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「圭吾ってそんなキャラだっけ」和光学園同級生が「いじめ告白インタビュー」に抱いた“違和感”

検証ルポ「小山田圭吾事件」 #2

中原 一歩
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※連載第1回(「コーネリアス」にも「渋谷系」にも興味がない私が小山田圭吾にインタビューした理由)を読む

「ブギー・バックマンション」で 

 東京の世田谷、目黒を抜けて、東京タワーへと続く一本の都道がある。数年前まで、私はこの通り沿いの年季の入ったマンションの一室に居を構えていた。部屋は40平米ほどのワンルーム。窓の向こうに、すっくとそそり立つ東京タワーを眺めることができた。

 マンションの古参の住人から、私の部屋にかつて大物ミュージシャンOが住んでいたという話を聞いたのは、引っ越して間もなくのことだった。そのミュージシャンこそ小山田圭吾氏と「フリッパーズ・ギター」というユニットを組んでいた「オザケン」こと小沢健二氏だった。小沢氏のセカンドアルバム「LIFE」。1994年発売のこのアルバムに収録されている「愛し愛されて生きるのさ」のミュージックビデオは、このマンションの屋上で撮影された。そして同じく「ぼくらが旅に出る理由」では私の部屋が登場する。

小沢健二氏

 音楽関係者の間でこのマンションは「ブギー・バックマンション」の異名で知られていた。部屋の上階には「今夜はブギー・バック」で小沢氏と共演した「S」の事務所があったからだ。小沢氏はこのマンションに暮らしながらヒット曲を連発し、NHK紅白歌合戦に2年連続で出場するなど歌謡界のメジャーシーンに躍り出た。

 小山田氏が「ロッキング・オン・ジャパン」や「クイック・ジャパン」で「障がい者いじめ」を告白していたのが、ちょうどこの時期だ。

 フリッパーズ・ギターを解散後、袂を分かつことになる2人の活躍の舞台は対照的だった。日本のポップスシーンを吹っ切れたようにのし上がる小沢氏と、変わらない前衛的な音楽性を貫き、大衆に迎合することのないサブカルシーンで存在感を増す小山田氏。現在、2人の間に交流はないという。

 このマンションは非常に居心地が良く、結局、十数年暮らした。そこで私は思いも寄らぬ人脈を得る。このマンションには小山田氏と小沢氏の母校である和光学園の関係者が出入りしていたのだ。その友人の一人は、当時、和光学園で教鞭をとっていた「小沢氏の母」の教え子だった。後にこのマンションで得た人脈が生きるとは全く想定していなかった。

取材を始めた2つの理由

「コーネリアス」にも「渋谷系」にも縁のない人生を送っていた私が、この騒動を取材しようと思った理由は2つある。

 ひとつはこの事件が広まるきっかけとなった「孤立無援のブログ」というまとめサイト。このサイトを初めて目にした時から、私はこのブログの書きぶりに違和感しか抱かなかった。

 早速、私は「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」の当該誌を入手し、ブログの記述と照らし合わせてみた。すると、一見、小山田氏の当該インタビューを「引用」した風に読めるこのブログには、実は巧妙な編集が施されていることがわかった。この騒動が拡散されてゆく過程で、このサイトが世に与えた影響力は大きかった。だが、そもそもこのブログは匿名で記されており、文責が誰にあるのか分からない。この文責不明のサイトがソースになって、小山田氏の印象が決定づけられてゆく現象そのものに私は違和感を覚えたのである。

 もうひとつの理由が、騒動発覚後、小山田氏本人が謝罪文の中で「一部事実と異なる部分がある」と言及していたことだった。なぜ自分の言葉を、インタビューを受けた本人が否定するのか。その真意を聞いてみたかった。

 この時点で私は、小山田氏の人物像についてほとんど知らなかった。そこで、身近にいる和光学園の出身者に、小山田氏の人となりについて聞いてみることにした。

先輩を“君付け”で呼ぶカルチャー

 「和光」と言えば、知る人ぞ知る学校だ。和光出身者には独特のオーラがある。

 初対面でも和光特有の雰囲気をまとった人はわかる。「もしかして和光出身ですか?」と聞けば、ほぼ正解だった。彼らに共通するのは社会の王道を歩くようなタイプではなく、どこか生き様が個性的でマイナーである点。アーティストやライターなど自由業者として活躍している人が多いイメージだ。

和光学園

 1996年の雑誌「Views」の特集「小沢健二、小山田圭吾、田島貴男を生んだ『和光学園』インディーズ文化の不思議なパワー」の中で、当時、和光中学・高校の校長を務めていた森下一期氏という人物のコメントが紹介されている。和光学園の教育方針は「徹底した自由教育の実践」だという。

〈偏差値で輪切りにされない教育、とでもいいますか。とにかく、いろんな生徒がいてかまわない。それぞれに異なった学生を迎え、育てようということです。だから、化粧をしているのもいれば、モヒカン刈りの生徒だっています。(中略)生徒の服装や趣味を学校側が統制することはありません〉

 中高一貫校ということもあるが、和光出身者の特徴は、先輩・後輩という「タテのつながり」が、緩く、強固なこと。和光出身者はジャニーズ同様、後輩でも先輩を呼ぶ時に「○○君」と“君付け”で呼ぶカルチャーがある。

 私は小山田氏の同級生を探すべく、数人の和光関係者に連絡し、事情を話した。

「小山田君の高校時代の同級生ね。ちょっと待って、すぐに調べてみる」

 そんな具合で話はトントン拍子で進み、翌日には小山田氏の高校時代の同級生にコンタクトすることができた。当然、この時にすでに小山田氏は「時の人」となっていた。

「小山田君のこの件は触ってはいけないタブーのような扱い」

「圭吾ですか。知ってますよ」

 この時の電話の内容は、個人情報を含むことがあるので、ここで全てを公にはできない。だが、その人物の証言によると、和光出身者の間ではこの騒動になる前から小山田氏のあの雑誌インタビューは有名で、何度も噂になっていたという。

「どんな性格だったのですか?」

 そう尋ねると、その人物はこう話してくれた。

「圭吾のことを知っている人からすると、あの雑誌のインタビューの方に違和感がありました。圭吾ってそんなキャラだっけって。ファッションは個性的でバンドばっかりやっていました。いつも斜に構えていて、とっつきにくい感じもあった。けれども、学校や社会に反抗するタイプではない。『派手に調子に乗って暴れる』みたいなイメージがないんです」

 また別の同級生は、インタビューにあった「いじめ」という言葉がしっくりこないと語った。

「少し近寄りがたい雰囲気はあったし、クラスの中でも決して明るいキャラじゃなかった。けれども、特定の誰かをターゲットにして陰湿ないじめをしていたという話は聞いたことはない」

小山田氏のインタビューが掲載された「ロッキング・オン・ジャパン」

 それ以外にも、私は複数人の同級生に話を聞いた。だが、その時点では小山田氏が「障がい者をいじめていた」という証言はなかった。そして、いじめを語った雑誌のインタビューが出た時点では、同級生に限らず、和光出身者の間で小山田氏は「スター」であり、誰もが「本人に事実を聞けない」雰囲気が醸成されていたという。その上で、ある同級生はこう証言した。

「結局、誰もがこの27年間、小山田君のこの件は触ってはいけないタブーのような扱いをしていました。同級生の間でも、この件について事実確認のための取材を受けたという話も聞いたことがありません」

 私自身が想像もしなかった和光人脈のおかげで、こうしてトントン拍子で同級生に行き当たった。先にも書いたとおり、この時点で私は本格的な取材を予定していたわけではなかった。しかし、積極的に取材に応じてくれた和光関係者に話を聞いてみると、彼らの中でもあの雑誌インタビューのことは、20年来、何が正しいのか分からずモヤモヤしている「喉に刺さりっぱなしの骨」のようなものだということが分かった。

 ますます、私は報道されている小山田圭吾像が揺らいだ。この時点でネットには「小山田許すまじ」の書き込みで溢れていた。しかし、本当のところはどうなんだろうか。小山田圭吾とは、一体どのような人物であり、学生だった当時、何があったのだろうか——。本人に話を聞くしか術はないのではないか。私はそう考えていた。

 ある仲介者を通じて、私は小山田氏本人にコンタクトをとることにした。同時に、この企画、すなわち「小山田圭吾独占インタビュー」を掲載してくれる媒体を探した。数日後、仲介者を通じて小山田氏本人が「一度会いたいと言っている」と返事をもらった。

 そして、8月末のある日、私は都内某所で本人と向き合うことになる。

(#3に続く)

source : 週刊文春

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