○○は全てじゃない。でも、○○が無ければ全てが無い
変態二元論者に足をすくわれないための俺的心得です。
○○は全てじゃない。でも、○○が無ければ全てが無い
○○ には、「お金」「健康」「学歴」「実力」「積み重ね」「結果」「恋人」「良き友人」など、
○○が全てというフレーズで使えそうな単語が入ります。
お金は全てじゃない。でも、お金が無ければ全てが無い
こんな感じで○○に単語を代入します。
なんでこんなことをするかというと、
「○○が全て」あるいは「○○が全てじゃない」という構文でウソをつくアホどもに対抗し
メンタルを持っていかれないようにするためです。
たとえば「お金」の場合
「お金が全て」と言うのはウソです。
お金より大事なものがあるからこそ
お金を払ってソレを買ったり、あるいは何かしらの権利を得たりします。
本当にお金が全てなのであれば買い物なんか一切できません。
一番大事なのがお金であれば、それ以外のものを得るのにお金を使うことはできず、結果あらゆる買い物は成り立ちません。
(一番大事なお金を渡してそれより大事じゃないジャガイモを得るなんてトレードとして不利が過ぎるため)
「お金が全てじゃない」と言うのもウソです。
お金が無ければ(過程省略)死んでしまうからです。
「全て」「全てじゃない」のどっちもがウソで
コレ、バランスの問題なんです。
0と100の間のどこかに自分の基準値、それぞれ思うところがあって
どうバランスを取ればよいか?を思考して探り答えを決めるのが人生の一要素となるのです。
40を是とするか80を最適とするか、それは人に依ります。
0の人はいませんし、100の人も正直いません。
じゃあどこがよいか?という好みのバランスを決めるのは大変~、と思う人がいるのもわかります。
人に何か言われるたびに基準値が変わっちゃう人がいるのもわかります。
だからといって「お金が全て」とか「お金は全てじゃない」みたいに主張して、
バランス調整それ自体を放棄するのはアホのやることです。
上記まとめると
「お金は全てじゃない。でも、お金が無ければ全てが無い」
となります。
たとえば「健康」の場合
「健康が全て」⇒ウソです。ラーメン食べるのはとても幸せなことです。
「健康が全てじゃない」⇒ウソです。不健康極まれば命が脅かされます。
まとめると「健康は全てじゃない。でも、健康が無ければ全てが無い」
たとえば「学歴」の場合
「学歴が全て」⇒ウソです。ハーバード出で必ず幸福かといえばそうじゃない。
「学歴が全てじゃない」⇒ウソです。中卒だと人生ハードモード過ぎでしょ。
まとめると「学歴は全てじゃない。でも、学歴が無ければ全てが無い」
たとえば「実力」の場合
「実力が全て」⇒ウソです。コネがあれば余裕。
「実力が全てじゃない」⇒ウソです。アホは結局淘汰されます。
まとめると「実力は全てじゃない。でも、実力が無ければ全てが無い」
たとえば「積み重ね」の場合
「積み重ねが全て」⇒ウソです。「ムダな努力」の存在を無視すると余裕で詰みます。
「積み重ねが全てじゃない」⇒ウソです。創意工夫を凝らしてもしょうもないメッキは必ずはがれるもんです。
まとめると「積み重ねは全てじゃない。でも、積み重ねが無ければ全てが無い」
たとえば「結果」の場合
「結果が全て」⇒ウソです。世の人はみんなそこまで論理的じゃない。
「結果が全てじゃない」⇒ウソです。世の人はみんなそこまでアホじゃない。
まとめると「結果は全てじゃない。でも、結果が無ければ全てが無い」
たとえば「恋人」の場合
「恋人が全て」⇒ウソです。どうせ来年には別れてるでしょ。
「恋人が全てじゃない」⇒ウソです。モテない人は別の理由をでっち上げられてdisられ誰も寄り付かなくなります。
まとめると「恋人は全てじゃない。でも、恋人が無ければ全てが無い」
たとえば「良き友人」の場合
「友人が全て」⇒ウソです。自分の人生助けるのは結局自分だけです。
「友人が全てじゃない」⇒ウソです。一人で生きてるとなんだかんだ攻撃的になって道を外します。
まとめると「友人は全てじゃない。でも、友人が無ければ全てが無い」
どっちに付くかは人によるんで自由ですが
その選択を放棄して0か100になろうとするのはただの世捨て人です。
そんな人の二元論には耳を貸さないようにしましょう。
聞くだけでメンタル持ってかれますよ。
という提案でした。
**
言葉の魔術師(探求者)ブログでは、少しでもあなたのより良い人生に貢献できるよう、俺的心得の投稿を通じて日々あなたに新しい提案を行います。
Twitterでは投稿時の通知も行っていますので、よければこの青イルカをフォローしてあげてください。Twitterアカウントはこちら
○○は全てじゃない。でも、○○が無ければ全てが無い
○○ には、「お金」「健康」「学歴」「実力」「積み重ね」「結果」「恋人」「良き友人」など、
○○が全てというフレーズで使えそうな単語が入ります。
お金は全てじゃない。でも、お金が無ければ全てが無い
こんな感じで○○に単語を代入します。
なんでこんなことをするかというと、
「○○が全て」あるいは「○○が全てじゃない」という構文でウソをつくアホどもに対抗し
メンタルを持っていかれないようにするためです。
たとえば「お金」の場合
「お金が全て」と言うのはウソです。
お金より大事なものがあるからこそ
お金を払ってソレを買ったり、あるいは何かしらの権利を得たりします。
本当にお金が全てなのであれば買い物なんか一切できません。
一番大事なのがお金であれば、それ以外のものを得るのにお金を使うことはできず、結果あらゆる買い物は成り立ちません。
(一番大事なお金を渡してそれより大事じゃないジャガイモを得るなんてトレードとして不利が過ぎるため)
「お金が全てじゃない」と言うのもウソです。
お金が無ければ(過程省略)死んでしまうからです。
「全て」「全てじゃない」のどっちもがウソで
コレ、バランスの問題なんです。
0と100の間のどこかに自分の基準値、それぞれ思うところがあって
どうバランスを取ればよいか?を思考して探り答えを決めるのが人生の一要素となるのです。
40を是とするか80を最適とするか、それは人に依ります。
0の人はいませんし、100の人も正直いません。
じゃあどこがよいか?という好みのバランスを決めるのは大変~、と思う人がいるのもわかります。
人に何か言われるたびに基準値が変わっちゃう人がいるのもわかります。
だからといって「お金が全て」とか「お金は全てじゃない」みたいに主張して、
バランス調整それ自体を放棄するのはアホのやることです。
上記まとめると
「お金は全てじゃない。でも、お金が無ければ全てが無い」
となります。
たとえば「健康」の場合
「健康が全て」⇒ウソです。ラーメン食べるのはとても幸せなことです。
「健康が全てじゃない」⇒ウソです。不健康極まれば命が脅かされます。
まとめると「健康は全てじゃない。でも、健康が無ければ全てが無い」
たとえば「学歴」の場合
「学歴が全て」⇒ウソです。ハーバード出で必ず幸福かといえばそうじゃない。
「学歴が全てじゃない」⇒ウソです。中卒だと人生ハードモード過ぎでしょ。
まとめると「学歴は全てじゃない。でも、学歴が無ければ全てが無い」
たとえば「実力」の場合
「実力が全て」⇒ウソです。コネがあれば余裕。
「実力が全てじゃない」⇒ウソです。アホは結局淘汰されます。
まとめると「実力は全てじゃない。でも、実力が無ければ全てが無い」
たとえば「積み重ね」の場合
「積み重ねが全て」⇒ウソです。「ムダな努力」の存在を無視すると余裕で詰みます。
「積み重ねが全てじゃない」⇒ウソです。創意工夫を凝らしてもしょうもないメッキは必ずはがれるもんです。
まとめると「積み重ねは全てじゃない。でも、積み重ねが無ければ全てが無い」
たとえば「結果」の場合
「結果が全て」⇒ウソです。世の人はみんなそこまで論理的じゃない。
「結果が全てじゃない」⇒ウソです。世の人はみんなそこまでアホじゃない。
まとめると「結果は全てじゃない。でも、結果が無ければ全てが無い」
たとえば「恋人」の場合
「恋人が全て」⇒ウソです。どうせ来年には別れてるでしょ。
「恋人が全てじゃない」⇒ウソです。モテない人は別の理由をでっち上げられてdisられ誰も寄り付かなくなります。
まとめると「恋人は全てじゃない。でも、恋人が無ければ全てが無い」
たとえば「良き友人」の場合
「友人が全て」⇒ウソです。自分の人生助けるのは結局自分だけです。
「友人が全てじゃない」⇒ウソです。一人で生きてるとなんだかんだ攻撃的になって道を外します。
まとめると「友人は全てじゃない。でも、友人が無ければ全てが無い」
どっちに付くかは人によるんで自由ですが
その選択を放棄して0か100になろうとするのはただの世捨て人です。
そんな人の二元論には耳を貸さないようにしましょう。
聞くだけでメンタル持ってかれますよ。
という提案でした。
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