pixivは2021年5月31日付けでプライバシーポリシーを改定しました。
ウマ娘とは適切な距離感を保つ事が大事だと先輩に教わった。 適切な距離感とは何か。簡単に言うと、担当と恋愛関係にならないようにする、ということらしい。 諸先輩方は担当ウマ娘に好意を抱かれ、それでも彼女達の男性観を守るために何とか遠ざけようとしたが、全て空回りに終わったそうな。
俺からすれば片腹痛い。そもそも好意を抱かれるような振舞いをするのが悪い。 ビジネスライクな関係に徹していれば、わざわざ演技をする必要もないのだから。
「邪魔するでー」 「邪魔するなら帰ってくれー」 「ほなまたー……って何でやねん!」
そう。俺とタマのような関係であれば、何も心配はいらない。
「なーにが男性観の破壊や。そもそもウチはアスリートやで。あんなナンパな連中とはちゃうねん」
小さな体躯で胸を張るタマはそのボリュームに反比例して実に頼もしい。
「せや! もしウチが色恋沙汰にうつつを抜かすようなことがあればアッコの桜の木の下に埋めてもろてかまへんで!」 「はは、その時は俺も同罪だな」
タマモクロスというウマ娘には強い目的がある。 レースで稼いで家族にたらふく食わせたる──その為なら何が何でも強くなるという、ハングリー精神に満ちた強い眼差しがある。 その精神性に惹かれて、俺は彼女をスカウトしたのだ。
タマがレースで勝つ為なら如何様なサポートも惜しまない。 勿論、蹄鉄等のレース用品の手入れも欠かさない。
「トレーナー、もしかしなくても蹄鉄新しいのに変えたやろ」 「ああ、前のはもう古くなっていたからね。落鉄の危険性があったし……新しいのでも違和感なく仕上げたと思うけど」 「いやいや、バ具の手入れくらい一人で出来るっちゅーねん」 「君にはレースに専念してもらいたかったが……余計なマネだったか、ごめん」 「あー、ちゃうちゃう、謝んなや……こっそりやられたら、礼の一つも返せんやんけ。そんなん仁義に反するっちゅーもんや」
私生活でも、彼女のストレス要素を極力取り除いてやる。 ある日のことだ。タマが街中で特上にんじんハンバーグを物欲しげに眺めていたので、奢ってあげることにした。
「トレーナー、ホンマにええんか? こんなごっつうええもん食わしてもらって……」 「出世払いで返してくれたら」 「……5倍返しや、覚えとき」
その他にもタマが体調を崩したら即座に原因を突き止めサポートしてやり、俺は徹底的に彼女の良きビジネスパートナーであろうとした。
だがしかし、そこまでやっても中々勝てないのがレースの世界である。 結果が振るわず伸び悩むタマは、ある日俺に問いかけた。
「何でウチにここまでしてくれるんや……芦毛は走らへんって言われとるのに……」 芦毛は走らない。それは競バの世界における迷信だ。 その日のタマは、レースで負けて、その上帰りに足を少し捻ってしまった。軽い怪我ではあるが万が一があってはならないので彼女をおんぶして帰る事にした。 背中の彼女の顔色は窺えないが、その声音は恐らく今まで聞いた中で最も気弱なものだったと思う。
「そうは言うけど、タマは走るのを止めるつもりはないだろ? それに今だってどうすれば勝てるのかをずっと考えてる……だから、俺のパートナーはタマしかいないと思ってるよ」
どんなに苦しくても、どんなに負けが続いても。苦難を糧にして、タマは必ず勝ち上がる。 迷信がナンボのもんだ。そんなもんタマがぶっ壊してやれ。 そう信じて、俺は君を支えているんだ。
「あ~……! そこまで言われたら何が何でもやるしかないやんけ!」 「ああ、是非やってくれ」 「……ホンマ、覚えとき」
その次の日から、タマは徐々に調子を上げていった。 GⅡやGⅢでも勝利を飾り、いよいよ待ちに待ったG1の晴れ舞台で──
『タマモクロスが先頭に立った! 待ちに待った天皇賞の舞台!』
──ついに、タマが勝利をもぎ取った! 感極まった俺は、タマに駆け寄り──!
「しゃーっ! 見とったか! トレーナー! これがウチの大進撃や!──ってちょちょい! 何すんねん!」
思わず、タマにハグをした!
「やった! タマ、ありがとう! 本当に……ありがとう……!」 「……はー……ったく、アンタは……今回だけやで……?」
本当に、応援してきた甲斐があった。 そして勢い余って抱き着いてしまったが、タマは拒まなかった。 つまりこれは、俺はタマに異性として見られていないということだ。
とはいえ確かに、異性に抱き着くのは良くない。 次からは止めようと心掛けたのだが──何と、次の宝塚記念では、タマの方からハグを求めてきた。
「……ん」 「ん?」 「~~~ッ! ホレ、前やったやつや!」
前と言ってる事が違うな、と思いつつリクエストに答えてタマを抱き締める。 極力担当ウマ娘のストレスになる要素を取り除いてやり、彼女がレースで勝てるように尽くすのがトレーナーの役目。 彼女がそれを求めているのであれば拒む理由は無い。 そして、日本で親愛関係のハグをする習慣は無い。
これが何を意味するのかというと──恋愛意識があれば出来ない行為の筈なので、俺はビジネスライクな関係の構築に成功しているということだ
そして、ある日のこと。
「ホレ」 「ん?」 「弁当や。アンタいつもインスタントとかゼリーで済ませとるやろ。そんなんじゃ気合い入らんで」 「お、おお……ありがとう」
タマが昼食に弁当を作ってくれた。 これはつまり、俺は手間がかかる存在として見られているということで。 恋愛対象として見るなら間違いなくマイナスポイントの筈だが、ビジネスパートナーの体調を崩すわけにはいかないという意味なら納得できる。
彼女の心意気に応える為、有り難く弁当に箸を伸ばした。
「ありがとう!……ん、めっちゃ美味い! これなら毎日食いたいな」 「言われんでも毎日腹いっぱいにしたるからな。覚悟せぇや」
そして、そして。
「なあトレーナー」 「ん?」 「ウチが勝てなかった頃。ちょくちょくウチの名前でウチの実家に野菜とかチビ達への玩具とか送っとったのアンタやろ」 「……さあ、何のことやら」 「とぼけんなや……ホンマ、コソコソやる事ないやろ……礼の一つくらいさせてや」 「……いや、タマにはもう沢山のものを貰ってるから」 「……そういうとこや……」
このように、俺とタマは見事にビジネスパートナーとしての関係を築く事に成功した。
◆
更に月日は巡り、何度目かの春がやって来た。 今年もまた有望な新入生達が沢山入ってきている。 俺も理事長からそろそろ次の子を見てくれないか、と打診されるようになっていた。
「……で、次のアテはあるんか?」
タマと一緒に桜の木の下で新入生達の様子を眺めながら、タマお手製の弁当を口に運ぶ。
「いや、それがまだなんだ……白い稲妻のトレーナーになっちゃったお陰で目が肥えちゃってな」 「……ドアホ。贅沢を教えた覚えはないで、ウチは」
ヒラヒラと、微風に舞った桜の花弁がタマの髪を彩った。 そのまま、取り留めない話をしながら箸を進めて。 弁当箱が空になった頃に、タマが何やら躊躇いがちな様子で口を開いた。
「なあ、トレーナー……今から、ウチ、ごっつうアホな事言うで。アレなら聞き逃しといて」 「ん?」 「もし、もしやで。もし、新入りが入ってきて、そいつがめーっちゃ強かったり……」 「うん」
普段の快活なタマらしくない、歯切れの悪い口調。 その頬が、舞い散る桜と同じ色に染まっている意味は。
「……あとは、あー……ウチがレースから引退したりとか。そういうのがあっても、トレーナーは、ウチのことを──」
その瞬間。 突然一際強い風が吹いて、俺とタマは大量の桜の花弁の下に埋まった。
2ページ目は後日談
次はドーベルの続編を投下予定です