古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1h灌頂兄弟の江戸時代の神道の話に触発されて、江戸時代の白川家初代学頭の臼井雅胤を中心とした白川神道のことについて色々と書いていきます 意外なようですが、江戸時代はお金さえ出せば、町民であってもm白川家でも吉田家でも土御門家でも、すぐに門人になれて、ある程度の門人になれました1243
古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1h吉田家に圧迫されていた白川家は神社の神官よりも、特に積極的に町民や商人や大工を取り込んでいました 一部に有名な高濱清七郎も呉服屋つまり商人でした 吉田神道を一時的に継承し幕府神道方に任じられて日本の神道の実質的トップになった吉川神道の吉川惟足も尼崎屋という魚屋の出身です1114
古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1h吉川神道も山崎闇斎が垂加神道を起こしたのちは、幕府の役職こそ世襲したとはいえ、内情はほぼ垂加神道に吸収されていきました 垂加神道は最新の理論と吉田神道の祭儀神事をさらに深めたので吉田家もそれを取り入れたほどです その正統は正親町通公により宮中にも影響し、玉木正英がその跡を継ぎました112
古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1h玉木正英は梅宮大社の神官であったので自分の神道を梅宮の御祭神にちなみ橘家神道と号して伝承していきました ちなみに陰陽道宗家の土御門泰福も山崎闇斎の弟子になり、垂加神道の教義や祭儀や神事を失伝しかけていた家伝の陰陽道に取り込み土御門神道を打ち立てました こうした流れの中で白川家の登場110
古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1h白川家は花山天皇の末裔の源氏で、代々朝廷の神祇官のトップの神祇伯を世襲していました 神祇伯に就任した時に王に復するので神祇伯王家ともいいます 神祇伯はトップとはいえ室町時代に吉田兼倶が吉田神道を打ち出して神祇管領長上と名乗り宮中祭祀や全国の神社の管理行ったので吉田家に対抗したかった1112
古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1hそれで吉田家を追放された臼井家の雅胤を白川家の初代学頭に迎えて、吉田神道や垂加神道を取り入れながら、白川流神道を徐々に形成していきました しかし、臼井雅胤は白川家管掌の有力な神社の西宮神社の吉井家を追放しようとして逆に幕府の怒りを買い、雅胤は白川家を追放され苦渋の時を過ごします110
古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1hさて雅胤はいつの間にか霊元上皇や桜町天皇などを味方にし、関白一条公に白川神道の伝授や、宮中の八神殿が焼失して以来白川家で保管していた御神体を関白に献上するという荒技で天皇や関白や上皇を味方につけて白川家の学頭に復帰し、更に白川家の猶子となって神祇伯に秘伝を伝授する立場になりました19
古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1h白川家の猶子になった雅胤は元々の千葉平氏から白川家の源氏に改めて、源雅胤と名を改めました 一度追放されたのに、いつの間にか舞い戻り白川雅富神祇伯王に神道を返伝授して白川家の猶子になっていますが、それも上皇様を動かしているので白川家も拒めなかったようです18
古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1hおそらくは霊元上皇の鎮魂祭復興に尽力した功績で白川家の猶子になったようですが、これも白川家にはその当時には鎮魂祭の秘儀が失伝していたからだと思います 雅胤はなぜか鎮魂祭や大嘗祭を仕切るほどの学識と技術を持ち白川神祇伯王でさえ雅胤の下座に座って伝授を受けたのです また祈祷も得意でした17
古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1h臼井雅胤は西本願寺の門主湛如の病気平癒のために本願寺の中で鳴弦祈祷をしたそうですが、これも天皇家との繋がりがあっての話で、神祇不拝の浄土真宗の王城である本願寺でその門主を神道の祈祷で癒すというのは前代未聞の出来事でした17
古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1h臼井が関白や伯王に伝授した大嘗祭や鎮魂祭の次第を見ると吉田兼倶の秘伝書などを伝授しており、臼井までの伯家神道が何も祭儀の実務には関わっていなかったか、あるいは失伝していたことがよくわかります18
古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1h臼井が伯王に伝授している様が書かれていますが、伯家神道がこの臼井以降に形成されたものであり、伯家部類などもそうした伝承をまとめた秘伝書だったのは間違いないようです 白川家に伝わっていたのは、本当に天皇周辺の神拝作法と御巫などの巫女の作法や伝承だけだったのでしょう18
古川陽明(まろかれ)@furunomitama·1h吉田家が事務次官として実務をほとんど切り盛りして、大臣である伯王はそこにいただけ、というのが宮中祭祀の文献で明白になっています なので、本来の家来筋である吉田や臼井に度々伯王が入門して伝授を乞うているのも、実情を考えると仕方なかったのでしょう110
古川陽明(まろかれ)@furunomitamaしかし、神祇伯だけが伝えていた特別な拍手などがあるのは、吉田家の番頭であった鈴鹿家文書の大嘗祭の記録などにも記されていますので、そうした本当の秘儀だけが細々と伝承されていた白川家が、外からの学頭を取り込んで吉田神道に負けじと勢力を伸ばそうとしたのが真相のようです1:04 PM · Nov 5, 2021·Twitter Web App8 Likes