異論をはさむ余地のない常識的な意見なのだが、この順番で並んでいることに対して非常に違和感を覚える。
NC-15 - 死刑と宗教日本において死刑廃止論を進めていくとすれば、以下の観点からのアプローチが必要だろう。
- 死刑宣告後、被害者遺族の希望によって減刑することができる仕組み。
- 死刑宣告から執行までの時間を長くする。
- 無期懲役の法定最低仮釈放期間の延長
- 犯罪被害者に対する救済の優先
- 国民に対する精神的教育
日本に限った話ではないのだが、なぜ「犯罪被害者に対する救済の優先」が最優先されないのかが不思議でならないのだ。
犯罪に関して社会が採るべき措置は、まず
- まだ起こっていない犯罪を防止する
- 起こってしまった犯罪に対処する
の二つがあるが、ここではa.は割愛する。「起こってしまった犯罪」に対して、社会が果たすべき役割には、以下が上げられる。
- 被害者の救済
- 加害者の制裁
この二つに関して、効能がより大きいのは実はa.の方であることは、少し考えてみればわかる。まず、aであれば、加害者が特定できない案件でも対処できる。犯罪のみならず災害など、「誰のせいでもない」不幸に対しても、社会がその存在意義を示すことができる。
これに対してb.は、まず「犯人」を特定しなくてはならない。災害のように罰しようがない犯人がいた場合何もできないし、犯人が見つかるとも限らない。そして犯人に対してどんな制裁が望ましいのか、被害者も加害者も実は知らない。制裁者である国だって知らない。実のところ、死刑から罰金刑まで、「こんなもんでいかがでしょうか」と「世間」にお伺いをたてながらやっているのが実情ではないか。
にも関わらず、社会の注目は圧倒的にb.に集中するのはなぜなのだろうか。a.に関しては、保険という名の自助、共済という名の互助がすでにあるので政府の出る幕はないと思っているのだろうか。
全国犯罪被害者の会 NAVS【あすの会:被害者の今】一部の被害者・遺族に対してだけ、犯罪被害者等給付金の支給等に関する法律によって国から見舞金のようなものが出ますが、平成11年度でみると総額で5億7千万円で、これではどうにもなりません。
これに反して加害者には、国選弁護費用52億円を始め、留置場、刑務所、少年院などの食費、医療費、その他で、年間387億円も国費を使っています。加害者に比べて被害者はあまりに不公平な状態に置かれています。
もう少し新しい資料を探してみると、以下のページが見つかった。
警察庁犯罪被害者対策室/警察による犯罪被害者支援ホームページ
区分/年度別 14年度以前 15年度 16年度 17年度 累計 申請に係る被害者数
(申請者数)4,140
(6,452)505
(665)458
(621)465
(608)5,568
(8,346)【合計】
裁定に係る
被害者数
(裁定件数)支給裁定に係る
被害者数
(裁定件数)3,667
(5,915)439
(587)448
(597)394
(520)4,948
(7,619)不支給裁定に係る
被害者数
(裁定件数)240
(341)17
(18)17
(20)18
(21)292
(400)計
(裁定件数)3,907
(6,256)456
(605)465
(617)412
(541)5,240
(8,019)裁定金額(百万円) 13,296 1,258 1,247 1,133 16,934
まず呆れるのは、その申請者の少なさだ。2005年で465人。これがどれほど低い数値かは、以下と比較すると鮮明になる。
平成17年版犯罪白書のあらまし 〈第3編〉 犯罪被害者の救済一般刑法犯により生命・身体に被害を受けた者は,4万8,190人(前年比0.2%増)であり,その内訳は,死亡者1,397人(同2.4%減),1か月以上の治療を要する重傷者3,479人(同6.8%減),軽傷者4万3,314人(同0.9%増)であった。
殺人や傷害致死の被害者数より、申請数が少ないのだ。
支給額を見ると、さらに開いた口がふさがらなくなる。11億円というのは確かに5億7千万よりは増えているが、一件あたりの支給額は300万円を切っているのだ。
犯罪の被害に逢うだけでも不幸なのに、我々の社会においては、その不幸に対する救済を社会に対してもとめるのは甘えだということなのだろうか。
社会が犯罪者に対して厳罰をもとめる背景には、厳罰ぐらいしか社会は被害者に対して何もしてくれないのではないかという諦めもあるのではないか。その善し悪しは別にしても、復讐というのは確かに加害者の心の飢えを満たす効果があることは否定できない。その権利を社会が個人から取り上げている以上、それに対する「慰謝料」はきちんと社会が払うべきではないのか。
被害救済を加害制裁よりも優先することには、もう一つ被害者の加害者化を防ぐという効用もある。被害者が救済もされず、加害者が充分な制裁を受けず、それどころか加害者の方が手厚く救済されていると被害者が感じれば、当然被害者は国に代わって加害者を制裁することを考えるだろう。実際死刑を廃止した国でで、被害者の遺族が法廷で加害者を処刑したいう事件だってあるのだ。被害者の怒りの矛先が加害者に向くならまだいい。それが社会に向く可能性だって決して低くないのだ。
被害の救済もせず、加害の制裁もしないというのでは、社会に「私刑権」を預託する意味はなくなってしまう。しかしこの点を論ずる際に、加害の制裁ばかりに目がいくのはなぜなのだろうか。
Dan the Potencial Felony Victim(izer)?
しかし刑法が犯罪被害者について何も定めていない以上、少なくとも刑法と刑事訴訟法が妥当する範囲では犯罪被害者をどうするという議論はできないのです。
犯罪被害者等基本法のように、特別法が制定されなければどうしようもないのです・・・