開国とその影響

ポイント解説

1.幕府は鎖国政策を守ろうとしたが、アメリカなど諸外国の圧力を受け、日米和親条約日米修好通商条約を結び、開国した。

2.幕府の実権は、阿部正弘堀田正睦井伊直弼(、安藤信正)と移った。

3.開国により国内の物価は上昇し、人々の生活は苦しくなった。幕府は五品江戸廻送令を発令するが効果は上がらず。一方で激しい攘夷運動が広がりを見せた。


1.鎖国政策の動揺

①海外情勢

・1840年、アヘン戦争イギリスに敗れる

 →1842年、南京条約:清は香港をイギリスに割譲

 

②幕府の方針転換

・1842年、(天保の)薪水給与令

 …異国船打払令を緩和し、外国船に燃料・食糧を与える方針へ変更

 

③開国要求と外国船の来航

ⅰ.オランダ国王の開国勧告:1844年

・幕府は拒絶

 

ⅱ.ビッドルの来航:1846年

アメリカビッドル浦賀に来航

・通商要求を幕府は拒絶

 

ⅲ.ペリーの来航1853年

アメリカペリー浦賀に来航

軍艦(黒船)4隻を率い、サスケハナ号に乗船して来航

・幕府はフィルモア大統領の国書を久里浜で正式に受理、翌年に回答とする

 

ⅳ.プチャーチンの来航:1853年

ロシアプチャーチン長崎に来航

 

2.安政の改革

老中首座阿部正弘を中心とする改革

 

①ペリー来航への対応

朝廷に報告諸大名・旗本に諮問

 →朝廷の権威上昇、幕府に対する諸大名の発言の機会

 

②人材登用

越前藩主松平慶永(春嶽)薩摩藩主島津斉彬宇和島藩主伊達宗城の協力

・前水戸藩主徳川斉昭の幕政参画

・幕臣の登用:川路聖謨永井尚志岩瀬忠震

 

③国防・国力の強化

大船建造の禁解禁:武家諸法度の変更

・品川沖に台場(砲台)を築造:江川太郎左衛門

講武所:江戸に設置。武術・軍事訓練

蕃書調所江戸に設置。洋学教育、翻訳機関

 ※蛮書和解御用洋学所蕃書調所

海軍伝習所:長崎に設置。洋式軍艦の操縦などを教育

 

3.開国

ペリーの再来航:1854年

軍艦7隻、ポーハタン号に乗船

日米和親条約(神奈川条約)の締結

※おもな内容

下田箱館の開港

・領事駐在の許可

 →1856年、総領事ハリスが下田に着任

・アメリカ船に燃料・食糧の供給

片務的最恵国待遇の承認

 

プチャーチンの再来航:1854年

日露和親条約の締結

※おもな内容

・国境画定:択捉島以南を日本領、得撫島以北をロシア領とする

 ※樺太両国人雑居とする

下田箱館長崎の開港

 

③その他の和親条約

日英和親条約日蘭和親条約

イギリスオランダとも締結

 

4.開港、貿易の開始とその影響

・1856年、アメリカ総領事ハリス下田に着任 ※通訳:ヒュースケン

 →老中堀田正睦に通商を要求

・1858年、堀田正睦は朝廷に通商条約勅許を要請

 →孝明天皇はこれを拒否

 

日米修好通商条約に調印

1858年大老井伊直弼が無勅許調印

・背景:アロー戦争で清が敗北、天津条約の締結

 

ⅰ.おもな内容

・開港:箱館神奈川長崎新潟兵庫の5港

 ※実際には神奈川ではなく横浜、兵庫ではなく神戸

江戸大坂開市

・通商は自由貿易とする

・開港場に居留地を設置

 →一般外国人の自由な国内旅行は禁止

 

※不平等条約

・日本に滞在する自国民(アメリカ人)の領事裁判権(治外法権)を認める

協定関税制:日本の関税自主権の欠如 

 

ⅱ.批准書の交換

・1860年、日本の使節が訪米

・外国奉行新見正興が首席全権として訪米

勝義邦(勝海舟)が艦長を務める幕府の軍艦咸臨丸が随行し太平洋横断

 

安政の五カ国条約

・5カ国:アメリカ、オランダ、イギリス、フランス、ロシア

 ※覚え方:アオイフロ

・日米修好通商条約と同様の条約をアメリカを含め5カ国と締結

 

③貿易の開始と実態

ⅰ.貿易の開始

・1859年、横浜、長崎、箱館で開始

※横浜開港後、下田は閉鎖

 

ⅱ.貿易の形態

・居留地貿易:外国商人と日本商人が取り引き

売込商:輸出品を販売する日本の商人

引取商:輸入品を買い取る日本の商人

 

ⅲ.貿易の状況

・最大の貿易港:横浜

・最大の貿易相手国:イギリス

 ※アメリカは南北戦争の影響で貿易額が少なかった

 

ⅳ.おもな貿易品目

・輸出品:生糸(約80%)、蚕卵紙、海産物

 ※半製品・食料品が中心

・輸入品:毛織物綿織物(計約75%)、武器、戦艦

 ※製品

 

ⅴ.貿易による影響

製糸業(生糸を生産)は発展:マニュファクチュア経営の発達

・綿作・綿織物業は打撃:安価な綿織物の輸入により経営を圧迫

・物価の上昇:大幅な輸出超過、国内の物資不足が原因

 

※金貨の流出:10万両以上

・要因:金銀比価の相違

 →金:銀の比率が日本は1:5、外国は1:15

・対応:悪貨の万延小判鋳造

 →物価上昇に拍車がかかる

 

ⅵ.幕府の対応

1860年、五品江戸廻送令を発令

・目的:物価の上昇を抑える

・五品:雑穀水油呉服生糸

・内容:五品目について、江戸の問屋を経由することを義務付け

・結果:在郷商人や列国の反対にあい、効果は上がらず

 

ⅶ.攘夷運動の発生

※背景:庶民の生活圧迫など

・1860年、薩摩藩浪士がオランダ人ヒュースケン(ハリスの通訳)を暗殺

・1861年、東禅寺事件:水戸脱藩士がイギリス仮公使館を襲撃

・1862年、生麦事件島津久光の行列を横断したイギリス人を殺傷

 →1863年、薩英戦争:薩摩藩は報復を受け、攘夷の不可能を悟る

・1862年、イギリス公使館焼打ち事件:高杉晋作、井上馨、伊藤博文らが襲撃


漢字の読み方

薪水給与令:しんすいきゅうよれい

阿部正弘:あべまさひろ

松平慶永(春嶽):まつだいらよしなが(しゅんがく)

島津斉彬:しまづなりあきら

伊達宗城:だてむねなり

徳川斉昭:とくがわなりあき

川路聖謨:かわじとしあきら

・永井尚志:ながいなおゆき(なおむね)

岩瀬忠震:いわせただなり

蕃書調所:ばんしょしらべしょ

 

・片務的最恵国待遇:へんむてきさいけいこくたいぐう

得撫島:うるっぷとう

両国人雑居:りょうこくじんざっきょ

堀田正睦:ほったまさよし

孝明天皇:こうめいてんのう

井伊直弼:いいなおすけ

居留地:きょりゅうち

新見正興:しんみまさおき

勝義邦(勝海舟):かつよしくに(かつかいしゅう)

・咸臨丸:かんりんまる

売込商:うりこみしょう

・引取商:ひきとりしょう

生糸:きいと

・蚕卵紙:さんらんし

万延小判:まんえんこばん

五品江戸廻送令:ごひんえどかいそうれい

雑穀:ざっこく

・水油:みずらぶら

・蠟:ろう

東禅寺事件:とうぜんじじけん