恥ずかしくて情けなくて涙が出た。区役所の生活支援課の方に、深々と頭を下げてごめんなさい。ありがとうございます。と言った。2021年11月12日、私は生活保護受給者になった。
きっかけは、本当に単純だ。全財産が1500円しかなかった。家にあるお金になるものを全部売っても、家賃すら払えない有様だった。1年前までは、銀行員として働いていたにも関わらずだ。
どうして、こんなことになったのか。心当たりがあり過ぎる。私は中学生の頃から所謂自傷行為を繰り返していた。勉強は人並み以上に頑張った。腕を切りながら、首を締めながら、学校に通った。物心ついた時から両親に身体的暴力を受けて育ったため、はやく地獄から抜け出したかった。この世は、弱者には厳しい。勉強して、学歴を手にして、安定した職業に就けば救われると思っていた。
学校生活はそれなりに楽しかった。やがて高校に進学し、奨学金で偏差値60の私大に入学した。大学はとても楽しかった。バイトを3つかけもちして、1年生から企業インターンに参加して。興味のある授業をたくさん受けて、人生ではじめての彼氏だって出来た。彼氏は優しい人で、たくさん2人で出かけたりもした。
人生が上向きになりはじめた。そう感じていた。しかし、異変は突然やってくる。ある日、大学に向かっている電車の中でいきなり涙が出てきた。呼吸困難になり、あまりの息苦しさに、途中下車をしたのを覚えている。降りたことのない見知らぬ駅のベンチで、真夏なのにガタガタ震えた。その日は、大人しく家に帰った。大学生の時は実家に住んでいたため、大学を休んだことを告げると母に怒鳴られた。明日は大学に行こうと思ったし、行けると思っていた。
しかし、次の日は電車に乗れなかった。1週間、大学に行けなかった。電車に乗ろうとするだけで、胸が苦しくなる。比喩表現でなく息が出来なくなる。嗚呼、これはまずい。そう思って彼氏に連絡をした。「病院にいったほうがいいよ」と提案されて、親には内緒で心療内科を受診した。芸能人とかがよくなる、パニック障害の初期症状かなと思っていた。何回かの通院の後、おりた診断は複雑性PTSDと全般性不安障害だった。虐待の後遺症が、突然やってきたのだ。克服したと勘違いしていただけだったのだ。よく考えてみれば、生活にまるで現実感が無かった。他人の人生を歩んでいるような解離感と、突然起こるフラッシュバックに中学生の時から悩まされていた。両親は気性の荒い人だった。18歳で私を産んだ母は、私が名前を書き間違えただけで発狂した。殴る蹴るは挨拶で、鼻を噛まれたり、髪の毛を掴んで家中引き摺り回されたりもした。窓ガラスに叩きつけられ、窓も頭も割れたことがあった。大体3歳〜10歳くらいに受けた暴力が、突然蘇るのだ。昔から私は病気だったんだと、大学生になってはじめて知った。医師の薦めで、投薬治療とカウンセリングを開始した。よくなると、信じていた。
全快はしなかった。PTSDと不安障害を抱えながら死にものぐるいで就活をした。腕を切りながらESを書いて、首を絞めながら面接対策を重ねた。努力の甲斐あって、第1志望の銀行から内定がもらえた。大学四年生の6月の話だ。それからは、卒論を書きながらのんびり過ごした。単位は全てとり終わっていたから、療養に専念した。社会人として実家を出て働いて頑張るための準備をした。休んだ結果、だいぶ精神状態も落ち着き、全般性不安障害は寛解した状態で入行した。実家からも無事逃げれた。念願の一人暮らし。私の人生はここからはじまるんだ。彼氏とは遠距離になったけど、数年後に結婚出来たらいいな、なんて考えていた。
しかし、現実は甘くなかった。家の外に出れば幸せになれると思っていた私の考えは入行2ヶ月で打ち砕かれた。私はとことん仕事が出来なかった。とろくて、何回もミスをする。私に呆れた上司は、毎日毎日私を大きな声で怒鳴りつけた。「本当にお前は使えねえやつだな」「向いてないから早くやめろよ」と毎日嘲笑された。笑いながら怒鳴られるたび、稟議書を精査する目に涙が滲んだ。悔しかった。早く仕事が出来るようになりたかった。腕を切って頑張った。家に帰っても手作りのマニュアルを必死で読んだ。首をしめながら、読んだ。頑張れる。私はまだ頑張れる。そう思っていた矢先、スーツに着替えて家を出る直前に吐いてしまった。びっくりするほど身体が動かなくて、会社を休んだ。たしか入行して半年の出来事だった。その日を境に、私は布団から起き上がれなくなり、そのまま仕事に行けなくなった。主治医に相談したところ、しばらく休職しようと言われた。
休めば治る。また働ける。そう思っていたのに、1ヶ月休んでも、3ヶ月休んでも私の病気は治らなかった。それどころか、悪化していった。毎日毎日死にたくて、自分を傷つけた。彼氏とは喧嘩ばかりするようになって、別れた。身体の内側から迫る鬱から逃げたくて、湯水のようにお金を使うようになった。買い物をしている時だけは、楽になれる気がして。高価な球体関節人形や、ロリィタ服をネットで買い漁った。買うと、胸がすっとする。自傷は痛いけど、買い物は痛くない。買い物は私に優しい。お金を使うのは楽しい。やがて貯金も底をついたころ、会社から退職をすすめられた。休職開始から8ヶ月が経過していた。また怒鳴られるのが怖くて、死にたい気持ちに甘えて、私は銀行をやめた。
次の就職先を見つけるために、就労支援も行っているデイケアに通い始めた。アルバイトで生計をたてていたのに、正社員だった頃の金銭感覚がなおらず、有り金を全部買い物に使っていた。薬を飲んでも、カウンセリングを受けても、私の病気はどんどん酷くなっていった。ふとした折に暴言や暴力が脳内再生される。3ヶ月後、アルバイトやデイケアにも行けなくなって、収入が途絶えた。バイトに行けなくなる少し前に、激しい身体の痛みが6ヶ月以上続いていたから、神経内科にいったら大学病院を紹介された。線維筋痛症という厄介な病名が増えた。原因不明の難治性疾患。なんだそれ。なんだこの人生。
当然貯金もなかった。それどころか、過去に使ったクレジットカードの借金があった。奨学金が返せなくなった。家賃が払えなくなった。自殺未遂を何度も繰り返していたが、入院するお金もない。心療内科にもついに通えなくなり、自宅を訪ねてきたデイケアのスタッフさんにゴミ屋敷過ぎてドン引かれた。お風呂にも入れず、薄暗い部屋で天井を見つめながら涙を流す私に、デイケアのスタッフさんが言った。
「このままじゃ死んじゃうよ。餓死しちゃうよ。生活保護申請しよう」
その言葉をきいて、私は激しく泣いた。生活保護?私が?ずっとずっと頑張ってきた私が、生活保護?でも実際私は働けるような心身ではなかった。デイケアのスタッフさんに連れられて久しぶりにメンクリにいったら、診断名が重度うつ病に変わってしまった。精神障害者ってことだ。障害年金はダメなんですか。なけなしの知識で訊ねたら、私に障害年金の手続きが出来る余力はもう残っていないと判断された。失業手当(保険?)も次の職探しをしないともらえないらしい。
全財産は1500円。家賃も光熱費も払えない。ご飯も食べてない。生きるためには、生活保護しかなかった。
幸いにも、私の地域の生活支援課の方は優しかった。デイケアのスタッフさんと生活相談をしたら、生活保護を申請しましょうと提案された。全財産を告げて、虐待された過去を吐き出すと、情けなくて涙が出た。死ぬ勇気もなくてごめんなさい。と謝ると、「そんな勇気なくてよかったよ。貴方はまだ若いから、いくらでもやり直しがきくよ」と生活相談員の方が笑ってくれた。
ずっとずっと苦しかった。ずっとずっと頑張ってきたのに、ずっとずっと苦しかった。自傷行為をはじめた中学生の頃に、SOSを出せていれば、私は生活保護を貰うことにはならなかったと思う。生活保護の申請は通り、一昨日から生活保護受給者になった。情けなくて死ねない自分が浅ましくて嫌になる。世間では、頑張った人がえらいという風潮が根強い。それに則って、私も頑張ってきた。しかし、今は苦しい時に自分の苦しみから目をそらさない努力も必要だったと感じている。心身のSOSを無視して、がむしゃらに頑張ることは美徳でもなんでもない。ただ、未来の自分の健康を害しているだけだ。苦しみが小さいうちに、どうか手当をしてあげて欲しい。苦しみから目を逸らして、前に進みつづけると、ある日突然動けなくなる。動けなくなると、本当にたくさんの人に迷惑をかける。壊れた脳みそは、すぐには戻らない。
もしDVや虐待に苦しんでいる人がいたら、未来の自分のために、警察でも福祉でもNPOでもいいから頼って欲しい。殴られるのは貴方のせいではない。殴られるのは貴方のせいではないけれど、生活保護になったら自分の責任だ。私は私のせいで生活保護になった。反省しているし、情けない。
そして、DVや虐待、パワハラをしている人たちへ。暴力は相手に一生消えない傷を残す。未来を奪う。脳を壊す。働ける力をなくさせる。よく考えて人と接して欲しい。貴方たちは犯罪者だ。泥棒だ。殺人犯だ。考える頭がないから、加害者なのかもしれないけれど。
今はまだ、私は働けない。毎日泣いているし死にたくてたまらない。自分を傷つけて、天井を眺めている。でも、親身になってくれたデイケアや生活支援課の方々に恩返しがしたい。働く力を取り戻して、社会復帰がしたい。生活保護に賛否両論があるのは分かっている。だからこそ、生活保護を早く抜け出したい。この情けなさをバネにして、5年後、10年後にあんな時もあったなと笑えるようになりたい。
もう手遅れかもしれないけど、私は泣いているこころの中の子どもの自分から目を逸らすのをやめる。二人三脚で、インナーチャイルドと上手くやっていきたい。苦しみから目を逸らすことは、頑張ることとは違うのだ。
なるほど、まあ、あなた自身もゆっくり休んで立ち直りな。過去の暴力は過去の暴力。そのクソ親を切って稼げるようになったらもう関係ない存在だ。 何から逃げて、何に挑むかはすべ...
彼くんどうしたんだよ