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2016年09月02日

本を買っても読まない“積ん読(つんどく)”の効用│名越康文

積ん読

書店で気になる本を見つけて買ったのに、自宅に着くころには読む気がなくなり、結果デスクや本棚に積んだままずっと読まない“積ん読(つんどく)”。この積ん読を防ぐ方法についてテレビでおなじみの精神科医・名越康文先生(@nakoshiyasufumi)にお話しを伺いました。

買っただけで読まない本がたくさんある

何を隠そう、僕は多くの本を「積ん読」にしている人間です。「まったく読んでない」と言うとそこまで多くはないかもしれませんが、初めのほうを読んだだけでそのまま放置、ということであれば、おそらく買った本の少なくとも7割は「積ん読」になっています。

もちろん、引越しなどの際には処分しますが、少なくとも何百冊という「ちゃんと読んでいない本」が本棚にあることはまちがいないでしょう。

断捨離に代表されるような片付け・整理術の観点からいえば、こうした「今後、まず読むことのない本」はさっさと捨てた方がいい、ということになるでしょう。僕も、こうした「使わないなら捨てる」という意見に、基本的に賛成です。実際、僕の本棚にある何百冊の本のうち、これから腰を据えて読むことになる本はおそらく、1割にも満たないのではないかと思いますからね。

もちろん、僕が思いのほか長生きをすれば、本棚の本を片っ端から読んでいくような時間ができるかもしれません。でも、平均寿命から考えれば、少なくとも半分近くは、僕が死ぬまで、一度も開かれることはない。だとすれば、無駄にスペースを占拠しているだけの本はとっとと捨てた方がいいし、そもそもそんなに買わない方がいい、と言うことになる。

……ところが、です。

僕はそれがわかっていてもなお、そうした「積ん読」を一気に処分する、ということはしないんです。なぜかといえば、積ん読には積ん読の「効用」があることを、経験的に知っているからです。

後ろめたさの効用

積ん読
本というのを、ただの「情報が詰まった箱」だと考えるなら、積ん読はスペースの無駄以外の何物でもありません。読まない本は捨てたほうがいい。それだけの話です。

でも、僕はそもそも本というのをただの「情報」ではなく、洋服や文房具、食器や楽器などと同じように「モノ」の一つとして捉えています。きちんと製本され、美しい装丁が施されたカバーに包まれた本は、ただそこにあるだけで、他では替えようのない独特の空気を発散しています。

例えば、ある本と全く同じ内容をA4のコピー用紙にプリントしてホッチキスで綴じておいたとしましょう。あるいは、電子データにしてパソコンに入れておいたとする。内容的にはまったく同じです。でもそれは「モノ」としては、「本」とはまったく別の存在に変わっています。

特に、その道の専門家が数十年に渡って追求してきた、濃縮された時間が詰め込まれたハードカバーの分厚い本がまとう存在感は強力です。それは、そこに込められた圧倒的な情報量もさることながら、それを執筆した人の「人生の時間」や、そこに込められた熱気や思いのようなものが、曰く説明しがたい「空気」として蓄積され、漏れ出ているからです。

「積ん読」というのは、そういう圧倒的な空気を発散する本を読まずに放置する、ということです。それゆえに、積ん読をしていると、心のどこかに必ず「後ろめたさ」が生じます。

「ああ、こんなすごい本が手元にあるのに、俺は手をつけてさえいない」
「このまま読まなかったら、もったいないなあ」

こういう後ろめたさをもたらしてくれるのが、実は「積ん読」の効用なのです。

後ろめたさが人を動機づける

積ん読
「え? 後ろめたさなんて、ないほうがいいんじゃないの?」と思われるかもしれませんね。

でもね、後ろめたさというのはしばしば、その人が学び、成長する上で大きな役割を果たすんです。それは下手をすると、実際に本を読んで得られる以上の力を持つことがある。

例えば、僕の本棚には、マーティン・バナールという人の書いた『黒いアテナ』という本があります。上下巻合わせると1000ページを超えるような大著です。とんでもなく面白そうなんですが、僕は5年近くの間、ほとんど読まないまま放置しています。そうすると、本棚の前を通りかかるたびに、この『黒いアテナ』が、僕に語りかけてくるんです。「まだ読まないの?」「このまま死んだら、大損だよ?」というふうに(笑)。

僕には想像もつかないくらいのたくさんの知識と、深い洞察力を持つ天才が書き下ろした1000ページもの大著を目の前に置きながら、まったく読んでいないという後ろめたさ。この途方もない後ろめたさこそが、僕の心に「頑張って学ばなければ」「成長しなければ」という強力なモチベーションをもたらしてくれるのです。

読みづらい本は無理に読まなくてもいい

積ん読
もちろん、すべての本を「積ん読」にしておいて良いのかというと、そんなことはありません。ただ、仕事上必要である本とか、読み始めたら止まらないぐらい面白い本というのは、放っておいても読むんです。ですから、ことさら「積ん読を防ぐ」ことを意識しすぎる必要はないというのが、僕の考えです。読める本は読めば良いし、読めない本は「積ん読」にしておけば良い。

むしろ、あまり本を読み慣れていない若い方にアドバイスしておきたいのは、本というのは必ずしもすべてを「読む」必要はないんだよ、ということです。心惹かれてレジを通した本であっても、実際に読み始めると「外れ」だったということは、別に普通のことであって、それが「積ん読」になることは、別に悪いことじゃないんです。

その人にとって、その時、その瞬間に読むべき本というのは、限られています。タイミングや相性が合っていない本を無理やり読む必要はない。読まずに「積ん読」にしておくだけでも、その本は「背表紙」や「本棚にある」だけで、十分にあなたを触発してくれている。そのことによってもたらされる効果は、十分に本の値段に見合ったものなんです。

実は、そこにあるだけで「濃いオーラを放つ」ようなタイプの「濃い本」は、実際に読み始めると「外れ」であることも少なくありません。その道の専門家が、自分の何十年にも渡る研究生活のすべてを注ぎ込んだ大著というのは、著者にとっての個人的なテーマに偏りすぎていたり、細部に入り込みすぎていて、なかなか万人の共感を得やすいものにはなっていない。もちろん、たまたまそれがあなたの感性や問題意識にヒットすることはあるかもしれませんが、それはむしろ例外だと思ったほうがいい。

そういう「濃い本」というのは、むしろ「積ん読」向きだと言っても良いでしょう。あなたの部屋の片隅で、背表紙によってあなたを触発する。無理をして読むよりも、そのほうが本の「力」を発揮することになる可能性すらあるのです。

なりたい自分になるために

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本屋さんで本を手に取り、パラパラとめくって「これは面白そうだ」と感じ、レジに運ぶ。このプロセスの中で、私たちは多かれ少なかれ、その本を読み終わった後の「成長した自分」をイメージしています。

これは、心理学的に言えば、「未来のなりたい自分」のイメージを本という「モノ」に投影している状態ということが言えます。つまり、「積ん読」というのは、「なりたい自分」のイメージ(=本)を常に手元に置く、ということなんです。

自分の買った本を見るたびに「未来のなりたい自分」のイメージが喚起される。そして、まだそこに至ることができない自分に気づかされる。それが「積ん読」がもたらす、後ろめたさの正体だと僕は思います。

成長への動機づけ、という点で言えば、「積ん読」というのは、実はとてもコストパフォーマンスの高い方法です。一冊1500円程度で、かかる時間は、本屋さんに行って「あれがいいかな、これがいいかな」と探すだけ。実際には読まないわけですから、せいぜい1時間ぐらいしか時間もかかりません(笑)。

たったそれだけのお金と時間で「未来のなりたい自分」のイメージを手元に並べることができるなら、安い投資だと思いませんか?

 
※この記事は公式メルマガ「生きるための対話」よりお届けします。

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精神科医・名越康文名越康文(なこしやすふみ)
1960年、奈良県生まれ。精神科医。臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活躍中。著書に『毎日トクしている人の秘密』(PHP、2012)、『自分を支える心の技法 対人関係を変える9つのレッスン』(医学書院、2012)、『Solo Time 「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』(夜間飛行、2017)などがある。 2019年より会員制ネットTV「シークレットトーク」を配信中。

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