熊棚。
ツキノワグマが自作した熊のベッド
である。
山に入ると広島県の山間部ではよく
見る。
木の上のほうにある。
一個二個ではなく、近くに何個も作
られている場合が多い。
巨大な鳥の巣のような感じ。
広島県はツキノワも多く、三原市内
でさえ熊が目撃されている。
三原市内の山間部、古代山陽道。
このたあたりでツキノワが目撃され
た。
古代山陽道は江戸時代の旧山陽道と
は大きくルートが異なる。
古代道であるので海沿いは通らない。
山間部を通る。
現在の仏通寺の前の通りが古代の
山陽道になる。
舗装はされているが、ルートは日本
に道路が造られた一千数百年前の律
令時代のままだ。この景観も1500年
前と変わらない事だろう。
律令体制時代には約16kmごとに
駅家(うまや)という駅が置かれて、
指定数の馬を荷駄の為に飼育して
いた。
駅家は全国各地からの納税品運搬
の為の道の駅であり、人民は朝廷
に労働力を強制的に搾取される為
に、租庸調の時代には都まで徒歩
で上った。強制的徴兵の防人も派
遣先まで徒歩である。騎馬は許さ
れない。一般人民が馬に乗ったり
駅家に宿泊する事は固く禁じられ
ていた。
人民は全員野宿なのである。
中央朝廷の殿上人のみが「人」で
あり、それに支える役人は役の人
であり、民などは人としては認め
られてはいなかった。
それが天皇親政の律令体制の実相
だった。
今でも日本人の役人にはその当時
の役人根性が残っている。
明治以降、その精神性が国家により
強固に再生産された。
戦後の今もこの1500年前と同じ景色
のように何ら変わらない。