與那覇潤氏の呉座勇一さんに関する記事への反駁(1)
さる3月に、日本中世史の研究者として名高い呉座勇一さんが、ツイッターの鍵アカウントでさまざまな差別や誹謗中傷を行っていたことが明るみに出、問題となりました。この件では、単に呉座さん個人がひどい発言をしていたという問題ではなく、研究者を含む多数のアカウントが、いっしょに差別やハラスメントを、いわば「遊び」で行っていたことが重大視され、日本歴史学協会が声明を出し、また研究者有志がオープンレターを出すという事態になりました。差別や誹謗中傷がまかり通る学界では、とても今後の発展は望めませんし、実際に攻撃の被害を受けた人を救うためにも、必要なことであったと私は考えます。またこれらの声明やオープンレターに賛同された方がたの中には、過去にハラスメントの被害を受けられたという方もおられるようで、そういった方がたの危機感は一層深いものだったと思います。
しかし遺憾ながら、少なからぬ「ネット論客」や、それに同調する研究者の中には、「これはどっちもどっちだ」と、一方的に誹謗中傷された側にも責任があるかのような言説を述べたり、声明やオープンレターを「個人攻撃だ」と逆切れする例も多々見受けられ、憂慮に堪えません。「これぐらいで文句を言うな、スルーしろ」では、ネットによる加害行為がまかり通るばかりです。個人攻撃を先にしたのは、残念ながら呉座さんの側です。その被害者に寄り添うことがまず先で、呉座さんの再起の道はその後に考えるのが順序というものでしょう。
そしてそのような呉座さんへの無理やりな「擁護」は、問題行為を認めて謝罪した呉座さんの再起をかえって妨げかねません。呉座さんが反省して行いを改めるならまた一緒にやりましょう、とできても、下手な擁護を真に受けて開き直られては、「彼と付き合うとネットで何を言われるのか分からない」という警戒を持たれてしまいます。
私の考えでは、呉座さんの過ちはネット(とりわけSNS)に耽溺しすぎ(SNS中毒だったという週刊誌報道もあります)、おまけにそこでろくでもない「ネット論客(フェミニズムはじめ人文学や社会科学に敵意と侮蔑心を抱いているような連中)」と付き合い、彼らの価値観にのまれてしまったためにこうなったと見ています。ですので呉座さんの再起の道はわりと明確で、ネットと距離を置くことで容易に達成できると考えています(それがとても難しいのかもしれないのですが……)。
呉座さんの件は先月に至って国際日本文化研究センターおよび人間文化研究機構による処分が下され、停職1か月という重い処分となり、内定していた准教授への昇格も取り消されたと聞きます。呉座さんがこの処分を不服として訴訟に訴えたことは周知ですが、呉座さんの争点は処分が重すぎる、また手続きに問題があるということのようで、処分されること自体に異を唱えているわけではないようです。私にはこの処分は大変重いように思われ、もしそれが日文研の組織防衛のための「トカゲのしっぽ切り」的なものであったならば、訴訟で争うことも必要なことなのかもしれないと考えますが、現在訴訟中の件についての差し出口は控えます。
私は、呉座さんのやったことは悪いことで、それは反省してもらわなければならないし、また同じ業界の者として再発防止――というか、自分も同じ罠に落ちてしまわないためのどうするかを考える必要があると考えます。そして反省した呉座さんが、再発防止策を採ってくれるのならば、その再起を歓迎したいと思っています。私はあまり良い呉座さんの読者ではありませんが、呉座さんの優れた筆力にはたいへん敬服しており、呉座さんの今後の活躍は望ましいことだと考えています。
さて、このような、呉座さんへの擁護と見せかけた後ろ弾を撃つ連中はネット上にあまたいるのですが、その中に與那覇潤氏を数えなければならないのは、はなはだ残念なことです。氏がかつて鋭い論客として名を馳せたことは周知ですが、近年の氏の言説はきわめて乱暴で無茶なものが目立ち、困惑せざるを得ません。にもかかわらず氏の過去の名声により、今でも影響力を持ってしまっているのは、率直に言って困ったことです。
與那覇氏は3月に本件について「呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う 「実証史学ブーム」滅亡の意味」というネット記事を「論座」に寄稿し、また今月に入って「「言い逃げ」的なネット文化を脱するために:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える①/②」というネット記事を「アゴラ」に寄稿しています(以後前者を「與那覇1」、後者を「與那覇2」と略します)。これらは端的に言えば、呉座さんの問題発言を矮小化し、そのようなネット上の差別やハラスメントに反対した言説を歪曲し、自分だけが正しいかのように思いあがった、酷いものです。これは呉座さんにとっても良くないことですし、ハラスメントを受けた経験からオープンレターに賛同した(=差別やハラスメントに反対した)人びとに対する二次加害であり、歴史学そのものへの冒涜とすら思えます。
とりわけ「與那覇2」の①では、與那覇氏は日歴協声明に賛同した研究者の例として私のツイートを貼りだし、「日本の歴史学者の大多数は、歴史にも学問にもなにひとつふさわしい素養を持たない、単なる「言い逃げ屋」にすぎなかった」と豪語しています。私は自分の浅学菲才をよくわきまえており、天翔ける天才である與那覇氏に比せば地べたを這いずり回る歴史屋に過ぎないと自認しておりますが、さすがに歴史にも学問にも何一つ素養を持たない例として満天下に晒されるのは、堪えがたいことです。
今のところ管見では、與那覇氏のこれらの記事にまとまった批判をした歴史(など人文学や社会科学の)研究者はいないようです。相手にする意味もない、時間と労力の無駄、といえばその通りかもしれません。しかしこの言説が独り歩きし、本件に関する一般の認識が歪んでしまうことは、学問のためにも呉座さんのためにもその被害者の方がたのためにも、良くないことですので、以下に與那覇氏の論考の問題点について述べておきたいと思います。地べたを這いずる鈍才にも、それなりにできることはあるのです。
ただし私が懸念するのは、この記事が呉座さんの傷に塩を塗り、またハラスメント被害者の方がたに心痛をもたらすことにならないかということです。ですが、事実の確認なくして真摯な反省も意味のある対策もありません。ですので敢えて本記事を執筆しました。
なお断っておきますと、私は東大人文社会系の大学院で、修士課程の時に呉座さんと同期でした。また與那覇氏は東大の総合文化研究科地域文化研究の出身だと思いますが、この専攻と人文社会系の日本史の近代のゼミとは交流があり、私も與那覇氏と同じゼミに出ていたことがあります。ただしどちらとも顔見知り程度で、個人的に深い交流を持っていたわけではありません。そのような立場の者の論だということをご承知おきください。
もうひとつ、「與那覇2」①で私のツイートを貼りだした與那覇氏が、そのツイートのハンドルネームの正体を知っていたかどうかは分かりません。ただ、少し注意すれば、該ツイートからつながっているツイートで出席したゼミが分かり、専門分野から私を特定するのはしごく簡単なことにすぎませんし、そもそも大学院の近しい人はハンドルネーム自体を知っている人も少なくありません。おそらくは氏は分かってやっているのであり、「あいつはバカだから晒しものにしてもいいだろう」と思われているとすれば、それはいくらかの事実を含んでいるにしても、索漠たることではあります。
ではまず、「與那覇1」の問題点について論じていきましょう。この記事は残念ながら現在有料なので多くの方にご参照いただけないのですが、なるべく必要な箇所は引用して論を進めたいと思います。引用が多くなるのはご承知おきください。
「與那覇1」の要旨は、呉座さんのやったことは確かに悪いが、それへの批判には「冤罪」が含まれており、意図的に歪曲した中傷が行われている。呉座さんは北村紗衣という「一人の女性研究者への中傷」はしたけれど、「女性全般の侮辱」や「民族差別」はしていない。そこを捻じ曲げる「実証史学」の研究者は、お話にならない。といったものです。
結論を先に書きます。実証的に史料を、つまりこの場合は呉座さんのツイッターの発言を見れば、残念ながら呉座さんは北村さんひとりを中傷しただけではなく、多くの女性の研究者や活動家を誹謗し、女性全般への中傷もあり、さらには民族差別発言もあったのです。実証に基づかず、事実を捻じ曲げているのは與那覇氏です。
まず與那覇氏は、呉座さんが北村さんを中傷したことは認めたうえで、こう論じます。
いま呉座氏を批判する側は、同氏のことを「反フェミニズム」だとしばしば断定している。しかし問題視される一連のツイートを見るかぎりでは、少なくとも呉座氏が「男女平等という理念」それ自体を否定したものは見当たらない。
むしろ目立つのは、「男女平等な社会を目指すとうたいながら、実際にはその実現にほとんど益さなかったり、逆効果としか思えない振る舞いをする 〝困った〟 フェミニスト」への批判である。北村氏に対する一連の揶揄も、彼女をそうした(呉座氏の視点で見るところの)「自ら標榜する目的を裏切っているフェミニスト」と見なしてのものであった。北村氏の専攻や、同氏が女性である事実を攻撃したわけではない。
さて、これはどうでしょうか。呉座さんが一時ツイッターの鍵を開けた際、過去ログ検索サービスの「ツイセーブ」を活用して、興味を持った人々によって呉座さんの過去ログが漁られました。呉座さんのアカウント削除に伴って「ツイセーブ」のデータも削除された……と思われたのですが、実はその前にウェブ魚拓サービスを利用して、「ツイセーブ」の検索データが保存されていたのです。これを利用して、呉座さんが例えば、「主婦」についてどう発言していたかが分かります。
リンク先をご覧になって、いかがでしょうか。「主婦は甘えてやがる」という偏見を呉座さんが持っているといわざるを得ないでしょう。
また「伊藤詩織」で検索したデータもあります。これには呉座さん自身のツイートは含まれていないようですが、RTにネットで「女叩き」をして喜んでいるようなアカウントがいくつも並んでいるのには、げんなりせざるを得ません。女性差別的なSNS上の雰囲気に、呉座さんがどっぷりつかっていたのは否定できなさそうです。
また、5ちゃんねるの呉座勇一スレッドに貼られていた呉座さんのツイートのあまたのスクリーンショットには、このようなものがあります。
5ちゃんねる呉座スレ4月8日より採取
5ちゃんねる呉座スレ4月14日より採取
5ちゃんねる呉座スレ3月21日より採取
「女は楽してるのに文句ばっかり言ってやがる」「けっきょくは男が養ってやっているのだ」という偏見が呉座さんにあったことは、残念ながら否定できないのではないかと考えられます。
そして與那覇氏は、呉座さんの北村さんへの誹謗中傷が、まるでまっとうなフェミニスト批判であるかのように論じます。これは事実に即していません。呉座さんが北村さんのニックネーム「さえぼう(先生)」でどんなツイートをしていたかは、魚拓などに残されています。
現在見ることができるのは、2019年ごろの魚拓、2020年ごろのアーカイブ、今年3月時点での魚拓などがあります。どうでしょうか。これらがフェミニズムに対するまっとうな批判と呼べるでしょうか。ただの誹謗中傷ではないでしょうか。
傾向として、RTの多さが目に付きます。「さえぼう」叩きは呉座さんが一人で粘着しているというより、「アンチフェミ界隈」のようなものがあり、その中での有力コンテンツとして遊ばれていて、呉座さんがそれに乗っかっているということです。私はこのような悪縁を遮断することこそ、呉座さん復活の最大の条件だと考えています。
「アンチフェミ界隈」では、「さえぼう」は実態としての北村さんから離れ、いわばキャラクター化されて消費されているのがとりわけ醜陋といえるでしょう。実在の人がSNSの向こうにあることを理解せず、勝手な虚像を作り上げているのです。
口幅ったいことですが、私はこれに関連して、呉座さんを諫めたことがありました。それをスクリーンショットで保存してくれていた方がいるので、どなたかは存じませんが、ありがたく使わせていただきます。
5ちゃんねる呉座スレ4月12日より採取
5ちゃんねる呉座スレ4月10日より採取
墨東公安委員会というのは私が学部生の頃から使っているハンドルネームで、「山鳥さん」とは私の名前である「嶋」を分解した隠語です。
私はいくらなんでも、呉座さんの北村さん理解が一方的な思い込みに過ぎると感じました。それを指摘すると同時に、呉座さんのツイッターでよくRTしたりやり取りしている連中に、「フェミ叩き」で悪名高い連中がまま見られることに懸念を抱き、このような指摘をしたのですが、残念ながら呉座さんには真面目に受け取ってもらえなかったようです。
またこのツイートからは、呉座さんの北村さんへの偏見が、フェミニズムだのなんだのというだけでなく、地方出身者へのコンプレックスのようなものもあると感じられます。呉座さんも私も(ついでにいえば與那覇氏も)東京の中高一貫校を中学受験して東大に行ったというよくあるパターンですが、別にそれが悪いことでも何でもないのに、「苦労した地方出身者に比べ甘ちゃんだと思われる」というような勝手な被害者意識を持っていなかったか、それも懸念されるところです。
なお呉座さんの地方に対する発言には、以下のようなものもあったことを指摘しておきます。
5ちゃんねる呉座スレ4月13日より採取
沖縄独立が非現実的だと指摘するにしても、もうちょっと穏当な表現はなかったのかと思わされます。
以上のように、呉座さんの北村さん叩きは、決してまっとうな批評と呼べるものではありませんでした。それは「フェミ」を叩くというネットの俗情に結託し、時には地方出身者への偏見も混ざっていた、はなはだろくでもないものだったのです。
さて、先の箇所に続いて與那覇氏は、こう論じます。
一連のツイートからは専門である日本中世史の分野でも、(呉座氏の視点では)かなり偏ったスタンスでのジェンダー研究が台頭してきたことに、批判意識を抱いていたようだ。
どうなのでしょうか。これに関しては研究者である東専房さんという方とのやり取りがいくつかスクリーンショットで残っています。
5ちゃんねる呉座スレ4月12日より採取
5ちゃんねる呉座スレ11月4日より採取
率直に言って、呉座さんの東専房さんへの発言には、アカハラ的なものもありますし、学問的な議論というよりは人格攻撃に近く、意義のある議論を生みそうにありません。それは当時の時点でも、「豊饒な可能性のある一分野が過剰に叩かれる」と懸念されるようなものだったのです。研究における批判意識と呼べるのかは、疑問なしとしません。なお東専房さんのツイートは、ツイログから見ることができます。
與那覇氏の論でひとつだけ賛同できるのは、もし中世史へのジェンダー視点の導入のやり方の問題があるというのなら、呉座さんにはいくらでもまっとうに書ける媒体はあったはずで、なぜそうしなかったのかというのがあります。それは確かにそうですが、残念ながら呉座さんジェンダーやフェミニズムへの攻撃は、「界隈」の遊びであって、学問ではなかったのです。
続いて與那覇氏は、呉座さんの発言が「切り取り」されて恣意的に解釈されていると、以下のように論じます。
たとえば呉座氏が医大入試での不正採点問題に際して述べた、「お嬢様の自己実現なんて知らんがな」という発言を抜き出し、同氏が「女性の自己実現自体を否定した」かのような非難がなされている。率直にいって、露悪的な表現としても度が過ぎているのは事実だと思うが、あきらかに恣意的な切り取りだ。
呉座氏のもともとの発言は、「数千万円ないと入学できない医大入試を女性差別の象徴にするのは馬鹿馬鹿しくて話にならない。お嬢様の自己実現なんて知らんがな」である(太字強調は引用者)。女性全体の地位向上を目指すべきフェミニズムが、運動のシンボルに選ぶべき事例をまちがえてはいないか、と述べているのであって、医大による男女差別自体を肯定しているわけではない。
「お嬢様の自己実現なんて知らんがな」という呉座さんの暴言はネットに広まってしまいました。與那覇氏はそれを指して「切り取り」だと言っていますが、果たしてどうでしょうか。これをフェミニズム運動の批判と読み取ることこそ無理強いではないでしょうか。「お金持ちのお嬢様⇔一般人」のような対比がこの場合に意味があるのでしょうか。同じスタートラインに立っていることになっている、男女の医学部受験者が、性別によって恣意的に点差をつけられていたのです。お前は恵まれてるんだから男女差別を受け入れろ、と書き換えると、そのおかしさが分かるでしょう。このことを呉座さんはわざと捻じ曲げており、與那覇氏はそれを無理くりに擁護しているといわざるを得ません。
さらに言えば、呉座さんはそもそも女医というもの偏見を持った発言をしています。呉座さんのツイートのスクリーンショットには、はっきり女医をバカにしたものがあるのです。
5ちゃんねる呉座スレ4月8日より採取
5ちゃんねる呉座スレ4月10日より採取
さすがに後者はたしなめられていますが、呉座さんは改めなかったようです。
他にも類似のツイートの魚拓が残っています。女医についてこのような発言をしていた呉座さんであれば、医大入試の男女差別について肯定していた、と考えざるを得ません。
そして「與那覇1」の後半には、
具体的には、公開された呉座氏の過去の発言を「誤読」ないし「意図的に歪曲」して、同氏が一人の女性研究者を中傷したのみならず、全面的な「性差別主義者」「レイシスト」であったかのような風説が流布されている。こうしたことは、呉座氏が北村氏に対して行っていた揶揄と同様かそれ以上に、許されてはならない。
とありますが、残念ながら呉座さんの言説は、ここまで縷々見てきたように、そう取られても仕方のないものだったのです。「レイシスト」についてもいくつか補足しておきましょう。「ツイセーブ」の魚拓の「韓国」、「BLM」を示しておきます。
あるいは、このようなスクリーンショットもあります。
5ちゃんねる呉座スレ4月13日より採取
いわゆる「慰安婦」問題に関して、軍の「動員レベル」での関与に固執するこのツイートは、この問題を矮小化してしまう歴史修正主義的なもの、とされても仕方ないのではないでしょうか。専門外で詳しくなかったにしても、あまりにも軽率であり、女性差別的な思い込みが学問的な知識を凌駕してしまっているのは悲しいことです。
このように、呉座さんはさまざまな――女性(全般も、特定個人も)の他にも地方や他国・多民族など(引用はしませんが部落差別やヨーロッパへの偏見もあります)の幅広い差別的言辞に興じていました。この点については真摯な反省を求めます。私の考えでは、これはネット空間の闇に堕ちてしまったことによるもので、ネットの悪縁を断って冷静になれば、これらの言辞が唾棄すべきものであることは、呉座さんには容易に理解できるはずのことと信じています。
以上のように、呉座さんのツイッターをネット上に残されたデータから復刻してみると、呉座さんの問題発言が広い範囲にわたることは容易にわかるにもかかわらず、與那覇氏はこのように書いています。
不思議なのは私よりもはるかに呉座氏と親交が深く、彼の今後に期するところもあるはずのそうした識者たちが、それこそ実証的に文言を読み解けば不当だと論証できる非難まで呉座氏に浴びせられるのをただ傍観し、我関せずを装っていることである。いったい彼らにとって、実証とは、あるいは学問とは、なんのためにあるのだろうか。(引用注:太字は原文ママ)
これに対し、実証的に読み解いた結果が本論です。呉座さんの差別意識は残念ながら広い範囲にわたっており、時間的にも長く続いていました。北村さんへの誹謗中傷はほんの氷山の一角にすぎません。実証を云々する與那覇氏は、ちゃんと呉座さんのツイートの全体像に迫ろうとしたのでしょうか。個々の片言だけみれば差別意識があると断定できなくても、多数重なるとそういった意識の存在があるといわざるを得ないでしょう。片言を取り上げて無理やりな擁護をしているのは與那覇氏です。
與那覇氏は呉座さんのツイートをまとめた togetter が消えていることを以てこう論じます。
附言すれば、呉座氏への社会的な非難をここまで拡大させたのは、ツイートを一覧にして掲示する「まとめサイト」の存在だったが、当該のページは数日にして非公開に設定され、早くも問題の全体像を再把握し、非難の妥当性を検証する機会は閉ざされている。平素、「史料の保存」に基づき後世の評価を期すことの重要性を叫ぶ歴史学者諸氏は、同業者が(加害者でもあったとはいえ)被害者となる事件がこうした形で収束しても、何も感じるところはないのだろうか。
まず、呉座さんは本件に関して何よりも加害者です。そこを無理に被害者に仕立て上げるのは、かえって呉座さんの更生のためになりません。そして私が、5ちゃんねるの呉座スレを5から20まで16スレッドを調べただけで、本論に引用・リンクしただけのデータは見つかりました(把握できた総数はスクリーンショット約200、魚拓約30に上ります)。さらに、與那覇氏が消えたとする togetter のデータも相当部分がアーカイヴされていて今でも見ることができます(こちらとこちら)。氏はデータ発掘の努力をされたのでしょうか。そしてそれらのデータを見れば、呉座さんへの批判は避けがたいものであったといわざるを得ません。
しかしそれによって、呉座さんが研究者生命を断たれるべきとは、私は思いません。これらの史料を見れば、呉座さんがどこの誰とも知れぬSNSの連中に過度に入れ込んだために問題が起こったことは見えてきます。であれば対策も分かるというものですし、それを見ていた私たち(研究者であってもなくても)にとっても他山の石として有用なものであるはずです。決して他人ごとではないのです。
実証的でないと歴史研究者を腐した與那覇氏はこう論を結びますが、ここまでが全然実証的でないのですから、結論も無茶なものになります。
呉座氏というシンボルを損なった「実証史学ブーム」なるものは、今回の騒動を最後に雲散霧消し、歴史学それ自体の意義を顧みる人も、やがて誰もいなくなるだろう。私個人としては、それはそれでもうかまわないとも思う。
なるほど呉座さんの『応仁の乱』はヒットしましたが、「実証史学ブーム」などと呼ばれるものがあったのでしょうか? 中世史の新書がいくつも出たりしてそれなりに売れたようですが、それを「実証史学ブーム」と呼ぶことは妥当なのでしょうか。近現代史専攻からすると、日本では今日も歴史修正主義が横行しており、「実証史学」がブームとは到底信じがたいことです。
このように與那覇氏の論は、実証が全くなっておらず、断片的情報の無理やりな解釈から、呉座さんを擁護して歴史学者一般をけなす(そして自分だけが偉いのだと威張る)、まったく碌でもない文章です。しかし残念ながら、近年の與那覇氏の文章全般がそのようなものなのです。
たとえば「コロナ以後の世界に向けて「役に立たない歴史」を封鎖しよう」などは、勝手な思い込みで歴史学に無茶苦茶な攻撃をしています。歴史感覚を持つのは選ばれた自分のような人間だけで、他は全部クズ、まあそっちの方が生きやすいよねと冷笑し、抜け目なく自著の宣伝を盛り込む。歴史学に過大な責務を負わせ、それを果たしていないと歴史学者を攻撃し、自分だけはそれができていると誇る、典型的な「トンデモ」と化してはいないでしょうか。歴史家廃業と自分で言いながら、「與那覇1」では歴史学者という肩書を使っているのも、ご都合主義と私には思われます。
残念ながら私の目には、與那覇氏はもう帰還不能点を越えているように思われます。そこで私が祈ることは、まだ戻ってくる意志のある呉座さんが、悪縁を断って正道へ戻ることです。そのためには頓珍漢な擁護はまったくためにならず、やってしまったことを真摯に再確認して反省してもらうしかないと考えています。本論は呉座さんのやったことをあげつらっているといえばそれまでですが、やったことを認めてこそ復活も実態が伴うものと考えてのこととご理解ください。
「與那覇1」批判だけで相当な紙幅を費やしたので、「與那覇2」の批判は別稿とします。