2021/10のVTuberと界隈を見てきた感想

今月のV界隈は、私にとっては印象深い、たとえて言えば「周回遅れ」「既知の出来事の再現」というようなものを実体験できた一ヶ月だったといえるだろう。

2年も見ていると、いつか見た風景、いつか見た出来事というものが繰り返し現れるものなのだな、という実感がある。昔はオオゴトになっていたマイナス2点でことも、2回目、3回目ともなると、V界隈の住人もなれた物で、過剰な反応もしなくなるものなのだろう。

また、今月は、その「始点」ともいえる、不幸なVが生まれそうになった瞬間を目撃することとなったことも興味深い出来事であった。

V事業/3Dキャラクター(Not アバター)について

今月から週2日のリモートワークに減らして会社で過ごす時間が少し増えたのだが、やはり自宅(アパート)だとトイレと部屋が近くて圧倒的に運動量が少ないし、ダラダラしてしまいがちなのは問題だな、とは感じていた。

それで久しぶりに会社で仕事をしていたら、ときどき「VTuber」という単語が、すこし離れた席から聞こえてくるようになった。

もちろん、雑談ではなく仕事としての話である。

「んんー?」と思って、よくよく話を盗み聴きすると、

  • 画面に最近流行のVTuberみたいなものを入れたいね
  • VTuberのモデルもらって画面にポッと置けばいいだけでは?
  • 3Dモデルつくるとして声はどうするか
  • 声は買ってくるか~?VTuberなら声優よりも安く上がりそう
  • キャラクター制作は大変だから学生に課題として作って貰うか~

みたいな、不穏な会話がされていて、おっと、これは…、と俄然興味をひくものだった。

2年前、まだ私がVに、ただただ熱狂しているころであれば、裏側の潜在的な問題点に思い巡らすことなく、率先して自分もV事業に関わらせてくれ、といっていたかもしれない。

まるで、不幸なVが生まれる過程を見ているようである。

私は勤務先でV沼にハマっているとは言ってないし、まあ、どんな3Dキャラクターを事業に使おうしているのかは知らないが、面倒くさそうだし関与しないほうが良いかな、とは思ったのだが、しかし、どうもVTuberというものを、よく分かっていない様子だったので、こっそりと担当マネージャに「僭越ながら」と断って概要説明のメッセージを送った。

まあ、2年間Vを見てきて理解した私の考えというものも、何かの役に立つこともあるだろう、と思ったからだ。それを黙って言わないのは不実であろう。

VTuberとは「アニメ + スクリプト + 声優」というように考えるかもしれませんが、正しくありません。この考えですと、権利主体が誰にあるのかでトラブルになります。(すでに過去に何件もトラブル、裁判沙汰になっております。)

VTuberとは、Virtual YouTuberの略であり、Vアバターを使っているYouTuberのことです。あくまでもアバターを使うYouTuberさんであって、アニメ + 声優、ではありません。

また、最近VTuberが人気となり一般の方にも知られてきていますが、現在人気となっているVTuberは、「Vアバター + ライバー」のスタイルである「Vライバー」と呼ばれる人たちです。ライバーとは「ニコ生」「17ライブ」などのプラットフォームで、ライブカメラで自分を映しながらライブ配信する人たちですが、そのスタイルで、リアルタイムにアニメまたは3Dモデルをフェイストラッキング技術により動かしている人たちがVライバーさんたちとなります。

技術的にはiPhone11にあるARKitを…(後略)

個人的に、とくに強調したかったことは「権利の主体が誰なのか曖昧なままスタートするな」ということであった。

しかし、マネージャから返答があって、やりたいことはVTuberではない、ということだった。

よくある、3D仮想空間上に3Dキャラクターを出してユーザーに対してコンシェルジュ的に応答するものを作りたいだけのようである。

どうやら、3Dキャラが人間と対話する形式はすべてVTuberのように見えるようなのだ。

2D/3Dキャラがユーザーに応答するというコンセプトを説明するのに便利なのだろう。

これは今月のツイッター上でも少し話題になっていたようだが、何かの3DキャラクターがYouTubeなどで動画を出すだけで、VTuberと呼ばれるような風潮があるようである。

一般人には、見た目では区別が付かないので、仕方ない側面もあるかもしれないが、あきらかに別物であり、混同するべきではなく、はっきりさせておくべきことだとは思う。

また、これは昔からある表現なのに、世間の認識が後退しているのは興味深い。

人間と応答する2D/3Dキャラクターを全てVTuberと呼ぶ傾向について

1998年前後には、すでにデスクトップマスコットアプリ「ペルソルナウェア」や、それに影響を受けている「偽春名」や、「伺か(うかがか)」といった、対話的コンシェルジュアプリというものが登場している。

ちなみに、このキャラクターのうち、見えている外見上のCGのことを「シェル」、キャラクターの人格(テキスト応答パターンのようなもの、スクリプト)はゴースト(魂)と呼ばれている。それぞれ別のものとして扱われている。

(しかし、利用者からみてシェルとゴーストをあわせて「ゴースト(人格)」という感じに認識されることが多いようではある。どちらが欠けてもキャラクター(人格)は成り立たないからだろう。)

また、スマホでも、2014年前後には、Live2Dでソードアートオンライン(SAO)のアスナが簡単な会話をしてくれるアプリ『めざましマネージャーアスナ』(ソニーミュージックコミュニケーション)などが登場している。(ちなみに私の当時の携帯では発熱が酷かった。)

なので、ユーザーと対話する形式の2D/3Dキャラクターアプリというものは、かなり昔からあるもので、最近になって注目されたようなものではない。

にもかかわらず、VTuberが人気になったことで、逆に、こういった2D/3Dキャラクターが人間と応対する形式を、まとめて「VTuber的」という認識になっている感じはある。

認識の逆転みたいなことが起きているようである。

一方で、今月には「VTuberに人格はない」というトンデモ言説をぶちあげた赤木某さんや、あるいは本当にPythonスクリプトで音声認識と音声合成で応答する「表現寺ゆう」という本物のAI(+人間の補助はあると思われるが)によるVTuberも登場したこともあり、NPC的なVTuberという存在のあり方も検討する必要はでてきただろう。

キズナアイさんのようなロールプレイとしてのAIではなく、あるいは、実写の人間をバーチャルと言い張る「偽CGタレント」のようなものでもなく、本当に中身がない全てが機械仕掛けのNPCのVというものも考える必要がありつつあるのだろう。

NPCとしてのVTuberはありえるか?

NPCとしてのVTuberというものも、もし技術的に可能なのであれば、それはありえる、ということだろう。

それが、いまの人間が実在するVTuberと同じように、推してファンとなることができるだろうか?という疑問については、「できる」と私は確信している。

人は、人でないものにも人間性をみつけて、それを信じたり愛情を注いだりすることが出来る。(そのような技術に長けた人が二次元オタクであろう。)

「めざましマネージャーアスナ」での個人的な体験を思い返すと、記憶は曖昧だが、たしか無料でダウンロードできるアプリではあったが、課金方法としてはアスナの洋服などを有償で購入できたような記憶がある。アスナから時々「新しいお洋服が欲しいなぁ」とおねだりされていたような、されていなかったような記憶がある。当時思ったことは「ヤバイ、買ってあげたくなるぞ」という危機感のような物を感じた記憶がある。(買ってはいないはず。)

声優さんが演じる疑似人格のキャラクターであっても、女の子の猫なで声でおねだりされたら、頭がどうにかしてしまう。なにかを買って喜ばせてあげたくなる男性の本能みたいなものがあるのだろう。ビジネスだと分かっているのにキャバクラでチヤホヤされたいおじさんみたいなものだ。自らすすんで『大人のごっこ遊び』にお金を使うだろう。

最近は20才前後の少年少女たちによるスパチャ投げが中華圏を含む世界的に問題となっているが、この世代はSNSネイティブ世代であり、SNSもリアルと同等に重要な人間関係だからであろう。

このネットでの関係性のために20歳前後の若者がVや生主にスパチャを投げることと、30~40代の二次元オタクがゲーム上の推しを応援するためにガチャをまわす行為に、それほど違いはないだろう。

また、単純な数本の経路しかないノベルゲームでも、自分が物語を選択している感覚があると、登場人物への共感の度合い、のめり込みが違う。ただの映像的なストーリーを鑑賞するよりも、ゲームによるストーリーの実体験は、はるかに高い共感が得られるだろう。

あるいは、ストーリー物でなくとも、自分の選択で推しの待遇が変わるデレステやウマ娘のようなゲームで、もし「○○が欲しいなぁ」と推しキャラに言われたら課金してしまう人も少なくないと予想できる。そのように課金された結果のキャラが他のプレイヤーの課金キャラと披露しあえるソーシャルの場があれば、たやすく競争欲が出るだろう。

現実の彼女に毎回何万円もかけてデートしても、大してお礼も言われないし見返りもすくなく、ときどき傷つけられるような酷い言葉もかけられるのに、ゲーム上の女の子はうれしそうに感謝して、着る衣装も豪華になり、素直で人に自慢できるように育つのであれば、お金をかけた見返りとしての心理的な手応え、満足感は、架空の存在であったとしても、現実の女性に対するものよりも遙かに高いはずだ。

こうゆう「人間関係の疑似体験」「感情的な体験型ゲーム」が洗練されるに従い、社会問題化するほど無自覚に金を巻き上げられる罠が、そこらじゅうに作られることになるだろう、とは予想できる。

(これから思春期を迎える少年少女たちは、まったく無防備に、このような自分の感情をクリエーター、ゲームデザイナーの手で誘導される世界に入ることになるだろうから、可哀相な気もする。すでにそうなっているのかもしれないが。)

自動応答のオートマタは課金するに値するか?

あるいは、今後、MicrosoftがLINEで人工知能的会話をする「りんな」のようなものが、外見として自律的に動くVアバターを着れば、たしかに人工的なVTuberに見えるだろう。

おそらく、一般人には、実際に会話して「なんか会話がおかしいな?」と気付くまで、中身があるVと、人工知能のVの差が分からない感じになるだろう。

一方で、コルタナやアレクサ、Siriといったコンシェルジュ的なAIは、仮に人間と応答できるとしてもデスクトップマスコット「伺か」とか、たくさんのユーザーにウザがられていたMicrosoft Officeのアシスタント「イルカのカイル君」とか、そのタイプになるだろう。

決して人格をもつものと考えることはできない。

先に示したNPCのVTuberとは違うものになるだろう。

両方ともAIであるとしても、違いがあるとすれば、その働きかけにあると思う。

お金を掛けてもいいと思えるNPCは、感情的な応答、手応えがあることが重要になる。

否、NPCであるかに関わらず、むしろ本物の生きたVTuberさんであっても、何の手応えもない人にはお金を掛けたいという気持ちにはならないだろう、と言える。

感情的な手応えがあることが、現在、Vや生主などのライバー勢が人気である最大の理由だろうし、感情的な手応えがあればNPCでも人気になれるだろう、とも思われる。

人格のあるものを物のように扱う気持ち悪さ

VTuber界隈では、すでに過去にいろいろな試行がされており、架空人格のVTuberも実際にいたし、一瞬で去ったものもあった。しかし、架空人格のVTuberが消えるのは、仮想人格を長期に演じ続けることは難しいから短期的なプロジェクトになる為だろう。

しかし、よりによって中に人が入っていることが前提の人格のある配信者を、まるでお人形、AIと同等な「物品」のように扱うことには、人道的な気持ち悪さがある。

ゲームとはいえ、本当に人格がないNPCのマインクラフトで監禁されている村人さんに対してさえ、おぞましさ、人道的な問題があるように感じてしまう人は少なくないだろう。

しかし、一方で、実際に箱詰めされ分刻みで管理されているコールセンターのオペレーターさんと何が違うのか?満員電車で鮨詰めにされて会社に運ばれているサラリーマンには人道的な問題はないのか?などと考え始めたらキリはない。(たぶん、海外からみたら非人道的に見える可能性はある。)

その境界線は、自由に発言できるか?自由にその境遇を辞めることができるか?自分の言動を自分で決めることができるか?という点にかかっているだろう。

それができないものには私は気持ち悪さを感じざるを得ない。

おそらく、どのV事務所も、V特有のロールプレイをはじめとして、多かれ少なかれ自由にはできない制約があり、それが私の嫌悪感を招くのだろう。

赤木智弘というフリーライターさんの有料記事、途中とコメントだけ読んだ。

今月、赤木智弘さんというフリーライターさんが、戸定梨香さんのフェミ議連からの容姿攻撃騒動に便乗してなのか、「『VTuber 戸定梨香に人格がある』という主張は、表現者の自由を奪う」などというトンデモ言説の有料記事をぶちあげられていた。

『VTuber 戸定梨香に人格がある』という主張は、表現者の自由を奪う?

私から見て、あまりにも浅薄すぎる「VTuberに人格はない」という主張は、V界隈の歴史、実態を調べもせずに、なんとなく知った気になっている浅薄な思い込みからニワカ根性も甚だしい周回遅れの感想を述べたもののように感じられた。

いったい、赤木智弘さんという方は何者なのか、とググッてみたらWikipediaでは数冊の著書をお持ちのライターさんではあるようだが、エンターテイメントや創作物に関する専門家でもないし、著作権まわりに造詣が深い様子もなく、いわば、ただの門外漢のようである。(強いて言えば、著書、共著の傾向から、社会の不満や憎悪感情を飯のタネにするルサンチマン作家だとは言えるだろう。)

専門分野でもない人が、これほどの見当違いの言説を有料記事としているのは、もしかして噂話のゴシップネタやトンデモ言説で大衆の関心を引く週刊誌的な釣りネタなのかもしれない、と疑ったが、当人は、寄せられた批判に対してツイッター上で反論していたから、本気で釣りネタのつもりではなかったのかもしれない。

この記事については、私のツイッターのタイムラインでは一時話題にする人もいて、私も気になったが、タイトルだけでなく記事の無料で読める冒頭部分もとんでも言説だったので、さすがにお金を払って中身まで読む気にはならなかった。もっとも、この記事につけられたコメントやツイッターの反応、それに対する赤木さんの反論ツイートを見て、この記事は私にとっては有象無象のネットのノイズであって、お金を払うだけの価値のある情報はない、とは確信は持てた。(何故有料記事にしたのかは知らない。そうゆう記事を好物にする読者もいるのかもしれない。)

しかし、一方で、赤木智弘さんが特別というわけではないだろう。今後、まったくV界隈について事前知識をもっておらず、雑誌やニュースの話題性だけしか知らず、いわば「名前」と「アニメ画」というだけの断片的な情報から、頭の中で勝手にイメージしたVTuber像というものについては、赤木さんと同じように捉えてしまう人も今後も出てくるだろう、という予想もできる。

むしろ、Vという「新しい表現形態」は、知らない人ほど、外見的なアニメ画という特徴から、自分の知っている既存のアニメ的なもののように早合点するだろうことは予想できる。

(初代TV版エヴァンゲリオンが流行っていた時期、オタクではあるが、エヴァを見ていなかった知人が、ダブルヒロインだと思っておらず、メディアでとりあげられる断片的な情報から知った気になって「アスカ・レイ」というヒロインがいると思い込んだままアニメファンと話をしてしまって恥を掻いたと笑い話にしていたように、聞きかじり程度では、とんでもない勘違いをするものである。その知人が自分の頭の中で組み立てたエヴァという作品にはヒロインは一人だったのだろう。)

VTuberはタレントである

VTuberは動画勢であれライバー勢であれ、ロールプレイの強弱はあれども、まぎれもない人間のタレントである。それは本人らしさを売りとしない、演劇系のタレントであったとしても同様である。ようするに、実態として、ほぼすべてのVTuberはアニメコスプレをしているタレントである。(そうでないタイプも例外的にある。)

たとえば「デーモン(小暮)閣下」はロールプレイが強いコスプレ感のあるタレントであるが、架空の設定を演じているからといって人格が無いなどと思う人はいない。

あるいはドラマなどで実在する俳優が演じている架空の人物にも、その人物を演ずる俳優さんの人格権として「実演家人格権」がある。架空の人物を演じているものだとしも、俳優さんが、その架空の人物を演ずることに人格上の結びつきがある。俳優の望まない方法で演じた内容を本人以外が改変することは許されない。

(本来、アニメであろうが映画のシーンであろうが、MADのような改変動画は人格権の侵害である。だから昔は地下でしか流通しないものだった。最近でも音楽の複数人によるセッションの演奏パートをAIの技術により分離・分解しほかの作品に流用するような技術は法的な問題があるだろう、と問題視されている。)

また、「エロ画のファンアート」を引き合いに、「もしVTuberに人格があるのなら、きみたちの好きなVTuberのエロ画は生ものだということだぞ」という頓珍漢な反論もされていたようだが、まさに、生ものという認識で正しい。

VTuberのエロ画は「生もの」と同じ性質があるものといってよい。それはドラマの俳優さんの演ずるキャラクターをエロ/BL漫画にすることが「生もの」と呼ばれる事と同じだ。

赤木さんはMMOやVR界隈には大して造詣がない人なのだろう。

現実の肉体としての自分と、仮想空間上の外見上の自分の、リアルとバーチャルの狭間にあるアバターの「新しい自分の体である」という感覚は、新しいように見えて古い問題である。

VRの黎明期、あるいはMMOというアバターを使ったゲームの世界がはじまったときから、これは問題にされていることである。自分の分身でもあるアバターがゲーム内でいじめられたりレイプされたりすれば、プレイヤーは身体的に何の被害もないにもかかわらず、心的外傷を負う危険性があることは昔から研究されている。

だから一昨年に、にじさんじで他人のアバターをつかったイタズラが、イジメのように受け止められ問題化した。それは他人の顔写真を葬儀写真のように加工することがイジメであることと大差ない。中身があるアバターは尊厳をもって扱われなければならないものだ。

(アズマリムさん、桜月花音さん、星乃すなさんは自分の分身としてアバターを大切にしていることを公言している人である。また、Avatar2.0の結目ゆいさんも自分のアパターを見とれるほど好きで捨てたくないと話されていた。企業からもらったアバターでも、Vとして生きる時間が長くなるほど愛着がわいている人も多いと想像できる。)

その程度は、その人のアバターへのシンクロ率によるので、何も気にしない人もいれば、深く傷つく人もいる。VTuberさんも同様に、エロ画を歓迎する人もいるし、嫌だけど黙認する人もいるし、嫌がって見えないところでやってくれ、という人もいる。VTuberだからエロ画を描いてよい、などとは言えない。そんなことは、ホロライブをはじめ、これまで何人ものVさん(バ美肉さんも)が表明している。

まさに、その部分は、今後VRSNSが普及するにつれ、バーチャル空間上での自分という存在を表現するアバターに対する扱いは、オーダーメイドのユニークなアバターであるか、量産型の誰でも使えるアバターであるかを問わず、肖像権、人格権に近い扱いを受けるべきだろうし、おそらく、実態として、その方向に進むだろうと思っている。

(アバターは現時点では著作物として保護されているが、すでに作家の「ペンネーム」が保護されていることからも、いずれアバターの肖像権的な人権も、既存の法制度の延長でなんとかなるような期待もある。NPO法人バーチャルライツさんあたりには、法制化に向けて、がんばって欲しいところである。)

また、そもそも、この反論が頓珍漢なところは、作家に権利主体があるアニメのデザイン画だとしても、本人が望まない二次創作、改変を許すかどうかは著作権者にあるわけで、自分の創作したキャラクターがエロ画やBL画に転用されることを望まない、許さない権利者もいる。生ものであるかどうかとエロを描いてよいかという判断基準は何の関係もない。

こんなことを回りくどく書かなくても、日本を代表するV企業の一角となったホロライブでは、ぺこらさんや、みこ先輩、わためさん、ころね先輩、あるいは、にじさんじでもひまちゃん、ラトナプティさんは自分の家族の話もするし体調の話もする、明らかに生きた実在した人間であることに疑いはなく、それに対して「人格がない」などというのはばかげた妄言である。目が節穴どころではない。

こんなことをいうのは、Vを視聴したことがなく、ネットニュースの静止画の記事を読んで「アニメと同じようなものだ」と早合点した浅薄なニワカ評論家の言葉だろう。

赤木智弘さんは、ぱっと見でVTuberはアニメ画を使っているという表面的な表現技法から、自分が知っている既知の知識を当てはめただけなのだろう。

アニメキャラクターだとすれば、キャラクターデザインやスクリプト(シナリオ)を考案した人に一番の権利主体があるはずで、声優はその従属物にすぎないから、キャラクターをどのように扱うかは自分に権利があると考えたい企画者側からの世界から物事を推し量れば、そうあってほしいと思ってしまうのは無理からぬことではある。

もちろん、Vは魂である中身の人の人格もあるが、そのキャラクターデザインをしたデザイナーの著作者人格権もある。人に使ってもらうアバターとしてデザインしたとしても、自分が望まないような使われ方はされたくないだろう。

だが、赤木智弘さんの主張は、デザイナーの人格権、著作権を重視するあまり、Vの本質ともいえる演者の人格権、実在する人間の人格権を否定している。「自分たちデザイナーの都合の良い存在としてVを見たいという歪んだ認知」があるように思われる。

それこそが、これまで多くの企業系VTuberを苦しめてきた元凶である。

VTuberは会社の著作物、知的財産であり、どのようにビジネスに利用するかは、演者(中の人/魂)は黙って会社に従うものだ、という姿勢が、この3年間、VTuberさんの活動の矛盾を生み、V界隈を苦しめてきた元凶だといってよい。

実態として、本人らしさがウリとなっており、企業から台本が用意されるわけでもなく本人の演技に丸投げされており、にもかかわらず、演じさせ方について会社の都合でどうにでもできるはず、という権利主体の曖昧さがあった。これではトラブルが起きるのも無理からぬ事である。キャラクターそのものは演者本人なのに、Vのキャラクターは企業の知的財産である、という考えは、実態に合っていない考え方である。

しかし、数々のトラブル事例を経て「VTuberは人間である」「VTuberはタレントである」というのが我々が得た教訓でありコンセンサスである。

その意味で、赤木智弘さんの主張は周回遅れも甚だしい。

これを門外漢の妄言と一蹴するには看過できない問題であろう。未経験者や一般人がどのような勘違いをしやすいか?という実例としては示唆に富むものがあったと思う。

NPC VTuber「表現寺ゆう」について

「表現寺ゆう」は、VTuberと名乗ってはいるが、現在主流である実在する人間をモーションキャプチャで撮影して画面上に2D/3Dとして投影するものではなく、赤松健さんが自らPythonスクリプトを組んでアバターを動かしているという、NPCのVTuberである。

おそらく、すべてをスクリプトだけで動かすことは難しいと思うので、サポート的なスタッフはいるだろう、とは想像している。(裏で浄瑠璃人形を動かしている人のような、リアルタイムの質問をタイプして応答するような人がいるのではないか、という気もする。)

創作物としてのV、あるいは文楽/浄瑠璃の人形遣いのポジションであろう。文楽/浄瑠璃は物語を朗読する太夫、音による演出である三味線、そして人形遣いの3者の協同的なパフォーマンスで成り立っている。「表現寺ゆう」にあてはめれば、太夫が赤松健さんで、裏でアバターを動かしている人がいれば、その人が人形遣い、という感じであろう。

私は、これまでVを「演劇系」と、演劇ではない「パーソナリティ系」に分類していたが、演劇系のうち、コスプレした役者がスクリプトどおりに演ずる「歌舞伎系」と、アバターやボイスをスクリプトで動かす「浄瑠璃系」に分類できるように考えられる。

この方向性、キズナアイのような、なんちゃってAIではない、本物のAIによるVTuberというものも現実味がでてきた感じはある。(現実的にいっても、SiriやAlexaはアバターをもっていないが、アバターをもたせることは技術的には、すぐにでもできるだろう。)

のらきゃっとさんのコンセプトに似ているのかも?

しかし、このコンセプトは、非常に文楽・浄瑠璃的だと思うが、似たようなVTuberとしては、Vとしては最古参ともいえる「のらきゃっと」さんも、似たようなものだと思う。

のらきゃっとさんは、バ美肉のうち、声もアバターも自分ではなく、ロールプレイも自分のパーソナリティではなく、自分の理想とする美少女を演じている。これを一人で全部やっている、という点では本人といえるのではないか?という感もあるが、気持ちとしては、浄瑠璃の太夫と人形使いも自分でやっている感じが正確だろう、とは思われる。(まあ、かなり中の人の「本人らしさ」のようなものも垣間見えるような気もするのだが。)

のらきゃっとさんは演劇系か?といわれれば台本どおりに演じているわけではなく、演劇系とはいえないが、しかし、浄瑠璃系だといえば私的には、しっくりくる感じがある。

のらきゃっとさんの中の人であるノラネコPさんにとってこそ、この「表現寺ゆう」の進化形として、自律的なAIで、のらきゃっと/ますきゃっとの美少女アバターが、人に応対してくれる未来こそ、理想としているのではないか、という感じもある。

虹河ラキさんの復帰と、企業間の移籍について

虹河ラキさんが今月復帰され、山佐の企業PRのVから、株式会社DONUTSの運営する2021/10月発足したばかりの「ミクカン」所属に移籍されての再出発となったようだ。

山佐株式会社との関係は「専属サポーター年間契約」とのことである。

DONUTSは、すでにVTuberタレントを何人か抱えておられて、今回、ラキさんを加えての「ミクカン」というグループを立ち上げられたようである。所属には私が知っているところでは「バーチャルハート様」がおられるようで、ほえー?という感じである。

ハート様は、北斗の拳という既知の漫画・アニメのキャラクターのVTuberさんであるから、そうゆうアニメのプロダクションとかに所属しているのかと思ったが、そうではないらしいことが意外ではあった。(何らかの契約関係はあるのだと思うけれど。)

ラキさんは、もともと山佐からの卒業(?)にあたり、中の人の実在性を公表し、中身が声優の「八木侑紀」さんであることを明らかにした。その上で、八木侑紀さんをラキの中の人として扱ってもらっても良いし、今後もラキとして関わることはあるだろう、という感じでの卒業(?)であった。

だから、ラキとしての活動が終了するという感じではなかったので、無事、事務所を移籍しての再開となったのであろう。

今回の復帰配信についても、八木侑紀さんさんはリツイートして「こころがぴょこぴょこするぴょこ」とツイートしているぐらいので、引き続き、中身との関係性を明らかにしている感じであろう。(ロールプレイは継続されるから、表だって強くは言わない感じだろうけど。)

移籍先を選んだ事情については、まだ公言されてないようだし、山佐から卒業することになった内情についても公表はされていない。卒業配信のようなものも山佐所属で、きちんと見送られていたので、訴訟沙汰になるような険悪な関係ではなかったこととは思われる。

今回の再開については「新人Vですか?古参V(2018年から)ですか?」というマシュマロの質問については、数学の論理図を表す「ベン図」でいうところの、2つの新人Vと古参Vの円の、どちらも重なった部分に該当します、という回答をされていた。

所属が変わり、再起動したことで、虹河ラキというキャラクターそのものは2018年から現在まで継続されているが、移籍・転職により新しいV活動が始まったという意味で新人Vでもある、ということなのだと、私は理解した。

これは全くの私の推測であるが、山佐がVを立ち上げたのは2018年のVブーム中であり、IT企業であればVに参入することは、それほどハードルが高いものではなかった。山佐というパチスロメーカーであれば技術者もそろっているだろうから、おそらく、ちょっとした軽いノリ、とりあえずダメ元でもいいから、自社でもVを抱えてみようかな、と思ったのが、虹河ラキというVTuberの生まれた経緯ではないか、と想像する。

(2018年前後であれば、IT企業の、そうゆうノリで作られたであろうVTuberは沢山いると思う。2020年前後には絵師さんがVグループを立ち上げるブームがあり、似たようなノリで「ガワは簡単につくれるから中身が欲しいな」くらいのノリで生み出されたVも沢山いるだろう。今月話題となった、四方神姫の立ち上げも、そんな感じのようであるし。)

しかし、実際には、山佐が自社でスポーツ選手を自前で抱えることとかわらないような負担となったのであろう。それは技術的な問題というよりも、自社でタレントを一人預かることの大変さというものがあったのではないか?

それらの「タレントを抱えるという負担」が、ラキさんのやりたいこと、自由を縛り、ラキさんの不満が高まっていたのではないだろうか、と想像する。

ラキさんの中身である八木侑紀さんは、声優スクールも運営するプロダクション・エースという事務所に所属するプロ声優さんである。タレントの扱いになれていない一般企業に不満があったのだろう。要するに、自分をまともにマネージメントしてくれる芸能企業への移籍を望んでいたのだと、想像する。

その結果、(声優ではなく)Vタレントとしてのラキさんが選んだのが、多数のYouTuberやVタレントを抱える株式会社DONUTSという企業の「ミクカン」ということなのだろう。

(声優としては、現在もプロダクション・エースに記載があるので、Vとしてミクカンに所属している、というかけもちみたいなものだろうか?)

山佐としては自社のプロモーションとしてのVがいてくれれば、自社でタレントを管理する必要はないので、「専属サポーター年間契約」という形で、山佐の専属プロモーションキャラクターとして今後も活動をされる、ということになったのだろう。

権利関係の整理手続きがめんどくさかっただろう、とは思うが、生み出したキャラクターを生かす方向では山佐さんは良い取り計らいをされたのではないか、と思われる。

(まあ、想像でしかないのだけど、そんな感じに思える。)

東雲めぐさんのことと、フリーランス化について

めぐさんはフリーランスとなって最初の月となった。

突発的に実行された週末24時間配信「めぐちゃんと過ごす休日 」など、チャレンジもされていたようである。

(24時間配信そのものは以前から計画して、休憩時間のための動画などは作り溜めていたようである。)

ちょっと気になった点は、フリーランス化ということは、つまり個人事業主になったという意味なのだろうから、そうすると、Gugenkaに所属していたときは個人事業主ではなかったということだろうか。

もしかすると基本給/固定給がもらえるタイプの契約だったという可能性もある。

また、所属としても今のところフリーのようではあるが、ファンレターなどの宛先は「いろはにぽぺと(vGarden Project)」になったようなので、どうゆう経緯、関係があるのかはわからないが、既知の事務所さんにお世話になっているようである。(所属したわけではなさそうではある。)

企業から独立するVさんとして、いろいろ頑張りどころなのだろう、と思われる。

「いろはにぽぺと」さん自身は、以前名前を少し聞いたことがある気がするのだが、最近、あまり表だって聞いてなかったので、V界隈への関与は、少々下火な状況なのかもしれない。

星乃すなさんのことと、転生の否定について

すなさんのASMR

星乃すなさんは今月も精力的に深夜の長時間ASMRを、ほぼ毎日のように配信されている。

同接数200目指しているとのことである。

深夜2時以降で、ちょっと気晴らしに何か聞こうと思うと、すなさんのASMRを聞いていることもしばしばある。

すなさんは、ASMR専門家を目指しているわけではない人ではあるが、一番人気がとれる配信がASMRということで、まずはASMRで認知してもらおう、という考えのようである。

すなさんのASMRは、その日によって、かなりのばらつきがある印象もある。

今日はすごく心地よいと思う日と、すごく雑だなと思う日があったりする。

ASMRの好みでいえば、それほど上位の人ではないので、優先的に見ているわけではない。(個人的には、ラトナプティ、琥珀ねね、琴乃葉雪乃、物述有栖、くるみ!さんといったタイプが好みである。)

ASMRではあるが雑談的なものでもあるので、聞いていると、いろいろな自分の考えなり、境遇なりを述べられたりしており、人柄などもわかってくる感じである。

また、最近デビューしたVさんによくある、自分はVであるが、他のVの生態、歴史については、あまり知らない、という感じの人でもある。

(というよりも、他のVのことを知っている新人Vというものは、むしろ少数派だろう。それは年齢的なものもあって、そもそも人生経験が少ないということもあるだろうが、仮に自分がVになっても、ほかのVと接触がなければ、ほかのVの内情などわからないからであろう。)

アバターを大事にしている人でもある

今月、自分のアバターを大切にしたいから、アバターを捨てることになる企業勢ではなく、個人勢でゆく、というツイートをされていたことが印象深い。

アバターを捨てない(転生しない)で活動したい、という方向性は、とても共感できる。

私も簡単に転生しないで頑張るVさんのほうが好感をもてる。

だが、その認識はVさんとリスナーでは根本的なところが違うだろう、と予想もしている。

Vさんの中で、自分のアバターが好きで捨てたくないと、はっきりと明言している人は、それほど多くはない。Vは本質的にはコスプレと同じであり、いわば衣装にすぎない。

だから、本来、どのようなアバターに着替えるかは、それほど重要なことではない。

リスナーからすれば、見ているVさんがイメージチェンジして髪色、髪型、あるいは体形まで変えてきたとすると、その変化の度合いによっては戸惑うことはあるかもしれないが、テセウスの船のごとく、魂といえるものが同一であれば、外見がかわろうとも同一のものであるかのように認識することはできる。

リスナーにも気に入ったアバターデザインというものがあるわけだし、バリエーションがたくさんあったほうがリスナーもうれしいので、アバターを捨てるよりは、増やす方向でアバターを使ってもらうほうが良い。

一方で、自分のデザイン、自分のアバターを深く気に入って、もうひとつの自分の外見、分身、もしくは代行として認識されて、このアバター以外は使いたくない、と思うVさんもいるだろう。それはアバターを自分の意思として動かすことで生まれる、新しい自分の肉体という認識によるものだから、そのような気持ちも予想できるものである。

(おそらく、顔の表情だけの2D勢よりも、全身を動かせる3D勢のほうが、自己コントロール感が強いから、自分の肉体だという感覚も強くなると予想できる。)

アバターを変えたくないと認識をもつに至ったVさんというのは、このような自分の仮想世界での、もうひとつの肉体表現だという自己認識に至った人たちだろう、と思う。

アズマリムさん、桜月花音さんは、そのように表明されている。

ただし、アズリムさんは魂の独立性も明言しており、望まないロールプレイをすることは絶対に嫌という立場である。

同様に企業や事務所から独立を望んだ人たちは、同様に、自分の演じ方は自分で決めたいからという理由が多くみられる。(あとはお金の問題もあるようだ。)

また、企業勢ではあるが、Avatar2.0の結目ゆいさんも自分のアバターが自分でも見惚れるほど好きで、だからAvatar2.0から抜けられないような話をされていた。

星乃すなさんも自分の作画コストの高いアバターデザインを気に入っている感じだろう。

先に述べたようにリスナーからすれば外見よりも重要なのは魂である。

個人勢だった人が企業に所属することで一番懸念されるのは、その魂の独立性であろう。

実際に事務所に所属することで、事務所が望むようなキャラクターとして振る舞うことを強要されることになるのは間違いない。

事務所に所属すれば、いろいろとメジャーになるための算段を立ててくれるだろう、いろいろめんどくさいことから解放されるだろう、守ってくれるだろう、という期待があるのだろうが、それは、自分がやりたくないこと、自分ではないものを演じることを強要されることでもある。また、当然に、事務所を介する形にファンとの関係性も変化する。

つまり、多かれ少なかれ、魂が変質するだろうことが想像できる。

そこを過小評価している人たちが多いような印象がある。

だから、個人Vには、気軽に転生は考えないでほしいなぁ、とは思っている。

これがVとリスナーとの気持ちの違いだろう。

企業勢に転生するとアバターが新調される理由

現実に今のところ、にじさんじ、ホロライブなどの大手では、メンバーにはVの名前もアバターも新調されるから、加入するなら転生が前提となっている。

なぜ、企業が名前もアバターも用意するかといえば、チャンネルも、アバターも、タレントとしてのVの権利も、企業の所有にすることで、運営による管理・監督を強め、ライバーの脱退リスクを下げるためだろう。(最近のにじさんじではロールプレイも事前に決められている。)

だから、逆にいえば、企業Vが企業を辞めるときには、名前もアバターを捨てることが要求される。企業から名前やアバターを個人に譲り渡すことは何ら技術的にも権利的にも何ら難しいことではない。しかし、これまで、そのようなことがされないのは、企業から抜けるペナルティのようなものだからだ。

実際、V事業から撤退することになった企業に所属していたVは、そのまま個人Vとして放り出されることは、これまでの事例にもたくさんある。権利的にも技術的にも、名前とアバターを個人に譲り渡すことが難しくないことは、これを見ても明らかであろう。

根本的にいえば、自分でサムネも配信も企画もたてている配信者は、事務所に所属していなくても、同じように活動できる。一度、活動のやり方を教わってファンも獲得したら、事務所などなくても一人でやってゆけるとわかってしまうから、企業に所属しているメリットを感じられない人たちにとっては企業から抜けたくなるのは当たり前のことだろう。

それはリアルの芸能人も同じであるから、専属タレント契約などで移籍・独立されないように縛ることになる。あるいはレプロから独立しようとしてテレビ界隈から干された能年玲奈さんのようなペナルティを受ける。

また、アバターを維持したままの企業への所属というものも、もちろん可能である。

たとえば、アズマリムさんは、もともとCyberVに所属していた。CyberVでうまくゆかずに別の会社にアズマリムというVは権利をすべて売り渡された。同様に、VTuber黎明期の四天王の一人として名をはせていた輝夜ルナさんも、クリエーター集団だったVICからソニーミュージックに権利ごと売り渡された。当然、Vアバターの所有権だったり、それを演ずるタレントの所属も、アバターはそのまま、企業から企業へと移管されることになった。

あるいは、キズナアイさんはActiv8からキズナアイ株式会社という独立企業にアバターも演者もそのまま移管された。

このように、アバターという著作物の権利、それを演ずるタレントの権利を、権利移転という契約で別会社に、そのまま引き継がせることは実際に行われている。

もちろん、それは個人Vについてもいえることである。

企業によっては、個人Vが企業に所属するにあたり、個人Vがもっていたアバターの著作権やタレントとしての権利を、すべて企業に権利移転することで、その企業所属のVとして活動することになるだろう。つまり個人から企業にアバターとタレントのマネージメント権が移管され、簡単には抜けられなくなる、ということでもある。

それは、まさに魂を売り渡すようなことだといえる。

もちろん、そのようなことを理解して、なお転生したいと望む個人Vはいないだろうから、転生には、契約書をよく読んで、それが、自分にどう影響するか考えてほしいと思う。

(先月末、P丸様。さんが、そのような反省をされていたことは、すべての独立系Vのタレントさんは深く胸に刻むべきであろう。)

権利を失わずグループに加入するタイプもある。

企業Vに所属することすべてが、自分の魂を売り渡すことではない。

準大手といってよい、ブイアパやアニマーレなどは現在でも、すでに活動されている個人Vが、そのまま転生なしで加入されることもあるし、また、もとの個人Vとして離脱する人もいる。そうゆう事例が、ブイアパ・アニマーレでは見られるから、おそらく、個人Vとしての権利、魂を売り渡すような契約ではないことは想像される。

(海外ではVShojoも同様なタイプと思われる。)

あるいは、かつてはupd8でも個人Vがアバターも名前もそのままで加入し、そのまま個人Vとして戻った人もいるので、upd8も、そのようなタイプであっただろう。

また、最近では、企業に所属するという形ではないが、グループとしての日テレ系のV-Clanというグループには、いろいろな企業V、個人Vが参加している。

このような企業に所属する、という形式ではなく、プロジェクトに参加する、という方向性もありえる。たとえば、AKBグループは、秋元さんのプロデュースではあるが、参加しているタレントは、それぞれ、いろいろな事務所に所属している。いろいろな事務所のタレントからプロジェクトとしてAKBグループに参加している形式である。

このようなプロジェクト形式のグループというものもV界隈にも生まれている。

星宮ゆいさんのことと、同時視聴の良さと、Vの演劇性について

野うさぎつながりで、先月あたりから見始めている個人Vの星宮ゆいさんであるが、もともとはグループで活動されていたと知った。

もともとは個人4+デビュー予定1いて、しかし、活動して早々に解散して、引退配信もなく2人卒業(どうやらリーダークラスだったような人も含む)で、現在はピンで活動されているようである。

ただし、友人関係は続いている、とのこと。

しかし、やはりグループでデビューした仲間が卒業したことは悲しく寂しいとのことで、たぶん、私に置き換えれば、その気持ちは同人作家の友人が筆を折ったときの残念感とかだろう。才能がある、もしくは頑張っていることを、断念して辞めたことが悲しく思える気持ちだと想像する。

学生で例えれば、部活で頑張っていた友人が諦めたと知ったときの気持ちではないか?(私は、そっちの気持ちは経験ないのだが。)

Vの演劇性について思う

星宮ゆいさんのVデビューの話を聞いて、これは星宮ゆいさんの話というよりは、Vになりたがる人が多い理由なのだろうな、という感想を持てた。

ゆいさんは自称ニートであり、妹が引きこもりの姉を心配してマイクなどの機材を買ってきてくれて、いまはV活動がとても楽しいのだと言われている。

似たような話は他のVさんでも聞くので、わりとありふれた話なのだろう。

しかし、これもまた、V特有、現代特有というわけではないのだと思い当たった。

雑誌PHPなどの本では、俳優さんなどの人生体験談などが語られることが多い。そこで苦労した話、どうやって乗り越えたのか、そうゆう苦労話が語られる。

その中には、どうして自分が俳優の道に進んだのか、演劇の道に進んだのか、というような話も聞くことができる。

心理カウンセラーなども、しばしば指摘することであるが、学校生活というのは実は人生においてはわずかな期間であり、しかも、かなり特殊な環境である。とくに小中高校では、いろいろな人間が不自然なまでに一カ所に押し込められている、視野が狭くなり身動きのとれない息苦しい世界ともいえる。(大学は自分で選んだ大学、自分で選んだ学科、講義、自分で自由にできる時間がある。)

中高生の段階で、そうではない世界が広がっていることを知ることができた人は、比較的、学校生活が窮屈でも自己というものを発揮することができるだろうと思う。

ある人は不良な大人たちに連れられて別の世界があることを知るだろうし、ある人はボランティア活動などで知ることもあるだろう。

しかし、そうゆう経験ができなかった人は、自分というものをぎゅっ、と押し込められて、そのまま自分の殻を破れないままでいる人も少なくないのだろう。

そうゆうときに、演劇というものに救われる人が少なくないようである。

自分がどう笑えばいいのか、感情の扱い方も訓練が必要である。しかし、実体験として感情を動かすことができなかった人には、演劇を通して人の感情の動きを触れることで、感情の動かし方を学ぶことができる。(とくに怒りや悲しみといったネガティブな感情。)

演劇を通して自分を閉じ込めていた殻、本当の自分らしさというものを開花させられる。

Vというものも、そうゆう性質があるのだろう、と思う。

(演劇でなくとも、漫画・アニメ・ノベルゲームを通じて、キャラクターになりきったり、サイドストーリーを勝手に考えたりして自分の気持ちを疑似体験することで、感情というものを深めてゆくことができるだろうが、人と対面する演劇ほどではないだろう、とも思える。)

生主さんは演劇をしているという意識が無い人が多いだろうから、むしろ、その効果はVよりも少ないだろう。しかし、Vはロールプレイをすることが当たり前であり、設定をつくり、キャラを演ずることで、演劇性を少なからず持っている。そのことはリスナーのためというよりは、演じている本人が自分らしさを解きほぐしてゆく上で必要な舞台装置なのだろう。

だから、生主さんを見ているよりも、Vライバーを見ているほうが、むしろ本音を聞けるような気がするのだろう。

演劇を通じて自己表現することで、心のわだかまりを解く効果があるのだと思う。

それがVという演劇をしたいという動機なのではないかと思う。

うま娘の同時視聴について

以前から、Vが映画やアニメなどを同時視聴することは、その物語のシーンの、どんな反応をするかで、その人の考え方や気持ちの傾向を知ることができる体験だと思っていた。

たとえば、付き合い始めたばかりの友人、恋人であれば、映画などを見に行き、反応を共有し、そのあとの感想会で、どんな考え方をする人なのか理解を深められる。

(だから、ホラーなどは相手の性格を察しようがないので、向いてないかもしれない。)

一方で、それ以外の同時視聴の有益性、楽しみ方というものもあることが分かった。

星宮ゆいさんのチャンネルを訪問する人の、かなりの割合が、「ウマ娘同時視聴」のアーカイブなのだそうである。

この同時視聴が人気なのは、星宮さんが自己分析されるところによれば、ウマ娘というアニメは、実在する名馬の過去のエピソードを反映しているものが多く、リスナーの有識者が、アニメのネタバレにならない絶妙なタイミングで、より深く楽しめるような情報へのリンクをはってくれているなどの解説付きだったりするところのようである。

だから、このアーカイブが人気なのは、星宮さん自身だけでなく、リスナーと一緒につくったコンテンツなのだと言われていた。

また、おそらく、アニメに共感して号泣したりする、星宮さんのリアクションの良さを見に来ている人たちも多かっただろう、と思う。

自分が大好きなアニメを、自分が感動したシーンで一緒に感動してくれている人を見ることは、とてもうれしいものだからだ。

そうゆう同時視聴の楽しみ方もあるのだな、ということを改めて知った感じだろうか。

キミノミヤさんの卒業と、弱ロールプレイの良さについて

先月、ミヤさんが卒業された。先月は軽くしか触れていなかったが、あらためて思うと、とても良い卒業のあり方だったのだろう、と思える。

「ぶっちゃけ、ただの転職である」という受け止め方ができたこと、悲劇的なお別れではなく、寂しいけれど門出の別れ、めでたい卒業という雰囲気だったことは、あらためて思うことは、理想的な卒業だっただろう、ということだ。

これができたのはVのロールプレイが弱く、素の人間が見えるタレントだったからだろう。

たとえば「新しくやりたいことが見つかり、それに本気で向き合いたいから卒業を決めた」というような発言は、ロールプレイ勢には出来ない台詞だろう。それはロールプレイを破ることになるからだ。ロールプレイ勢が辞めるときには「故郷の星に呼び戻されました」とか、「魔界に帰ることになりました」とかそんな嘘くさい感じになるだろう。

だが、キミノミヤさんは天の川をモチーフとする招き猫アバターではあったが、実際のライブ配信ではカラアゲが好きな女の子であり、名古屋のリアルの話題が豊富で、どこどこのお店がおいしいとか、そうゆう雑談が楽しいものだった。

それはキミノミヤさんがリアルの愛知県をプロモーションする役割をもつタレントだったから、現実とリンクして当然のことである。

だから、キミノミヤさんを現実の人間の転職、卒業と認識でき、送り出すことができた

これは、現実ではない「電脳世界」とか「魔界」などという架空の世界に生きているという設定ではないからできたことだろう。

ここには2018~2019年に見た「Vの卒業はVの死だ」というような悲劇性は全くない。

もし、ロールプレイするとしても、そうゆう「現実とマッピングされたファンタジー」がVのロールプレイとしては最適なのではないか、という感じはある。

たとえば、「こりん星は千葉県」とか、SB69にもあったウソツキさんの「新木場発、銀河鉄道」の歌詞にある「天の川越え、降り間違えないように慎重に慎重に駅を数えてく。代々木上原で乗り継ぎしたら…」みたいに、この銀河鉄道は東京メトロと小田急の乗り継ぎじゃないの?みたいな、現実が透けるロールプレイであればリアルでもなくファンタジーでもない狭間の、夢うつつのような楽しみができる。子供のころの「ごっこ遊び」の延長のような楽しみ方だろう。(このMVもミニチュアレールの列車を撮影したものとなっている。)

あらためて、このような薄いロールプレイこそがVライバーに最適であろうと思う。

スパチャにもやる40代のこと

今月、ツイッターのトレンドで、スパチャにお小遣いをつかう子供にモヤる親の気持ちの記事が話題になっていたが、時事ネタ的でもあるが、V界隈にとっても、わりと本質的な話題ではないかと思う。

モヤる根源的理由

まず、大人にとっての「給与所得」、子供にとっての「お小遣い」について考えたい。

給料とは働いた時間や能力によって決まるわけではない。もし年収を今より2倍に上げたいのなら同じ会社で2倍働いても無理な話で、もっといい給与がもらえる会社に転職するしかない。逆に言えば、会社が違うだけで同じ仕事でももらえる給与が違う。つまり、給与とは本人の能力などではない、ということだ。

どのくらい社員に給与として還元するのか、その経営者の一存である。

端的にいえば、会社が得た収益の中から、「おまえらなら、このぐらいで生活できるだろう」という経営者の意識で給与配分が決まる。

自分の稼ぎと社員の稼ぎを比較して、社員を低く見て、無理難題を押し付けたり、こき使ったりするブラック企業ほど、社員への還元率も低くなるのは自明だろう。そうゆう会社は可能なかぎり社員への投資を渋るから、法律上必要とする社会保障費さえ削られている可能性がある。給与など低くて当たり前だろう。

おこづかいの使い方にモヤる親の気持ちとは、要するに、ソレである。

資金の使い方に口出しするのは下策

これは以前、絵師でありVママでもある人が、個人Vが生活費を含めたクラウドファンディングをすることに対して不快感を表明されていたように、「人様からお金をいただいたなら、この範囲で使うべきだ」というような、自分の価値観で他人に干渉する気持ちが誰にもある。しかし、それは正しい気持ちではない。

生活保護を受けている人は慎ましく生活しなければならず、パソコンやスマホを所有するのは、もってのほか、などと怒る人がいることと同じ問題であろう。

また、2010年代に貧困女子と話題になった女の子がスマホをもっていたことに批判が集まった事例もあったと記憶するが、現代においてSNSがリアルと同等な重さ、価値をもつ社会であるとすれば、スマホは必須だといって良い。アルバイトもスマホがなければできない。その認識の違いが、世代間格差、デジタルネイティブ、SNSネイティブ世代との格差でもあろう。(40代にも、まだガラケーをつかってネットに繋がっていない人も実在するぐらいである。30代でもパソコンがない人は少なくない。それは意見が合わなくて当然であろう。)

そうゆう、自分が理解できないからといって他人のお金の使い方にも意見する結果が、「Vや絵師がファンからいただいたお金は全て創作活動費に充てるべきだ」というようなストイックな意見となり、まわりまわって、結果として、アニメーターや絵師の報酬が低く見積もられるような結果になっているのだろう。

自分には理解できないことでも、何に使おうが、その人の自由だ、という不干渉を守るモラルが求められているのだろう。

V界隈は年齢が若く、お金や商売に無知な人も多い

一方で、単に無知から金銭感覚が分かっていないケースもあるだろう。そもそもキッズは、経験も学びも足りていないのだから、大人と同じ会話が成立するわけがない。

だれもが絵師さんの苦労を分かっているわけではないのだから、無邪気で無知なキッズたちから、無責任に安く見られることもある。生まれたときから自分のまわりには無料の絵が大量にあふれているから、絵とはタダでもらえるもののように勘違いしてしまうのだろう。

一方で、生主やVにコメントを拾ってもらいたいがために自分の収入の1/3以上を使うのは、分不相応なお金の使い方であろう、とも言える。学生であれば遊びに使って良い金額の範囲に収めるのが妥当だろう。

また、お金の稼ぎ方について無知なこともあるだろう。

Vブームから3年以上経過している2021年の現在でも、企業や事務所に所属しているVは固定給、基本給がもらえていると思っているリスナーも多いようだ。

サラリーマンの家庭の中学生ぐらいのお子様であれば、仕事というものがどうゆうことかさえわからないだろう。ましてや、普通とは違う「タレント契約」や「個人事業主」という働き方は、まったく想像もつかない人が多数のはずだ。

高校生になったとしても、その業界について考えようとしない、一歩踏み込んで見ようとしない人にとって、自分と違う業界のお金の話というものは全く見えてこないものである。

だからトンチンカンな契約をしたがったり、skebでトラブったりするのだろう。

客が勝手に「○○才ぐらいの若手の絵師さんなら、この程度の金額で絵を描くべきだ」「趣味で絵をやっているぐらいなんだから、この程度なら無料でやるべきだ」などという言い分を持ち始めることになるのだろう。

なんで勝手に値段をきめられると思うのか。

しかし、こうゆうお金のことも、結局、人間関係の距離感の問題なのだ。

他人のお金に口を出すのは親しい人としては良いかもだし、場合によっては有益かもしれないが、概して言えば、お金を出し渋る側の意見が間違えやすい傾向はあると思われる。

スマーフについて

今月は、FPS界隈ではブイスポの社長(?)とメンバーがプロと組んでVALORANTでスマーフ行為をしていたとかで、非難される話もあった。

似たような話は、葛葉さんも昨年の春頃、APEXでやらかして身内である叶さんにたしなめられていたような記憶もうろ覚えにあるのだが、大した問題とはされてなかったように思う。これは葛葉さんが日頃からやらかしすぎて、誰も気にとめなかったという側面もあるかもしれないが、それだけではないだろう。

スマーフは悪なのか?

APEXには、ランクリセットがあるから、ほっておけばダイヤ以上のランクの人であっても下界に降りてくるので、プロがサブ垢作ってランク帯をわざと下げる行為に、それほど不正感がないのかもしれない。プレイヤーにはめんどくさがられている仕組みだが、案外、よく考えられているシステムなのかもしれない。

APEXはパーティを組むゲームだから、仲間を助けてランクを上げる行為も、当初から設計されているゲームの楽しみ方なのだろう。だから、APEX公式もスマーフを違反とはみなしていないのだろうと思われる。

では、今回の問題となったVALORANTは、どうなのであろうか?

私はVALORANTを見ても楽しみ方、観戦の仕方を分かっていないので、ファンでもなんでもないのだが、VALORANTにはAPEXとちがってランクリセットというものはないようなので、上級者が、始めたばかりの仲間をサポートするには、サブアカを作ってランクを下げる必要があるのだろう。それが設計されたゲームの楽しみ方であるかは微妙な感じだが、運営会社であるライアットゲームズが「ルール違反ではない、マナー違反だ」と明言されたようなので、まあ、好ましくはないのだろう。(VALORANTのランクマッチ、ランク評価については運営もいろいろ試行されているようではあるが、全員が納得できるシステムにはできていないという感じだろうか。)

スマーフの大半は悪意によるものではなく、ランクの離れたフレンドとランク戦をプレイしようとしているのだということが分かっています。一方で、少数とはいえ悪意を持ってスマーフを行うプレイヤーがいることも確かです。

スマーフ対策のカギは、単にペナルティーを与えるのではなく、悪意のないプレイヤーがスマーフをしなくても済むように、VALORANTのプレイ環境を整えることだと考えています。まずは、こうした悪意のないスマーフに対する解決策や緩和措置を講じたうえで、残りの「悪意のあるプレイヤー」に対し、VALORANTからの追放も視野に入れた厳しい処分を科していくつもりです。

スマーフ対策は、現在コンペティティブチームにとって最優先課題の一つです。調査はまだ完了しておらず、その結果に基づいた変更を導入するまでには時間を要しますが、この重要課題に適切に対処できるよう、皆さんの声に耳を傾け、大量のリソースを投入していることをどうかご理解ください。

https://playvalorant.com/ja-jp/news/dev/ask-valorant-may-6/

当然、配信者のような人たちはプライベートアカウントと配信用アカウントをもっているわけで、プライベートで遊んで上位ランクに到達していたあとで、配信で遊ぶために新しいアカウントで配信をはじめたら、初心者ではないからスマーフに見えてしまうことになるだろうが、これは不可抗力だろう。それに、きちんと評価されるシステムであれば、すぐに上位ランクにゆくだろうから、一時的な問題にすぎない。(そうゆう意味でもAPEXのランクリセットは良い仕組みだったのかもしれない?)

だから、一律ルール違反とするわけにもいかないのだろう。

そもそも、他人のサポートでランクを上げたとしても、FPS界隈では、結局、実力にあっていないランク帯にいっても上手くなければ勝てないわけだから、それほどゲーム性に影響がないだろう。

強いて言えば、ランクを上げることを目標に頑張っている人からみて、プロに手伝ってもらったことの不公平感があることぐらいなのではないか?

その限りにおいて、ゲームのプレイヤー、または、そのプレイヤーを応援するファンであれば、スマーフでランクを上げている人に対して小言を言う資格はあるだろう。

もちろん、あえてプロ級の腕前の人が低ランクにとどまり続けて、初心者の虐殺を楽しんでいるのであれば、ゲームそのものが衰退することになるから問題視されるのは当然だろう。そのような常習犯であれば非難されてしかるべきだろう。

むしろ、スマーフが嫌われているのは、そうゆう初心者狩りが不愉快だからだろう。

プロならば自分たちの飯の種を荒らすような自滅行為である。

だが、今回は違う。仲間のサポートによる「ランク上げ」が非難されていた事例である。

(いわゆる自分のアカウントを熟練者に代行でプレイしてもらいランクを上げるという、ライアット社が禁じている「ブースティング」の定義にも当たらない。)

問題の程度、本質もわからないようなFPSをプレイもしてなければ観戦もしていない人が、まるで重大なルール違反を犯したかのように執拗にあげつらう事や、あるいは、だれかの言説に乗せられて、まるで大変なことをしでかしたと思い込んで非難することは、無関係な人の些細な欠点を過剰に騒ぎ立てるデマゴーグ(煽動)であり、ゲームの公平性という価値を実態以上に毀損する、善良なゲームファンにとっても益にならないものであろう。

https://note.com/jey_p/n/n317338525a12

このノートの記事でもスマーフ炎上問題に苦言を呈されていたが、どの程度の問題であるかに関わらず、PV欲しさにセンセーショナルに煽って全部燃やそうとするゲームメディアは、結局、自分の食い扶持を焼け野原にするようなものだろう。

FPSには未成年が多いのだから、善悪の判断を自分で決めることが難しい、同調圧力に弱く他人に感化されやすい年頃だからこそ、その判断基準を示すことが、本来、読者のためになるはずと思うのだが。

所属ライバーの成績を盛ろうとしていたのかもしれない?

一方で、今回は、ブイスポの運営会社社長が自ら参加していたことと、プロの協力のもとに自社所属ライバーをスマーフしていたことを考えると、目的があったようにも感じられる。

一ノ瀬うるはさんの雑談で、最近入ったメンバーは半年間の特訓期間を経てからデビューしたという話に、うるはさん自身が「まるでeSportsのプロチームみたいだ」というような感想を漏らしていた。

ブイスポは着実に数値が伸びており、これをチャンスとみて、より売り込みを強めたいと運営(社長)が考えていたとすれば、今回のスマーフも、あわよくば所属ライバーの成績をよく見せたい、という動機もあったのではないか、という感もある。

それこそ、社長とプロゲーマーと所属ライバーがプライベートの練習や気晴らしで遊んでいたのだとすれば、わざわざ知られている配信用アカウントでなくても良いだろうからだ。

(そうすれば、バレることも非難されることもなかっただろう。)

ちょっと残念に思うところがあるとすれば、ライバーは生感、ライブ感がウリであるのだから、仮に八雲べにさんが上位ランクの実力がある人であれば、「配信用の新規アカウントだから今は低ランクだけど」と断ったうえで、みるみる上位に上がってゆく様子をみせればリスナーも納得したであろうし、それをスマーフだと非難する人も少なかったのではないかと思われる。あるいは、もし八雲べにさんが上位ランクの実力をもっていないのであれば、素の実力で練習しながら強くなってゆく過程を見せてほしかった感じはある。

ちなみに、うるはさん自身はオーディションではなくスカウトで入った人であり、とくに特訓期間とかもなくデビューされたようである。ブイスポのメンバーはeSports系のゲームの特性上、横のつながりは、それほど強くはないようなので、うるはさんも全メンバーを把握しているわけではなさそうではあった。最近始められたマイクラなどはメンバーの性格などを知る交流に役立っているのかもしれない。

輝夜ルナの実質終了(ソニーミュージック系だったらしい。)

「バーチャルYouTuber・輝夜月さんのオフィシャルファンクラブ「LUNAfam(β)」が、サービス終了となることが発表された。

10月1日(金)に新規入会受付を終了。10月31日(日)に月額課金を停止。11月30日(火)にサービスが終了となる。

現在、輝夜月さんは活動休止状態にあり、YouTubeにアップされている最後の動画は2020年8月に公開されたもの。同年10月の「さんきゅう みんな本当に愛してる信じてほしい」というツイートを最後に、Twitterの更新も行われていない。」

https://news.yahoo.co.jp/articles/bcb6247960ac25138d6217845aa1b0447a88dcde

これで、輝夜月さんは実質終了しただろう、という見方が大勢のようである。ソニーからは終了したというアナウンスはないので、今後、どうなるかはわからない。

中の人(P丸様。)は元気そうだから、さほど心配もすることがないだろうが、これまでの経緯としては、運営および契約上のトラブルがあったことは報告されており、まあ、事実なのだろう。

ピンキーポップヘップバーンさんも一足先に卒業されており、このこととあわせると、同時期(2020年末) までには、すでにクリエーター集団であったVICのタレント事業は瓦解していたであろうことは予想される。

ソニーミュージックが、輝夜月さんらを株式会社VICから自社タレントとして移籍させる上で、細かな取り決めがされていたようだが、本人が預かり知らぬところで輝夜月さんの活動を縛るものだったようである。

こうゆう話題がでると、「契約したのだから仕方ない」みたいな意見がでてくるが、これは以前も書いたが、契約書一枚ですべて片付くなら弁護士も裁判所も要らないわけだ。民間人同士の契約であれば、契約上の誤り、瑕疵、過失というものは、当たり前にある。きちんと活動の制約について説明していないのであれば、契約締結上の過失として争うことは可能だろう。

実際、輝夜月さんの活動が実質終了し、P丸様。としてV活動が再開されたことは、弁護士を立てたのかどうかは知らないが、このあたりの問題が契約解除の方向で進んでいる/もしくは契約解除され、ソニーから解放されたからなのだろうな、という想像ができる。

本人だけでなく、ルナさんのデザインを担当した絵師さんも同様に述べているから、まあ、VICが結んだソニーとの契約が解除されたか、そうゆうところなのだろう。

ソニー信者らしき人の妄信?

しかし、私がみていた中では少数ではあったが「ソニーが悪いはずがない」というような意見が見られた。その根拠がなんであるのかは全く不明である。

別にソニーミュージックがパワハラやセクハラをした、などという違法行為を働いたなどとは誰も言っていない。これは単に契約上の問題である。

どちらにも、それぞれの言い分があるだろう。どちらも、やりたいこと、やってほしいこと、やりたくないことがあり、それが食い違っていた。それを調停ないし裁判で解決しただけの話だ。良い悪いの次元で語るようなものではない。

しかし、どうゆう心境で、そのような企業びいきの見方をしているのかは興味深くもある。

私が予想するに、そのような盲目的な肯定や、不都合な事実を矮小化しようとする人にとって、ソニーのような素晴らしい企業に所属することは栄誉であり、それから外れることは自分には到底理解できないことなのだろう。

しかし、キラキラするように見える「一流集団」に自分の理想郷があるように憧れの幻想を抱くのは子供心としては分かるが、高卒以上の年齢で憧れを抱くには、あまりにも幼すぎる。もう少し現実を知ったほうが良い。

これまでの過去のトラブルから、それがありふれたトラブルであり、真実であろうことは私には信じられる。知ろうと思えば実例はいくらでも探せるはずだ。

これを信じない理由は、自分が信じたくない、というだけの理由だろう。

それは未熟な精神に起因する「病理的防衛」みたいなものなのだろう。

自分にとって「そうあってはならない」ということが現実に起きたとき、その現実を否定する心理的防衛だろう。がんになった配偶者を「なんでガンになったんだ」と責める男性がいる。がんになる人は沢山いるのに、病気になった妻は本当の妻ではない、という否認である。

それと同様な病理的防御反応だとすれば、「ソニーが素晴らしくないはずがないのだ」という妄想に固執してしまうことになるのだろう。

しかし、電通やトヨタのような超一流企業であっても自殺者は出る。どんなに素晴らしい企業でも、すべてにおいて素晴らしいなどということはない。

ソニーミュージックは巨大グループ企業ではあるが、誰にとっても素晴らしい企業というわけではないという、あたりまえのことを受け入れるべきだろう。

栢森エマ/エマ・シュエットさんのこと

今月、個人Vである栢森エマさんがデビューされた。森に住むフクロウの設定をもつVさんである。

はじめての晩酌配信とスパチャ読み

初配信で収益化ラインを超えたので、すでに収益化されている。

最近は、登録者数1000人を超えれば、すみやかに収益化がされるようである。個人Vさんでも収益化のハードルは、かなり下がっている。おそらく、YouTubeにとっても、そのほうが利益になるからだろう。

収益化記念配信では、はじめての祝い酒を楽しみつつ、配信のおわりには他の箱や個人Vがするようなスパチャ読みのファンサをしてくれていた。

ぽしゃけ配信は、いまでも旧アイドル部の人たちは難しいようだ。アイドル部はすでに解散しており、バーチャル学園という設定もなく、旧アイドル部の人たちが旧時代のロールプレイや、電脳少女シロから引き継いだ世界観である「電脳○○」という設定も、もはや大した意味を成さないはずだろう。

おそらく、本来ならば、ほかのハコのVのように「ぽしゃけ雑談」のようなものをしても問題ない。しかし、晩酌配信の是非については、昨年も今年も、ファンからは否定的な意見が聞かれたようではある。いきなり設定やロールプレイの方針を変更することにはファンがついてゆけないということなのだろう。

(ちなみに、今月、ちえりちゃんは今までも、これからも、配信でお酒は飲むことはない、とは発言されていた。また、この発言からは、2年前の秋口に、まるで酔っ払っているかのようなハシが転げても笑うようなタガが外れた笑い上戸な配信があったが、たぶん、メリーミルクさんの寝不足ハイテンション配信と同じく、ちえりちゃんも寝不足とか、そうゆう感じだったのだろう。)

しかし、栢森エマさんは個人Vであり、ロールプレイ的にも、なんの問題もない。否定的な意見もなかった。だから、やはりロールプレイの問題ということなのだろう。

また、このスパチャ読みでは、ホロライブや個人Vでも、しばしば見られるような、㊗スパチャ解禁配信として、リスナーからのスパチャ遊びが初日から見られたことも印象深いものだっただろう。スパチャ読みが始まってからスパチャを投げる人が増えたのも、「え?読んでくれるの!?」という新鮮な驚きと興奮があったからだろうなぁ、とは思う。

どっとライブ系のファンであっても、このようなファンサを待ち望んでいたのだろう。

(どっとライブファンは、他の箱と違う人種、文化の人たちが集まっていたわけではなく、アイドル部というスタイルが、他の箱と違う行動をさせていた、ということなのだろう。)

また、エマさんのデザイン、Live2Dモデル、ともに、かなりしっかりしたものが用意されている。特筆すべき点としては、Live2Dモデルは、最近の海外Vで頭などに乗せる小物が頭の動きと連動している、モデルに簡単に小物を組み込めるタイプのモデルになってることだろう。

今月、新たにVTuberとして高可動型Live2DモデルでデビューしたKson総長のモデルも、小物画像を簡単にモデルに組み込んで連動させることができるタイプとなっていた。

今後は、こうゆうタイプが増えることだろう。

Vの卒業と転生の作法について

エマさんは某なとりさんであろうし、ときちゃんも元気そうでなりよりだったが、もちろん、エマさんは今後も自分の過去について明確に語られることはないだろう。

これはロールプレイをする企業Vを演じていた人の宿命のようなものだ。

企業Vをやめるにあたって「強いロールプレイ」をしているタイプのキャラクターは、活動を辞めることの辻褄合わせのために、いったん物語を終了させなければならない。その設定を尊重するのであれば、卒業後も無関係であることを装い続けなければならない。

しかし、それは過去に自分が演じたキャラクターに触れることができない欠点でもある。

元いちからのCOOであるイワナガちゃんさんが現在の企業VがVをやめる理由として推測していたように、中の人を隠す企業Vのロールプレイは、結局、何年努力しようとも、演者本人の公式のキャリアにならない不毛さがある。

本来、なとりさんはアップランド(どっとライブ)を円満に卒業したことは紛れもなく、過去について触れてはならない傷などではない。しかし、ロールプレイを尊重しようとすれば、表立って容易に触れることはできない。公式プロフィールとして「元アイドル部」という経歴を売りにできないのは、アイドル部が現実とつながらないロールプレイであったからだ。

(うまい具合につながりがある設定でも作れれば良いのだろうが、他事務所の設定に外部となった人間が関与することもおかしな話である。もしくは全員卒業すれば、活動中の人のRPに影響はなくなるので、そうゆう遠慮は要らなくなるかもしれない。)

これはパーソナリティがウリとなるライバーが「強いロールプレイ」をすることで生まれる、いずれ必ず訪れる現実とロールプレイの矛盾、いわば避けることのできない必然的な破綻であり、害悪であろう。いまでも企業Vで「強いロールプレイ」を演ずる人たちは、いずれ必ず訪れる破綻を先延ばしにしている。

そうならないような方策をV企業は見つけなければ、いつまでたっても、このような不自然で何の役にも立たない無駄な軋轢が生まれ続けることになる。

これから多くのVが長く活躍するにつれ、移籍なども、どんどん増えてゆくはずであるし、Vの中身が人間である以上、現実的に、そうならないほうがおかしい。

だが、そのたびに、このような不毛な軋轢発生するのは、どう考えても正常とはいえない。

企業Vを演ずることの運営・演者双方のリスク

企業が作ったプロモーションキャラクターのような、企業と結びつきの強いキャラクターであったり、ロールプレイが強いキャラクターであったりする場合、他の企業への移籍や独立することは困難である。いきおい卒業・転生という選択にならざるをえないことも多いだろう。(虹河ラキさんや、アズマリムさんなど、過去に例がないわけではない。)

たとえば、アイドル部の場合、アップランドという企業が企画した未完成のゲームのキャラクターを使っており、アップランドと強く結びついたキャラクターであるから、他社に移籍などは、まず不可能といって良い。それこそ、本来であれば声優さんのように演者交代する以外にないだろう。

あるいは、にじさんじやホロライブといった有名V企業からキャラクターを維持したまま転籍するケースは、いまのところ無い。にじ、ホロともに他社から移籍してきた人はいるが、卒業→転生という形をとっており、キャラクターを維持したまま移籍したケースは、これまで無い。(しかし、できないわけではないので、これから出てくる可能性はある。)

いまのところ、中の人(魂)は、自分が別のキャリアを進みたいのであれば、いったん卒業すること以外に現実的な選択肢が用意されていない。その場合、キャラクターも卒業させることになれば、企業としては避けたい苦渋の選択だろう。

(たとえば、今月鳴神さんのツイキャスで知った話だが、神楽めあさんが「ぱりぷろ」からアバターを維持したまま独立したのは、ぱーりぃさんとの間に違約金契約というものが結ばれていて、ぱーりぃさんに従わない場合は違約金を払う取り決めだったから、違約金を払って出て行った、ということらしい。アバターを返却しろ、とは言われなかったのか、さすがに方向性の違い程度で違約金までとってアバターも没収というのは悪徳事業者として名をはせてしまうと思ったからだろうか、そのあたりは定かではない。まあ、結果的には、お金を払ってアバターを買い取ったという後腐れのなさになったわけで、良かったのではないかと思われる。そのあと解散したときにメンバーがお金を払ったかは過去の詳細は調べられていないが、現在、後腐れ無く活動をしているし、花園セレナさんは今でもぱーりぃさんとは懇意にしているようなので、まあうまくやられたのだろう、とは思う。)

アップランドが、夜桜たま、猫乃木もちに卒業配信をさせなかったことを批判する人も多く、実際、卒業配信をさせなかったことがアップランド運営に対する不信感、ヘイトを高めたことは間違いない。それは、まともな辞め方でないという理由で、辞めた二人に対するヘイトにもつながった。(二人には、どうすることもできなかったにも関わらず。)

だから、運営にとっても、演者にとっても、セレモニーとしての卒業配信は絶対に必要だといえる。

卒業配信させなかったことが過ちであったことは事実だろうが、当時、アップランドは、自社のキャラクターである「たま」「もち」という知的財産を生かすために、キャラクターそのものは卒業させず、演者交代の道を残したかったのではないか、という予想もできる。

もともとは、自社のデザインした活用できていないキャラクターというIP資産を活用するため、声優さんのように使える人が欲しかったことが動機だろう。

これはアップランドだけでなく、おそらく、この時代のV企業は、どこも旧Unlimitedのゲーム部のようにガワこそが自社の財産であり、声優さんのように演者交代させることを、はじめは想定していたのだろうと予想される。(おそらく、ホロライブ1期生でさえ。)

それは今でもV界隈の知識がない、私の仕事先の地方IT企業が、安上がりな声優さんとしてVを見ていたことからも想像できることである。

その意味で、アイドル部は運営の当初の意図と、実際の活動実態がずれてしまった、スタート直後からボタンの掛け違いが始まった不幸なケースだったのだろう。演者が辞めるという事態に至って破綻が顕在化した。(むしろ破綻に至って過ちに気付いたぐらいだろう。)

旧UnlimitedやActiv8などの他社のケース同様に、Vの主体が誰にあるのか理解せず、曖昧なまま進めてしまったことのツケのようなものであろうか。

一方で、なとりさんたちが卒業配信を行ったことは、八重沢なとりというキャラクターを休止して、演者交代して使い続けることはしない、というアップランドの表明であろう。

もはや、V企業は、ライバーのように演者のパーソナリティが色濃く表出されるタレントの場合、一度使ったキャラクターを別人にして使い回すことは、ファンビジネスとしてはリスクでしかない、ということを理解されているのだと思う。

(もっとも、数年後、すっかり記憶が薄れたころに再起動するのはアリだとは思う。なとりさんたちは、きちんと卒業をしているため、過去に1代目が完結していることは公式の歴史となっている。だから、数年後には、もといたファンも、二代目なとりさんが再起動したとしても、あたかも旧日本海軍の金剛や島風といった名称が現在も海上自衛隊に引き継がれているかの如く、明確に別人として受け入れることができるだろう、と思われる。もし、自社のIP資産を生かしたいのであれば、このような方法はとれる可能性はあると思う。)

箱推しと転生のファン心理について

興味深いところは、エマさんが引き継いだファン数だろう。

もともとは10万人の登録者があった人ではあるが、それは3年以上活動した上での数字である。ここ1年ぐらいでは2万人ぐらいは増やせていたから、おそらく、今後も2万人ぐらいは稼げる人ではあるだろう。(月1600人づつ増やすのは、無理とも楽ともいえないラインのような感じはある。)

箱としての直近のポテンシャルでいえば、ルルンさんらが、どっとライブデビュー月に1.3万人の登録者をもっていることから、どっとライブは現在1.3万人前後の箱推しパワーがあるものと思われる。これが現在のアクティブなファン数だろう、と考えられる。

これに対して、エマさんは初配信で0.6万人の登録者となった。

まったくの新規さん、どっとライブファンでない人もいるとは思われるが、一般的に個人Vがデビューした直後であれば1000人に満たないだろうから、5~6千人くらいは、もとのファン、どっとライブのアクティブファンを引き継いだものだといえるだろう。

現在存在する箱押しどっとライブファンの1.3万人のうち、約半数は、エマさんに好意的だということなのだろう。

のこり半分は、まだ、エマさんの転生に気が付いていないか、もしくは、なとりさん個人ではなく、どっとライブが好きなファンであった可能性はある。

一方的な気持ちの持ち方をしてしまうようなRPをする企業Vの非

また、私のツイッター上でも、たま/栞桜さんの転生後、「もう他のVは好きにならないだろう」という、アイドル部を自分が見る最後のVとした人たちも若干見られていた。

そうゆう人たちも一定数いる。

転生しても昔と同じ気持ちでは応援できない、という人たちである。それだけ一方的な気持ちを入れ込んでいたのかもしれない。

たぶん、それはVの楽しみ方を間違えてしまったから、と言えると思うが、そのような一方的な気持ちの持ち方をしてしまうようなRPをしていた企業Vの非もあるとは思う。

いまでも、どっとライブファンには、電脳少女シロを神格化したように崇め奉っている人たちもいるが、そうゆうファンが、シロが「普通の女の子になります」と人間宣言した時の、神格化していた崇高な思いをどこにもってゆけばいいのか分からない混乱が起きることは懸念されるところである。それよりは、シロもまた、料理が好きで性格にトゲのあるアドリブが苦手な、関東のどこかに住んでいる人間の女の子だとは理解しておいたほうが、おそらくシロにとってもファンにとっても運営にとっても望ましいのだと私は思っている。

転生に好意的ではない層について

また、一般的な女性Vは4~5%ぐらいの低評価率をもらうことも珍しくはないが、今回の初配信では約10%の、やや高めの低評価率であった。初配信の見も知らない人に低評価をつけるわけはないので、どっとライブファンの一部の人間が低評価をつけているのだろう。

低評価を入れた人は実際には複垢もつかって水増ししているだろうが、とりあえず160人ほどの、どっとライブファン産アンチさんがいる感じではある。(2回目以降の配信では25前後なので、まあ、実数は、そのくらいなのだろう。)

栞桜さんの転生にも文句をいう人はいたが、事務所と何のトラブルも明らかにされていない柾花音(猫乃木もち)さんや、円満卒業の今回の栢森エマ(八重沢なとり)さんでさえも文句を言う人たちがいるのは、どっとライブという箱から離脱したことそのものを罪とする、「理由がどうであれ転生そのものを許せない」という層があることを示唆するものだろう。

これが箱推しの負の部分だろう。

箱を推している以上、箱から抜けたものは裏切り者のように感じてしまうのだろう。

これは、鴨見カモミさんが個人Vからブイアパに加入後、再びブイアパから個人Vに離脱した際に、離脱したことに対する反発があることは仕方ない、と嘆いていたことからも、わりと一般的な反応なのだろう。また、ニコニコで活動されていた人がYouTubeでの活動をしはじめると「裏切り者」などと罵倒されることもしばしば見られる。

(現実でもサークルを抜けるとき、あるいは会社を辞めるときでさえ、そのように言われる。)

これらは、自分が所属している(と思っている)コミュニティから離脱する人を、自分から去ってゆく裏切り者のように感じて非難したくなる、帰属意識に飢えている未成熟な少年期には一般的にみられる感情なのだと思う。

高校生前後で少年が徒党を組みたがる気持ちだろう。(サークル活動などに目覚めるのも、このぐらいの年頃だと思う。)

帰属意識に渇望しているから、自分が参加している(と思っている)コミュニティの価値を守ることそのものも強い動機、目的になっていると考えられる。

そうゆう客層、年齢層が多いのがV界隈であり、ある種、仕方ないことなのかもしれない。

おそらく、現実には徒党を組むような人たちは陽キャ、リア充と呼ばれるような人たちで、VTuberにはまっている人たちには、それには当てはまらない人たちも多いだろうが、それ故に、むしろネットでみつけた同士には強いシンパシーを感じているのかもしれない。

リアルでの徒党を組むことのめんどくささなどの経験がなく、実体がないにもかかわらず、ネットで見つけた自分たちファン集団という共同体幻想に対する理想(ユートピア)を見ている側面がある、と考えると、わりとネットでの集団心理について説明・納得できる部分もある。

とはいえ、実際に、エマさんの数字を見る限り、低評価を入れるほどの反発を感じている人は少数派であるし、共同体幻想を抱いている人たちも昔ほど多くはないかもしれない。

kson新モデル(VTuberデビュー)

今月、Ksonさんの新モデルによるVTuberデビューとなった。

VアバターではなくVTuberとしての再デビュー

Ksonさんは、これまで

  • 生主
  • コスプレ
  • 半生
  • Vアバター(代行ちゃん)

という、さまざまな表現技法を駆使されているが、今月、あらたに

  • VTuber(Kson総長)

という、新しい表現技法を手に入れられた。

代行ちゃんにも似た、新しいVアバターであるが、Ksonさんは、これを「VTuber」と呼んでいる。

代行ちゃんはVアバターであり、いわゆるロールプレイをしないアバターで、Kson総長というロールプレイをするのがVTuberということなのだろう。

先に考察したように、より自由に自分を表現するのであれば、ロールプレイでキャラクターをまとった方が本当の自分の気持ちを表現しやすい、という部分があるのかもしれない。

だから、Vアバターの代行ちゃんではなく、ロールプレイをするVTuberでの再デビューを試みたのではないか、と思える。

乾物ひもの先生の高可動モデル

高可動型Live2Dモデルに定評のある「ひもの」先生によるモデリングであり、Perfect Syncによる舌出しトラッキングもできる。

また、桜井はなさんのような海外のLive2D勢で使われているような、配信中に画像アイテムを自分の頭に乗せてLive2Dの動きと連動させるような組み込みが「秒でできる」ような仕組みを入れたということなので、にじ・ホロより表現度が高いモデルになっている。

また、個人Vであることを生かして、自分の絵師さんとモデラーさんとの間の協同作業ができるように、間を取り持ったようである。

ひもの先生のチャンネルで、Ksonさんを招いたモデル技術自慢は、ブレゼント開封会のような面白さがある。ひもの先生の「自慢できることが嬉しい」という気持ちが伝わってくる、なかなか面白いものだった。

また、Ksonさんの過去の経験から、絵師さんとモデラーさんとは直接やりとりすることはないのが普通らしく、今回、Ksonさんが絵師さんとモデラーさんとを直接つないでモデル作成や修正、確認事項を直接やりとりできるようにしてくれたことは、仕事をする側としても、かなりやりやすかったのだろうな、という感じはある。

大手V企業の2D/3Dモデルが、あまりにも遅い理由について

以前から、どうして、にじさんじの衣装は、これほど時間がかかるのだろうか?とか、ぺこらさんの新2Dモデルが、どうして1年以上たっても全然出てこないのだろうか、などと不思議なことは沢山あるのだが、実作業者からの体験を聞くと、なるほど、にじさんじ、ホロライブで、新衣装がなかなかできないこと、より調整が必要となる3Dモデルが、なかなかでてこないことは納得できた。

運営 → 絵師 → 運営 → モデラー → 運営 → 絵師 → …

という、伝言ゲームが発生しているから、1つのことを確認のにも1日以上の時間がかかっているだろうことが想像される。これは、相当な効率の悪さであろう。

これなら、にじさんじで新衣装ができるまで半年かかるとか、新3Dモデルができるまで1年近くかかるというクソ低効率な仕事ぶりも、理解できる。

本来、個人が依頼するならば、せいぜい数か月で終わるような仕事も、もしかすれば、Vの中身を隠すために徹底的に情報を秘匿するために、スタッフが過剰に仕事を背負い込んでいる非効率な面もあるのかもしれない。

たしかに1~2年前はV企業者の関係者の不祥事も相次いでいたから、警戒するのも無理は無い。

これはV企業特有の、めんどくささなのかもしれない。

(アップランドも情報リークを恐れて、アイドル部のメンバーには案件やスケジュールさえも直前まで伏せて、それが様々な不満を高めていたことはピノ様自身が語っていたが、そもそもスタッフ自身が不用心にも、たびたび社内情報をネットにあげていたことも話題になっていたぐらいである。)

Vの本人バレを忌避する程度について

個人Vの場合、わりと本人バレを気にしていない人もいるようで、プライベートがばれるのは困るが、生主のように自分がVを演じていることそのものを、あまり隠していない人は珍しくないようではある。

まあ、都内か、近郊のどこかに住んでいるぐらいの、どこかの人、という認識以上にはならないからだろう。

一方で、今月は選挙期間ということもあり、選挙カーからの音で身元バレすることを警戒する人も非常に多かった。

通った立候補者の名前と時刻から、もしかすれば、かなり近い住所を数百~数キロメートル単位ぐらいで絞り込むことができるからかもしれない。

Ksonさんも、いまの時代、リモートワークでZOOMで打ち合わせしている人もいるのだから、会社の人にも住所を容易に特定されたくないのではないか、と話されていた。

まあ、たしかに、そうかもしれない。

キアラさんの出身地、カリオペさんの住んでいる地域

今月は、マインクラフトで、ぺこらさんのENサーバーでの自宅前の打ち上げ装置をTNTっぽく「赤・白・赤」の建物にしたところ、キアラさんが、私の母国にちなんでくれたの?という反応をされていた。

ということは、オーストリア共和国が出身だったようである。

とくに秘密というわけではなかったのだろうが、ドイツ語を使うからドイツ出身とばかり思いこんでいた。

また、今月は関東地方で震度5の地震があり、スマホの緊急地震警報が配信中になるということが、たくさんのライブ配信に見られた。

たまたま、偶然、おそらく日本海側東北のVさんの配信をみていたので、そのVさんは地震には何の反応もされてなかったが、新潟は、そこそこ揺れていた。

アーカイブをみると、カリオペさんも地震警報が鳴っていて、「関東地方」にお住まいということは分かった。キアラさんが昨年帰国して、カリオペさんと北海道旅行にいっていたことは見ていたが、カリオペさんが日本在住だとは思ってなかったので意外ではあった。

日本の東京近郊に住んでいることは別に秘密でもなかったのだろうけれど、日本語切り抜きだけ見ている程度なので、まったく気がつかなかった。

個人的には、市町村レベルまでとはいわないが、地方レベルでの場所は知られていた方が、いろいろ具体的に風習や文化の違いの話ができて楽できることも多いと思う。

実際、関西出身とか、その程度であれば明らかにしている人も多い。(ご当地V、ローカルVであれば、そもそも地域そのものがウリではある。)

ルルン・ルルリカさんのこと、V交流実績

お誕生日配信

今月は、ルルンさんのお誕生日配信があった。

もしかすれば、3Dモデルとか衣装替えとかもあるのかな、と少し思ったが、まだ早かったようだ。アイドル部の2018年時点の登録者ラインのようなものが今でも有効であるとは思われないが、ほいほい衣装替えできるような状態ではないようではある。

このお誕生日配信で印象的だったことは、たくさんのVからのお祝いメッセージだろう。

これまで、どっとライブのメンバーで、これほどたくさんの人にお祝いされていたライバーはいないのではないかと思う。

それは、ルルンさんがたくさんの外部V、個人Vさんたちと交流を重ねてきた実績によるものであり、かざりのゲストなどではない本物の関係だろう。

また、なかなか凝った「ルルン・ルルリカ爆誕」というロゴも、桜月花音さんのレクチャーを受けながら自分で作ったようであり、外部の大先輩からも親しい関係が続いているようで良いものだった。

ルルンさんは先輩に愛される、淡々とマイペースながらも謙虚に学ぶ視線や、「とりあえず、やってみよう」精神がある。「あー、だめだった。」とか、コラボ相手から教えて貰うと「へー、そうなんだ」と素直に学ぶ姿勢があり、がんばっている感、目を掛けたくなる素直さ、かわいらしさがある。

こうゆう謙虚さと学びへの意欲をもつタイプは個人Vには何人か見受けられるが、大手の箱のVでは珍しいと思う。

なにがキラーコンテンツとなるのかは分からないが、いまのところコラボでの後輩的立ち回りがとてもハマっている感じがある。

どっとライブファンのメンタリティの変化

ルルンさんや、ちえりちゃんたちが外部の人たちとの交流も深めることによって、ずっとアイドル部ファンだった人も、最近は他の個人Vやハコも応援しはじめている人たちも見受けられるようになったと感じる。

どっとライブ以外の推しマークも追加している人がちらほら見受けられる。

だから、昔のように他のハコを敵視するような閉鎖性・排他性は薄まりつつあるのかな、という印象もある。

このことから、おそらく、旧アイドル部の人たちの「自分の中にある、こうあるべき偶像」を過剰に押しつけるような人たちも少なくなっているのではないか、とは予想はできる。

これはアイドル部が解散し、単独でハコとして機能しなくなったこと、および外部コラボが積極的に行われるようになったことで、他者、他グループへの理解、受容がすすんだことによるものだろうか。

ネットを観測していると、対立煽りを楽しんできた野次馬たちにとっては、どっとライブファンが、つまらないものにかわったことに不満があるようだが、もとアイドル部ファンにとっても、その周辺にとっても、もちろん、ライバーさんたちにとっても、これは望ましい変化だと思う。

けもフレVと「みならいディーバ」

ルルンさんが「けものフレンズV」とコラボしているのを知って、はじめて「けもふれV」という3人のアニメキャラクター発のVTuberが活動されていることを知った。

軽く視聴した感じでは、アニメキャラクターのアバターを使った、ふつうのVTuberという感じで、アニメのストーリーとか世界観と合わせたようなロールプレイをしているような印象はうけなかったが、定かではない。

(そもそも、けものフレンズはあまり詳しくない。)

ただ、けもフレVを見て思い出したのは、かつて大昔に「てさぐれ!部活もの」「gdgd妖精s」という、アニメアバターを使った声優さんのフリートーク、座談会のような、にぎやかなコラボの番組があった。gdgd妖精は円盤も買って自宅の本棚に今でもあるはずだが、内容はさっぱり思い出せない。女子の楽しいフリートークを聞いていたような記憶はある。

しかし、あらためて、このあたりを調べると、続編的な番組として「みならいディーバ」という、声優さんにモーショントラッカーをつけてリアルタイムでアバターを動かしてアニメを作るという、内容的にはgdgd妖精と同じような、大喜利や座談会のようなものが放送されていた。

この3Dアバターには、けものフレンズ(1期)で人気を獲得した「ヤオヨロズ」が担当されていた。なるほど~、ここでつながっていたか、という感じである。

2014/6/10の記事をみつけた。

“史上初となる生放送アニメ”をうたうオリジナルWebアニメ。最新のモーションキャプチャー技術を駆使したフルCGキャラクターを用いた作品で、声優はモーションキャプチャーのセンサーを全身に付けて番組を進行させていくという。また、Twitterなどでリアルタイムにアイディアや歌詞を募り、それを参考にしながら番組の最後にエンディング楽曲を披露するといった生配信ならではのファン参加型企画もある。

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・吉田尚記コメント

『アニメを見たい』という気持ちは、『見たことが無いものを見たい』って気持ちだと思います。まだ、誰もやっていない、【アニメの生放送】、CGアドリブアニメの第一人者の石ダテ監督と、毎日生放送やってるパーソナリティと、ぶっとび声優二人で、この世のまだ存在したことのない生放送アニメを、お届けします!

https://akiba-souken.com/article/20466/

全体の雰囲気としては声優ラジオに映像がついた感じでもあります。アニラジや声優イベントが好きな人、『gdgd妖精s』(ぐだぐだフェアリーズ)、『てさぐれ!部活もの』などのノリが好きな人は気に入ると思います。

https://nixeneko.hatenablog.com/entry/2020/12/04/000000

少し前だと800円ぐらいで投げ売りされていたらしいが、いまは値上がりしている。

テレビアニメであり、YouTube Liveのようなチャット欄はないけれど、Twitterのハッシュタグでリアルタイムにコメントを募集していた。

まさに、YouTube Liveでの、Vライバー時代を先取りした怪作といえるだろう。

どうして、今日まで、この作品のことを知らなかったのか不思議だったが、放送局が、NOTTV2という、きわめてマイナーなところだったようだ。

NOTTV2

デジタル放送規格「ISDB-Tmm」方式により、2012年4月1日から2016年6月30日まで放送されていたスマートフォン向け放送である。2012年3月末に停波した地上アナログテレビ放送のVHF-high帯を利用する。

放送開始時にはまだ放送波による放送のメリットがあるかに思われたが、ネット回線が発達しネット動画配信サービスが躍進する時代の中で苦戦。独自機能を詰め込めていたガラケー時代ならともかく、スマホとなると対応機種も限られたうえに、NOTTV対応機種を売っていた国内メーカーも次々スマホ事業から撤退していった 。これは、同じくドコモの動画配信サービスdTVの好調と明暗を分ける形となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/NOTTV

本当にデジタル放送の電波であることは間違いないが、視聴するためには専用の受像機をもつ国産スマホでなければ見られなかったようだ。

それでは私が見られるわけがない。NOTTVは、2016/6末で廃止となったようだ。(地上波デジタルテレビジョン放送としては初の廃止となった)

ちなみに、ネットのテレビといえばAbemaTVなどが有名だとはおもえるが、こちらは双方向性がない番組作りなので、番組としては、既存のマス系メディアをネットで放送しているものとかわらないだろう。

双方向性のあるテレビ番組といえば、2000年代初頭からある、NHKで不定期に放送されていた「着信御礼!ケータイ大喜利」などが思い出される。

これらの双方向性番組は80年代からあり、バラエティ番組にも「視聴者からのビデオレター」のようなコーナーがウケが良いものだったのに、ここ最近になって、双方向番組が、マス系のメディアから消えているのは、その双方向性ではネットに勝てないから、むしろ、一方向性での番組作りに専念しよう、ということなのだろう、と私は考えている。

(テレビでしかできないことを、テレビでやろう、ということなのだろう。)

「みならいディーバ」では、リアルタイムのモーションキャプチャを使った生放送アニメであることを明らかにするために、本編開始秒読み段階でキャスト2人とモニターと囲むスタッフのスタジオ様子を撮影して、それから生アニメ本編が始まる。

また、生アニメを証明するために、放送中に他の地上波を声優さんたちが視聴して(画面は映さず)声優さんがリアクションをとっていたりした。

しかし、そもそも、頻繁にモーションキャプチャーが事故って固まり、本編中にTポーズでキャリブレーションしたり、途中でスタッフが声優さんにトラッカーを調整している様子を映したりとしている。

事故中のアドリブで、「この『てさぐれ感』はみたことある~」と声優さんたちもネタにされていたが、まさに、リアルタイムでのモノづくり感が感じられるものだった。

また、素晴らしいと思ったことは、作り手、裏側の声優さんやスタッフなどの機材も、すべて丸見せして、作り手の姿を明らかにしていることだろう。

作り手の顔が見える、裏側が見える手作り感は、現在のYouTubeに必須なものといえる。

声優さんたちも「世界中、みんなバーチャルディーバになればいい。」と発言されていた。

まさに時代を先取りしていたものだろう。

これが、2014年に、すでに放送され、実現されていたことは、そうとうに素晴らしい。

鳴神裁さんが再度BANになったこと

しばらく気付かなかったのだが、鳴神さんのYouTubeチャンネルが著作権違反の累積カウントにより、チャンネルBAN処分となっていたようだ。

現在、鳴神さんはTwitchとツイキャスに活動の舞台を移動されている。

この件は、個人的には、今月、もっとも興味深い事案だったと思っている。

鳴神さんにとって短期的にいえば、YouTubeチャンネルを失ったことはネガティブなことではあるが、これは試練みたいなものであり、長期的にみれば良い結果になると思える。

端的にいえば、「本気で報道的なスタイル」にならざるを得なくなっただろう、という点である。

鳴神さんは、PV稼ぎのために炎上煽りをするバイラルメディアと自分を一緒にしないで欲しい、とは言われていたが、これまでの配信内容では、安全圏から匂わせ程度の断片的情報だけで手厳しい糾弾をするスタイルであり、無責任な炎上煽りをしているのと実質変わらないものだったといえる。

(バイラルメディアは、他人の噂話の紹介という形式で炎上煽りをして興味を引かせてPVを稼ぐ手法である。自分自身は、ただネットの意見を紹介・要約しただけ、という、発言内容に責任を取らない卑怯さがある。独自のニュースソースをもつ鳴神さんとは違う。)

だが、今回、明確に企業から敵対行動されたことにより、安全圏から野次を飛ばすようなバイラルメディアもどきではなく、本気でリングに上がって戦うことが求められた、といえるだろう。

鳴神さんも受けて立つ気合いが入ったようだし、それは、結果的に、良いことなのではないか?という印象がある。

ツイキャスでの活動は、私が、いままで見ていた中で一番充実している。

  • 凸待ち的インタビューコラボ
  • VTuberの炎上の歴史の振り返り

etc.

最近、VTuberが一般化してきたこともあり、その運営会社や裏側、お金の流れなどにも一般人に関心が持たれはじめていることは間違いない。

アプリスタイルという出版社が、V人気にあやって「VTuberスタイル」という雑誌を刊行したりしており、出版業界でも注目されているようだ。

この時代になって、大衆向けの芸能誌のライターとして採用される可能性もでてきている。

もちろん、飛ばし、ガセで謝罪したり、名誉毀損で訴えられたりすることは出版社も掲載させないだろうから、週刊誌に掲載されるぐらいのネタが書けるように目指せば、必然的にジャーナリズムとしても真っ当なものに近づくだろう。

個人的には、鳴神さんは、その方向性に努力することが良いだろう、と思っている。

まずは週刊誌でも受けるような、当たり障りのない面白無害な業界裏話で読者やリスナーを掴んで、あとは復讐の機会を虎視眈々と狙うと良いだろうと思う。

すでに大きなネタは掴んでいるようであるから、今度はしっかりとやってほしい。

今度こそは、誹謗中傷やデマゴーグであるかのように思われる過激な言葉づかいや煽り文句は控えて、淡々と不正を暴き明らかにされることを期待したい。

BANされたことをバネとして、より大きなステージでの活躍をされることを願う。

鳴神さんのBANは正当なのか?

しかし、一体、なんの動画が著作権違反としてあげられたのだろうか?と不思議に思うところはあった。

驚いたことに、権利侵害を訴えてYouTubeから無警告で動画を削除させたのは、鳴神さんを目の敵にしているAnyColor(にじさんじ)ではなく、それほど対立関係にはなかったように思えていた、Cover(ホロライブ)からの訴えだったらしい。

最近、鳴神さんの動画を見てなかったので、鳴神さんがホロライブの逆鱗に触れるような動画でも出したのか、と思ったが、そのわりには私の耳にも届いていないし、不思議であった。私が認識している最後のものは、まつりさんに「性格の悪さが感じられる」という非難を入れていた動画ぐらいである。

鳴神さんのツイキャスのアーカイブをみたところ、特に、最近になってホロライブを刺激したわけではなく、相当古いアーカイブから、ライバーの立絵を無断利用したことを著作権違反として申し立てられたものらしい。

しかし、このタイミングで動画を消させた理由が結局、よく分からない。

とくに最近になって逆鱗に触れたからBANしてやろう、という「鳴神憎し」という意図があって違反を申し立てられたというよりは、鳴神さん以外にも、ネガティブな立絵を利用している他のチャンネルでも動画削除申請がされていたらしいことから、ネガティブな立絵利用を一掃する定型業務としての権利侵害申し立てだった可能性はある。

鳴神さんも「今のホロライブに、そんなことしている暇あるのか?」と愚痴っていたが、むしろ専属の独立した部署があるという証拠だろう。他の部署が忙しいだろうが、自分たちの仕事を淡々と進めた、ということなのだろう。(また、鳴神さんが推測するように、一部の人間が後先考えずに暴走した感も、たしかにある。)

しかし、一方で興味深いことに、その選択基準は特に法則性、関連性がないらしく、最近での「船長xみこ先輩のオフコラボでのBL本嘲笑事件」など、最近のものには、違反は申し立てられてなかったらしい。このあたりの基準は謎とのことである。

(リスナーからは「運営のやらかし」を消している、という説も出ているが、どうだろうか。)

まあ、弁護士を通じてCoverに対して権利侵害の申し立ての意図を聞いてみれば良いのでは無いか?という感じはある。

たしかに弁護士先生が言うように、YouTubeに異議申し立てをしても、正当な権利者から権利侵害されたと申し立てられたことは事実であるから、YouTubeの判断でBANを覆すことは不可能だろう。

だが、Coverに対して質問をすることは可能だろう。

むしろ、本来、公益性があると信じて告発・糾弾動画を作成していたのであれば、それを削除させた意図について、相手側に質問することは義務といって良い。(自分は真偽不明のゴシップを垂れ流していたのではない、という自負があるのだから、なおさらである。)

どうして立ち絵の利用が権利侵害であるのか?といえば、そもそも日本の著作権では、著作権者が許可していない、いかなる二次利用も著作権違反であり、本来、刑事罰や損害賠償請求される違法行為である。では、どうして二次利用している人が許されているかといえば、日本の著作権法は親告罪なので権利者が告訴するまで刑事事件にならないからである。(当たり前だが、親告罪なのだから訴えらなければ何をしてもいい、などというわけではない。2019年まではレイプも親告罪であった。)

簡単にいえば、二次利用している人は、いつでも権利者の胸三寸で犯罪者にされる。

(念のため言えば、鳴神さんの今回のBANはCoverがYouTubeに権利侵害を申し立てただけであり、刑事告訴したわけではないので、鳴神さんが犯罪者となったわけではない。)

YouTubeの運営元であるGoogleはアメリカの会社であり、アメリカは日本と違う法律で動いている。日本と根本的に違う点はフェアユースという考え方で、常識的な範囲であれば許諾をうけなくても使えるという考え方をもっている。アメリカの法律では、自分が話題にする物語を説明する上で、その登場人物となる立ち絵を使うことはフェアユースの範囲だろう。しかし、日本はフェアユースがなく、法律・契約として明文化されているものが正義である。従って、日本では、そもそも許諾を受けていない、すべての二次利用は、すべてペナルティにできることになる。

たとえば、今月、「日本一ソフトウェア」が配信ガイドラインを改定して、自社と特別な契約を結んでいる企業以外からの、ゲーム機からの直接の共有機能以外での一切の利用を明確に禁止した。つまり、キャプチャーボードなどを介して配信することは著作権違反となる。そのような配信動画をYouTubeにアップしている人は、今回の鳴神さんのように、チャンネルBANされても文句は言えないわけである。

それでは、いまV界隈を盛り上げている「切り抜き師」さんや、ファンアートを書いている絵師さんが、いつで犯罪者にされてしまうわけ?となるだろう。

もちろん、そうならないように、AnyColorもCoverもガイドライン(約款)を公表している。

ガイドラインにそっている限り、許諾を与えますよ、という約款である。

今回のCoverの件でいえば、2021/4に改訂されたガイドラインにあるうちの、鳴神さんは、以下の項目の、どれかに違反したと考えられる。

https://www.hololive.tv/terms

  • 所属タレント、当社または当社コンテンツのイメージを著しく損なうもの
  • 第三者の名誉・品位等を傷つけるもの、第三者の権利を侵害するもの
  • その他当社が不適切と判断するもの

もちろん、ガイドラインに違反していても、温情なり何らかの事情なりで、ほっといて良いと判断されるならば、それを権利侵害として訴えることができるのはCoverだけである。

ガイドラインに違反しているから、取り下げろ、とかは他人がどうこういう話ではない。

(まあ、ガイドラインに違反しているから、とりさげたほうがいいですよ、というアドバイスはしても良いだろうとは思うけれど。)

では、結局、「その他当社が不適切と判断するもの」で、なんでも取り締まれるのではないか?という話になるが、実際は、そうではないだろう。

たとえば、CoverがTVニュースに出たり、国会審議の議題にあがったりして、その説明のためにホロライブの立ち絵を無許可で使ったとしても、その程度では著作権違反には問われないだろう。

公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

著作権法第32条

当然、約款・契約よりも、法律のほうが上位であるから、ニュースや批評、論評などで引用することは合法である。おそらく、今話題にしている内容を表すために立ち絵をそのまま使う分には引用の範囲と考えられる。

もちろん、たとえば、犯罪者風に黒い目線やモザイクを入れるなど茶化したり、お葬式写真風に加工したりすると引用ではなく著作物の改変となるので、著作者人格権の侵害になる。

あるいは、改変していなくても、報道や批評の範囲を逸脱していれば、当然、引用が許可される用途とはいえない。キャラクターを引用しながら、中身は無関係なゴシップばかりだったら、無関係な引用と判断されても仕方ない。

鳴神さんは今回の件は弁護士先生に相談しても、明確に著作権をもっている相手が明確に著作権違反を申し立てているのであれば、覆すのは難しいだろう、という判断をされたようであるので、まあ、実際に弁護士先生からみてアウトなケースだったのであろう。

(あるいは、単に、弁護士先生にとって、面倒くさかったのかな、という感じはある。)

だが、Coverに削除の意図、目的、何が権利侵害だと判断されたのかは、確認されるべきだろう。「その他当社が不適切と判断するもの」といわれたら、何が不適切だったのか問い詰めるべきだろう。それでこそジャーナリズムというものだろう。恣意的なガイドラインの運用をしているかどうかは、Coverの企業としての品位について問うものになるはずだ。

弁護士先生も人であるので割に合わない仕事は手を抜くし、苦手に思えば、そもそも受けたりしなかったりする。別に、それは普通の仕事と同じであり、弁護士だからといって超人的な働きを期待するべきものでもない。

弁護士も人間のすることなので間違いや手違い、苦手意識や及び腰になることは当たり前に起きる。ぶっちゃけ受けたくない仕事というものもあるわけだ。

たとえば、誹謗中傷は対応するのに半年から一年、解決までには2年かかるといわれるが、しかし、AnyColorやCoverが実績報告しているのに、栞桜さんの件で1年以上経過しても進展がなさそうなのは、紹介された弁護士が、実際は言うほど得意とする分野ではなかったが紹介がてら断りづらかったとか、個人からの依頼なので法人優先で後回しにしているとか、ただ単に下手くそだったか、意図せず下手を打ったか、というところだろうか。

二次創作にアップランドのコピーライトをいれているのは正しいのか?

ちなみに、現在、どっとライブ関連のファンアートなどには「©アップランド」の表記をつけることが一般化しているが、ほかの箱のファンアートでは、このようなことはない。このような習慣ができたのは、2020年初頭にアイドル部が炎上していたころ、アップランドを批判する動画が著作権違反で削除されまくっていた時代に遡るだろう。それ以前、炎上前には、とくに、そのような著作権マークを入れることはなかったと記憶する。

「私はアップランドの著作物を尊重しています、消さないで」という意思表示なのだろう。

しかし、言うまでも無く、著作権表示することはパロディを作る免罪符にはならない。

そもそも、著作者が著作物に「これには私に著作権があるぞ」という意思表示としてコピーライトマークをつけるのであって、第三者が勝手につけられるものではない。

当然、コピーライトをつけようが、つけまいが、著作権者が気に入らない二次創作であれば、著作権違反で訴えることが可能である。

しかも、これはアメリカでの慣習であり、日本やアメリカ以外の大多数の国の法律であれば、著作物を公開した時点で自動的に著作権は発生し、著作権登録などの手続きは必要ない。だから、Copyrightを書いても書かなくても著作権は発生し、訴訟を起こせる。

だから、ファンアートに©を書くことに何の意味もないどころか、有害無益といって良い。

(これは商標登録された名前を、名前の後ろにTMとつければ誰でも使えるかのような勘違いと似たようなものだろう。TMとつけようがつけまいが商標登録された名前は勝手に使えない。勝手に使えなくするための商標登録である。)

アイドル部ファンの人たちは、めめめ、ちえり、メリーミルクさんのファンアートにも「アップランド©」というマークをいれているようだが、そもそも、ちえり・めめめ・メリーミルクさんの著作権はアップランドにあるのか?という疑問は以前から感じてはいた。

夜桜たまさんは辞めるにあたり執筆していた麻雀本の著作権はアップランドに譲渡しているようである。(麻雀本の発売についてアップランドから、そのような発表があった。また、ライバー間の私的なプレゼントだった絵本も、アップランドが買い上げたのか、商品として販売していたこともあったように記憶する。)

なので、企業への著作権の譲渡ということは、ありえない話ではない。

だから、もし、どっとライブに所属するにあたり、ちえり、めめめ、メリーミルクさんが、自分のアバターの著作権をアップランドに譲渡していたのであれば、それらに対して「アップランドの著作物です©」と明記するのは、まあ一応、間違いではない。

だが、はたして、そうゆう契約であるかは定かではない。

一般的には、個人勢Vが企業に所属するにあたりアバターの権利を企業に譲渡する、ということは無いのではないか、と思われる。(加入後に作成した衣装などは、自社の知的財産ではあるだろうけれど、キャラクターデザインは個人の権利のままだろう。)

それは例えて言えば、漫画家や小説家がデビューするにあたり作品の著作権を出版社に売り渡すということは、よほど現金に困っているのでなければありえないだろう。

当然、出版社としては売れる見込みのある作品なら著作権ごと買い取りたいだろうが、それでは作者には将来、印税も入らないことになる。

なので、権利関係もわかっていないのに、むやみやたらに勝手に権利表記のコピーライトをつけることは、本来、いらぬ過ちや誤解を生む、有害無益な行為だろう、と私は思っている。

(しかし、契約期間満了したのであれば、元個人勢である人たちがアップランドと契約をつづけるメリットなどないだろう、と私には思える。実際、企業勢に入ってもメリットがなく、その後、個人勢に戻るVさんたちも少なくない。ちえりちゃんも、自分は企業勢であり仕事として配信をしている、と明言しているが、しかし、同時に、生活するに十分な仕事ではない、ということも明かしている。それでも個人勢に戻らない理由は、もし、どっとライブ加入にあたりアバターの著作権やYouTubeチャンネルを企業に譲渡していたのであれば、アップランドとの契約終了は、もこ田めめめ、花京院ちえり/七篠ちえりも終わることになるので、契約終了という選択肢がとれず、まったり配信をつづけるほうがベターという事情がある、という可能性もある。とはいえ、もしそうだったとしても、契約をどう更改するかは本人たちの意思で、他人がどうこういう話でもない。VICからソニーに売られた輝夜ルナさんみたいなものだろう。しかし、もし、そうだとすれば、契約期間満了後も、もと個人勢の二人がアップランドに残っている理由として私も納得できる。)

鳴神さんを縛る呪いが垣間見えたこと

鳴神さんは幼少のころは両親がカルトにハマっていて理不尽な躾を受けていた。その後、カルトから脱した両親からは、あのころはどうかしていたと謝罪をうけていて、その頃の出来事は過去のものになりつつあるとは思われるが、その過去エピソードを聞いて、鳴神さんのストイックな潔癖さは、おそらくキリスト教系カルトから来ているものかもしれないなぁー、という素朴な感想をもてた。そう考えると納得できるものがある。カルト的な白黒論に囚われやすい、精錬潔癖さを過剰に求める、少し歪んだ正義感かもしれない。

鳴神さんは自分をPV稼ぎのためだけに自作自演のコメントまで作って煽り散らかすバイラルメディアとは一緒にしないで欲しい、と言われているにもかかわらず、実際はバイラルメディアと同類と見做される扇動的な言動がたしかに見られるのは、そのあたりで些細な欠点を過剰にあげつらうために、扇動的な言動になりやすいのかもしれない。

私にも他の人には理解しがたいだろうなと思う逆鱗ポイントがあることは自覚している。鳴神さんもまた、自分の正義の怒りが自分固有のプライベートな逆鱗ポイントなのか、それとも他の人にとっても妥当なものなのかは、注意したほうが良いだろう、と思う。

それが、これまでの鳴神さんのジャーナリストとしてのウィークポイントだったのだろう。

また、鳴神さん自身が古い価値観、家族観のようなものに縛られているだろうな、という感じを受けたのは、にじさんじを卒業した鈴原るるさん、御伽原江良さんが、新たに生主として活動して、にじさんじ時代のファンを引き継いだことについて、ぼそっ、と独り言のように、苦言ややっかみのような発言をされていたことだろう。(だから本心だと思える。)

もちろん、二人はにじさんじのロールプレイを尊重して自分が、鈴原さん、御伽原さんの中身であることを公表して活動しているわけではないから、この苦言は言いがかりである。

そもそも、にじさんじは中の人を隠しているから、だれが魂だったのかは公式には公表されていない。AnyColorに「この人は鈴原るるさんですか?」と問い合わせても答えることもないだろう。事務所も本人も、文句を言われる筋合いは何もない。

むしろ、中の人にとっても、本来、にじさんじに所属していたことは、実績として誇りたい部分もあるだろうが、それを公言することができないことが、今のV界隈の問題でもある。

だが、鳴神さんが、こうしたモヤモヤした気持ちを抱いてしまうのは、「お礼奉公」のようなもの、「育てた親への恩義を尽くせ」という儒教的キリスト教観のようなものに近いのではないか、と感ずる。

(もしくは、鳴神さん自身、Vファンであり、「卒業は許す。だが転生はゆるさない」という、生主であるにしろVからの転生に抵抗感がある、という部分もあるのかもしれない。)

確かに鈴原さんや御伽原さんは、にじさんじに所属したからこそ、大きくなれたのは事実だろう。だが、にじさんじに所属しても鳴かず飛ばずの人もいるし、にじさんじから離れたからこそ、大きくなれた人もいる。にじさんじが育ての親であることは事実だが、良い親であったかは当人にしかわからないし、大きくなったのは本人の才能、努力なくしてはありえない。

もちろん、事務所とタレントの関係性は、もちつもたれつである。当然、逆のこともいえる。月ノ美兎委員長がいなかったら、にじさんじはどうなっていただろう?いちから/AnyColorという会社は、間違いなく、1期生によって救われ大きくなった会社である。

委員長や、ひまちゃん世代が抜けたときにも、AnyColorに恩を尽くせ、もしくは、AnyColorは恩義をつくせ、などとはいえないだろう。双方とも、すでに十分尽くしているはずだからだ。

もちろん、ビジネスは恩義などではないし、タレント事務所は家族などではない。双方とも所属する見返りとして、きちんと対価は払っているのだ。

私が思うことがあるとすれば、むしろ逆のケースだろう。事務所に専属契約させたにも関わらず、まともな支援もされず、本人のためになる仕事もまわせず、ただ搾取されただけの全然伸びなかった人たちは、むしろ事務所が賠償すべき失態、あるいは、そもそも、その能力がないのに専属契約を結ばせたのであれば、マネージメント契約の締結上の過失なのではないか、という疑念だろう。そこまで責任を負う覚悟をもってタレントマネージメント契約を結んでいる事務所が、どれほどあるのかは極めて怪しい。(「マネージメント」という意味を「自分が好きなように扱える」という意味で捉えているような、有象無象の地下アイドル事務所みたいなところが多いのが実態だろう。)

(たしかに、昭和初期までは、芸能の世界とは地方の子供を丁稚奉公や身売りのような形でもらってきていた世界だから、日本の今の芸能界にも、そうゆう風習が残っている部分はある。しかし、V企業には全く当てはまらないだろう。)

合意であるか契約違反であるかはともかく、法的に契約を解除しているのだから、双方を縛る関係は切れているのだ。

もっとドロドロした人間関係、家族関係であったとしても、離婚したあとで家族問題をグチグチ言われる筋合いもないし、だれと再婚するかは自由だ。

ヤクザやファミリービジネスじゃあるまいし、企業やビジネスという関係に、仁義だの恩義だの忠誠といった私的感情を持ち込むのは、まさに人を束縛したがるカルト的発想だといえるだろう。

そうゆう気持ちになるところに、もしかすれば、鳴神さんを未だに縛っている幼少期の呪いのようなものがあるのかもしれない。

(全く何も無いのかもしれないが。)

Temakoさんと四方神姫のこと

鳴神さんの1on1トークライブのインタビューに登壇された、個人Vで四方神姫に一瞬だけ選ばれていたTemakoさんの話が、なかなかV界隈を象徴する出来事として興味深く、示唆に富むものであった。

鳴神さんは、こうゆう有益な配信もできる実例だろう。

この配信で示唆に富むと思う点は

  • ライバーの転生の気軽さ(無責任さ)
  • Vの権利を運営が自由に取り上げる気軽さ(無責任さ)
  • 無責任な思惑でVが生まれて終わるまでの縮図

といったことを、かなりリアルにさらけ出してくれたことだろう。

経緯としては、Temakoさんは、あこがれの漫画家のガワがもらえるという「四方神姫」のオーディションに応募して、応募締め切り前に合格通知をいただいたとのことである。しかし、それから数日もしないうちに、「やっぱりなかったことにして」と言われて、合格がキャンセルされた。それに対して、Temakoさんは悲しんで、ぬかよろこびさせられた悔しさを鳴神さんにぶつけた、というものである。

合格取り消しは妥当だったのか?

当然だが、合格ラインは採点者が決めるものではある。

しかし、一般的にいって、たとえば大学などの入試などで合格通知を出したあと、採点ミスがみつかって実は不合格だったとわかっても、合格通知は取り消せられない。逆のケース、採点ミスにより不合格だった人は合格にしなければならない。これは採点者の過失によって、応募者に著しい損害を与えるからである。(まさに阪大のケースが最近の実例であろう。)

過失があるのは応募者でない。責めを負うべきは採点者であることは言うまでも無い。

では、Temakoさんのケースは、どうであろうか?

Temakoさんはオーディションに応募するために、自分の一番のウリである「耐久(連続)配信で1万人」の長時間配信のアーカイブを提出していた。長時間すぎて、運営側は全部見てなかったのであろう。

合格通知をだしてから、アーカイブの中で「Temakoさんを話題にする匿名掲示板オンJを写している部分」があり、それを問題として合格を取り消す通告がなされた。

私も、Temakoさんの対話を聞くまでオンJを知らなかったのだが、「オンJ」はオープン2chとして発祥し、投稿はすべて著作権放棄されたものとなるので転載自由となるが、2chと異なり、小規模コミュニティのスレがアンチの荒らしなどで潰されにくくなるような通報機能や無視機能などの荒し対策が進んでおり2chとは違う進化をつづけている匿名掲示板のようである。

したがって、配信内でオンJを写すことは著作権的には全く問題ない。

しかし、「四方神姫」の採用担当者にいわせると、匿名掲示板は炎上指数が高いので、このようなものに触れる人はライバーとして採用したくないので、なかったことにしてくれ、という話をされてきたそうである。

しかし、匿名掲示板に触れたことが内定取り消し理由となるのであれば、ツイッターを見ていただけで内定取り消しされるようなものであり著しい懲戒権の濫用とされるであろう。

一般企業でもSNSの書き込みをみて内定取り消しされることがある、と例をあげられていたようだが、それはSNSの書き込み内容が反社会的だったりするからであり、見ていたことを理由にする事例は流石に無い。そんなことが許されるはずがない。

また、それは内定取り消しのレベルであり、経歴詐称や隠していた前科が発覚するなどの重大のものでないかぎり、採用後に採用取り消しなどできるものではない。労働者であれば「雇用関係存在確認請求」の民事裁判も可能であろう事案だと思われる。

相手側の言い分としては「無償の同人活動なのだから責任をいわれてもねぇ?」みたいなことも言われたようであるが、無償であるかどうかは契約の有効性に(ほとんど)影響を与えない。無償なのだから相手の期待、約束を裏切っても良い、という根拠にはならない。それは勝手な言い分でしかない。

が、結局、内定取り消し/契約解除によって、相手側にどのような損害を与えたのか、という点でいえば、損害は発生していない。気持ちを挫いたことは確かだろうが、実害は与えているとはいえない。なので、謝罪以上のことは要求できないだろう、とは思う。

(弁護士先生も被害額が0円なので、争う価値なし、と判断するか、もしくは、約束が守られていれば手にできていただろう、さまざまな逸失利益を損害賠償として争ってくれるかどうか。どちらにしても低額で割に合わない感じはする。)

Temakoさんのメンタリティについて思うこと

Temakoさんは鳴神さんの対談に応じてまで、自分の鬱憤を晴らしたいという気持ちにかられていたことから、相当に怒りや悲しみというものを抱えていたことは思われる。

鳴神さんとの対談でも、かなりテンパっていて、あたかも方々に喧嘩を売るスタイル、鳴神さんを無自覚に地雷を踏んで煽りまくって、騒がしくも終わった。

テンパると失言するタイプは、普段は本当の自分を出せずに大人しくして、心に鬱憤をかかえているタイプなのだろう、と予想する。

このことは、鳴神さんも分かっていたのだろう。対談後の感想では、Temakoさんの少し間が開いたときに素に戻って気落ちしている感じには、どうしたものかと戸惑っておられたようではある。

私が思うことは、自尊心の低い女の子が活躍の場をもとめてアイドルになったり、Vになったりする、ということが実際に多いことを考えれば、憧れのプロ漫画家の関わるVに転生できるというオーディションに合格したことによる、もともと低かった自己肯定感が他人からのお墨付きをもらって、のぼせ上がったところで、それが、やっぱ勘違いでした、と、喉から手が出るほど欲しかった承認欲を取り上げられてしまったこと。人の心の期待をもてあそぶかのように上げて下げるような傷つけられ方をしたことが、納得できずに悔しく恨みがましく思っているところなのだろう、と思われる。

まがりにも陰キャ率の多いオタク界隈を飯の種にしており、そうゆう子たちが応募してくるであろうことを想像できていなかったのであれば、そのような気持ちになるであろうことに思いが及ばなかったとすれば、人の心を観測し再現するクリエーターとしては足りてないなぁ、という感じはある。

漫画家、クリエーターさん自身が、まだ若いということなのかもしれない。

(もっとも、漫画家さん自身は、今回の採用の件に何も関わっていないようではあるが、まがりなりにも自分のデザインしたキャラを使うVに、本当に今後も口出ししてこない関係であるかは分からない。)

Vが気軽に転生を選ぶことに思う

私は、AnyColorもCoverもAppLandも、どこの事務所であれ、全てのライバーに良い企業というものは存在しないと思っている。そもそもV界隈に限らず、だれにとっても快適な企業などというものは存在しない。物事には常に光と影がある。

ある人にとっては快適、もしくは我慢できる範囲でも、そうでない人もいる。電通のような華々しい、あるいはトヨタのように誰もが羨む高収入の一流企業でも、一方で自殺に追い込まれてしまう人もいる。それは一般人でもブラック企業で辞めるに辞められない苦しさを知っていれば理解できるものだろう。「せっかく入れた一流企業なのに勿体ない」などという無責任な感想は社会の実態を知らないからだ。

だから、自ら望んで所属したはずの企業なり団体なりを、自らの事情で辞めることが咎められるべき罪だとは思わない

あるいは、所属団体に問題なくても個人の方向性が違うこともあるだろう。人生は有限だから、自分のキャリアややり方に合わないのであれば移籍する自由は誰にとってもある。それはプロスポーツ選手がチームを移籍する自由があることと同じだ。

だが、Temakoさんは、そうではない。

ただ自分が、より有利なVになりたいために、いまのVを捨てたいということだ。

この気軽な転生という選択に、もやもやしたものを感じた。

私の中にも、「一度作ったキャラを捨てるには、相応の理由が必要だ」という感覚があったと気付いた。

それは「四方神姫という約束された素晴らしいデザインがもらえる、という利己的な理由」では「現在の自分のやり方に好意をもってくれた人を裏切る」という不義理に思える。

転生組を批判的にみる人の気持ちが自分の実感として理解できた。

「卒業するのはいい」「だが転生は許さん」「涙を返せ」と、どっとライブファンがプンスコしている気持ちが分かった。

もし、アップランドが無条件に尊敬できる素晴らしい企業だと思っているのであれば、それを捨てて別で活動することは許せない不義理に見えてしまうのだろう。(私が、そうは思わないのは、アップランドを信用できない会社だと思っているからだ。)

また、Vはロールプレイがあるため、別のロールプレイをするためにキャラクターを変える必要があり、そのつじつま合わせのために「Vの卒業=今生の別れ=死」という終末とならざるをえない根源的な問題がある。

とくに企業勢のプロモーションキャラを演じていたのであれば「移籍します」「独立します」とは言い様がない。ロールプレイ的に公言できるはずがないし、まだ企業に属している中で、そんなことは言えるはずがない。建前でも、いったん現在の活動を終了するセレモニーが必要になる。

それが卒業配信である。

そのあとで転生することで、これを形ばかりの義理だったと非難がましく言う人もいるだろうが、だったら、他にどのような方法がとれるというのだろうか?

これは生身のタレントや声優さんにはない、Vタレント特有のめんどくささである。リスナーにもタレント側にも、うまく納得させられる様式というものが未だ確立できていない。

アニメのように作り物であることが明確であれば声優さんの交代というものも受け入れやすいだろう。あるいは、ロールプレイをしないアバター勢だったり、中身が透けて見えるくらいリアルとリンクしているロールプレイだったりすれば、そうゆう気持ちも多少は抑えられていたかもしれない。

(しかし、アニメ声優だったとしても、声優の交代・卒業もしくはキャラクター終了するにファンが納得できる事情があるのかどうか、結局、なぜ今のキャラクターを捨てるのか、という不満は残るだろう。)

また、仮に、Temakoさんさんが四方神姫のVを演じたいとしても、Temakoさんの個人活動も残す形の2つの並行活動であれば、私としては問題視しなかっただろう。どちらのキャラクターも大切にしているとわかるからだ。(そうゆうVさんもいる。)

これは作家さんがジャンルによってペンネームを使い分けるようなものだ。一人の作家さんは、あらゆる分野を執筆できる可能性がある。だが、ファンは、その作家のある特定の分野の作品だけを好む可能性もある。それを合理的に分ける方法としてペンネームを使い分けるのは正しいアイディアだろう。

V界隈の事務所/企業では並行を認めない専属契約を求めるところもあり、アップランドもそうだろう。その場合、並行活動はできず、別の活動をするならば辞めるしかない。

(にじさんじは以前見た応募要項によれば、専属、非専属、いずれの形態もあるようだ。ホロライブは不明だが実態として並行している人が多いので非専属が主流なのだろう。)

四方神姫もそうだったのかもしれない。四方神姫のタレントとして活動するには専属として今のVの活動は終了しなければならなかったのかもしれない。

だとしてもTemakoさんがキャラクターを捨てようとしていたことが、それが極めて自己中心的に思えてしまう。

それも、連続配信で、情に訴えたのか、どう歓心を引いたのかは知らないが、それでも登録者を1万人も獲得したのに、そのキャラクターをあっさりと捨てる軽薄さを感ずる。

Vの中身を詮索されることの本当の意味

Vの魂本人にとっては、自分がどのようなアバターを被り、どのようなロールプレイをするか、どこに所属するかは、好きに自分が選択できると思っているのだろうが、ファンの気持ちは、それほどドライにはなれない、そこには演者とファンの気持ちのズレがある。なぜならば、ファンからは魂の人が明確には見えていないからだ。そこは注意したほうが良いかもしれない。

しかし、魂の人が見える、リアルも見せる人であれば、この問題は低減される可能性はある。

それは、魂の人を応援していれば、ガワや所属事務所が変わろうとも、応援する対象が変わらないからだ。

Vの魂を詮索されることはVからすれば迷惑な事かもしれない。

しかし、なぜ魂を詮索するかといえば、「魂という実体」を確認して安定した関係をつくりたい、という健全な心理によるところだと思っている。

決して容姿や年齢を確認したいわけではないし、細々としたプロフィールを知りたいわけではない。

ただ、その人の生きた軌跡がわかるような「実体がある」ことを確かめたいのだろう。

だから、リアルがある証拠を少しでも見せて、応援している対象物に実体があることを見せて安心させてあげることが大切なのだろう、と思う。

四方神姫の運営について思うこと

私が、これまで知ったことからいえることは「四方神姫」の運営は、悪い人ではないし、悪い運営ではない。

まず、四方神姫の条件は破格に良いものだ。

  • プロ漫画家のデザインしたアバターがもらえる
  • スパチャや広告収入などチャンネル収入も全額もらえる
  • 漫画とタイアップしているから広告効果が期待できる

ほかにライバーが何を負担しなければならないのかは明らかにされていないが、これだけ聞けば、相当に好条件である。

(ちなみに、基本給がないことに驚いている人も見られたが、これを聞いて思うことは、サラリーマン以外の働き方を知らないのだろうな、ということと、YouTubeチャンネルの収益は誰が出しているか考えたこともないのだろうな、という点で、仕事についての経験のない、本当にキッズ層が多いのだな、という実感はあった。月20万円以上の手取りがもらえるチャンネルを運営するには、広告再生数やスパチャが、どのくらい必要なのか、ざっくりでも逆算したら良い。チャンネル登録があるだけで、お金が毎月Googleから支払われると思っている人もいるようだが、そんなうまい話があるわけない。そのお金はどこからくるというのだ?そのうえで、企業勢はライバー本人だけなく従業員の給与も払わなければならないのだから、ほとんどの企業勢Vは時間給に換算してアルバイト以下の手取りしかない。企業勢はプロモーション案件をもらって、ようやく採算がとれる程度だろう。)

また、プロとして活躍されている漫画家さんによるデザインがもらえるのは、ものすごいプレミアムだといって良いだろう。(ノラ絵師さんでも自分にぴったりの人はいるはずだが、ミーハーな有名になりたいだけの人なら、名の知れた絵師に飛びつきたくなるのは分かる。)

しかし、運営実態としては、責任の所在が曖昧で、自分の都合のよいような恣意的なルールの運用がされていることはうかがえるから、所属メンバーは、それに振り回されるであろうことは想像に難くない。

企業ではなく、同人活動的なものだとはいえ、サークル運営、グループ運営も、かなり運営者個人の都合に左右される、ずさんなものになるだろうことが予想される。

もともと、権利主体がどこにあるのか整理された上での立ち上げではないことは明らかだ。

おそらく、プロ漫画家がVのガワを作って魂を募集すれば簡単にVを立ち上げられて漫画のプロモーションにもなるし、Vさんにも損はない話ではー?くらいの浅慮な企画だったのだろう、と想像できる。

たとえば、キャラクターに対するロールプレイや表現の範囲での絵師さん、運営との食い違いがあった場合に、どうするのかは怪しい。連載終了時のことや、あるいは物語の都合上、死んでしまうことになってしまうキャラクターなどがいたら、どうするのか?

一度与えたVの権利を一方的に取り上げるぐらいだから、Vとしての権利の主体がどこにあるのか明確にしておらず、むしろ自分たち運営がVの生殺与奪の権利をもっているぐらいに思っている危険性もある。

そのような態度であればファンにもライバーにも望ましい未来はないだろうとは思える。

このような態度が改められないかぎり、そんな運営のもとに参加した人たちは不幸になるだろうから、自分の時間と労力を、このVにかける以前に参加を断念することになったTemakoさんは、実は、むしろ幸運だったのだろうと思う。

Temakoさんも、鳴神さんとのインタビューに申し出た理由は、運営への反省を促すためでもあった。その気持ちは正当なものと私は思う。

戸定梨香さんとフェミ議連まわりについて再び思うこと

フェミ議連は、いまだに公開質問状に対する返答していない。

議員団体が公人である議員という肩書をもって行った抗議に対する、6万人の署名のある公開質問状に対して、議員として返答せず、一切説明もせず無視をつづける無責任さ、一方的に「性犯罪を誘発する」などと他人を貶める暴言を吐くだけ吐いて対話する気はないのであれば、公人として明らかにふさわしくない、不誠実な態度であることに疑いはない。

このような品性のない人たちが議員という肩書を振り回し、公然と一私人、民間の活動に妨害圧力をかけ、実際に損害を出し、その責任を逃れようとしていることは腹立たしくはある。

V界隈のためとかよりも、そのような正義のお題目で偽装した不当圧力をまき散らす団体には、きちんとした方法で問題と向き合うように、おのぎ議員さんたちには、ひきつづき頑張ってほしいところである。

神戸市の自民党市議の「岡田ゆうじ」さんが、フェミ議連の抗議について、かなり的確にバッサリと論じてくれているので、まあ、すでに多くの人たちが適切な議論をされているのだろうとは思う。

今回の全国フェミニスト議連の抗議文は、「女児を性的対象物として」などという根拠不詳の理由から公共機関へ圧力を加え、複数のクリエーターの手によって生み出された芸術作品でもある「戸定梨香」を社会から抹殺するものです。

しかし、「性犯罪誘発を招く」などの同議連の主張は、何ら確たる根拠が存在せず、同議連の関係者のブログには「へそ出し女児キャラと『小児性愛』という病を考える」などという偏見に満ちた記事まであり、今回の弾圧が偏見と差別意識、そして非科学的な思い込みからなされたものであるということがはっきりと分かります。

こうした表現の弾圧は、日本全国のアーティストやパフォーマーの自由な表現・創作活動を萎縮させ、結果的にわが国に常態的な検閲を蔓延させることにつながります。

https://twitter.com/okada_tarumi/status/1453601739865669636

この件に限らずとも、現実に「公共の場にあるのに男子がスーツ・ネクタイを着用しないのは失礼だ。ポスターの撤回と謝罪を要求する」というのであれば、あまりにも堅物だが、ご年配の方の中には、そうゆう人もいるだろう、とは思う。

男性的であるべきと考える人も一定数いるだろう警察や自衛隊のような国家権力が、かわいい女子のイラストや萌絵を使うことにも反感を抱く層もあるだろう。

これはオタクが抱くアイドルに対する「○○ちゃんは○○なんてしない」「○○ちゃんには似合わない」というような気持ちと同じものであり、警察や自衛隊は、かくあるべし、という、その人の期待が反映されているのだろう。

だから、「萌え絵」と呼ばれる、日本漫画表現特有の「幼さとエロさの共存(≠女児のエロ)」のようなKawaii系の表現手法が、公共の場にふさわしいかどうかという議論はあって良いと思う。

(というよりも、おそらく、EDMに慣れていない人は、どの曲を聞いてもズンドコ・ズンドコ同じリズムにしか聞こえないように、二次元表現に疎い人には、萌え絵とロリ絵が違うものだという認識ができていない可能性もある。)

しかし、アニメ的表現は、すべてエロ表現であり、すべて悪であるかのごとく、議論をすっとばして、いきなり削除と謝罪を要求したのは、さすがに問題だろう。

そのうえで、議論を求められても対応する気も見せないのならば、いいがかりをつけて店を困らせているクレーマー根性と何が違うというのだろうか?

女性の権利を守る、という正義のお題目を唱えれば、手段がどうあっても、なんでも正義にできるとでも思っているのだろうか?

また、こうしたフェミ議連を擁護している人たちは、フェミ議連の発言の中身まで確認したうえで、本当に賛同しているのだろうか?

本当に、中身が支離滅裂でも、お題目さえ正義をかたっていれば賛同するような人たちなのだろうか?

ただ、フェミ議連の実態を知らないだけなのではないか、という感じもある。

(もしくは、フェミ議連を攻撃するような乱暴な人が嫌いだから、フェミ議連を応援する、という気持ちが大きいのかもしれない。)

ジェンダーバイアスの方向性について

また、フェミ議連ではヘソ出しだけでなく、胸の揺れも問題視されており、「学童に対して胸を強調するお姉さんをPRに起用することは誤ったジェンダーバイアスを与えることになる」ということを懸念されていたが、現実に乳が大きければ揺れるだろうから、胸の大きな女性は胸が揺れないようにサラシできつく巻いて揺れないようにするべきだ、という意見、あるいは小さい胸なら問題なかった、公共のポスターは胸の小さな人物にするべし、というならば、すなわち、それは胸の大きな女性は社会的に好ましくない、という女性観、誤ったジェンダーバイアスを植え付けることにならないだろうか?

服装もそうだが、体型について、どうこう指摘するのは、そもそも間違えている。

(同じような状況なのに、名取さなさんの赤十字の献血ポスターに文句をつけなかったのは、胸が慎ましくて肌の露出も少なかったからなのだろう。)

デフォルメ表現が許せない可能性

私は、フェミ議連が、おそらくアニメ画を嫌っているだろう、もし、同じようなコスプレの女性であれば問題にしなかったのではないか、という想像をしている。

これまでのフェミ側の攻撃の矛先がイラストばかりであることから、先に述べたように、このような二次元絵、萌え絵に対する特別な嫌悪感を抱く人たちがいることは確かだと思われる。

その理由は、日本の漫画的表現というものは、あらゆるものを誇張しているからだろう。

目、口、手足もそうだし、乳房や性器も、あらゆる部位が誇張されて表現される。

萌え絵というものも、Kawaiiを追求した、Kawaiiと思える要素を煮詰めたデフォルメ表現のようなものだろう。

その過剰な「圧縮表現」が苦手な人もいるだろう。

どうして、人によって漫画を過剰に嫌う人がいるのだろうか、と思うところは、私にも心当たりはある。

私にも、個人的には、過去に漫画的表現だとしても許せない作品があった。

あえて題名を出すのも汚らわしいが、町の鉄工所を舞台とした漫画の中で、鉄のつり上げの労災事故で、数トンの鉄に潰された人の幽霊がでる話を、まるで人ごとのように茶化して描いていたり、その他にも、いくつか、シャレにならない労災事故の起きた現場を漫画として笑いものにしている不謹慎さには耐えがたい怒りを覚えたものがある。漫画だからといって何でも笑いものにしていい、面白おかしく漫画のネタにしていい、というものじゃない。

しかし、私の友人は面白く読んでいたようだから、一般人には、怒りを覚えるようなことではないのだろう。Amazonの書評コメントにも、鉄工所勤務だった人でも楽しめているようだったから、労災の現場を知らないから、という理由ではなさそうだ。しかし、私からすれば、笑い事ではないのだ。(子供の頃、何度か家に来ていた、ひげのおじちゃんがローラーに巻き込まれて亡くなった、などの話が影響しているのかもしれない?)

私としては、その不謹慎な作者が呪い殺されて欲しいくらい怒りを覚えたものである。

だから、漫画的表現に怒りを覚えることがある、そうゆう気持ちは分かる。

私にとっての、この不謹慎さに対する怒りは正義だとは思うが、なぜ、これほどまでに強く怒りを感ずるのかは、たぶん、プライベートな理由なのだろう。

たぶん、人によってトラウマ的な何か、逆鱗ポイントがあるのかもしれない。

私は、この怒りはプライベートな理由だと自覚しているので、書評に★1をつけたりしないし、漫画本も怒りにまかせて焚書したりせず、欲しいという友人に譲ったし、作者や出版社にクレームを入れようなどとは思わなかった。本当に私の個人的な感想だからだ。

もし、作者が不幸な死に方をされたとしても惜しむ、悼む気持ちは全然湧かないだろうが、憎んでいるわけではない。今は、もし次に私の目に触れる作品があれば、私にも楽しめる作品を描いてほしいと願うぐらいだろうか。

米山隆一さんのことと、表現の自由問題

米山隆一さんは、先月も、フェミ議連を擁護する発言をされていたが、今月も、ひきつづき擁護されているようである。擁護している理由も、フェミ議連が「性犯罪を誘発する」と根拠を示さずに、いきなり削除と謝罪を求めたということは問題とはせず、ただ「公共の場にはふさわしくないのだから、削除を要求するのは当然だ」という立場をとっているようである。

先月は「玄関にフィギュアをかざるアニメファンの弟」の例えを出していたが、今月には、「渋谷のハチ公とダビデ像」をたとえ話に持ち出して、戸定梨香さんは公共の場にふさわしくない、という意見を押し通されていた。

米山隆一さんに言わせると、渋谷のハチ公のかわりにダビデ像を飾るのはおかしいでしょ、という言い分のようであるが、つまり、それは「公共の場にダビデ像がふさわしくない」といっている、ということだろうか?

これは論点ずらしの屁理屈である。

もちろん、ダビデ像とハチ公なら、渋谷にふさわしいのはハチ公である。それは、ハチ公は渋谷駅にゆかりがあるからである。

では、米山隆一さんの選挙区である新潟の長岡駅でハチ公とダビデ像のどちらがふさわしいか、といわれれば、ダビデ像のほうがふさわしい。ハチ公は長岡とは何の関係もないからだ。

もし、米山さんが長岡駅もダビデ像よりハチ公がふさわしいと主張するなら、芸術に理解がない人を通り越して、美術・芸術が嫌いな人なのだろう。

そもそも、駅前に、どんな彫像を置くかは民間の自由であって、それを、あたかも望ましくないものだと政治家が考える表現物は阻止して良いかのような誤解を招きそうな発言は、これから立法府に立候補しようとしている人間が、うかつに発言して良いものではないだろう。

戸定梨香さんは千葉県松戸市の地元密着型のご当地Vであるから、むしろ、千葉県警のPRに採用されるのは、ご当地性からいってハチ公と同等以上に蓋然性がある。

いったい、米山隆一は、戸定梨香さんの何を知って、公共にふさわしくないなどといっているのだろうか?

実際のところ、戸定梨香さんのことはもとより、VTuberのことも、アニメ画についても、何の前提知識もない人だったのだろう、と思う。

私は、この事件が起きる(少し)前から、もと新潟県知事である米山さんをフォローしており、だから、戸定梨香さんへのフェミ議連の攻撃を擁護する発言がタイムラインにまわってきた感じではあるが、これまでのツイートを私が見ていた限りでは、特段に、女性の権利も、表現の自由についても(当然、マンガアニメについても)話題することのないニュートラルな立場だったように記憶する。おそらく、最近まで、米山隆一さんは、Vがなんであるかも分からず、フェミニズムについても、とくに関心事とはいえなかったようにうかがえる。

では、なぜ論ずる素養がないのに、わざわざ首を突っ込んできたのか?

私が思うに、ただ単に「フェミ議連に媚びを売りたかったから」ということなのではないか?と思う。そう考えると、いろいろ腑に落ちる。

米山さんといえば、それほど昔ではない2018年に女子大生二人と金銭授受を伴う男女関係である、いわゆる援助交際を文春にスクープされて、新潟県知事を辞めている。売春防止法に抵触しているかはグレーであり警察のご厄介になったわけでもなく、何も犯罪とはされていない。しかし、フェミニストからすれば、いわば女性を商品のごとく金品で買った政治家と見られることだろう。攻撃の材料としては十分であり、米山さんからすればフェミとは敵対したくないだろうことは予想できる。どこかでフェミ寄りに転向したことを明らかにしておかなければ将来の禍根となるだろうから「ちょうどいいフェミ擁護の機会だ」くらいに思って首を突っ込んだように思われる。

だから、先月、フェミ議連のご当地女性Vへの「性犯罪を誘発する」「削除し謝罪を求める」という一方的にVを辱める言い分も、よく考えずに擁護したのだろう。(そして引くに引けない。)

実際、ツイッター上ではフェミ議連に賛同する女性も少なくなく、加えて、とくに田舎を狙うのであれば、田舎ほどゲーム漫画アニメに熱中するのは高校生までにしておけ、という考え方は根強いのは実際にあるだろうとも思えるから、保守的な考え方に媚びを売るのは政治家の得票狙いとしては合理的だとは思う。

このような日和見的な態度であることは、所属政党が、自由民主党→日本維新の会→維新の党→民進党→無所属、というようにコロコロ変わっていることからも覗える。

政治家として票を得るために日和見的・場当たり的、強引ともとれる戦略をとることもアリとは思うし、それだけ政治家として当選することに本気であることの現れとは思う。

が、一方で、私個人としては、政治家には、昔ながらの一本気のある筋の通った信念を見せて欲しいという感もある。

米山さんは最近どんなことをしているのか、と思っていたら、タイムリーにもコンビニの書籍棚で見つけた「財界にいがた」に「米山隆一前知事の品位」という見出しがあって、興味を惹かれて購入してみた。そこには、米山さんらが許可を得ていない電柱に宣伝ポスターを貼ってまわって電力会社から撤去するように要請されたにもかかわらず、期限内にも撤去されていなかったことが記事にされていた。

しかし、その記事の中で、米山さん自身が電柱に貼っている様子を写した写真については、私有地に引き込むための私有電柱だったようで「持ち主から快諾を得ており撤去は求められていない」とのことだった。そこからわかることは、米山さんらも電柱に広告を貼るには所有者の許可が必要だということは認識されていただろう、ということだ。

つまり、米山隆一さんという人は、本来は良くないとわかっているにもかかわらず、このぐらいなら許してくれるだろう、という自分の都合の良いようにルールを解釈するような人なのだろう、と感じられる。JD援助交際時にも「売春とみなされるかもしれない」と、その認識がありつつ交際していたことを語っていたことからも、そのような傾向がある人なのだろう。自身は医学博士でもあり司法試験にも通っている才のある人だから善悪を知らないわけではない。例えていえば、会社の経営が苦しいのだから従業員を守るためには従業員の労働時間や給与をちょろまかしてもやむを得ない、というような自分の都合で物事を考える思考の持ち主なのかもしれない。

あるいは、もし本当に悪意がなかったとすれば、やはり、自分の業界のルールや最低限やるべき下調べもせずに、自分の思いつきで行動し、それを指摘されても自己正当化する人だとはいえる。それが「財界にいがた」が問う「米山隆前知事一の品位」ということなのだろう。

今回の件で、米山隆一さんを「表現の自由」の敵対者だと考える人も出たようだが、おそらく、本人に強い信念があるわけではない。漫画・アニメ的な創作物に対する無理解の傾向はみられるが、敵視しているわけではなく、今回はたまたま成り行きでそうなっただけだろう。

以前から米山さんはフォローしていて、今回の件があろうがなかろうが政治家としての米山隆一さんの評価は大して変わっていない。過去の実績のほうが目に見えて重要である。むしろ、より性格や思考の傾向などを知ることができて有意義ではあったと思う。

とはいえ、利害関係者でもない部外者、野次馬が、勉強もせずに浅薄な知識でV界隈に首を突っ込んで、屁理屈で問題の論点をぐちゃぐちゃにして議論を収拾つかなくする点で、首を突っ込まず、ひっこんでいてほしかった感はある。

日本一ソフトウェアと、著作権のこと

少し意外に思ったのは「日本一ソフトウェア」さんが、許諾条件を厳格化したことだろう。

簡単に要約すれば、今後、個人法人を問わず許諾は行わないし、配信はPS4/5のシェア機能に限ることを明確にした。

https://nippon1.jp/support/streaming_guideline.html

このリプに昨年「プリニー店長@shop_prinny」 (2020年8月2日)のツイートもつけられているが、以前も同じようなものだったが、より明確に厳格にされたものだろう。

特別な契約を結んでいる法人以外は、今後、キャプチャでゲーム配信はできないことが明確にされた。

本来、ゲームは自分がプレイして楽しむという側面以外にも、観客として観戦するという楽しみがある。むしろ、プロスポーツは観戦することが前提であり、最近ゲーム業界が目指しているeSportsの方向性もそうである。

同様に、これまでビデオゲームは自分がプレイすることが主眼に置かれていたが、それでも90年代初頭からもゲームセンターで上手いプレイヤーの台には観戦者の人だかりができていて、それでゲーム大会も人気になっていた。(否、もっと遡ればファミコンの時代から、高橋名人のような名を残すプロゲーマーが存在し、その神プレイが崇められていた。)

カードゲームのようなものであっても対戦ゲームは観客を集めることができる。

現在は、家庭用ビデオゲームでも、ゲーム実況配信でゲームを楽しむ文化が育っている。

その一方で、日本では、許諾のない、すべての二次利用は著作権違反に問うことができる。したがって、黙認されていると思ってゲーム配信した結果、YouTubeに著作権違反を申し立てられ、せっかく育てたチャンネルを失う危険性もある。(鳴神裁さんが、その実例となった。)

そうゆう二次利用者が著作権違反の犯罪者とならないように、二次利用のガイドライン(約款)の制定が求められていたといえるだろう。

だが、これまで二次利用のガイドラインが作られてこなかったのは、二次利用の許諾によって、二次、三次創作と派生されてゆくことで、どのように利用されるのか自分たちがコントロールすることが難しくなるかもしれない、という懸念があったからだろう。

(法的な責任を問いにくい、モラルが育っていない未成年のキッズ層がゲームや同人文化の中心であったことも、安易な二次創作の許諾解禁すると、たとえば侮辱的なMADなど、なんでもやっていいと勘違いする調子に乗った層が出ることは当然懸念されることだっただろう。)

それが、これまで同人文化が、これほど盛んになっているにもかかわらず、日本では二次利用の許諾条件を明記するという方向にはならなかった理由だろう。

しかし、本来は同人分野やファンの力をビジネスに利用するのであれば、ファンに法的リスクを負わせるのではなく、明確に「同人許可」「配信許可」というようなライセンスを与えることが筋だっただろう。

最近は、ゲーム各社が配信まわりの許諾条件を整えており、その方向性に整備されてきているところだった。

その中で、日本一ソフトウェアが、その方向とは真逆の、禁ずる方向を明確化してきたことは、とても意外だった。

ビデオゲームのプレイを鑑賞するという新しいゲームの楽しみ方については、自分たちの作るゲームのジャンルでは得にならない、という判断なのだろう。

プロモーションとしては視聴者数の多い大手数社に任せれば十分であり、あとは昔ながらにゲームを買って実際にプレイして楽しむことが最重要だと考えられているのだろう。

だが、やはり時代にそぐわないだろうとは、私は予感する。

もしかすれば、ゲームの部分的な切り抜きを禁止したかった、実際にプレイする過程を経験せずに一番面白いところだけつまみ食いされることを防ぐ、というのが本当の狙いなのかもしれない。

だが、結果として体験を共有できないことで、「自分ならもっと楽しめる」「面白い体験ができる」と競ったり、わくわく感などを伝播したりすることがなくなる。昔はネットで共有しなくても、学校などでゲームを交換したり友達の家で一緒にプレイしたり見たりすることはあっただろう。しかし、いまは、そうゆうことも難しい時代であるから、むしろ、ネットでの、そうゆう共有を生かすことが重要だっただろう、と思う。

PS4/5のシェア機能は許可しているから、それで十分ではないか、と思われるかもしれないが、それではプレイヤーが楽しんでいる様子などは伝わりにくいだろう。昔からゲームレビューの雑誌が売れているのも、他人のプレイ体験を知りたいからだ。ゲームを楽しむのは、ゲームをプレイしている人の体験を自分でも共有したい部分が多いと予想している。

その意味で、ゲーム体験の共有を制限する方向性は、おそらく間違いであろう。

兎田ぺこらさんのこと

今月も、ほぼリアタイすることができたと思う。

どれも満足度の高い面白い配信だった。

やはり、ENサーバー開通後のマインクラフトとのEN組との絡みが多く、楽しい配信が多かったひと月だったと思う。

サイベリアンのねこさん(うーにゃん/56にゃん)

今月、ぺこらさんは以前から飼いたいといっていた猫さんをお迎えした。

サイベリアンの子猫で、初日から甘え上手のべたべたに甘えてくる猫さんらしい。

寒さに強い長毛種で、たぶん、わりと大きくなる猫さんではないかと思われる。

どんな子に育つのか楽しみである。

また、去勢することに迷っておられるようである。去勢すれば子供を見ることはできない。

私の実家の猫は今年の春亡くなったが、去勢して家から出さない箱入りネコにしていたが、あと10年くらいは一緒にいるものだと思っていた。亡くなったあとに思うことは、果たして良いネコとしての天命を全うしたのだろうか、という気持ちは、だんだん強くなってきた。

昨年であれば、去勢すればいいと思う、と誰にでも答えたと思うが、いまは、そう言い切れない。

去勢すれば発情期のめんどくささがなくなり、飼いやすくなり、脱走も試みず、病気怪我のリスクをさげるかもしれないが、それは、要するに飼い主が楽をしたいだけ、ということだったのかもしれないと、正直にいえば後悔しているところはある。

去勢すべき、しないべき、とても重い問題であり、今の私には、決断できない。

ダンスの面白さを知ったらしい

ぺこらさんは先々月あたりに5キロ太ったといわれてたが、11月の3期生ライブのための連日のレッスンで、久しぶりに会った、るしあさんや船長、マネージャさんからも、むちゃくちゃ痩せたね、と言われていたようである。るしあさんはガリガリに痩せた、みたいな言い方をされていたが、ぺこらさん曰く、体重が増えたのに体がシュッとしたというので、もしかすると、体幹が鍛えられ、筋肉が付いたのかもしれない。

ダンスの面白さを知ったというので、そのあたりからだろうか。

ぺこーらに、告白しようと思ってる。

ぺこらさんが、昨年あたりから流れているネットミーム化した、ぺこらさんへのラブレターが、最近になって大勢の目に触れていて困惑されているようだった。

ぺこーらに、告白しようと思ってる。

スレのみんなには、悪いけど。

抜け駆けで。

次の給料日、お金入るから。

スパチャして。そこで気持ち伝える。

ぺこーらは男の人と付き合ったことないから。

びっくりするかもだけど。

もう気持ちを伝えるのを我慢できないから。

私も以前から知っていたが、このポエムには、すこしモヤモヤしたものを感じていた。

それは、この詩のせいではない。人のラブレターを覗き見ている気恥ずかしさと、それを見られた書いた本人が、どう思っているのか。また、このポエムを面白がっている人が、人の恋愛をバカにしているのではないか、ひやかしたり、はやし立てていたりするのではないか、という、ポエム以外の部分でのモヤモヤである。

だが、今月、ぺこらさん本人が配信で取り上げてくれて、そして界隈を超えて、名の知れたプレイヤーに歌われたり曲をつけられたりしていることで、むしろ、その余計なモヤモヤはすっきりと晴れた。

この人は、あえて人の目につくところにラブレターを書いた。匿名掲示板なのだろうか?

だから、見られていることについて本人は苦にしていないだろう。

いまなら言える。これほど純粋で完全な詩はない。

恋に不慣れな純粋な男の子のたぎる初々しさ、恋い焦がれる感じが短いフレーズの中に完璧に表現されている。

界隈を超えて語り継がれるべき現代短歌といって良い傑作だと私は思っている。

この気持ちは平安時代から現代まで男子共通の思いのはずだ。だが、そこに現代的なフレーズが完璧に組み合わさっている。「ぺこーら」は、もはや、この時点においては、VTuber、Vライバーという存在を示す代名詞である。

まさに詩的だと思う。

履歴を振り返って、ちょっとおもしろかった配信

【壺男】10分切りチャレンジ -初日- ぺこ!【ホロライブ/兎田ぺこら】

ひさしぶりの壺男は、以前と同程度より少し悪い程度の成績からはじまって、しかし、なかなか10分を切れない感じである。ここしばらく、またチャレンジしていないから、戻っているかもしれない。

【おはよう】目覚めよ、ぐっどもーにんぐ兎田【ホロライブ/兎田ぺこら】

かなり、ひさしぶりの朝枠で、前日ぺこらさんの配信をリアタイせずに疲れて寝ていたので、逆に朝配信には間に合った感じである。

スパチャのコメントでは、はじめてみた、ぺこらさんの配信が、朝枠だったという、なかなかのレアな野うさぎもいたようである。

わたしも、ぺこらさんを見始めた最初期の配信は、2年前の10月ごろの台風の季節、信濃川の氾濫警報が携帯から鳴り響く中、ぺこらさんの朝歌枠が記憶に残っている。

さくらみこ先輩のこと

みこ先輩も、今月は、いろいろされていたが、やはりマイクラの印象が強い。

おうち3D披露

ホロライブでは、おうち3Dが改良され、ステージ上を自由に動けるようになったり、カメラアングルも自分で操作できるようになったので、配信にいろいろ工夫できるようになったようである。みこ先輩はメンバー限定配信で、新型ステージを、いろいろの角度からためしていて、配信ギミックの使い道をいろいろ考えているようであった。

特筆すべきことは、VirtualCast上のキャラクターと同様に、小物の3Dガジェットを自分の体の任意の場所に付着させることで、自分と一緒に連動するようになったようである。

今回はハロウィン季節ということで、蜘蛛の巣や傷跡の漫画的表現の小物が用意されていて、それぞれ、おうち3Dを試すライバーさんたちは、すきな場所にシールのように蜘蛛の巣をはりつけて配信されておられた。

今後は、いろいろな小物も自由に付着させられるようになるのであれば、リスナーからのプレゼント小物というものも使えるようになるのだろう。

(東雲めぐさんなどは、すでに視聴者プレゼントの帽子などの小物を使って見せてくれる。)

大運動会

前回(昨年)の資産を活かして改善・改良する形で、会場を整備するようである。

また、昨年よりも、新しいメンバーが増えていること。

今年は昨年のラグの多い問題を反省して、多人数参加可能なサーバーを立てて、そこに現在建築中のワールドをコピーして本番に備えるようである。

また、海外ニキにとっては運動会とはアニメだけのフィクションだと思っていたらしいこと。昨年も似たようなコメントを見た気がするが、今年も、そんなコメントが見られた。

【 Minecraft 】運動会じゅんび!深夜まったりまいく~~ら!🌱【ホロライブ/さくらみこ】

また、ぺこらさんと、みこ先輩のひさしぶりの突発コラボに歓喜している、ぺこみこカップリング厨が大量発生していた。

ぺこみこの絡みが少ないのは、友人だからこそだと私は思っている。

本当の友人関係であれば、「ぺこxみこ」などとはやし立てられるようなものは居心地が悪いだろう。友人関係を売り物にはできないということなのだろう、と思う。

また、みこ先輩は、1st fes.で、ホロライブ0期生という概念が生まれるまで、みこ先輩と3期生との絡みが多く、私は、みこ先輩を名誉3期生という感じで見ていた。

だが、ARKの新シーズンがはじまったころ、3期生ハウスのような拠点をつくるときに、みこ先輩が合流するか迷っている感じがあって、そのあたりから、自分に同期がないことを少し残念に感じていたのかもしれない。

現在は、0期で時期が近い、同期のようなものとしての、星街すいせいさんとのコンビを組むことが多いのだろう、と思われる。だから、ビジネスフレンドと呼ばれることにも抵抗はないのだろう。それはホロライブの0期の仲間という関係だからだろう。

【 逆転裁判 蘇る逆転 】みっちゃん!?逆転するかにぇぇぇぇぇぇ!!!【ホロライブ/さくらみこ】

みこ先輩の逆転裁判のゲーム実況は、シナリオの読み上げやリアクションも良く、ゲームのシナリオの良さと展開を上手く引き立てて、飽きさせずに引き込まれるプレイをされていた。こうゆうタイプの実況も、みこ先輩のウリになるのだな、と感心した配信であった。

保母さんのことについて思う

みこ先輩、ぺこらさん、ともに幼稚園の教諭/保育園の保母さんになれる資格をもっているようだが、これはライバーにも役立っているのだろうなぁ、という感じがある。

結局のところ、幼稚園児も、老人ホームに入っている老人も、心というものは、まったく同じものである。だから、幼児をあやす技をもっている人は、実は、全世代に有益なのだろう。

35pも、野うさぎも、幼稚園児だと思えばこそ、まあまあ、うまく扱えているのではないかな、という感じもある。

また、今月、ネット上の記事で、女性が結婚について悩まれていて、どうして人間の結婚には、性と愛がセットなのだろうか、という疑問を呈されていた。自分にも愛情を心底注げる存在があり、それはペットの猫さんだという。猫さんに対する愛情は本物で、どうして、人間の場合には、これに性欲が必要なのだろうか、という疑問を呈されていた。

これは、まさにそのとおりで、別のものである。しかし、人間が結婚する目的、とくに日本では家庭をつくること = 子供をもつこと、という概念が根強い。だから性が関係する。

私が最近読んだ「中年ひとりぼっち社会」という本では、中高年の結婚は子供が目的ではなく、「安心を求める心」である、という分析がされていた。

おそらく、そうだろうな、という実感もある。

本間ひまわりさんのこと

マインクラフト ハードコア7回目でエンドラ討伐達成

詳しくは話を聞き逃していたのだが、これまでのマインクラフト・ハードコアの失敗の原因を妹さんと反省会した(させられた?)らしい。

今回は、シード値が非常に良かったのか、最初、メサからのスタートで木もなくて前途多難かと思われたが、いきなり村をみつけて、そこらに落ちている枝を拾って交易して、サクサクとエンチャントもできるようになり、ネザーでも要塞もすぐに攻略でき、ものすごく順調にすすめられていた。やはり、ネザーに行く前に装備を十分に整えていたことが良かったのだろう。低速落下ポーションも沢山作って用意周到なエンドラ戦で、タワーのクリスタルを破壊するのも上手で、かなり危なげなくクリアされていた。

反省点があるとすれば、もう死ぬ気だったのか、村には帰らないつもりでエンド探索の旅に出てしまったことだろうか。

また、マインクラフト自身も、いろいろスキルを向上させているところのようだ。

先月は、エンドシティを案内してもらって、自分用のエリトラを入手されていた。

今月は、トライデントを入手して、忠誠・招雷・修繕のエンチャントをつけておられた。これまで、にじさんじサーバー上にある、さまざまな施設を人に聞くことを遠慮して、ためらっておられたようだ。今月は、タワマンの部屋を飾り立てるために、クリーパーの頭をゲットしようと、なかなかハードなチャレンジをされていた。

人生初めて、自作でPCを作ります【本間ひまわり/にじさんじ】

リアルにPCを組み立てるわけではないが、ゲーム上でPCを組み立てるゲームをプレイされていた。

はじめは、ひまちゃんが、こうゆうゲームができるのか、もしかすれば、めちゃくちゃ苦手かもしれないと少し疑っていたが、そうでもなく、楽しくパーツをチョイスして組み立てておられた。

リアルのPC組み立ても、パーツ選びさえしっかりしていれば、まあ、組み立ては難しいものではないだろうし、ゲームで慣れたら実際にチャレンジしてみてほしいという気持ちになった。

【呪いの館】イ゙ェアアアアってやつらしい。【本間ひまわり/にじさんじ】

1996年に作られたゲームをWindows10でプレイする、という配信である。

ひまちゃんのゲーム実況のうち、こうゆうレトロゲーム紹介とか、かなりハマる実況が聞ける感じがある。それは、世代が完全に1世代ズレているから、新しい感覚でプレイしている様子を見られるからなのかもしれない、という感じはある。

ひまちゃんの性格について

ひまちゃんの持つエピソードのうち、とても興味をひかれたものとして「シャワーを浴びているときに宅配の人がきたからバスタオルのまま受け取った」という話とか、「ホームレスのおじさんに服が欲しいといわれて、中学時代の体操着をあげた(それでホームレスのおじさんは警察に不審者扱いされてしまった)」とかの話は、とても、ひまちゃんらしさが表れていている。

ひまちゃんの言葉が、しばしばヘンなところ、夢中になるものと、なれないもの。

たとえば、マインクラフトのダイア掘りのブランチマイニングは、単調な仕事すぎて集中力が持たない、相当に苦手意識がある様子だった。今月のハードコアモードでのダイア掘りでリスナーからダイアを高確率で掘り当てる法則を教えてもらってから、俄然、やる気がでたことからも、単調な作業が死ぬほど苦手な人だということは想像できる。

アルバイトをクビになるネタで定番となった、レジの高額打ち間違いなども、そのためであろう。(1万円と5千円を見間違えるなどのミスを重ねた感じだろうか。わりとある。)

このあたりの性格は、高機能性自閉症 (≈ADHD)っぽい感じである。

他人に無頓着で気が回らない時代を長く過ごしてきたのだと思う。

他人に対する関心がないわけではなく、他人がどう思っているのかということを心に思い描くことができない感じなのだと思う。

これはストーリー性のある小説、アニメを見たり、あるいはメタルギアのようなゲームを体験することで、疑似体験をして、自分の経験を補うことができるものだと思う。

ひまちゃんは2年前までは社築さんやドーラさんに本当に保護してもらっている感があったし、それを、ひまちゃん自身も感じていたものと思う。しかし、最近は、もう、そうではないだろうと思う。

いまは、昔、ホームレスのおじさんに中学時代の体操着をあげたことは、自分の頭か回ってなかったことを自覚されているようであり、たぶん、そうゆう「世界を見る目」「世界を心に写して見る、鏡の曇りが晴れた感じ」なのだろう、と予想している。

ポルカさんとのコラボ

【世界のアソビ大全51】ひま🌻ぽる🎪であそびつくす~~!! #ひまぽる 【尾丸ポルカ/本間ひまわり】

ひまちゃんが、にじさんじ以外の人とのコラボをすることは珍しい感じはあるのだが、今月は、ホロライブ5期生のポルカさんとのコラボをされていた。

ポルカさんは、ひまちゃんとのコラボでは、めずらしくしゃべり続けていて「脳死でしゃべる」危うさがあった。

また、おやー?と感じたのは、ポルカさんの、ひまちゃんに対する馴れ馴れしさ、だろうか。

ポルカさんは、しばしばホロライブ3期生や、ぺこらさんを凄い人たちだと先輩として褒めていて、マインクラフトでのコラボでも、後輩的なポジションはもっている。

だから、ぺこらさんよりも先輩である、ひまちゃんに対して、かなり、ぐいぐいと「次もコラボもやろうよぉ」みたいな感じで圧して行く積極性、馴れ馴れしさには、おや?という印象を受けた。(そして、約束を取り付けた。)

もちろん、ポルカさんと、ひまちゃんのコラボは楽しいもので、二人とも気が合う感じはあったから、今後も月一ぐらいでコラボしてほしい。

まあ、よくよく考えれば、ポルカさんと、ひまちゃんは真の意味での同世代のVTuberであり、気兼ねのなさがあるのかもしれない。

角巻わためさんのこと

角巻わため 1st Live「わためぇ Night Fever!! in Zepp Tokyo」

【超速報】ホロライブ所属人気VTuber「角巻わため」新曲を「作詞:田淵智也×作曲:堀江晶太」の最強タッグで提供!

今月は、わためさんのソロライブがあった。

以前から、ソロライブへの活動をすすめていて、3期生なども参加する有志によるライブには不参加だったのも、このためだったのだろう、と思っていた。

私はSpwnで視聴した。

素晴らしいライブだったと思う。数曲聞いて、まじまじと思ったことは、「もしかすると、わためさんはvSignerとしてホロライブからデビューしたのだったかな?」という疑問である。2年前は、歌の好きな、頑張り屋のvTuberさんだった。

しかし、いまは、オリ曲も11曲(以上)あり、立派なホロライブを代表するvSingerの一人となったことは間違いない。

なお、今回、はじめてSpwnで視聴したのだが、Spwnでライブを見る場合は「低遅延モードをon」にしたほうがいいようだ。ネットの接続でぶつぎれするときに、低遅延モードがoffだとバッファリングするためである。ライブの場合は、ぶつぎれてもいいから接続しなおせたところからリアルタイムで見たいので、低遅延はOnにしたほうが良いと感じた。

【Minecraft】いない間に何が起きた…?!(歓喜【角巻わため/ホロライブ4期生】

4日間の休暇をとったあとのマインクラフトでは、7時間超の深夜マイクラをされていた。

久しぶりに、わためさんのマイクラ作業音をBGMにしながら、布団に横になっていたが、明るくなって目が覚めてもやっていたのは、さすが、わためさんである。

久しぶりの感覚であった。

ラトナプティさんのこと

ラトナプティさんが休養期間に入った。

よい休養期間となることをお祈りしたい。

ラトナプティさんは今年の初頭に不安障害でメンタルを崩されたが、夏ぐらいには治療はほぼ終わった形になっているのだろう、と想像している。

だから、この休養期間とは、不安障害の休養ではなく、不安の原因となる怒りの根治、自分と家族との関係を向き直す、人間関係や自分の仕事への向き合い方の再構築がテーマとなるのだろうと思われる。

ひとまわり大きな存在になって帰ってくることが成功なのだと考えられる。

不安は内在する怒りである。

だから、ラトナプティさんが不安障害だったのは、怒りを感ずるものが内側にずっとあった、ということだろう。

まず、そのことに気が付くことが大切であり、怒りに気付くことは不安障害の治癒の過程だと私は思っている。

ラトナプティさんは幼少期に空手を習っていてフィジカルが強いと自分で言われていた。

夏頃に家具をいろいろ買い換えたという話は、内在する怒りが発現して、物にあたって壊しまくったことなのだという。それは、私の経験上、怒りに気がついたということだと思う。

だから、その怒りに向き合う必要があるのだろう。そのために休養期間である。

プティさんの、この休養のゴールは、不安障碍になるまえの状態に戻ることではない。

それよりも以前の、これまでの自分の生き方を見直すことそのものの時間である。

自分を見直し、基盤、生き様、自分か目指すべき方向やポリシーを立て直すことだろう。

どのように身の上を振るのか、思春期特有の悩みもあるかもしれない。

自分の人生を歩み始める、ということの大きな一歩なのだと思う。

2:7:1の法則と、アレルギー反応みたいなもの

ラトナプティさんや、何人かのライバーは、自分への批判、非難をみつけることに苦痛を感ずることを正直に報告されている。

鳴神さんは、勇気ちひろさんが炎上界隈に名前を出すようになってきたことについて、リスナーのネガティブな意見を拾って、いちいち反応、反論するな、ニコニコしていれば炎上することはない、とアドバイスされている。

本心を隠して素の自分をさらけださない営業スマイルだけされていても、そんなものが見たいわけではないだろうな、という気持ちはある。

いろいろ思うところはあるが、しかし、ざっくりいえば正論であることは間違いない。

たしかにイライラしているライバーの声を聞くことはリスナーとしても良い気持ちではない。

勇気ちひろさんが炎上界隈に登場はしはじめたのはApexでプロをコーチに迎えたりして強くなりたいという欲がでてきたあたりからだ、という説もあり、それはそうかもしれない、という感じもある。

リスナーのネガティブなコメントを拾ってピキると、リスナーはピキるx2を見ることになり、それに対して更にピキる(x4)、という核分裂の臨界反応のようなことが起きてしまう。これが勇気ちひろさんが炎上界隈に登場しはじめたメカニズムだろう。

それを面白がった野次馬たちによって、加藤純一さんも利用しての対立煽りのオモチャにされたりしたようだ。

一番の問題点は、ニワカ的なカジュアルな層への印象だろう。昨年、勇気ちひろさんを「ちいちゃんは、なかなかすごいよ」と褒めていたupd8ファンの私の友人が、コロっと態度を変えて「ちひろは口が悪くて炎上してるしな」みたいな言い方で距離を置いていた。

カジュアルなファンにとって、悪い噂、煙たいものは、悪いものだという印象で避けようとしてしまうのだ。真偽・真相を確かめるような暇や労力をかけることがないから、カジュアルファンなのだ。カジュアルファンの印象が悪くなると、母数が大きいだけに影響が大きいように見えてしまうことだろう。実際はカジュアルファンは、雰囲気が良くなれば、またコロっと忘れてしまう。真偽を調べる気もない程度のファンであり、皆が良いといっていればよいのだろう、悪いといっていれば悪いのだろう、程度の判断で見ているにすぎない。

そうすると、結局は、基本的にはニコニコしているのが、まあ、処世術ということになるのだろう。

一方で、葛葉さん、鳴神さんのように、反感や炎上こみで、それでもポリシーを貫くことで、自分を守り、俺についてこい、という売り方もある。ヒール役は、そうであろうし、男性には、そうゆう売り方をする人も少なくないだろうと思われる。

一番の問題は、松くい虫に食われた松のように、過剰防衛反応で自分を枯らすことだろう。

松くい虫は、それ自身は松に侵入する小さな虫であるが、それを殺そうとして過剰に防衛反応を起こすことで、松自身が枯れてしまう。アナフラキシーショックのような、過剰な免疫反応で、自分自身を痛めつけてしまうことが、一番馬鹿らしい。

例えていえば、わずかな批判を気にしてしまう人は、花粉症に苦しんている人のようなものだ。免疫反応を抑えて、反応しないようにすることで快適にすごせるようになる。

こころの花粉症だと思ったら良いのだろう。

自分に対する批判的な人間、自分に害をなした人間、害そうとする人間を執拗に気にしてしまうのは、人間の自然な本性であり、仕方ないものだと思われる。いわば、こころの免疫反応みたいなものだろう。だが、それを過剰に反応させれば、自分が傷んでしまうのだ。

以前の日記にも書いたが、ネガティブな情報はポジティブな情報の7倍の重さがある。それは野生動物一般にとって、ポジティブな情報を見逃しても命に関わりは無いが、ネガティブな情報を見逃したら命にかかわるからだ。人間も、その性質を引き継いでいる。だから、実際には好意10人、悪意2人という状況ならば、スコアでいえばマイナス4点で、実体以上にネガティブに捉えられてしまう。

「カール・ロジャースの2:7:1の法則」は人間関係の法則である。

「自分の考え方や行動について、2人は無条件で賛成してくれる肯定的な人、7人はその時その時で変わるどちらでもない人、そして最後の1人は何をしてもどんなことをしても自分の事を嫌ったり気が合わない人」となります

https://soudanskill.com/20111013/286.html

この1割は、どうにもならない。この人に合わせるのは無益である。

むしろ、この1割まで好かれようとすると、逆に他の人から反感を招くことになる。

たとえば、誰からも嫌われるパワハラ上司から目を付けられたくなくて、適当に愛想のよいフリをすると「八方美人」「ごますり野郎」のように見え、「あいつは信用ならないな」という印象を与えることになる。

2:7:1の法則のうち、味方につけるべきは、2~7割の多数派の人たちであって、1割の人ではない。

また、お釈迦様が語ったといわれる古くから伝わる仏教法話(中阿含経)のうち「毒矢を誰が射ったのかは重要な問題ではない」とするものがある。

マールンクヤプトラという弟子が釈尊に対して、「世界は未来永劫に存在するのでしょうか」「世界には果てがあるのでしょうか」「如来は死後も存在するのでしょうか」などの疑問をなげかけました。

そして、これらの問いに答えてくれないならば、自分は還俗しますといいました。

これに対して、釈尊は次のようにお答えになります。

「あなたの疑問に対する答えを求めるのであれば、あなたはその答えを得る前に命が尽きてしまうでしょう。たとえば、ある人が毒矢で射られたので、みんなが心配して急いで医者を呼んできて、医者がまず矢を抜こうとしたら、その男が叫んだ。『この矢はどういう人が射たのか、どんな氏名の人か、背の高い人か低い人か、町の人か村の人か、これらのことがわかるまではこの矢を抜いてはならない。私はまずそれを知りたい』というのならば、その男の命はなくなってしまうでしょう。あなたの問いはそれと同じなのです。もし世界は永遠に存在するとかしないとか答えることができる人がいたとしても、その人にも生老病死の苦しみがあり、さまざまな憂いや悩みがあるのです。あなたの問いは、人間の本当の苦しみや悩みとは関係のないことです。

わたしは説くべきことのみを説きます」

http://j-soken.jp/ask/2051

自分を苦しめた矢にこだわるあまり、助けようと心配してくれた人たちを無碍にして、自分の命までをも蔑ろにするのは、まったく賢明な態度とはいえない。

本当に大切にしなければならないことは、誰が矢を射ったかではないのだ。

数ヶ月前にノエルさんがASMRメン限で「その子が嫌だと思って傷ついたのならヨシヨシしてあげる他は無い」とは語られていた。まずは、そのとおりなのだろうと思う。

だが、その嫌だと思うことに執着し、囚われ続けるべきではない。

それは正しくないだろう、ということは分かる。

お釈迦様のように、もし、その人を救いたいのであれば、ただ慰めるのではなく、その人に「そんなことにこだわってはならない。」と諭すべきなのだろう。

雲母ミミさん

危機管理産業展が「青海展示場」でおこわれ、そこのHTCブース上で「客寄せハムスター」として、VTuberと対話できるコーナーに出演されていたようである。

リアルイベントであり、会場者と画面ごしにトークもできるものだったらしい。

10:00からの出演予定であるのに、9:30まで個人配信していたことが興味深い。

おそらく、会場とはリモートでの出演なのだろう。

出演したあとの感想としては、「ギター弾いて」とか「〇〇してみて」みたいな、難題をふっかけられていたようである。会場の人たちは、おそらく、オタク層ではない、機械系のビジネスマンであろうから、どんなものだとVTuberに接していたのかは、気になるところである。たぶん、はじめは何だろう?機械仕掛けの応答なのかな、とおもって話しかけたら、どうやん後ろに人間がいるらしい、ということに気付いた感じかなー、と想像している。

兎咲ミミさん

ブイスポの兎咲ミミさんのマイクラ配信を、たまたま途中から見ていて、おもしろかった。

【Minecraft】気づいたんだけどウィザー倒さないとって、、トラップ作成編【ぶいすぽ/兎咲ミミ】

シェルカートラップをつくっていて、エンドシティからシェルカー君をもってこれる、ということそのものが、びっくりである。

シェルカーくんはワープするので、なかなか大変なことになっていて、みていて面白い感じになっていた。

常闇トワさまのこと

Apex Legends Global Series Year 2:APAC North【Pro League Split 1 Week 2】

トワ様が英語圏のAPEXリーグ戦を同時視聴されていて、こうゆう同時視聴をしているVは、他にあまり見たことが無かったので興味深いものがあった。

私は英語がわかるわけでもないし、Apexをみて論評できるわけでもないので、みていても何もわからなかったのだが。

ゆっきんさんのこと

【博多弁猫tuber】マイクラ配信♪ゆっきんと一緒にあそぼー♪【#おいでよゆっきん村】

視聴者参加型マイクラで、30人くらいはいっていたような記憶がある。

JAVA版ではないので私は入ることはできないのだが、逆に、いまの若い子たちにはiPadなりゲーム機なりで遊んでいる人たちが多いだろうから、ゆっきんさんの統合版での視聴者参加マイクラは良い選択だったのではないかと思う。

ゆっきんさん自身はマイクラ初心者であり、ネザー探索もおぼつかない感じではあった。

また、サーバー管理は別の人にお任せしており、その人が事前にホワイトリストで受け入れた人だけが入れるものなので、突発的に配信を見て参加したいと思っても、しばらく入れない感じのようである

ゆっきんさん自身はマイクラ初心者であっても、参加したメンバーは上級者もいれば、ネザーに行ったことのない初心者まで、いろんな人がはいっていて、楽しめるものになっていたようである。

月ノ美兎委員長のこと

にじ診断 の裏話でも(他雑談アリ)

にじ診断は、委員長が一人で作成されたものらしい。

TyranoScriptというもので作られたゲームのようである。

私が配信でみたことのある代表作としては「公衆電話」などがあった。

委員長はスクリプトの一部をみせながら、もうすこし簡単に書きたかった、というような話をされていた。スクリプトにマクロや関数などを使いたい、というような話をされていた。

しかし、実際にプログラムを組むうえで、一番重要なことは、完成させること、である。

プロになれば生産効率をあげ、既存のものを使いまわしたり、修正しても関係ないところに影響が出にくくしたり、といった技法を学ぶ必要がある。

だが、そうゆうことに気を取られるあまり、プログラムそのものにこだわって、ゲームそのものが完成しなかったら、本末転倒なのである。

これはアマチュアプログラマが陥りやすい罠だろう。

それは終わりがない作業だから、どこかで見切りをつけるのが正しい。

ルーナ姫さんのこと

IT業界にいたのではないか?と思われるようなリアルな労働環境を話されていたのが面白かった。

輝海まりなさんのこと

最近、積極的に手元実写配信を楽しまれているようだ。

【 手元実写配信 】生け花をする【 輝海まりな 】

生け花をいけるVTuberというのも、なかなか良いものだな、と思えた。

【 お料理手元配信 】秋なのでかぼちゃのシチューをホワイトソースから作る ♥ 【 輝海まりな 】

花京院ちえりさんのこと

【JUMP KING】鬼畜ゲーをいかにかわいくできるか💥対よろ 6日目【 #花京院ちえり 】

JumpKingを、ついにクリアされた。

「うーにゃ」というかけ声がかわいいと定評があったシリーズも、無事完結した。

めずらしく相当にはしゃいでいる、ちえりちゃんの歓喜の声が聞ける配信であった。

Dbd配信は定番ネタになっているようだが、私はDbDはさして好きではないので見てはいない。キラーだとコラボもあり得ないのだろうか、個人Vでは、りとるんさんがDbDばかり積極的にやっている感じなので、そうゆう上手い人とのコラボが、どんな感じになのかは、ちょっと関心はある。(サバイバーvsキラーみたいな感じにできるのか?)

千草はなさんのこと

【 メン限 】嬉しい報告と作戦会議 【Vtuber/千草はな】

http://www.youtube.com/watch?v=iWen3s_lTbw

メンバー限定配信内で、アパレルとのコラボであるパーカーのデザインについて募っていた。人生最大の案件になるのではないか、などと、かなり悩まれていた感じである。

パーカーを私が着ることはないから、これにはお役に立てないが、世代的なものがあるのは仕方ないだろう。(以前も、ハナさんのクッションカバーは買ったけれど、抱き枕カバーは、さすがに買えなかった。)

以上、おわり。

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