言うんじゃなかったな
12話です。
更新頻度から分かる無計画性。
エイシンフラッシュに管理されないと無理ですね……だからお願い、来て……。
- 30
- 46
- 694
雨。
差した傘に勢いよく雨粒が当たる。
グラウンドに落ちて砕けた雨粒は、霧のように小さな粒子となって身体にまとわりついた。
それらの要素さえ楽しみながら、私はトレーナー室に向かった。
今日も雨の中、トレーナー室で待ち合わせ。
最近はこのくらいの時間に集まることが暗黙の了解となっていた。
私としては雨でも走ることがあるのでそこまで気にならないけれど、トレーナーさんは大丈夫なんだろうか。
「……お邪魔します」
部屋の中にはトレーナーさんしかいない。
いつものようにイヤホンをつけて、読書中だ。
私になんか目もくれない。
【Souvenirs quotidiens perdus】
また読んでる……開いているページからすれば、もうすぐ読み終わるのかもしれないけれど……。
じっくり読書するタイプなんだろうか。
「……スズカ。人のことをジロジロと観察するの、やめた方がいいんじゃないか?」
言われてはじめて、我に返る。
「ご、ごめんなさい。その本、いつも読んでるなって思って……」
「ああ、これか?」
トレーナーさんは本の表紙を見る。
「結構気に入ってるんだ。ミステリーの基本をちゃんと押さえつつ、人間ドラマとしてもとても面白いんだ」
そのセリフは前にも聞いた気がするけれど……。
「……面白いんですよね、とても」
トレーナーさんは小さくうなずいた。
まだ読書をやめるつもりがないトレーナーさんに思う所がありつつも、まあ別に、今日はなにをするとか決めてないので仕方ないか、と考え直す。
「私も読書しますね」
先ほど図書室で借りた本を机の上に出して、ページを開く。
「……ほう、それはそれは」
なぜかトレーナーさんが本を閉じて、私をじっと見つめた。
「ど、どうかしましたか?」
「特になにも。さあ読書を続けてくれ」
「……はあ」
気持ちを改めて、読書に集中しようとするのだけれど。
「…………」
ちらりと、横を見ると……。
なぜかトレーナーさんがこちらを見ている。
じっと身動きせず見ている。
まばたきもせずに見ている。
私の顔をひたすら見ている。
「じ、地味に怖いですトレーナーさん。せめてまばたきをしてください」
「普段は俺の方がジロジロ眺められているからな。俺の居心地の悪さを、スズカも思い知るといい」
……居心地が悪い……。
「いや……せめてまばたきはしてください。お願いですから」
夕方。
「今日はどうしましょうか、トレーナーさん。昨日は私が決めましたから、今度はトレーナーさんが決めていただけると……」
「そうだなあ……じゃあ、図書館に行くのはどうだ?」
「え?」
「覚えてないか? スズカが俺たちみたいにループの経験がある人がいるかもしれないって言ってたやつ。新聞や雑誌のインタビューで答えてるかもしれないから、図書館に行こうって話になってただろ?」
でも、図書館は昨日行ったばかりなのに……。
「どうかしたか?」
「い、いえ。なんでもない、です……行きましょう、図書館に」
図書館は大好きだし、またトレーナーさんと本について色々語り合うのもいい。
けれど……。
今から行くと、前回のループの時のように、あの男の人に会ってしまうかもしれない……。
「あの、トレーナーさん。前のループと同じようにお知り合いの方とまた……って」
すでにいない。
「なにをもたもたしてるんだ! 行くぞー!」
「あ……は、はい!」
意外に乗り気だ。
私は考え直して、トレーナーさんの後を追った。
再び図書館にやってきて、昨日と同じような会話をして、昨日と同じように手分けして資料を探すことになり、そして――。
これもまた、昨日と同じように。
「あの……」
トレーナーさんのお友達が話しかけてきた。
前回と同じ格好で、前回と同じように、少し緊張しているような表情だった。
「すみません、突然声をかけて」
「いえ……何かご用ですか?」
努めて冷静にそう返した。
「サイレンススズカさん、ですよね。私、あなたのファンでして……」
「……そうなんですね、ありがとうございます」
「あの……今、一緒に図書館に来てる男は、あなたのトレーナー……ですよね」
「はい、そうです。ご存知なんですね」
「もちろんです。大学が一緒だったので。彼と」
「……そうなんですか」
「それで、少し彼のことでお話したいことがありまして……来ていただけますか?」
そう言って、彼は歩いていった。
少しの間、ためらう。
トレーナーさんのことは気になる。
昨日、彼が何を言おうとしていたのか……確か、トレーナーさんの担当は外れたほうがいいとか。
ただの悪口の類とは思えなかった。
彼の口調は切羽詰まっていたし、彼に会ったトレーナーさんの言動も――少しおかしかった。
プレイベートに踏み込んではいけないと、思いつつ……。
やはり、トレーナーさんのことが気になった。
罪悪感を覚えながらも、私は彼の後を追っていった。
図書館の外に出る。
いつものように穏やかで美しい夕暮れの中で、彼は硬い表情で私を見ていた。
私が同じ反応をする限り、彼は同じ行動をする。
8月30日のループを、肌で感じる瞬間だった。
「担当トレーナーが彼なら、代えた方がいいと思います」
「…………」
「スズカさんは後悔すると思います。なにより、あいつだって……」
ここだ……。
ここで私は、悪口ならやめてほしいと言った。
もし彼の言葉を止めなかったら、どんな話が聞けたのか、もうすぐわかる。
「……トレーナーさんが……なんですか?」
「いや……多分あいつが、一番傷つくんです。あいつはひとりで生きていかないといけない。そうしないとあいつは……」
「スズカ、なんで勝手に帰ろうとしてるんだ」
突然、声がした。
「と……トレーナーさん……」
昨日もこのタイミングでトレーナーさんが現れたんだった。
罪悪感がむくむくと顔を出す。
トレーナーさんはきっと、トレーナーさんに無断でこの人から話を聞こうとした私を怒るだろう。
そう思っていたのだけれど……。
「あれ、お前……なんだよ! 久し振りだな!」
トレーナーさんは懐かしそうな笑顔を彼に見せた。
「え……」
「こいつさ、高校時代からの友人なんだ。しばらく会ってなかったな、元気だったか?」
知ってますよ……昨日、そう言ってたじゃないですか。
そう言いかけて、やめる。
トレーナーさんは本当に、久しぶりだというように彼を見ていたから。
打ち解けた態度で、トレーナーさんは彼に歩み寄ろうとした。
それを恐れるように、彼は一歩下がった。
「寄るなよ。お前とは縁を切ったんだ」
「……え……なんだよ、それ……」
「そんなことも忘れたのかよ! くそ!!」
彼はそれだけ言って、足早に去っていった。
今度は大きな声に驚くこともない。
私はもっと別のことに驚いていたから……。
「あの……トレーナーさん、今のは……」
トレーナーさんは寂しそうに、去っていく彼の姿をじっと見つめた。
それから、重たいため息をつく。
「……さあな。虫の居所でも悪かったんだろ」
トレーナーさんはそれだけ言って、あとはこの話題に一切触れようとはしなかった。
全てが前回と同じだった。
私には全く、何が起きているのかわからなかった。
ただ肌を焼くような、妙な焦りを感じていたのだ。
帰り道……。
前回と同じような雰囲気で歩き続ける中、その間もずっと、疑問は頭の隅でくすぶっている。
トレーナーさんの友人が語ろうとした話の内容。
トレーナーさんの態度。
どちらも同じくらい気になって、どちらも同じくらい、聞いてはいけないようなことの気がしていた。
好奇心からつい口を開いたその時――。
「あの、トレーナーさん」
「実はさ、詩の創作が趣味なんだ」
「え……」
突然の言葉に、私は出かかった言葉を飲み込んだ。
「急に、どうしたんですか?」
「ふと、スズカの趣味はなんだろうなって考えてさ。思い当たらなかったが、スズカからしたら俺の趣味も教えたこと無かったなって」
「え、ええ……はい、そうですね」
「……反応、薄いな。こっちは恥ずかしいのを我慢して話してるって言うのに」
その言葉に驚いてトレーナーさんの方を見ると。
彼の顔には少しだけ、赤みが差しているようにも思えた。
月と星の明かりが照らす中、彼は私から視線を逸らし、少し口をとがらせるようにしている。
「……ふふっ」
なんだか優しい気持ちになって、少し笑ってしまった。
「なんだよ、今の笑いは」
「え……」
「お前みたいな奴が詩の創作とは笑わせる、ってか? 悪かったな、似合ってなくて」
「い、言ってませんよそんなこと。素敵だと思います」
「バ鹿にしているように聞こえる」
「そ、それはいくらなんでも被害妄想です」
トレーナーさんはますます不機嫌な表情になって、言うんじゃなかったな、なんて呟いた。
それでも、本当はそれほど不機嫌ではないように見えた。
今さら気づくのも遅すぎる気はするけれど、彼は私と一緒に歩く時、私の歩調に合わせてくれる。
一人の時はもっと速く、すたすた歩くのに私と歩く時はゆっくりだ。
「……感情を文字に残すっていう作業が好きなんだ。そしてその表現には、詩って言う形が、俺には一番ぴったり来るような気がするんだ」
トレーナーさんは頬を掻きながら呟く。
「現実って言うのは人の数だけあると思う。今、俺らの頭上にある月ひとつ取ってみても、俺とスズカでは違う感想を抱くはずだ」
なぜだろう、トレーナーさんの言葉は不思議と耳に心地よい。
「そして俺はきっと、次のループでは、同じ月を見て違う感想を抱くだろう。だから……今ここにある月は俺にとってもスズカにとっても、人生でたった一度きりの、そして他人とは共有できない特別な月なんだ」
トレーナーさんは気づいているのだろうか。
彼の顔から不機嫌さはすでに無くなっていて、とても優しい表情で月を見上げていることに。
月の青く美しい光は私たちを照らし、薄い影を道に映す。
そんないつもの光景は、どこか作り物のようだった。
非日常な世界に迷い込んだかのよう。
「詩なんて言うとさ、少し恥ずかしいような響きになるのは……どうしてなんだろうな」
穏やかで優しい口調と表情。
いつもの作ったような不機嫌さも、どこか張りつめたような雰囲気もない。
それが多分、トレーナーさんの本質なのだろう。
こういうのは、いいな。
月が出ていて、さざ波の音を聞いていて、周囲にある人影と言えば私たちのものだけ。
風は凪ぎ、夏の夜の空気もどこか涼しげに感じられる。
静かな海岸通りを歩き、詩についての考察を聞く。
とても満足で幸せだけれど……胸の奥が苦しくなるような、そんな感覚。
「ただ単にその時の感情を、その時見た世界と共に書き記す手法のように、俺には思えるんだけど……」
トレーナーさんが私を見て、言葉を止めた。
目が合う。
それだけのことに、なぜだか少し恥ずかしさを覚える。
「ど、どうしたんですか?」
「今、ちょっとバ鹿にしてなかったか?」
「し、してませんしてません」
「でも、笑ってた」
「そ、それは……こうやってトレーナーさんと歩くの、なんだか好きだなって思ったからで……」
トレーナーさんは少し驚いたように私を見て、一方口を滑らせてしまった私はとても顔が熱い。
……。
…………。
なんだろう、この落ち着かない沈黙は。
「……はぁ」
「ど、どうしてため息を?」
「遺憾ながら、生徒会様の提案は順調に成功してるなって思ったんだ」
そう言って、トレーナーさんは微笑む。
「……はい。仲良くなってますね」
少し照れながらも。
私は微笑んでそう返した。
図書館での出来事は、きっと偶然か何かなのだろうと。
その時は、そう思い込んでいた。