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─── ウマ娘は人間と比べて嗅覚に優れている。
人間の嗅覚を得たことなどないため比較は出来ないが、周囲よりも匂いに敏感だと感じたことはある。
時々ウマ娘以外のデータを得るために、彼に同じトレーニングをこなしてもらう時がある。 並走に付き合わせたり、筋力の増大を重視したトレーニングだったりと、何にせよトレーニングを終えたあとの彼は毎回酷く疲労しているようだった。
それでも何故か、私が良質なデータを得ることが出来たことを伝えると、彼は嬉しそうな顔をする。私が言うのも気が引けるが、彼は相当な変人なのだろう。
それと、あとひとつ。トレーニングを終えたあとの彼は、何故か芳しいと感じられる匂いを醸し出していた。
人間の男の汗の匂い──こういう表現だと嫌悪感の対象になりかねないが、彼はまた別だった。
何故か安心感を覚えるような、優しい匂い。
私は彼の匂いが好ましいとさえ感じられた。それも、ずっと嗅いでいたいと思ってしまうほどに。
だからこそ、今目の前にトレーニング後の彼のジャージが放り出されている状況には頭を抱えていた。
トレーニングメニューを終えたあとのトレーナー室。私はジャージ姿のまま私の好きな匂いを放つそれを手に取る。
(トレーナー君は……確か緊急会議でそのまま会議室へ、つまりあと30分は……)
乱暴にソファに投げ出されたジャージは少しだけ汗で湿っており、人間にとってウマ娘のトレーニングメニューがどれだけ過酷なものか理解が出来た。
それでもなお、私の実験に付き合ってくれる彼を考えると、不思議と鼓動が早くなる。その上、普通なら嫌悪感を覚えるだろう汗の刺激臭さえ私の今の感情を構成する1つとなっていた。
(ああ、これだ……彼の匂い……私はこの匂いが……)
まるで目の前に彼が居るように感じられて、脳がクラクラしてくる。彼の身体からはドーパミンを分泌させる効果がある匂いでも放っているのかと思えるくらい、今度は身体が疼きはじめる。
これまで何度も何度も我慢してきた。普段もそうだが、トレーニングを終えたあとの彼が目の前に居るとその匂いを体内に取り入れたいという気持ちでいっぱいになって、今すぐ正面から飛びついて彼の匂いを直接嗅覚に浸透させたいという邪な感情に襲われる。ずっと抑えるのに必死だった。
でも、今は違う。
目の前に彼は居ない。更にいえば、私の好きな彼の匂いだけを放つそれが放り出されている。こんなに都合の良い事が起きるだろうか。
若干の躊躇いを覚えながらも、私は手に取った彼のジャージにゆっくりと顔を埋めていく。
徐々に吸い込む空気に彼の匂いが混じってくる。まだ戻れる、まだ引き返せると念じながらも彼の匂いを嗅いでいると自制心などとうに殺されてしまったかのように思えた。
そして、嗅覚が全て彼の匂いに支配されてしまった頃には。
「─────っっっ……!?♡」
脳はピリピリと甘い痺れを訴え、微弱な電撃が身体中に走る感覚。
身体が疼き始めたのである。
「はー……はー……これはっ、すごいっ……な……♡」
一度顔を離しても、再び引き寄せられるようにジャージに顔を埋めてしまう。
自分がウマ娘出なければこんな気持ちに至ることなどなかったのだろうか。人間であれば、この嗅覚は正常を保つことが出来たのだろうか。どちらにせよ、こんなにも異常な行動に走ることなどなかったはずだ。
「すんすん……ん、すーーーっ……はぁぁーーーっ……♡すぅぅーーーっ……♡」
プライドも何もかもを投げ捨て、嗅覚に彼の匂いを染み込ませるかのように深呼吸をする。なんとも言えない刺激的な汗の臭いと絶妙な雄臭さが混じって、常人ならば鼻を摘んでしまうような匂い。それでも──
「んっ、すぅーーー……はーーー……♡すぅぅーーー……♡んっ……は、ふぅ……ん、はぁぁ……♡」
それは私の大好きな匂いだった。嗅ぎ慣れた彼の柔軟剤の匂い、汗の匂い、そして私と2人で過ごすことによって自然と染み付いてしまったであろうほんの少しの薬品臭。全てが彼を構成する匂いであり、今の私の感情を埋めつくしている匂い。
止めることができなかった。ここまで感情を支配されるのは初めてだったから。
もっと嗅ぎたい、もっと染みつけたい、もっと……彼を感じていたい。
気がついた時にはソファに倒れ込んでいた。身体を縮こまらせ、全身を埋め込むようにジャージの匂いを嗅ぎ続ける。
「んっ、すんすん……すーーー……んんっ……はぁ……すぅ……はぁ……トレーナー君っ……♡」
じわじわと身体に汗が滲んでくるのが分かる。そういえば、会議に行ってる間にシャワーを浴びておけだの何だの 言われていた気がする。でも、今はもうそんなことはどうでも良い。
彼の匂いが好き。彼の匂いを感じていたい、私のものにしたい──という感情に蝕まれていく。
暑い。ジャージの上を脱ぎ捨てる。汗をかいた肌が外気に触れてひんやりとした感覚。気持ちいい。
「すぅ……はぁ……♡すーーー……はぁぁぁっ………♡」
脳内が彼でいっぱいになっていく。はっきり言っていい匂いとは言えないこのジャージを好き好んで嗅いでいる私は、彼に負けず劣らずの変人なのだろう。それでも匂いを嗅ぎ続けるのをやめられない。
──今の私は、嗅覚から脳内、感情、全てにおいて彼に支配されてしまっている。
「はーーー……♡ん、すき……このにおい……すぅぅーーーっ……ふぅぅ……す、き……♡」
徐々に意識が朦朧としてくる。身体の痺れは脳を覚醒させるには十分だったが、あまりの刺激の強さに身体のチカラが抜けていくのが分かる。今の自分がどういう状態なのか分からない。ふわふわして、ぴりぴりして。
脳が溶ける感覚にまで襲われ始め、とうとう私の意識は大好きな匂いに包まれながらシャットアウトされた。
疲労、困惑、興奮、そしてほんの少しの快感。
未知の感覚は、私の身体中を侵食していた。