もう秋も終わりだね。
わたしが藤本タツキくんに向けて手紙を描き始めたのはちょうど『チェンソーマン』の連載がジャンプで終わった頃だったのに、どうしてもわたしは君みたいにスラスラと物語を書くことが出来ないから、不格好な思い出を書き起すだけのことにたくさんの季節を費やしてしまいました。
お久しぶりです。と言っても、藤本タツキくんはもうわたしのことなんて覚えてないよね。
藤本タツキくんが藤本タツキくんになるまでの足踏みばかりの一年間は、わたしの人生の中で最も満ち足りた一年間だったけど、きっと君は思い出すことをやめてしまったと思います。もしくは、思い出さないでくれていると嬉しいです。
藤本タツキくんにとってのわたしが、取るに足らない人間であって欲しいからです。私と過ごした日々が、思い出すのも嫌なほど後悔に満ちていて欲しいからです。
だからわたしは、藤本タツキくんと初めて会うみたいに話します。「こんなことがあったんだよ」って。藤本タツキくんは何も覚えていない顔で聞いていてください。「昔昔あるところに」と聞くみたいに、ちょっと興味深く、教訓めいた説教臭さと不思議な懐かしさを感じながら、仕方なく耳を傾けてください。
わたしが初めて会った藤本タツキくんは、ちょっと絵が上手いだけの独り言の大きな男の子でした。
本当に独り言が大きくて、隣の席に座っていたわたしは何度も話しかけられているのかと思って、君の独り言に返事をしたものです。
寝言に返事をすると夢から帰って来れなくなると言いますが、わたしが独り言に返事をするせいで、藤本タツキくんは一層自分の世界を強固にして、友達を作る機会を皆無にしたのかもしれません。 とにかく藤本タツキくんは孤独で、常に物思いに耽っているような人でした。
わたしはと言うと、独り言を口走ることもなければ、物思いなんて今週のジャンプについてくらいのものです。ただ一点、孤独であるという点においてのみ、藤本タツキくんと同じでした。他人に興味が持てず、勝手に周りの人間を見下していたように思います。
典型的に卑屈で分不相応な自意識を抱える馬鹿でした。
そんな藤本タツキくんとわたしが行動を共にするようになったのは、たまたま二人して孤独だったからという理由に他なりません。
川の流れで石ころが丸くなるように、秋になると木の葉が色づくように、余り物と余り物が時間を共にするのは学生生活における自然の摂理でした。
当初わたしは藤本タツキくんのことを薄気味悪く思っていたし、藤本タツキくんだってわたしに対して生理的嫌悪の一つや二つ抱えていたことでしょう。もし「付き合う人間を選ぶ権利」という力を持っていたら、お互いがお互いを選ぶことは決してありません。手塚くんとか沙耶香さんとか(覚えていますか?)を選びたいに決まっています。出会うはずのない二人が出会ってしまうのですから、人間関係を選べない者同士の運命的な出会いとも言えるかもしれません。
とにかくわたしたちには、学校の中に居場所がありませんでした。幸いにしてイジメという文化はない学校でしたが、暴力でも振るわれた方がまだ「幸い」だったのかもしれせん(暴力にはそれぞれ、振るう側、振るわれる側、としての居場所がある……というのは藤本タツキくんの受け売りです)。
電車の中で出くわす精神異常者になった心地なのです。そこに居ないものとして扱う緊張感と、どうか声をあげないで欲しいという願いが、教室には漂っていたように感じました。
お昼休みになる度にわざわざ校門の外へ出て、高架下のベンチで一緒にお弁当を食べたものです。
わたしと藤本タツキくんの共通の話題と言えば、他人の悪口と週刊誌の漫画について。それからとりわけ盛り上がるのがパニックホラーダービー。
パニックホラーダービーというのは、教室にテロリストが乗り込んでくるとか、ゾンビに囲まれてショッピングモールに篭城するとか、宇宙人が襲来するとか、そういうシチュエーションでどの知り合いがどういう目に合うかのか、どういう行動をとるかを想像する遊びです。
これは悪口の延長線なのかもしれません。嫌なクラスメイト(ヨシキくんや上野さん等)が真っ先に死ぬお約束がありましたし、大抵誰も助からないのです。
わたしたちの興味は如何に誰がどう生き延びるかよりも、誰にどれだけ面白みのある死に方をさせられるかにあったように思います。あの学年一番の田中くんが、生き残るための最善策を取り続けた結果、脳を浸した水槽が沸騰して脳味噌汁になった回は傑作でしたね。火にかけた鍋を眺める度に今でも思い出します。
そんな薄暗い話ばかりするわたしたちは、きっと似た者同士なのだと思いました。どうしようもなく社交性が欠落していて頭が悪くて人の役に立つことが出来ない粗悪品。
当然パニックホラーダービーで嫌なクラスメイトの次に死ぬのは、いつもわたしと藤本タツキくんなのです。ゾンビとセックスして腹上死したり、宇宙人から逃げる途中で肥溜めに突っ込んで死んだり、とにかく自分たちの死に方はいつでも一番バカバカしくて情けないものでした。自分たちの惨めな死に方を笑い合うことで、どん底にいるのが自分一人ではない薄暗い安堵を覚えるのです。
少し横道に逸れた話をしようかな。帰り道の話。
わたしと藤本タツキくんはよく一緒に帰りました。お互い部活動はやってなかったし、家に帰る方向が途中まで一緒でした。
特別寄り道したいような面白みのある建物もなく、わたしたちは真っ直ぐに家路を目指しました。延々続く田畑と木々と鉄塔は、のんびり真綿のようで剣呑でした。
さっきから貼っている写真、流石に見覚えがあるかな? わたしと藤本タツキくんの帰り道です。
くすんで見えたあの頃の景色が、色鮮やかな写真として残っているのは、恥ずかしい。こういうのって恥ずかしくない? あれだけ惨めで情けない昔の記憶が、思い返してみればなんてことはない「綺麗な思い出」になっちゃうみたいな。歳とったみたいで、やだな。
この神社に一度だけ寄ったことがあったんだよ。
ちょうど夏休み前のテスト期間のこと。
もうすぐ夏休みだからと珍しくはしゃいだ様子の藤本タツキくんは、この神社に寄り道して鳥居に落書きをしました。『新米婦警キルコさん』(という漫画が当時のジャンプで連載していました)の音無キルコさんの落書き(余談ですが、『帰ってきたっ! 新米婦警キルコさん』の表紙、花とゆめCOMICSみたいで良くないですか?)。
藤本タツキくん曰く「歴史ある建造物にキルコさんを描くのが一番いい」とのこと。『新米婦警キルコさん』さんという漫画は、いつ連載が打ち切りになってもおかしくありませんでした。当時のわたしたちの見立てでは、五、六ヶ月で……と言ったところでしょうか。数百年そこにある鳥居からすれば、キルコさんの連載している五ヶ月あまりはちっぽけなものです。しかし学生生活における五ヶ月という時間は、あまりに貴重で、大きくて。時間感覚に相違のある両者の間を『新米婦警キルコさん』が駆け抜けるのが面白いのだそうです。どういうこと?
その面白みを上手く理解することはできませんでしたが、藤本タツキくんからペンを渡されて、お前も描けよと促されて、わたしは絵なんてちっとも上手くないのに。藤本タツキくんの感じている面白みがちっとも理解できないのに。言われるがまま鳥居にキルコさんを描きました。
ぎゃはは~と、それを見て藤本タツキくんはおかしそうに笑うのです。無垢な少年のようなその笑顔で。
その時わたしは不覚にも胸の高鳴りを覚えました。
藤本タツキくんなんて独り言が大きくて、何言ってるのか分からなくて、性根が暗くて、ちょっと絵がうまいだけの男の子なのです。夏の日差しのせいでしょうか。初めて見るその笑顔は溌溂として、健康的で、いっぱしの男の子に空目してしまう純真さを宿していました。
肌に汗が伝うのを感じながら、わたしたちは手の届く限り鳥居いっぱいにキルコさんを描きました。比較的上の方に描かれたキルコさんの方が上手くて……つまり藤本タツキくんの方がわたしよりも背が高いということなのですが。そんなことを意識して記憶してしまうほどに、あの日のわたしはどうかしていたと言わざるを得ません。
あれ? なんか青春かも。青春じゃないこれ?藤本タツキくんも不覚にもドキドキしちゃったりしてね。あんなにカスな毎日がね。
それから少し縁側に腰かけて話をしました。
俺さー。漫画家になろっかなー。
藤本タツキくんがそう言うので、わたしは手を叩いてそれに同調しました。
眩しい夏の日にうってつけの、きらきらした夢の話。
そしたらわたしはハリウットで女優になろうかなー。
それを聞いた藤本タツキくんは驚くほど真面目な顔(もともと表情が乏しいだけなのですが。大概君は真顔で喋ります)で、
いいじゃん。お前向いてるよ。
と言うのです(どこが?)。
「そしたら藤本タツキくんが原作の映画でさ」「うん」「わたしがヒロインやるから」「いいよ」「一番かわいい女の子役で指名してね」「どんな死に方がいい?」「死ぬのは確定なのかよー」「滅茶苦茶惨めに殺すから」「あーね。パニックホラーダービーよろしくね」「やっぱり死なないとしっくりこないじゃん」「じゃあ藤本タツキくんも死んでね」「原作者が役者もやんの?」「いいじゃん、原作者兼役者」「その時は死んだるわ」
そんな、叶わないと知っている途方もない夢の話が面白くて。ぎらぎらした日差しが橙色に変わるまで、わたしたちは夢を語り合いました。
それはパニックホラーダービーと遜色ない馬鹿話なのですが、これからの日々に活力が満ちるような、より良い明日が訪れる気がするような、健康的な話でした。こんなに健康的な話がわたしたちにもできることが、大きな驚きでした。
それきり夏休みに入って、藤本タツキくんと次に会うのは二か月後となります。孤独な人間同士たまたまつるんでいるだけなのですから、わざわざ休日に顔を突き合わせる理由がありません。
わたしの感じた胸の高鳴りは、家で寝転がるうちに鳴りを潜め、やがて夏休み明けに再び、身体を内側から叩くことになるのです。深い痛みと喪失感を伴って。
初めて君の漫画を読んだ日。
あの時ほど、藤本タツキくんに失望した日はありません。
それは夏休み明け初日のこと。小麦色の肌をしたクラスメイトに混ざって、肌が白いのはわたしと藤本タツキくん。わたしはこの夏休みをただ無為に、文字通り「休息」の時間に充てました。当然藤本タツキくんもそのはずです。わたしたちには遊び相手もいなければ、何か夢中になれる目標も成し遂げる能力も有していないのですから。
しかし君は、おもむろにカバンから角二封筒を取り出します。「これを読んでほしい」とわたしに手渡します。柄にもなく緊張した面持ちで、ソワソワと指をこすり合わせて。封筒の中に入っているのは原稿用紙です。当然そこに描かれているのは恋文などでは決してなく、藤本タツキくんが初めて描いた漫画でした。
あの夏の一日が頭をよぎります。
あの時わたしたちが話したのは、夏の熱に浮かされたうわごとなのです。無人島に行くとしたら何を持っていくとか、宝くじが当たったらどう使うとか、そういう話だったはずなのです。
胸騒ぎがしました。甘酸っぱさの欠片もない、空白の胸中を叩く痛々しい心音。これを読んではいけない。読んではならないと、体の奥底から悲鳴が上がりました。
そしてそれを読んだ瞬間、わたしの目の前は真っ暗になりました。理解できてしまったのです。その漫画の面白みが。藤本タツキくんという人の才能が。漫画家という途方もない夢物語にその指をかけていることが、ありありと分かってしまったのです。
わたしと同じ落ちこぼれの君が、こんな素敵な才能を隠し持っているなんて。これはとんでもない裏切りでした。
だって藤本タツキくんが一人だけ幸せになるなんてズルくない?わたしも君もパニックホラーダービーの中で、宇宙人に孕まされて泣きながら腕が八本ある子供を産んだ仲なんだよ? 人類が宇宙人に勝てそうになった時に子供に愛着が湧いてしまって、腕が八本ある子供を守るために人類の敵となって殺されたんだよ? そんな惨めな死に方がお似合いのわたしたちなのに、突然藤本タツキくんだけが一抜けで幸せになろうなんてズルすぎるよね。ズルい。ズルいよ。
だけど一つだけ幸いなことがありました。
それは藤本タツキくんが自身の才能に気づいていないということ。
フーン。独りよがりな感じがするなあ。趣味で描くのは好き勝手だけどね。
たぶんそんなことを言った気がします。
決しておだてず、苦言を呈しすぎず、志しは折る。どうやったら藤本タツキくんに漫画を書くことをやめさせられるのか、どうやったら上手く足を引っぱれるのか── わたしの考えるのはそういうことでした。
ほら、わたしたちって全然コミュニケーションダメじゃん。他人の気持ちなんてちっとも分かんないじゃん。漫画のキャラクターにもそれが表れてるんだよね。わたしたちは他人と上手く関わることが一生できないから、まともなキャラクターも人間関係も一生描けないんだよ。
漫画を描くには致命的に足りていないものがあるのだと、わたしとパニックホラーの薄暗い妄想をしているくらいが身分相応の幸せなのだと、熱心に説きました。
わたしの説得が果たしてどれだけ効いたのか分かりません。藤本タツキくんのぎゅうっと握った拳だけが、記憶に焼き付いています。
それきり藤本タツキくんは漫画家の志しを折った、のかどうかは分かりませんが、二度とわたしに漫画の原稿を見せるのをやめました。幸いなことにわたしたちの友好関係?に亀裂が走ることもなく、変わらずパニックホラーの妄想でクラスメイトを殺し続けました。
わたしたち二人は何も持っていませんでした。凝ったシチュエーションでクラスメイトを殺すことだけ上手くなりました。明日以降の役に立つことは一つもせず、一日一日をしっかりシュレッダーにかけました。ずぶずぶと泥沼に潜っていきます。明かりも救いもない暖かな泥の底を目指して。
少なくともわたしは幸せでした。
そしてその冬に自殺することが決まりました。『新米婦警キルコさん』が連載を終えた冷たい冬。
提案したのはわたしでした。
いささか唐突ではありますが、わたしたちのような人間の辿り着く先なんて、遅かれ早かれ自殺か生活保護なのです。
言ってしまえばパニックホラーダービーの延長線です。幾度となく頭の中で殺してきた自分たちを、実際に殺してみるということ。
そういうことを平然と藤本タツキくんに説明するわたしは、包み隠さず言って、自死を選択するシチュエーションでいい気分になっていました。学生の身分で死を選択肢に入れることが出来る、聡明な自分のことが好きでした。
黙って耳を傾ける藤本タツキくんでしたが、自殺の手段を聞いた途端、吹き出して首を縦に振ります。
本気で死のうという気概が、果たしてわたしにどれだけあったのかもわかりません。提案したそれは、「サメに食べられて死ぬ」というあまりにも馬鹿馬鹿しいものだったのですから。
パニックホラーと言えばゾンビ、怪獣、災害、それからサメ。ゾンビも怪獣も見たことがないし、災害を待っていてはいつになるか分からない。そうなればもうサメに食べられる他ないのです。
わたしと藤本タツキくんは、学校をサボって電車に乗りました。サメは海にいるのですから、当然行先は海です。
田畑の広がるこの町は山に囲まれています。それを乗り越え、遠く広がる海へ向かう道すがら、自ずと気分は高揚しました。
今思えば、学校をサボって海に行くなんてシチュエーション、煙草を吸っているメイドのイラストくらい陳腐なものです。しかし当時のわたしにとっては、とてもカッコいいことに感じられたのです。
座席から足をぶらぶらと、車窓からの景色を指さしてしきりにはしゃぐわたしでしたが、藤本タツキくんは浮かない顔で生返事。折角の遠出で、相手の機嫌が悪いと面白くないように、その時のわたしもどこか損した気持ちでした。
そしてどうしたのか訪ねる暇もなく、突然、藤本タツキくんは降車しました。
海に到着するどころか、まだ県内すら抜け出していない小さな駅で。しばし唖然として、それから慌ててわたしもその後を追いかけます。
「お腹でも痛いのかな?」くらいに考えていたのですが、ホームに降りた藤本タツキくんは背を向けたまま「ごめん」と謝りました。
ごめん、やっぱり死にたくない。
それを聞いて初めて目的が自殺であることを思い出すほど、わたしの頭からは自殺の二文字が抜け落ちていました。 そういえばサメに食べられて死ぬなんて目的もあったね、という具合に。
そうです。わたしはサメに食べられたかったわけではなく、海に行きたかっただけなのです。学校という排他的場所をこちらから排他して、海を見たかったのです。その理由を「自殺」と言ってみたかっただけなのです。
だけど真剣に死と向き合う藤本タツキくんを前に、今更自殺することは忘れてましたなんて言うのもカッコ悪いじゃないですか。
だからわたしは藤本タツキくんの決断をめいっぱい非難しました。
一緒に死ぬって言ったじゃん。臆病者。意気地なし。裏切り者。そのまま生きてどうするの? あーもうわたし一人で死んじゃおうかな。せっかく藤本タツキくんのために話をもちかけたのになー。
ペラペラと喋るわたしに、藤本タツキくんが言ったのは
死んで欲しくない。
ということでした。藤本タツキくんは泣いていました。
そもそも、サメに食べられて死ぬことなんて出来るでしょうか。海にたどり着いたとして、砂浜にサメが転がっているわけもなく、どのようにして海に繰り出せば良いのでしょうか。日本海と太平洋、どの辺りにサメは生息しているのでしょうか。広い海原において、見事サメに遭遇することはできるのでしょうか。
一つ一つ考えてみれば、今日わたしたちが海に行ってサメに食べられて死ぬなんて計画は、全くもって現実的ではないのです。
だけど藤本タツキくんにとって、これは至極現実的提案で、起こり得ることだったのでしょう。
サメに食べられることも、今日死ぬということも、それからきっと、漫画家になることも。
少なくとも藤本タツキくんにとっては指先の触れた現実であり、その肌触りを確かめてみることが出来たのです。
そういうことが理解できた瞬間、ハッキリと分かりました。今まで似たもの同士だと思い込んでいた藤本タツキくんとわたしは、決定的に違う人間なのだということが。冗談の境目の位置が、根本的にズレているのだということが。
面白半分に感傷に浸って、最初から全てを諦めているのはわたしだけなのだということが。余すところなく綺麗に。
藤本タツキくんは漫画を描きなよ。
わたしは観念してそう言いました。
君の口にすることは全部本当のことになってしまいそうで、わたしが冗談で口にすることさえ真実に変えてしまう力強さを秘めていました。君の考えることは面白くて強かで、わたしの想像をいつも超えていました。
あの時の漫画、本当はすごく面白かったよ。
藤本タツキくんは鼻声で、「そっかそっか」と答えました。実はまだ漫画を描いているのだと。死体よりも漫画家になりたいのだと。
わたしはハリウッドで女優になるから死ねない。とは言えませんでした。
だってこれは現実の話なのですから。
冬の空気はさらけ出した首筋に冷たくて、次の電車に乗ってわたしたちは帰りました。
クラス替えでは別のクラスに振り分けられて、それきりわたしたちは会っていません。
これがわたしと藤本タツキくんの思い出の全てです。
わたしは今、東京の六畳のアパートで、アルバイトをして暮らしています。人に怒られることに慣れました。レジの操作だけ無駄に上手くなりました。
何度も死にたいと思うけどやっぱり死ねなくて、学生の頃に思い描いたようなくだらない人生を送っています。
最後に一つだけ。
藤本タツキくんに聞きたいことがあります。
あの夏にさ。本当に君は、わたしがハリウッドで女優になれると思ったのかな。お世辞じゃなくて本当に「向いている」と、そう思ったのかな。
君が実際に漫画家になったのを見て、わたしはそのことだけが気がかりです。もし本当にわたしにそんな才能があったのだとしたら、とんでもない映画界の損失だよね。
わたしが今更になって手紙を書いているのは、君に感謝したいからです。
こんなつまらないわたしに、「もしかしたら女優の才能があったんじゃないか」なんて。途方もない夢を未だに見せてくれてありがとう。
わたしがからっぽな人間であることを目ざとく見抜いて、大人になってからこんな夢物語に浸れるように、君は気をまわしてくれたのかな。そんなことを疑ってしまうほどに、わたしは藤本タツキくんの言葉に恐ろしく後ろ髪を引かれています。
憂鬱な夜ほど呪いのように思い出します。自身の女優への可能性と、君の「死んで欲しくない」を。
布団の中で繰り返すのは、実写版『チェンソーマン』の映画にわたしが出る妄想。レゼの役でさ、そんなわけないんだけどね。レゼなんてちっとも似合わないんだけどね。だけど想像の中だから。ちょっとくらい良い役もらってもいいよね。
デンジくん役は藤本タツキくんでさ。君の進むべき道を間違わせたり、殺したり、殺されたりするわけ。
いつかの学校生活みたいに。
こんな場末のブログが君の目に止まるなんて信じてないけどね。羊皮紙の瓶詰めを海に流すようなものです。
だけどきっと届かない可能性がいっぱいあった方がいい。君に伝えたいことは山ほどあるけど、これは全部わたしのエゴだから。確実に届けるのはダメ。君と出会った偶然みたいに、「そうなってしまう」くらいが丁度いい。
だからこの手紙を読んでしまった藤本タツキくんには、全部伝えてもいいよね。
藤本タツキくん、ありがとう
大好きでした
わたしの死ねない責任をとってよ
P.S
クラスメイトの黛冬優子さんとミライアカリさんと香風智乃さんと鎧塚みぞれさんと夜凪景さんとナナチと土間うまるさんと戦場ヶ原ひたぎさんと暁美ほむらさんと天上ウテナさんと十六夜咲夜さんとミカサ・アッカーマンさんを覚えていますか?
サイレンスズカ先輩も呼んで、みんなで今度バーベキューしようね~!
藤本タツキくんではない、画面の前の疑いを知らぬ純真無垢なアナタに話しかけています。念の為です、さよなら