(あくまで推測の域は出ないが、ほかに考えられない)。