「い、急がないと……」
トレーナーさんと一緒だということが分かった次の日。
正確には、次のループの朝。
私は足早にトレーナー室に向かっていた。
今日はループ調査に関する最初の日である。
早めに集まろうとトレーナーさんは言っていた。
ではなぜ、急いで走っているのかというと。
食堂でおばさんが、上機嫌の私を珍しいと思ったのか話しかけてきたのだ。
『明日、スズカちゃんのトレーナーはいなくなるんだろう……? なのになんでそんな機嫌がいいんだい? ……あ、もしかして合宿でなんかあったのかい? 相談に乗るよ? 大丈夫、おばちゃん口堅いから!』
本当のことを言えず、口ごもる私も悪かった。
その様子を怪しいと思ったのか、義憤にかられる始末。
『スズカちゃんを悲しませるなんて、あの若造ただじゃおかないよ! とっちめてやるかんね!!』
『あの、おばさん。違くて……』
『何が違うんだい!』
私は、もうこれしかない、という半ばやけくそ気味に言い放つ。
『あの、その……今日、ずっと一緒なんです……』
その言葉を聞いたおばさんは口をポカンと開けて。
次の瞬間には満面の笑みで私の肩を叩いた。
『そうかいそうかい! うまくやるんだよ!』
これ以上ない元気な声で送り出された時には、集まる予定時刻とほぼ同時。
必然、大慌てでトレーナー室に向かって走ることになる。
ようやくトレーナー室に辿りついて。
「ふぅ……よしっ」
私は一回深呼吸をして、トレーナー室の扉を開いた。
「おー、おはよう。スズカ」
「おはようございます……すみません、遅れてしまって」
「別にいいよ。時間なら有り余ってるし」
とりあえず座りな、とトレーナーさんは私をパイプ椅子に促す。
その間にトレーナーさんはホワイトボードを用意して、私とミーティングをするような形になる。
「じゃあ、今回のテーマだが……どうやってこのループを抜けるか、だ」
「はい」
「とりあえず昨日も話したが、ループに関して分かっていることを整理しよう。敵を知り、己を知ればなんとやらだ」
私が頷くのを確認すると、トレーナーさんはホワイトボードに今までに分かったことを書き記していく。
・8月30日がループしている?
・ループに気づいているのは俺たちだけ?
・ループの原因は?
・身体的な状態はループ時にリセット?
・物の場所などの物理現象もすべてリセット?
・ループを越えて持ち越せるのは記憶のみ?
「……とりあえず分かってるのは、これぐらいか」
ホワイトボードを眺めて、トレーナーさんは満足げに息をつく。
「全部後ろに疑問符があると、分かってるとは言いがたいですね……」
「それは仕方ないさ。確実かどうか分かってないからな。それをこれから検証していくんだ」
もし、この場にタキオンがいたら目を輝かせて飛びついてきそうね。
「あ、でもひとつだけはっきりしてることがある」
トレーナーさんは私に向き直る。
そして、たっぷりとした間を持たせる。
トレーナーさんがこういう時間をとったときは、よほど自信がある証拠だ。
「それは、一体……?」
トレーナーさんは自信たっぷりに告げた。
「これは人災だ」
「え……」
人災って……人が自分の意志で起こした災害のことよね……?
私は目を丸くしてトレーナーさんを見つめた。
「あ、あの、トレーナーさん? それって結構、すごいこと言ってるんじゃ……」
そんなの知ってる、と言わんばかりにトレーナーさんは頷いてみせる。
「あの……根拠はあるんですか?」
恐る恐る聞いてみる。
「単純なことだ。ループが同じ1日を繰り返しているっていう事象1つでも気づくことはある」
「えっと……?」
要領を得ず、聞き返す。
「まず、スズカは0時ぴったりにループが発動することを知ってるか?」
「はい、知ってます。その時間まで起きてた時があったので」
「そうか。なら8月30日の起床時間に戻されるということも分かってるな?」
「はい」
「つまりだ。そもそもの話、1日って言うのは人間が定めたものだろ? その定義にループの発動時間が寸分の狂い無く沿っているのなら、この現象には高確率で人の意志が関わっているとみていいだろう」
「な、なるほど……」
確かにそうかも、と納得する。
0時ぴったりにループが起きるということがまずおかしいのだ。
「あれ……? でも……」
そこでひとつ、疑問が浮かんだ。
「どうした、スズカ」
「あの……ループの働きが、地球の自転周期と関係していたりしませんか……?」
前に読んだ本で、昔は18時間しかなかったというような題材のものを思い出した。
内容は深く覚えていないが、自転は確か時間と関係があったはず。
「なるほどな……だけどループに関しては関係ないぞ、自転は」
「そ、そうですか……?」
「地球の自転周期は約23時間56分4秒。0時ぴったりに発動するループとは3分56秒もの差が出る。つまり自転周期との関係は完全に否定することができる」
「は、はあ……」
自分で言い出しておいてなんだが、わけが分からない。
でも、トレーナーさんが言うならそうなのだろう。多分。
「まとめると……人間の定めたルールに従って起きるループ。そして俺たちの記憶だけ、何故か偶然都合よくループを持ち越せていること。これらを考え合わせるに、これは人災である確率が高い」
そして! とトレーナーさんが右手の握りこぶしを突き出す。
「人が起こした現象なら、人とウマ娘である俺たちにも、この現象を止められる可能性は十分あるってことだ!」
……反論できない。
いや、反論しなければいけないという義務はないのだけれど。
今までもそうだったけれど、こういう時のトレーナーさんからは、一度やり遂げようとするものは必ずやり通すという強い意思を感じる。
そして希望が無かったに等しかった状況から、元に戻る可能性を見出したのだ。
単純にすごいと思った。
「でも、まあ……」
そのルールを知ってる神様が起こしたとしたら、どうだろうな。
彼は静かに、そう呟いた。
「それを言ったら元も子もありませんよ」
でも、あながち間違いではない気がする。
トレーナーさんと違って根拠はなかったが、私はそう思った。
――午後、雨が降り止んで少し経った頃。
食事を終えた私たちは、トレーナー室で引き続きミーティングをしていた。
「じゃあ、今回の研究は【俺たち以外にループしてものがないか】を調べよう」
「はい」
「基本的には個別行動。手分けしてループしていない物を見つけてそれを観察。そして明日も同じようになっているか見てみる……っていう形でいいな?」
「はい、がんばります」
トレーナーさんの言葉に私は元気よく返事をかえした。
「じゃあ、ここからは個別行動になるが……スズカ、走るのは観察が終わってからにしろよ?」
「トレーナーさん、それはさすがに……」
その言い方だと、まるで私がしょっちゅう走ってるみたいじゃないですか。
「ほう、否定できるのか?」
「はい」
はっきりとそう答える。
…………。
……謎の沈黙。
失礼じゃありませんか?
「……まあ、研究って言っても2人じゃサンプルデータとはとても言えないしな。1人でも変わらないか」
「トレーナーさん、私の発言は無視ですか?」
「それじゃ解散。明日は確認作業するんだからしっかりやれよ」
「トレーナーさん?」
私の問いかけは全部無視して、どこかへと行ってしまった。
……どうしようかな……。
一応自分で考えてみるものの、何も思いつかない。
トレーナーさんはどうしてるのかしら……。
個別行動といった以上、連絡しても出ないだろうし……
まずは学園内を歩いて、やることを見つけよう。
そう思った私は、グラウンドへ向かった。
ピリリリリ。
学園内を散歩中、唐突に着信音が鳴り響いた。
ジャージのポケットからスマートフォンを取り出す。
相手は……トレーナーさん。
嫌な予感がする。
「……もしもし」
『なんでジャージ姿なんだ』
「えっ……ど、どうして……」
『走るつもりなんだろう』
「そ、それは……」
『はあ…………』
今まで聞いてきた中で、一番大きいため息をつかれた。
辺りを見回すが、トレーナーさんの姿は無い。
どうしてバレてしまったのだろう。
『……ま、分かってた。分かってたさ』
「そ、その……トレーナーさん……」
『あんまり無理するなよ? 夜でもいいから、なにかしら観察してくれよ? それじゃ』
それだけ言い終えると、トレーナーさんは電話を切った。
そんな風に言われてしまっては、走るものも……走れるのだが、なにか悔しい。
これでは明日、散々煽られてしまうだろう。
しかしそんなことよりも、気になることがあった。
「……なんで分かったのかしら」
ジャージに着替えた後、すれ違ったウマ娘はいない。
その前に、トレーナーさんは私以外のウマ娘とトレーナーとはあまりコミュニケーションをとらないきらいがある。
とったとしても、私の練習に付き添うスペちゃんや食堂のおばさんくらいだろうか。
新人といえば新人の立場なので、一人のウマ娘に付きっ切りになるのは珍しくないのかもしれない。
……が、トレーナー間の交流をしないのは問題があると思うけど。
つまり、私を見たウマ娘やトレーナーが彼に口添えする可能性は低い。
だとしたら……実際に見られたのだろう。
でも、どこから?
もう観察を始めてるのだとしたら、その場からは動いていないはず。
そして、今この場所で見回して姿が見えないということは。
「高い所にいるのかしら……」
校舎の中、もしくは屋上とか。
でも、そこでもうひとつ疑問点が浮かぶ。
「何をしに行ったんだろう」
トレーナーさんが何を観察するのか、気になる。
そんなことを考えながら準備運動を終えた私は、昼の雨で少し重くなったグラウンドを駆け抜けた。
夕暮れの屋上を、涼しい風が吹き抜けていく。
屋上から見える景色はどこまでも赤く染まっていて、この場所を別世界のように思わせた。
トレーナーさんの姿を見かける。
トレーナーさんはただぼんやりと、上空を流れる雲を見つめていた。
「トレーナーさん」
「ああ、スズカも来たのか」
振り返ることもせずに、トレーナーさんは答えた。
「はい。トレーナーさんは何を見てるのかなと思いまして」
「何を見てると思う?」
トレーナーさんの問いかけが少し意外だった。
普段だったら、こういう静かな空間では「邪魔をしないでほしい」とか言ってくるはずなのに。
思わず彼の横顔を見つめた。
彼は心を奪われたように、ぼんやりと空を眺めている。
「あの……ひょっとして、雲を見てるんですか……?」
「正解だ。雲の形や流れは条件によって大きく変わるからな。なにか掴めると思ってたんだが……」
トレーナーさんは微笑む。
「考えてみれば、こんなに複雑で流動的な雲の形を覚えていられるはずないなって考え直してたんだ」
……確かに、見上げる雲の形は様々で刻一刻と変わっていく。
とても覚えられるようには思えない。
「でもまあ、たまにはいいよな。こういう所でぼんやりするのも」
「あの……ごめんなさい」
「なんで謝るんだ……ああ、走ったことについてか」
「いえ、そうではなく」
「違うのかよ」
「……いつも、ひとりの時間を邪魔するなって言われるので……」
「俺、そんなに感じ悪いか?」
「あ、いえ、そういうことが言いたいわけじゃなくて、その……ごめんなさい」
またあとで……とその場を去ろうとしたのだけど。
「いいよ、別にいても。自分で言っておいてなんだが、きっと次のループでも雲の形は一緒だろうし」
トレーナーさんはずっと空を見ている。
「まあ、スズカでも話し相手くらいにはなってくれるだろう?」
トレーナーさんの言葉にほっと息をつく。
「よかったです。じゃあ私も雲の形を覚えます」
「……今のは、怒っても良い所だと思うんだけどな」
「怒りませんよ、そんなことじゃ」
「そっか……それよりスズカ。本気でこの雲の形を覚えておくつもりなのか?」
「やってみます。やってやれないことはないと思いますから」
「じゃ……俺もそうするかな」
トレーナーさんはそう言うと、右手に持ってた本を鞄にしまう。
……本を?
「あの、トレーナーさん」
「ん?」
「本、読んでましたね?」
「…………読んでないぞ」
「トレーナーさん」
「なんだ」
「嘘はいけません」
「嘘なんてついちゃいない」
「じゃあ今しまった本はなんですか」
「雲の形をスケッチしてたんだ。明日に見返せるように」
「ループで物が元の状態に戻ることはお話したはずですよ」
「…………」
「トレーナーさん」
「はい」
「言うこと、ありますよね?」
「ごめんなさい」
それから私たちは日が沈むまでの間、雲を見ながら世間話をした。
結局雲の形を覚えることはできなかったけれど。
なかなかいい時間を過ごせたと思う。