夕張市「再建団体」に転落、自治体受難の象徴に
平成の北海道
1990年代以降はすっかり珍しくなっていた「自治体の財政破綻」が平成も後半にさしかかった2006年、高級メロンで全国に知られていた北海道夕張市で起きた。石炭産業から観光重視への転換に失敗。収支悪化を取り繕うために重ねた多額の借金が表面化し、ついに行き詰まった。
夕張は1891年に炭鉱が開かれ、ピーク時には24の鉱山を持つ日本有数の炭鉱の街として発展した。道内外の戦後の経済成長を支えるエネルギー供給地として栄えたが、世界のエネルギー源が石油に変わると石炭産業は一気に衰退した。往時に12万人いた人口は今や1万人を切っている。
炭鉱に代わる新たな産業として市が目を付けたのが観光だったが、観光資源に乏しい地域には荷が重かった。07年3月、国の管理下で再建を目指す「財政再建団体」に指定。破綻自治体は他にもあるが、「ヤミ起債」とも言われた隠れ借金を重ねた夕張は負債額の多さが群を抜いていた。その額は、市が自由に使える年間収入の8倍に当たる353億円に達した。
市はまず、市長を含む特別職だけでなく市職員の給与カットや人員削減を断行。さらに行政サービスの削減という形で市民にも痛みを求めた。市内に複数あった小中学校は各1校に統合され、図書館も廃止。金融機関の店舗は次々に撤退した。
水道料金は全国一高い月平均6800円となり「全国最低のサービス、最高の負担」と表現されたほどだ。こうなれば当然、住民の流出は加速する。破綻時に1万3千人だった人口はみるみる減り、19年3月には8千人まで落ち込んでいる。
夕張に限らず、平成は自治体受難の時代だった。バブル崩壊や金融危機による税収減に加え、少子高齢化によるコスト増が自治体財政を直撃。90年代後半から2000年代にかけて「財政非常事態」を宣言する自治体が相次いだ。ただ、行政サービスが半ば強制的に制限される財政再建(再生)団体に実際に転落するケースは92年の赤池町(福岡県、現在の福智町)以来出ていなかった。
潜在リスクがついに顕在化した夕張市の破綻で、国も動く。自治体の赤字が一定比率を超えると再建団体に指定していた制度を改め、悪化の手前でまず自主努力による改善を促す仕組みを盛り込んだ法律を09年に施行。それまでを「一発レッドカード制」とすれば、いわば前段階の「イエローカード」を導入し、2段階で破綻を防止する仕組みに変えた。
夕張市は11年に都庁職員から転じた鈴木直道氏(現北海道知事)を先頭に、地域再生に本腰を入れた。17年度からは緊縮一辺倒だった財政再生計画を見直し、住宅整備やまちづくりにも投資できるように変更。現在は26年度までに約190億円の負債を返すと同時に、地域再生の取り組みも進める。19年度には図書コーナーや交流スペースなどを設けた拠点複合施設が開設される予定だ。
夕張再生の一環として改修した石炭博物館では18日に観光客向けの坑道で火災が発生し、早期の復旧が新たな課題として浮上している。市長選を制したばかりの厚谷司・前市議会議長をトップとする新体制には波乱含みのスタートとなる。全国唯一の財政再生団体からの卒業予定は8年後。夕張の復活はまだ先だ。
(塩崎健太郎)