耐えられないほど不平等な世界を理解できるものにする

心理学者メルビン・ラーナーは、「公正世界仮説」と呼ばれるものが何なのかを調査した初期の研究者たちのひとりだ。彼が知りたかったのは、被害者にその苦しみの責任を負わせる人があまりに多い理由だった。

キャロライン・シモンズと共に一九六六年に発表したものも含め、一連の実験からチームが明らかにしたのは、「人は自分に値するものを手にする、逆にいえば、人は自分が手にしたものに値するという信念を持ち続けるために認識を調整する」ことだ。公正世界を信じるのは、自分の運命は自分で握っていると感じていたいから、そしてそれを信じられなくなれば、恐ろしくて仕方ないからだ。ラーナーとシモンズにいわせれば、「ふさわしい行動をしていれば欲しいものが手に入り、嫌なものを避けることができる、と信じられなくなれば、文字どおり何もできなくなってしまうだろう」。

人は自分には正せそうにない不平等に満ちた世界を理解できるものにしようと、公正世界信念を利用する。公正世界を個人として信じるのは結構なことだが、そこから自信を得て、自分自身の人生は自分が支配していると感じ、誰もが公正世界を信じていると思い込んでしまえば、社会に致命的な影響を与えるかもしれない。

世間一般の公正世界信念は、貧しい人たちやレイプを含めた犯罪被害者に対する多くの批判的な態度と結びついてきた。人は自分が手にしたものに値する、あるいは人は自分に値するものを手にすると信じてしまえば、それは当然ながら、酔っぱらってレイプされた少女や、地下鉄で施しを請うホームレスへの見方に影響を及ぼす。

通りで貧しい人を見かければ、大半の人が避け、しかめ面をし、「働けよ」という言葉を投げつけることすらある。そんな態度を取るのは、その人の努力が足りないから、間違った選択をしたから、困窮しても仕方がないと思い込んでいるからだ。

しかし、実はそれは自分自身を守る手段だ。私たちは、自分は困窮しない、なぜならそんな報いにふさわしくないからだと考えたい。そして犯罪被害者たちに対しても同じように考える。人が被害者を責めるのは、自分にも同じくらい簡単に犯罪の標的となる可能性があると考えるより、被害者には多少なりとも落ち度があったと考えるほうが安心できるからだ。

 

秩序が保たれ、すべてうまくいっていると人間は感じていたい。善人にも悪いことが起こるとは考えたくない。しかし、そんなことはつねに起きている。そのことを認めさえすれば、潜在的な不平等に立ち向かおう、それに対し何かしよう――たとえば、奴隷制をなくし、極度の貧困を減らし、暴力犯罪を防ぐ取り組みをしよう――という気になれる。公正世界を信じる人の中にはこういったものを社会の「必要悪」という人もいるが、そうではないだろう。

公正世界仮説に対抗するには、「悪人」――ルールに従わず、他者から搾取する人たち――にもよいことが起こり得ると認めることだ。(この記事は「人はお金で買える。もちろんあなたにも値札がついている。」の続きです。『悪について誰もが知るべき10の事実』第7章「スーツを着たヘビ――集団思考の心理学」より。翻訳:服部由美)

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