着物業界のマーケティングが
成人式を一大イベントにした

 当然、目の肥えた着物愛好家は離れ、洋装へ流れていく。一方、敷居を思いっきり高くしたので、若い世代の新客が入ってこないという悪循環も招く。こんなことをしては、戦前まで庶民の間に普及していた普段着としての「着物」が衰退するのは当たり前である。

 このユーザーメリットがゴソッと抜けた戦略が、「着物」という産業を衰退させて、サザエさんの波平やフネさんのように日常的に着物を着用するような庶民文化を、壊滅的な状況に追いやってしまったのである。

 実はそれを最も象徴するのが、今回騒動になった「成人式」である。多くの人が誤解しているが、このセレモニーは日本の「伝統」でもなんでもない。1949年、戦争に負けて落ち込んでいた国民を鼓舞するために、文部省が始めた官製イベントで、『そっぽ向かれた「成人の日」 行事やめた区もある 祝賀会場の出足は悪い』(朝日新聞1954年1月16日)と報道されるように、当初の新成人は今の「プレミアムフライデー」に対する我々のように、かなりシラけていた。

 そんな調子なので、晴れ着で出席する方が珍しかったのだが、1967年ごろから一気にブームが起こる。高度経済成長期で、日本人が豊かになって「古き良き伝統」を見直したーーなんて美談ではなく、着物業界の涙ぐましいマーケティングの成果だ。

「四十年ごろから入学、卒業式に母親が着る黒い羽織(PTA羽織とも言われた)がパタッと売れなくなり、あわてた主産地の新潟県十日町の業者が振そでの生産に切り替え、大衆化路線に歩み始めたのが普及にはずみをつけたとされている」(日本経済新聞1991年1月6日)

 その後も全国の業者がさまざまなキャンペーンを行い、徐々に今のような「一生の一度」というファッションショー化したのである。要するに、「成人式の晴れ着」は、バレンタインデーやクリスマスケーキが、菓子屋のマーケティングであるのとまったく同じ構造ということだ。