INTERVIEW / 07
玉田 一己 (2006年 中途入社)
神戸大学 工学部卒業
1978年、兵庫県たつの市生まれ。2001年にパナソニックのグループ企業(大阪)に入社。ソフトバンクのグループ企業(東京)を経て、2006年にサイボウズ入社。2008年に大阪オフィスへ転勤。パートナー営業、大手・自治体向け営業、新規事業企画などを経験。現在は、営業本部副本部長
兼 エリア統括 。
東京から人を逆流させたい―地域営業トップが見つけた、地元を愛し続ける働き方
東京などの大都市圏だけでなく、全国各地の企業をサポートしていきたい。そんな思いから、サイボウズでは「地域営業部門」を設け、現在は仙台・名古屋・大阪・松山・福岡の5拠点を展開しています。
今回インタビューしたのは、その地域営業部門を統括する玉田一己さん。玉田さんは東京で働いていた前職時代にサイボウズ大阪拠点開設の予定を知り、「地元がある関西圏で働きたい」という思いもあって転職を決めたといいます。
地域営業とはどのようなミッションを持ち、どんなやりがいを感じられる仕事なのでしょうか。玉田さんのインタビューをご覧いただくことで、「東京で働き続けなければいけない」という固定観念がちょっとだけ変わるかもしれません。
<大阪→東京> 転職後の日々に感じていたモヤモヤ
――サイボウズへ転職するまでの玉田さんのキャリアを教えてください。
2001年に大学を卒業して社会人になりました。当時は「超就職氷河期」と言われる時代です。そんな中でも僕は運良く、大阪に本社を置く大手メーカーに就職することができました。
会社の看板はしっかりしていて社内の雰囲気も良かったのですが、仕事に慣れていくに連れて、モヤモヤした思いも抱えるようになっていきました。安定した環境のためか、「今のままでいいや」と考えて現状維持を望む人が多いように感じたんです。 年齢も上の人ばかりで、「このままだと自分は若さを無駄遣いしてしまうのでは?」と悩んでいときに東京の大手通信会社へ転職していた元上司から誘われ、その会社へ転職しました。新規サービスが大当たりして急成長中の会社です。若い人がたくさんいて、「ここで一発当てよう」と燃えている人も多く、刺激という意味では十分すぎるほどの環境でした。
ところが、当初配属された部署が半年ほどで解散してしまい、携帯電話の電波割当申請を企画する部署へ異動になったんです。ここは、役員から下りてきた大きな仕事が終わると急に暇になってしまう部署でした。
当時の僕は、その暇な日々が耐えられなかったんですよね。またしても若さを無駄遣いしているような気になってしまって。
――それでサイボウズへの転職を?
理由の一つとしては、そうですね。伸び盛りのIT企業だから忙しいだろうと思っていました。
で、実際に入社してみるとブラック企業でした(笑)。離職率が最も高い28%だった頃で、遅くまで残業するのも当たり前。でも僕の場合は、こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、ブラックがゆえに生きている実感が持てたんですよね。それくらい暇な環境に飽き飽きしていたのだと思います。
もう一つの転職理由は、青野さん(サイボウズ代表取締役社長:青野慶久)のブログを見ていて、「大阪に拠点を作ります」と書かれていたこと。地元がある関西に帰りたいという思いが芽生えていた頃だったので、ちょうどいいタイミングだと感じました。
――転職で東京へ来たことも、サイボウズへ来る前のモヤモヤにつながっていたのでしょうか。
その頃は「ビジネスパーソンとして、一度は東京を経験しなきゃ」という思いもあったんです。ただ、環境変化のストレスは受けていたかもしれません。大阪では、東京ほどのレベルの満員電車を経験する機会もありませんから。
東京は人の数も物量も圧倒的です。でも田舎育ちの自分としては、あまり相性が良くない場所だという印象もありました。どうしても、長く住むイメージが持てなかったんですよね。
<東京→大阪> たった3人の拠点で芽生えたリーダー意識
――サイボウズ入社後は、どのような仕事を担当していたのでしょうか。
営業部門に配属されました。当時はマーケティングに興味を持っていたのですが、そのためにもまずは現場を知ろうと思い、営業を希望したんです。
入社から3カ月後にはいよいよ大阪の拠点がオープンしました。最初に赴任するメンバーはすでに決まっていて、僕のサイボウズ人生は、その異動メンバーの引き継ぎを受けるところからスタートしました。
――大阪へ行きたくて転職したのに、最初は大阪へ行けなかったんですね。
だから、何かの折には「大阪に行きたい」と周囲の人へ言っていましたね(笑)。上司と飲みに行ったときにも、部活動の集まりでも。そのためか「玉田は大阪へ行きたがっているんだな」ということが営業部長の印象に強く残っていたようで、大阪拠点の欠員が出た際に声をかけていただきました。
――念願がかなって赴任した大阪オフィスは、当時どのような状況だったのでしょうか。
僕のほかにはSEが1人いるだけでした。そこからアシスタントを新規で1名採用し、3人の拠点となりました。
東京とは大きく違う環境の中で、僕は最初の3カ月、マーケットに慣れるという目的でずっと飛び込み営業ばかりしていました。その間はSEもアシスタントも特に仕事がないわけです。
「このままじゃいけない、彼らにも仕事をお願いできる状況にしないと」と思うようになっていきましたね。拠点リーダーとしての責任感が芽生え始めた頃でした。
地域拠点の仕事は余白が大きく、自分自身でミッションを見つけられる
――玉田さんは、地域営業のミッションをどのように受け止めていますか?
元々僕が大阪へ行った頃はまだ地域営業という言葉はなく、東京の出先部署の一つという感じだったので、まずは関西圏でリストアップした約300社の大手企業を開拓すべく動いていました。
大阪オフィスは少人数の拠点だったので、こまかな役割分担はありませんでした。並行して代理店と関わるパートナー営業の仕事も担当し、マーケティングのような仕事にも挑みました。
今振り返っても、これはいい経験だったと思います。部署に縛られることなく、いろいろな仕事をすることで視野が広がりました。
今僕が地域で大切にしたいと思っていることは、「地域に根を張る」ということです。近くにいるからこそわかること、たとえば特定の地域に強い地場ベンダーやよく当たる競合がいるといったビジネス情報、サイボウズの社名や製品の認知度、メディアで目にするビジネストレンドの広がり方、行政の動きや地域文化など、その地域の情報に直接触れることで信頼できる情報を集めることができます。また、東京と比べると地域拠点はまだまだ人も少ないため、役割にとらわれず業務の隙間をカバーし合いながら一人何役もする必要があります。型が決まっていなくて悩むこともありますが、地域メンバーが自分たちの地域を盛り上げていくことには大きな喜びがあります。
――拠点の中で「これをやってね」と任される仕事もあるとは思いますが、それよりも必要なことを自分で見つけて挑んでいくイメージなのでしょうか。
そうですね。働き方もそうですが、サイボウズは「自分はこれをやる」と宣言し、実行していくことが求められる会社です。地域拠点の仕事は余白が大きい分、自分で宣言できる範囲が広いと思います。
――全国各地でパートナーさんが活躍してくれている中で、あえてサイボウズが拠点展開するのはなぜでしょうか?
極端なことを言えば、製品をwebで購入することもできるし、パートナーが全国にいるので、お客様に届けることはできます。それでも、地域ごとに地元に覚悟と愛着を持つサイボウズメンバーがいて、地域のお客さまへ情報を届けることには価値があると思っています。
Zoomなどを使って製品のデモンストレーションを行えば、東京からでも海外からでも同じように提案できます。でも、福岡の企業に「東京の人」が提案するのと「福岡の人」が提案するのとではお客さまの共感度合いが違うと思うんです。
ロジカルではないかもしれませんが、人の意思決定には感情も大きく影響します。サイボウズが「ここに拠点があります」と言えることは重要なんです。
会社が構想していなくても、人が移動することで拠点ができる
――働き方についても教えてください。以前、社長の青野さんは「本人の同意のない転勤は人権侵害だと思う」と発言されていました。ただ、拠点を展開していくとなると、転勤を伴う異動を命じざるを得なくなると思うのですが……。
青野が言っていた通り、「人を無理に異動させることはできない」というのがサイボウズの基本的な考え方です。だから、新しい拠点を作るときは、まず最初にそこで働きたいと思う人がいないか確認します。軌道にのって増員する際は現地での採用活動を始めます。
もし人材が見つからなければ、あきらめるか、後回しにします。「できないことはあきらめよう」という判断を柔軟に下していますね。
逆に、会社が構想していたわけではないのに、自然と拠点のようなものができることもあります。
――会社が構想していないのに拠点ができる?
例えば、家族のケアのために、岡山の実家に帰って在宅勤務で働いている社員がいます。技術的な知見がある人なので、地元・岡山の企業に貢献して、新しいナレッジがたくさん生まれています。
最近では家族の転勤のために新潟に引っ越し、在宅勤務を始めた人もいます。新潟に拠点はないのですが、本人から「新しく関越グループを作りたい」と提案があって、それが実現しました。
この7月はちょうど組織変更のタイミングです。会社としてはこれまで営業所と呼んでいた拠点配置の考えを改め、全国をグループで分けるエリア制のような体制とし、部の名称も「リージョナル営業部」に変更しました。
こうすれば既存の拠点の場所に縛られず、メンバーが住みたい場所のグループに属して働くことができます。新型コロナウイルスの影響で、先々は「地元へ戻って在宅で働きたい」と考える人が増えるかもしれません。一人ひとりの希望を無理なくかなえていきたいと思っています。
仕事の一環で地元へ恩返し。東京じゃなくても、刺激的な体験ができる
――玉田さんご自身がそうであったように、「地元へ帰って働く」「好きな土地で働く」というスタイルは今後も増えていきそうですね。
故郷に貢献したいという気持ちや、地元への愛着は、誰しも持っていると思うんです。サイボウズには特定の業種や職種に限らずいろいろな顧客・パートナーがいます。規模も大小様々でほんとうに幅広い領域で活動できるので、仕事の一環で地元へ恩返しすることもできます。
最近では自治体で、新型コロナウイルス対策や給付金・助成金申請などの業務にkintoneを活用していただく動きがありました。
何かしらの形で貢献をしながら地元に根づいていけるのは、この働き方ならではだと感じますね。
――最後に、これからに向けてのリージョナル営業部の展望をうかがえればと思います。
ちょっと個人的で大きなことを言うのですが、僕は「東京一極集中の解決」をライフワークにしたいと思っています。
東京一極集中が必ずしも悪いわけではないのですが、地域ごとに個性的な都市があり、文化があるという世界観を盛り上げていく動きができれば素敵じゃないですか。
その地域で生活している人がサイボウズのサービスを使って元気になる。企業活動やまちづくりなどリージョナル営業部のメンバーがその地域ごとに最適なやり方を地域の人と一緒につくっていってほしいと思っています。そして良いやり方は東京や海外含めた他の拠点へ共有して、地域発信であたらしいことを作っていければ、世の中の流れが変わるかもしれません。
かつての僕がそうだったように、20代や30代の人は、就職などを機に東京へ転出することが多いと思います。反面、地方では人口が減少し続けています。今後は東京から地方へ人が逆流する動きを起こしていきたいですね。
そのための受け皿を拡大する意味でも、僕はサイボウズの地域営業を成長させていきたいと思っています。情報共有を大切にしているサイボウズでは、東京にいなくても同じ情報をリアルタイムで得られます。東京じゃなくても、刺激的な仕事ができます。
地元や大好きな地域を元気にする。そんな文脈で一緒に頑張れる仲間が増えてくれるとうれしいですね。