それから毎日、私たちはデートを重ねた。
私たちはひたすら【忘れられない思い出作り】を行っていったのだ。
2人で色々なところに行った。
図書館での読書、映画鑑賞などのインドアはもちろん、ハイキングや水泳など、普段は縁遠いアウトドアにも手を出した。
ハイキングでは山登りの途中でトレーナーさんの体力が尽き――。
水泳では泳ぐことを早々に放棄、砂遊びに興じて1日を費やしたけれど……。
それでも、トレーナーさんと一緒なら楽しかった。
2人で電車に乗って遠出したりもした。
遊園地でお化け屋敷に入った時は、叫びあって走り抜けた。
動物園のふれあいコーナーでうさぎを触ったり、美術館ではトレーナーさんが飾られた美術品をきらきらした目で見ていた。
考え付く限りの様々なことをした。
私はとても楽しかったし、トレーナーさんも楽しんでいたように思う。
私もトレーナーさんも、どこか焦っていたと思う。
タイムリミットがあるのだ。
数年のうちに、トレーナーさんは思い出を記憶できなくなる。
だから、せめてそれまでに……。
そんな気持ちが根底にあった。
ふと、トレーナーさんの友人の言葉を思い出す。
【――ずっと、友達でいられると思ってたんです――】
あの悲しそうな声が、心のどこかに引っかかっている。
ある日のこと。
いつものように2人でデート。
図書館からの帰り道。
夕日がきれいだという話から、海でも見て帰ろうということになった。
私たちは2人で砂浜を歩いた。
2人とも、なんとなく無言。
少し前までは沈黙が続くと妙に気が焦ったものだけど、今ではそんなこともない。
気持ちが通い合っていれば、無理に喋らずとも心地よい時間を作れることを、トレーナーさんとの時間を過ごす中で学んだ。
「ひょっとしたら……大丈夫かもしれない」
トレーナーさんが不意に、ぼんやり呟いた。
「何がですか?」
「昔はよく感じてた、何かを失ってしまったって言う漠然とした喪失感が無いんだ」
トレーナーさんは夕暮れに染まる海を眺めて言った。
「記憶を維持できてる。スズカと同じ思い出を共有できている。周囲とのズレを感じなくなってきたんだ」
「え……」
「やっぱり、ループが症状の進行を抑えてくれてるみたいだな」
「……本当、ですか?」
トレーナーさんは小さくうなずく。
「俺としては、このままずっとループが続いてくれればと思ってるくらいさ」
いつものように冷静でいるようにも見えるけれど、その口元には笑みが浮かんでいる。
辛いものや苦しいものから、解放されたような表情だ。
「……そうなんですね」
私も、胸のつかえが取れたような気持ちになった。
きっと全部、私の気のせいだったんだ。
トレーナーさんが同じ本を読み続けたのは、単純にその本が気に入っていただけで。
トレーナーさんの反応が同じように見えたのも、きっと私の思い込み……。
そうだ。
そうに決まってる。
私は自分に言い聞かせるように、繰り返し心の中で気のせいだと唱え続けた。
「……良かったです、本当に……」
ループがそう簡単に終わるとは思えない。
多分、これからもずっと8月30日は続いていく。
そして、トレーナーさんと私はずっと思い出作りを続ける。
「最近はすごく、心穏やかに過ごせてる。これもスズカのおかげかもしれないな」
「私はそんな……大したことなんて出来ていません」
「あのさ……スズカはいいのか?」
「え?」
「いつも俺と一緒にいるじゃないか。ほら、エアグルーヴとかスペシャルウィーク、マチカネフクキタルとかいるだろ……これでも少し、申し訳ない気持ちなんだ」
トレーナーさんは気遣うように私を見つめる。
「迷惑じゃ……ないか?」
「わ、私……ですか?」
トレーナーさんはうなずく。
私はしばらく考えて、口を開く。
「私も楽しんでいますから……」
…………。
「あー……俺も……」
「はい?」
…………。
「俺も……スズカと一緒にいる時が、一番楽しいよ……」
……。
…………。
「……あ、ありがとう、ございます……」
「あぁ……」
……。
…………。
しばらくの間は、また無言。
さざ波の音だけが、耳をくすぐる。
夕暮れの赤色は濃くなり、空は東から紺色の薄いグラデーションがかかり始めていた。
砂浜には、私たちだけが歩いている。
2人で砂浜を独占しているように思えて、少しリッチな気分だ。
「しかし、あれだな」
トレーナーさんが気持ちを切り替えるように呟く。
私も気持ちを切り替えて、トレーナーさんを見た。
「昔、散歩はひとりになりたい時にするものだったが……2人で、というのも悪くないな」
「……よかったです。本当は、私の方こそ迷惑じゃないかなって思ってたので」
「迷惑なわけないだろ。好きな人のそばにいられるのは、幸せなことじゃないか」
「そうですね。では、私と一緒です」
互いに笑いあって、しばらく歩いた後のこと。
「え……」
「あれ……」
私たちは同時に立ち止まった。
問いかける様な視線を互いに向け――。
……。
…………。
そして、またトレーナーさんは歩き始め、私も慌てて後についていく。
……どうしよう。
……好きだと言われた。
トレーナーさんに好きだと、言われてしまった。
意識した途端、全身が熱くなった。
「あ……あの……確認しても、いいですか」
「……なにをだ?」
「あの……私の勘違いだったら、本当に申し訳ないのですが」
次の言葉が出てこず、たどたどしく尋ねる。
「今のは……その……ひょっとして……一般的に、愛の告白と呼ばれるものでは?」
「……図らずとも、愛の告白と呼ばれるものだろうな……口が滑った」
「……口が、滑ってしまったんですか?」
トレーナーさんがこくりとうなずくのが、背中越しに分かる。
よく見れば、トレーナーさんの耳は真っ赤になっていた。
きっと私はもっと真っ赤だ。
手が震えていた。
胸は痛いほど高鳴っている。
歩くのもままならないくらい、感情の波は激しく私を揺さぶっていた。
「……あのさ……」
「は、はい。なんでしょう」
「OK……だったり、するか?」
……。
…………。
興奮が少しだけ収まった。
トレーナーさんの申し出が、どういうものか一瞬考える。
今、私は幸せだ。
こんな日々が続くなら、きっと私はずっと幸せだろう。
それに……私がそばにいることをトレーナーさんが喜んでくれるなら、何も躊躇することはないと、そう思えた。
彼の背中を見つめる。
「OK……だったり、します」
小さな声でそれだけ呟いた。
長い沈黙のあとで。
「嬉しいよ、スズカ」
トレーナーさんはそう言ってくれた。
その日、その時……。
私たちは、恋人同士になった。
その夜……。
何事も手に付かず、私は早々にベッドに潜り込んだ。
ぼーっとして……。
不意に、夕方の出来事を思い起こして……。
意味もなく足をバタつかせては、またぼーっとして。
そんなことの繰り返し。
気持ちはふわふわと浮つき、地に足がついていないとはこのことだろうなあ、なんてことを微かに考えた。
それから……。
ふと【トレセン学園生徒会によるデート必勝法】を思い出す。
何度も目を通し、内容はきっちり暗記している。
――デートにおける戦いの場はデート中にあらず。
――それはデートが終わった後にある。
――アフターケアこそが、マイナスをプラスに変え、プラスをさらに大きなプラスに変えるのである。
――アフターケアを怠るものは、敗者となることを覚悟せよ。
そう、そんなことが書いてあったはず。
つまり、今がそのアフターケアの時ということで。
「敗者にはなりたくないわ」
私は飛び起きてスマートフォンを取り出した。
電話をしようかと一瞬考えたけれど、そんなこと恥ずかしすぎて、出来るはずもない。
となれば、メッセージだ。
現代文明の英知に感謝しつつ、スマートフォンの画面をにらみつける。
けれど……。
何を書いていいのか、さっぱりわからない。
「ど、どうすればいいの。なんて書けば……顔文字とか、入れた方がいいのかしら……」
1時間ほど迷った割に、送った文面は極めてシンプルなものだった。
【ありがとうございました。楽しかったです】
なんともそっけない文面で、送った後に後悔した。
スマートフォンはすぐに鳴った。
慌てて手に取ったものの、画面を見る勇気は中々出ない。
あれは冗談だったとか、やっぱりやめますとか言われたらどうしよう、という不安がむくむくと首をもたげてくる。
いや、悩んでいても始まらない。
3回ほど深呼吸して……。
私は画面を見た。
【俺も嬉しかったよ】
それだけの文章。
でも、私は安心と嬉しさに涙が出そうになった。
文章を見つめ、恥ずかしくなって目を逸らし、また文章を見る。
その繰り返し。
スペちゃんがお風呂から帰ってくるまでに平静を保っておかないと。
そう思いながらも、やめられない。
胸は幸せな気持ちでいっぱいだ。
全てがいい方向に進んでいて、きっとトレーナーさんの病気も悪くなることは無くて……。
私たちは幸せに毎日を歩んでいける。
いつの間にか、私は微笑んでいる。
その日はループが起きるまで、一睡もできなかった。