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「現シリーズ」
澱む現

オオカミ達の宴 準備編

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「…………へぇ、アンタって本当に逸材なのねぇ」

 車の中で暫く揺れる間、女はノートパソコンを開いて何かをチェックしていた。カタカタとキーを打ちつけ、何か物憂げに考えている。

「……逸材って何だよ」

 今のこの状況では聞き捨てならない言葉に、俯いていた文昭は渋面のまま聞き返した。

「アンタが居なくなっても誰も警察に届出を出してないの。『売り子』としてこれほど都合のいい人間が今の日本に、しかも本物の高校生で、そうそういると思う?……滅多にいないわ」

 女が画面を見つめる瞳をひょいと文昭に向けると、文昭は顔面を硬直させていた。
 女はそんな文昭を顔色も変えずに見返し、すぐにノートパソコンの画面に目を落としす。

「そこでちょっと気になる事があるんだけど、聞いてもいいかしら?」

「…………何…」

 文昭は低い声で返す。

「…アンタが前の学校を退学になった理由、よ。情報がココだけどうしても交錯するの。たくさんの情報があって、処理し切れないのね」

「……知るかよ」

 聞きたくもない話の最たる話題に、文昭は眉をしかめた。この女といいあの男といい、どこからそんな個人情報を持ってくるのだろうか。
 目の前の女にいたっては、そのパソコンで確認するまでは文昭の情報をほとんど持っていないようだった。パソコンひとつであっさりと個人の情報や経歴が他人に知られてしまうなんて、とてつもない恐怖だ。

 そんな風に現状どこか冷めた目で考え始めていた文昭は、次に発せられた言葉に反射的に慄いた。

「……じゃあ質問を変えるわ。伊橋 英臣(イハシ ヒデオミ)って」
「ッ!!!」

 女がその名を口にした瞬間、文昭は弾かれるようにして顔をあげた。その鬼気迫る様子に、女は一瞬目を見開いて固まってしまう。

「……アンタ…」

「ぁ、違っ…!そっそんなヤツ知らない…!!」

 女が訝しげに眉を顰めるのを見て文昭は自分の反応は不味かったと思ったのか、悔やむように唇を噛み締めてうつむいた。

 しかし、その心中は穏やかではない。
 女の口からあの人間の言葉が出るだけで、忘れかけていた吐き気が蘇ってくる気がしてたまらなかった。
 もう二度と、誰の口からも聞きたくない名前だった。二度とその名前が聞こえない場所に行きたくて、逃げ回っていたというのに。

 あの男ですら、触れはしなかった事なのに。



「……そんなヤツ、知らない」

 苦々しい表情で再度そう呟く文昭を見て、女は目元だけを細めて嗤った。何かを確信したようだ。

「…あらあらごめんなさいね。傷ついてるのに」

「…………………」

「まあ当たり前よね。ずっと友達だったんだもの。幼稚園から高校までずっと同じで、……まさかあん」
「――だまれっ!!う、うるさいんだよお前!黙れよ!!…知らないっていってんだろ?俺は関係ねぇんだよ分かれよ!」

 更に言い募る女にキレて、文昭はがむしゃらに身体を動かして拘束を解こうと躍起になった。けれど黒スーツの男の関節技のような拘束は一筋縄では解けない。
 痛みに脂汗すら浮いてきた。

「――クソッ!!」

「……足掻いてるところ悪いけど、今更逃がしてあげるなんて無理なのよ。もうアンタは商品として登録済んでるし」

「は?」

――しょうひんとしてとうろく?

 じんわりと先ほど女が言ったセリフが耳に蘇ってきた。女は最初、文昭の事を確かに『売りもの』だと言ってはいなかったか。

――なに?…え?…売りものって、マジで?は?マジでこの日本で人身売買?有り得ねぇだろ。人権は?なんで俺が?有り得ねぇ。ねぇよ。嘘だ。だってこんな

 文昭が女に言われた事を飲み込もうとしていると、文昭を押さえているのとは別の黒スーツの男が、ここにきて初めて声を発した。

「着きました。地下へ直接行きますか?」

「……そうね。できたらそのままこの子を検査にまわして」

「はい」

 その会話に、文昭ははっとした。慌ててフルスモッグのせいで薄暗くみえる窓ガラスの外を見る。連れてこられたのは有名私立大学の総合病院の敷地内だった。
 自分自身は病気で来た事はないが、友人のお見舞いで小学校時代に出入りした記憶はある。
 近所の浪人生が、ここの付属大学に2浪してようやく入学できたという話を小耳に挟んだのも新しかった。


「は?…なあおい、俺をどうするって?マジで売る気かよ。有り得ねぇだろ?」

「『有り得ない』なんてことないわ。現にありえてるもの。まさかさっきから大人しかったのって、本気にしてなかったから?」

 せせら笑うような顔で、女が3本目のタバコに手をかける。やはりそれを見た隣の男が、反吐が出るほど洗礼された動きで火をつけた。

「…だって、こんなこと普通」

「『普通有り得ない』?そうね、あなたの言うような『普通』には確かに『こんな事』ないわ」

 女はノートパソコンを隣に座っていた黒スーツの男に渡すと、ニヒルな笑みを浮かべた。リムジンは緊急車両が出入りする場所へと、何の断りもなく入っていく。
 緊急搬入口を通り過ぎると、そこには【関係者以外立ち入り禁止】と硬く閉ざされている鉄の扉があった。その扉は人が押してもビクともしなさそうな外観に反して、リムジンが近づくと何かを感知したかのように、音もなく開きはじめる。

「でも、私にとっては『普通』に有り得るのよ」

「…でもここって……」

「ココ?ああ、アンタも結構有名な大学病院だし、名前くらいは知ってるんでしょ?」

 周辺を見ながら、女は自分の背後にそびえ立つ大きな総合病院のビルをタバコで指し示した。文昭にとってはますますワケのわからない状況だ。

「何、で、病院、なんかに」

「…分からない子ねぇ…ここであんたを売りさばくからじゃないの」

「……ハァ?!」

 あっさりととんでもない事を返され、文昭は女を再び凝視したっまま固まった。
 驚いた表情のまま固まってしまった文昭を見ても、女は相変わらず冷淡な表情のまま、フゥーっと口から煙を吐きだすだけだ。

「詳しくは喋らないけど、ここではそういう事をしてるの」

「そういうって…」

「あそこでは、その場だけの通貨で人を売買するの。実験に使ったり、使用人にしたり、用途はさまざまだけどね」

 車は鉄の扉をくぐり、緩やかな下り坂を降り始めた。
 先ほど黒スーツの男が言っていたように、地下へと降りるのだろう。トンネルのように、暗い穴蔵を所々を途切れる事のない電灯が照らし出している。随分と長いトンネルだった。


「ああ、そうそう言っておくけど、建物に入ったら本名は名乗らないほうがいいわよ。あそこでは皆が嘘をつくの。名前も経歴も、全て」

「嘘?」

「そう、皆オオカミ少年なの。……知ってるでしょ?有名な寓話」

 それくらいは知っている。
 きちんとその話を本で読んだかと聞かれると怪しいけれど、子供のときに聞かされる代表的な寓話だ。

「嘘をつき過ぎて、もう誰も信じないのよ、彼らのこと。…ああ、でも少年なんて可愛い年じゃないわよねぇ。ふふ。……じゃあオオカミ男、かしらね」

 女は冗談でも言っているような口調でそう言うと、まだ少し長めのタバコを黒スーツの男が用意した灰皿に押し付けてもみ消した。
 甘ったるい臭いが鼻につく中、車はようやく目的地に着いたらしく、ゆっくりと停止する。

「さあ、無駄話はおしまい。……悪く思わないでよね」

「……っ」

 女がそう言った瞬間、後ろで間接を極めていた男とは別の男が、文昭の脇腹に何かを押し当ててきた。
 それに反応するよりも早く、ガシュッっという音とともに身体が大きく痙攣する。何かが身体を突き抜けたような衝撃に、身体全体が跳ね上がって硬直した。

「っう゛……?!」

 何が起こったのかを確認する前に、文昭の体は一気に弛緩して黒スーツの男の胸元に背を預けるようにして気を失ってしまった。













「っ……あ……?」

 ぼうっと目が覚めた。
 酷くだるい目覚めで、最近の目覚めの中では底辺をいくほどに最悪の気分だ。

「………………?」

 瞼を押し上げようとしてまず感じた違和感は、明るすぎることだった。
 男の地下室はこんなに白く明るくはない。あそこはオレンジ色の電灯で彩られていたし、どこか瞳に優しい色だった。
 それに対し、この明るさはまさに最悪だ。チカチカとさす光が瞳を直接刺激する。
 その光源から顔を背け、手で目もとを覆い隠そうと腕を持ち上げたところで、違和感に気付く。

――腕、あがんねぇ…

 次第に感覚が戻ってくると、腕と手首、太ももと足首に何かで縛られているような感覚が伝わってきた。
 そして自分は今椅子に座らせられている。という実感。少し斜めに傾いた椅子に、身体が括り付けられているのだろう。

「……ぁんえぇ…?」

 呂律が回らない口の中で、舌が何か異物のように感じられた。唇の感覚があまりない。
 まるで歯医者で麻酔を注射されたときのようだ。

――ますい……?

 辿り着いた答えに、文昭はようやく今までの流れを思い出し始めた。
 途端に危機感を感じてひんやりと肝が冷える。慣れ始めた目をしばしばと瞬かせて、自分の状況を確認しようと周りを見渡した。

 白い壁に白い天井。

 その眩しさに、目が眩む。



「……ん?おや、目が覚めたようだね。あぁーどっこらしょっと」

 誰かがこちらへ来るために、椅子か何かから立ち上がった気配がした。
 声のする方向が分からないまま、文昭はまだ開ききれない目のまま首だけを動かす。どこか親しみのあるような、深みのある男性の声だけが部屋の空気を振るわせた。

「ああ、そうそう、HIVの感染テストは合格だったよ。他のテストも合格だ。よかったよかった」

 近くに来たその少ししゃがれた声を確かめるため、文昭は目を細めて眉間に皺を寄せる。
 文昭の目の前で自分を煌々と照らし出しているのは、手術中に使うような複数のライト。余すことなく患部を照らし出す為のライトだった。
 熱が伝わってくるほどの明るさ。そしてその光の中、文昭は自分が一糸纏わぬ姿を曝け出していることに気付いた。
 胸元には何かしらのパッドが付けられており、腹部や手足にも何かを取り付けられている。

 そして更に驚いたのは、文昭の目の前、まるで分娩台のような診察台のような、少し変わった椅子に全裸で縛られた文昭の股の間に立っている人物だった。

「……だ、レ」

 まだ上手く回らない舌で、必死に言葉をつむぐ。
 灰色でふさふさとした眉毛が、文昭の発した問いに反応してひょいと上にあがった。

「君を検査する人間だよ。目が覚めるのを待っていたんだ。さてさて、再開しようかね」

 そう言うと、皺々の目もとをさらに皺々に寄せて老紳士然としたその男は笑った。

「……………………」

 きっちりと着込まれた白衣に、患者を安心させるような微笑。そう、例えるならば、若い人たちから慕われて人生の先輩として尊敬されている爺ちゃん……といった言葉がよく似合うような人物だった。
 つまり、文昭のペニスに手を添えて立っているこの老人は、この場には相応しくないほどに昇華された容姿をしていたのだ。

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