明日も今日だったらいいのにな
前回の追記の通り、続きを書くことになりました。よろしくお願いします。
続きの展開は全然考えていなかったので、なんとか頑張って考えます。
重ねて、ブックマークやコメントを頂けるとは思っていなかったのでとても嬉しかったです。気に入っていただけたならなによりです。
追伸 戦国無双5が楽しいです。
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目を開けると、見慣れた天井が視界に入った。
夏の日差しはまだ弱く、部屋の中もそれほど暑くはない。
8月31日……。
今日はもう訪れないであろう、トレーナー室の片付けの日。
小さくため息をついて、ベッドから立ち上がる。
窓の外は昨日と同じ快晴。
大掃除にはうってつけの天気だ。
なにより、トレーナーさんの新たな門出にはぴったりだろう。
そう思う中で、1つ引っかかることがあった。
伝説の三女神様の像で祈った時に感じたこと。
違和感というか、懐かしさというか……。
例えるなら――思い出せそうで思い出せない夢。
「なにかあったような、なかったような……」
頭を振る。
自分ひとりで考えてもしょうがない。
それより、スペちゃんを起こさないように準備をして、トレーナーさんの所に――。
「……あら?」
普段ならまだ眠っているであろう時間なのに、スペちゃんのベッドには誰もいなかった。
たまには早起きもするだろうけど、昨日は合宿から帰ってきた日。
久しぶりの自分のベッドに、泥のように眠っているだろうと思っていたけれど……。
「そういう時もあるわよね」
考え事を中断し、制服に着替え、部屋を出る。
片付けの準備は、朝のうちに残りを済ませてしまおうとトレーナーさんと決めていた。
だから、今日はいつもより早めに寮を出るのだ。
そしてまず向かう先は食堂。
朝昼夜と三食はきちんととるようにしている。
これは体作りはもちろんのこと、食生活をおろそかにしがちなトレーナーさんをちゃんと注意できるように、という予防線でもある。
「おばさん、おはようございます。今日も早いんですね」
食堂のおばさんに挨拶をする。
「あぁ、スズカちゃん! 早いじゃない! おはようね!」
よかった、今日もこのおばさんだ。
食堂のおばさんの中にも担当日があり、私はこのおばさんの作るご飯が一番好みだった。
「昨日も担当日でしたよね。夏休み期間なのにお疲れ様です」
私は、ごく普通の世間話を振ったつもりだった。
そこから……私の【日常】はおかしくなり始めた。
「なーに言ってんだい、スズカちゃん! あたしは昨日休みだし、スズカちゃんはまだ合宿所だったろう?」
……え?
おばさんの言葉に絶句する。
でも、冗談をよく言うおばさんのことだ。今回も冗談に違いない。
「えっと……その……」
「スズカちゃんが帰ってくる日に合わせたんだよ? あたしの味、忘れたとは言わせないからね!」
お盆に続々と食器が置かれていく。
それを私はただ茫然と見送っていくことしかできなくて。
「はい、お待ちどうさま! 冷めないうちに早くお食べ!」
「は、はい……ありがとう、ございます」
促されるままテーブルにつく。
お盆の上には、昨日と同じ朝食。
どういうことなの……?
冗談には思えなかった。
本当に久しぶりに会ったかのような反応。
「あ、スズカちゃん! テレビ見るなら勝手に点けていいからね!」
おばさんが厨房から大声で呼びかけてくる。
……そうだ、テレビで日付を確認しよう。
そう思った私はテレビのスイッチを入れる。
「……え?」
テレビ画面を前に目をこする。
何度見返しても、画面に映っているものは変わらない。
気のせい……ではないみたい。
「嘘でしょ……」
リモコンを強く握りしめ、チャンネルを変える。
「さて、本日8月30日のお天気ですが――」
「えー、本日8月30日の朝のニュースですが――」
「8月30日になりましたが、夏休みももう終わりですね。学生の皆様は――」
「あれ……どうして……?」
どのチャンネルを回しても、日付の表示は8月30日。
混乱しつつも、納得のできる答えを探す。
私が昨日の日付を間違えていたのだろうか。
実は昨日は8月29日だったとか?
いや、そんなはずはない。
トレーナーさんとの最後の日を間違えるはずがない。
トレーナーさんだって、今日が最後だって言ってた。
スペちゃんだって帰ってきていたし、なおさらだ。
なら、私が8月30日の出来事だと思っていたものは……まさか全てが夢だった?
でも、あんなにはっきりと記憶に残る夢があるんだろうか……。
「そうだ……」
ふと、ある考えが思いついた。
私はスカートのポケットからスマートフォンを取り出す。
日付は……やはり8月30日。
メッセージの履歴を調べる。
昨日の夜、スペちゃんからメッセージが来ていたのを思い出したのだ。
【お疲れ様です、スズカさん! まだ戻ってきてないようですが、私は先に寝ちゃいますね! おやすみなさい!】
そう書かれていたのをはっきり覚えている。
しかし――。
スペちゃんからの最後のメッセージは、合宿を楽しむ様子のスペちゃんたちの動画だった。
これは昨日見たはずだ……。
つまり、私が思っていた文面はどこにもなくて。
……。
じゃあ、やっぱり気のせいだったのかな……。
大きく息を吸い。
それから吐き出す。
落ち着こう。
昨日の出来事は夢だったんだ。
そう考えれば、おばさんの言ったことは本当のことだと思えてきた。
それになにより、テレビとスマホの日付が何よりの証拠だ。
全部が同じように狂うなんてありえない。
むしろ、夢だとしか考えようがない。
「……こんなことがあるのね」
私は無理やり自分を納得させて、箸を取った。
「でも……本当にリアルな夢だったな……」
食事を終えた私は、休憩がてら学園内を散歩することにした。
天気は快晴。
どこまでも広がる真っ青な空。
大きな入道雲が、夏の日差しを受けて白く輝いているように見えた。
夏休み期間中ということもあり、普段よりウマ娘や人は少ない。
混みすぎず、静かすぎず、程よい密度だと思う。
――が、道行くウマ娘の服装や、時々耳に入ってくる話し声が、夢の中で経験したものに似通っているような気はする。
けれど……まあ……これも気のせいなのだろう。
と思った矢先、黒猫が私の前を横切っていく。
あれ……夢の中でも黒猫に横切られたような……。
……何かがおかしい。
ひょっとしてあれは予知夢だったのだろうか。
予知夢にしても、当たりすぎてちょっと怖い。
…………。
そうか。
夢の中と違う行動を取れば、この気持ち悪い状況から逃れられるかもしれない。
例えば、そう……。
学園内を出て、公園まで散歩をしてみるとか。
夢の中では学園内で散歩を終えていたし、気分転換にもなるだろう。
そう思って私は学園の坂道の少し上にある公園まで足を伸ばした。
やがて、公園が見えてきた。
海を眺められるように置かれたベンチの上に、誰かが寝そべっている。
「トレーナーさん……?」
見るとそこには、イヤホンをして本を読んでいるトレーナーさんがいた。
「全ての思い出が暗闇に消え去ってしまうのならば、現在というものに価値などあるのだろうか。男は涙を流しながら呟いた」
トレーナーさんの小さな声が言葉を紡ぐ。
本の内容を朗読しているようだ。
「長く険しい道のりも、辛かった経験も、泣きたくなるほどの嬉しさも、笑ってしまいたくなるような苦しみも、全ては記憶の上で成り立つ……ならば私の人生に、価値はあるのか。男はあえぐように天を仰ぎ見る」
集中して本を読んでいるようで、トレーナーさんは静かに、淡々と本の内容を口ずさむ。
邪魔をするのは、悪いわよね……。
それに、トレーナーさんの朗読を聞いていたい。
「ああ。この空の美しさも、この太陽の暖かさも、彼女の優しい微笑みでさえ、私には意味がない」
かすかに聞こえる波の音を背景に、トレーナーさんの声が薄く広がって消えていく。
朝の暑くなる前の陽光がトレーナーさんを照らしていた。
……思ったよりまつ毛が長いのね。
「私の人生とは一体――」
トレーナーさんが本から目を離して、私を見た。
どうやらトレーナーさんの観察に夢中になりすぎて、視界に入ってしまったらしい。
「あ……おはようございます。トレーナーさん」
彼は小さくため息をついて起き上がる。
「覗きか? タチが悪いぞ」
「覗きだなんて、そんな」
私は慌てて首を横に振る。
「集中してたみたいだったので、声をかけるのは悪いと思いまして……」
「へえ……覗きが趣味のウマ娘にしては賢明な判断だな」
「だ、だから違います!」
私の弁明を聞かず、トレーナーさんは本を鞄にしまうと歩き出す。
「あれ……もういいんですか、本は」
「人に見つめられながらじゃ、集中できないからな」
「ご、ごめんなさい……」
「……いいよ、もう気にしなくて。それにここにいるってことは休養のいいつけ守ってたみたいだしな」
…………。
やっぱり、トレーナーさんにとっても今日は8月30日みたい。
「ま、せっかくだ。集合は昼過ぎの予定だったが……トレーナー室、行くか」
「は、はい。行きます」
これは思わぬ出来事だ。
てっきり私はトレーナーさんの方にも午前は用事があると思っていた。
やっぱりあれは予知夢だったのだろう。
「なんかご機嫌だな、スズカ」
「ふふっ……そうですか?」
私が先ほどまで感じていた違和感は、もうすでに消え去っていた。
トレーナー室ではいつも通りの時間を過ごした。
コーヒーとカフェオレを飲みながらお話したり、読書を一緒にしたり。
というか、それだけだったけれど。
そんな満足いく時間を過ごしていると、トレーナーさんがふいに立ち上がった。
「トレーナーさん? どうかしたんですか?」
「ちょっと早いが……行くか。食堂」
トレーナーさんの視線につられて、窓の外を見る。
「あ……」
空はいつの間にか灰色の雲に覆われている。
これも、夢と同じだ。
「傘、持ってきてるか?」
「いえ……」
夢ではこの時間、寮の自室にいたけれど……結構強かった気がする。
「困ったな……傘はもう1本しか残ってないぞ。前の片付けで捨てちまったからな」
ちょっと待ってください。
今なんと言いましたか?
傘、1本?
それはもう誘ってますよね?
「では、仕方ないですね」
謎の勝利を確信し、そう告げた。
「ああ。食堂でお弁当買ってくるからスズカは――」
「いえ、食堂に行きましょう」
「え? そ、そうか。じゃあ、食べ終わった後でいいから俺には弁当を買ってきてくれ」
なんでそうなるんですか。
「いえ、二人で食堂で食べましょう」
「あー……えっとな、スズカ」
「なんですか?」
「それはちょっと、無理があるというか……」
……はい、そうですか。
トレーナーさんは嫌なんですね、私と相合傘をするのが。
なるほどなるほど、よーく分かりました。
「あ、あのな。スズカ。言っておくが、別に相合傘を否定してるわけじゃないぞ」
「じゃあ、どういう意味なんですか」
トレーナーさんは入口近くにあるビニール傘を指さす。
「広げてみれば分かるよ」
私は言われた通り、傘を広げる。
……すると、私が想定していた半分ほどの面積しかなかった。
取っ手を見ると……子供用。
これでは相合傘はおろか、私一人でも差したところで濡れてしまうだろう。
「……子供用のビニール傘なんてあるんですね」
「ああ……それ、百均でさ。今日みたいに突然雨に降られた時に買ったんだ」
「……買う時に気づかなかったんですか?」
「やたら安いなって思ってさ……それに畳まれた状態だと分かんないんだよ。広げた時は絶望したね」
ははっ、と力なく笑う彼。
こんなことをしているうちに、ポツポツと窓を叩く音がした。
「……降り始めたな」
「……そうですね」
夢の中では、あともう少ししたら急に強くなって、午後12時半くらいに止んだはず。
私は、きっと夢の通りになるだろうと確信に近い思いを抱きながら提案した。
「出前……お願いできますか?」
雨はやはり、12時半に止んだ。
「……あのさ、スズカ」
出前のピザを食べ終えて少し時間が経った頃、トレーナーさんが声をあげた。
「今日はスズカの方に用事があるってことだったんだが……なにかプランはあるのか?」
…………あ。
「い、いえ……特にこれと言って……」
しまった。
今日はすっかり8月31日だと思っていたし、トレーナーさんと話すのが楽しい余りに全然考えていなかった。
「じゃあ門限の延長もしてないってことか」
「はい……」
それじゃあ、とトレーナーさんは続ける。
「申請のタイミングは置いといて、ここで俺と時間の限り話すか、それとも街に繰り出すか……どうする?」
なんて魅力的な提案だろう。
普段なら外出一択ではあるけれど――ふと、夢の中のトレーナーさんの言葉が頭をよぎる。
「でしたら……ここでお話がしたいです」
そんな私の一言によって、トレーナーさんと過ごす最後の時間の方針は決まった。
本当の最後だからこそ。
私たちらしい終わり方でいいんじゃないか――そう思った。
そうと決まれば早々に門限の申請を出しに行き、1秒でも多くトレーナーさんと一緒にいる時間を増やす努力をした。
それはトレーナーさんも同じようで。
再び集まったのは、解散してから実に30分後。
それからは、この三年間で共に歩んだ間で起きた色々なことを、ひとつずつ取り上げては二人で笑う。
そうしているうちに、私は予知夢のことなど忘れてしまった。
話し声は少しずつ止んでいき、やがて静けさが私たちを包む。
窓の外を見れば、満天の星が輝いていた。
今だけは、この光景が作り物であってほしいと思う。
「……スズカ、時間だ」
「……はい」
でも現実はそんなことなくて。
ここでまた、予知夢のことを思い出す。
ひょっとしたら今も夢の中にいるのではないか。
それならそれでいいのかもしれない。
今日の出来事はまだ夢の中で。
明日また8月30日が始まるのだとしたら。
そしたらトレーナーさんとの1日を、また楽しめる。
「明日も今日だったらいいのにな」
不意に聞こえてきたトレーナーさんの呟きに。
そうだったらいいですね、と返した。
トレーナーさんと別れ、寮に戻る。
……1日が終わろうとしている。
ベッドに横たわり、ぼんやりと天井を眺める。
カーペットを挟んだ向こうから、スペちゃんの寝息が聞こえてくる。
予知夢の戸惑いから始まった1日だったが、とても満足できたトレーナーさんとの最後の1日。
明日にはトレーナー室の片付けをする。
早起きしないといけないし、早く寝よう。
……天井を見つめ、それから小さくため息をつく。
明日のことを考えると、無力感や辛さや、どうしようもないという諦めが心に広がっていく。
これだけは失いたくないと思っているものを、どうして失わなければならないのだろう。
そんなことを考えているうちに眠気が襲ってきて、私は悲しい気持ちのまま目を閉じる。
神様、どうしてこんなことをするんですか……。
私はそれだけ呟いて、しばらくの間、涙を流した。