増山さんが亡くなったこと
いったい何が原因?気付かなかった病気?
このことをいったいいつ、どんな形でオープンにすべきかがわからず、しばらくどうしたらいいかと躊躇していた。自然に伝わっていくのがいいと思ったけれど、どうしても私のところに問い合わせが来るので、3か月以上も時が経ってしまったけれど、ここで私からお知らせしようと思う。
それは、あまりに突然だった。6月30日の夜から朝にかけての時間に亡くなっていたとの電話。30日夕方まで、看護師さんと談笑して別れたらしいのにと、次の日の朝(7月1日)に訪問したヘルパーさんもたいそう驚いていたようだ。(*私の記憶違いがあったため事実確認して記述し直した)
ヘルパーさんからの報せで在宅医療チームの医師によって死亡が判明した。住んでいる場所がいちばん近く、長く彼女を世話してくれていた友人に報せが来て、私のところへすぐに電話してくれたのだった。
その数日前にコロナのワクチン1回目接種について電話で話したばかり。2回めの日程を勘違いしていて、「来週だよ」とその友人に指摘されたと笑ってた。
彼女の死をちゃんと知らせるべき人に知らせようにも、近しい友人も住所録までは知らないし、データが入っているパソコンもパスワードがわからない。それは私も同じだった。実は互いにそんなことも?教えあっていなかった。今は住んでいるところが遠く離れているためだろうか、全く亡くなったという実感がなく、いつまでたっても当の彼女に「このことを報せなくちゃ!」などと考えてしまう。いないという気がしないのだ。
彼女の持病はたくさんあって、いったい何が引き鉄になったのか、全くわからない。気管支専門の病院に定期検診に通って調子を見てもらっていたし、喘息に関してもずいぶん発作がないと聞いてもいた。主治医から在宅医療チームを勧められ、殆ど1日おきに介護人が入る。最近はそのリズムにも慣れてきていた。ワクチン1回め接種について話した際にも、「早くワクチン完了して、買い物に行きたい!」と期待していたのに。病状が落ち着いていたこともあって、在宅医にとっても突然死は意外なことだったようだと聞いた。
考えてみれば私たちはもう70を超えたんだよね。いつ何時、そんなときがやってきても不思議ではない。だんだん体も閉じていこうとしている。もちろん新しいことにワクワクもすれば、遥かな未来を夢見たりもするけれど。
彼女の亡くなり方を聞いて、苦しんだりしたようでなかったのが何より「よかった」と思えた。彼女はご両親の介護で何年も大変だったし、癌で亡くなった親友の佐藤史生さんもすごく近くで見送った。彼女は、他者のためには病気の体でも必死で駆け回る人だったから、その人たちが、彼女が苦しまないよう、助けてくれたんだと思う。
また、会おうね。あなたと会わなければ今の私はいない。
たくさんの知識、たくさんの楽しみをありがとう。