三文芝居
「エカテリーナ!」
もちろんアレクセイは、血相を変えて妹を抱きしめた。
「どうした、何がお前を苦しめた?なんということだ、お前を悲しませるなど、何者であろうと私は決して許さない!」
「お兄様〜〜……」
エカテリーナはめそめそと泣くばかりだ。
そこへ。
「おーほほほっ!」
高らかに、悪役令嬢笑いが響き渡った。
いや悪役令嬢は、兄に泣きついてめそめそしている。いかにも悪役令嬢然とした高笑いを放ったのは、ストレートセミロングの赤毛に金色がメッシュのように混じる、輝かしきキラキラ猫かぶり令嬢、マリーナ・クルイモフであった。
「おほほほほ、恨むならご自分のあふれる才知を恨んでくださいましね、エカテリーナ様!」
「マリーナ様!」
兄の腕の中から顔を上げて、エカテリーナは叫んだ。
「よくも、よくもわたくしの意見を、すべて覆しておしまいになりましたわね!クラスの演し物を劇にしてわたくしに脚本係の役目を負わせたからには、マリーナ様に演じていただく役は、お猿さんですわ!」
「おーほほほ、受けて立ちましてよ!」
「わはは」
アレクセイと一緒にいたニコライが笑い出した。エカテリーナが泣き出した時には心配そうにしていたのだが、さっきの言葉で深刻な話ではないとわかったらしい。見た目は脳筋ぽくても、聡い男なのだ。
「そりゃ、楽勝だな。こいつはただ素でいりゃ、猿なんだから」
だっ、とマリーナがダッシュした。
そして、ダンッ!と兄の足を踏みつけた。
「痛ってえ!」
「あら、お兄様、どうか、なさいまして?」
片足でぴょんぴょん跳ぶニコライに、ダッシュで駆け戻ったマリーナがつーんとそっぽを向いて言う。何もしていないふりをしているらしいが、ゼイゼイ息が弾んで言葉が切れぎれだったりして、つっこんだら負けのような気がするほどのしょうもなさだ。
被った猫たちも、マリーナがダッシュした瞬間に職場放棄したに違いない。かろうじて猫一枚だけ、爪が引っかかっている感じだ。
「クルイモフ嬢」
そんなしょうもなさにも動じることないシスコンぶりで、アレクセイが厳しい声を発した。
「我が妹は病弱だ。それゆえ私は、学園祭でも無理をしないようこの子に言いつけていた。それを……!」
が、そんな兄の制服を、つんつんとエカテリーナが引っ張る。
「……あの、お兄様……」
そーっと顔を上げて、エカテリーナは長いまつげの下から上目遣いに兄を見上げた。
「クラスの皆様の総意で、学園祭では歌劇を発表することになり、わたくしは脚本を担当することになりましたの」
実際はクラスの総意では、エカテリーナは演者(主役だ)として舞台に立つことに決まりかけたのだが、そればかりは逃げ切ったのだ。乙女ゲームではエカテリーナは劇に主演していたはず、同じことはしたくない!
必死で考えて、脚本を任せてくれれば頑張ってまた新奇な曲を紹介できるかも……と言ったのが決め手で出演はしないですむことになったが、これもこれで墓穴を掘ったような気がひしひしとしていたりする。脚本係というのはここでは、台本を書いた上に配役や演出まで考える、舞台監督のような役割なのだ。大変なんじゃ……?
とはいえ。
「それで……思いましたの。こうなったからには、わたくしが考えた劇をお兄様が観に来てくださって、楽しんでいただければ素敵ではないかしら……と」
アレクセイの身体から、力が抜けた。要するに先刻のエカテリーナとマリーナのやりとりは、アレクセイから許しをもらうための茶番であったらしい。
「エカテリーナ、しかし……」
「お願いお兄様、どうかお聞きになって。
お兄様には、お身体のためにお時間を大切にしていただきとうございます。ですけれど、三年生のお兄様にとって、今年は最後の学園祭。それなのに、ずっとお仕事をしてお過ごしになる。お家のために……それがわたくし、辛うございました。
でも、わたくしのクラスが発表する劇をご覧になるお時間くらいなら。少しだけお仕事をお休みになって、学園祭の空気を感じて、楽しんでいただくことができるのではないかと……最後の学園祭にこんなことがあったと、思い出に残していただけるのではないかと、思いましたの」
お兄様は、あまり観劇に興味はないらしいけど。小説も好まず、創作を楽しむ傾向もないのだけど。詩集は読んで美辞麗句スキルが磨かれているわけだけれど、それがちょっと不思議なくらいだ。詩を読むのは昔友達だったウラジーミル君の影響のようで、彼は今もお兄様の心にいるのだろう。
それほど情の深いシスコンお兄様は、妹が考えた劇ならきっと観に来てくれる。
そうやって学園祭の雰囲気に身を浸してくれれば、わずかながらでも学園生活の思い出になるはず。
「わたくしは、お兄様に楽しさを感じていただきたいのです。お兄様はずっと、お家を守って生きてこられたのですもの。ほんのひととき、お役目を忘れて、楽しんで過ごしていただきたいのですわ。ですからお兄様、どうかお願い。わたくしがクラスの発表に参加することを、お許しになってくださいまし」
「……」
アレクセイは大きくため息をついた。
「私のためだと……お前の優しさは、いかなる灼熱にも
「お許しくださいまして?」
わくわくした顔で見上げる妹に、アレクセイは優しく微笑む。
「お前の望みはすべて叶えると誓った身だからね、私の女王。ただし、くれぐれも身体を大切にして、決して無理はしないように」
「ありがとう存じます……!」
ぱああ……と顔を輝かせるエカテリーナであった。
そして、マリーナがきゃーっと喜びの声を上げている。
「ところで、エカテリーナ。先ほどのクルイモフ嬢とのやりとりは、私に聞かせるためのものか?」
「どうしても、お兄様にお許しいただきたかったのですもの……」
アレクセイにつっこまれて、ばつの悪い顔をするエカテリーナ。
学園祭での役割が決まったものの、兄からどうやって許しを貰えば、と悩んでいたエカテリーナにこの流れを提案したのはマリーナである。清く正しきヒロイン、フローラは、閣下ならエカテリーナ様がお願いすれば許してくださると思います、と言っていたのだが、エカテリーナはついついマリーナの案に乗ってしまった。
ちなみにフローラは、苦笑しつつ最初から側にいる。
他の誰かだったら、シスコンアレクセイが暴発しかねないこんな芝居に付き合わせたりはしなかっただろう。けれど、マリーナは祖父の愛馬ゼフィロスのことでアレクセイが借りを感じている、クルイモフ家の子だ。アレクセイが怒りを向ける心配はない……という計算は、ちょっとずるかっただろうか。
でもこんな学生っぽいじゃれあいも、周囲から遠巻きにされているアレクセイにとって貴重だったりしないかな……などと思ったりもしたのだ。
生真面目なアレクセイの性格を、エカテリーナは敬愛している。けれど時には少しだけ、緩いひとときがあってもいいのではないか。
アレクセイはふうっと息を吐いた。
「お前の言葉にならいつでも耳を傾ける、だから普通に話せばいいんだ。わざわざ小芝居などする必要はない」
小芝居ですと⁉︎
「お兄様、今、小芝居とおっしゃいまして⁉︎」
「ああ……すまない、心外だったか?」
「いいえ!お兄様には馴染みのないお言葉のようですのに、正しく使っておられて感心いたしましたの!わたくしもマリーナ様からその言葉をお教えいただいたばかりですのよ。お兄様はさすがでいらっしゃいますわ!」
日本語の『小芝居』がぴったり当てはまる言葉が皇国語に存在することを知って、やたら感動したエカテリーナは熱く言う。公爵令嬢の語彙にふさわしくない言葉をあまり知ってしまうと、うっかり出てはならない言葉が口から出そうで怖くもあるのだが。
アレクセイは可笑しそうに目を細めた。
「こんな言葉ひとつで喜ぶとは、無邪気な子だ。お前は驚くほど聡明だが、そういうところは幼く愛らしい。楽しんでくれて嬉しいよ」
……実は異世界産のアラサーでごめんなさい。
そんな二人の横ではニコライが、どうせまたお前が思いつきを丸投げしたんだろう、とマリーナの頭をグリグリし、マリーナはキーキー怒っていたのであった。
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