●死刑求刑事件における判決主文言い渡し状況
●第一審
判決言渡は通常、主文(結論部分。「被告人を~に処する」)を冒頭で宣告する。しかし、死刑判決の場合、主文は後回しにされることが慣例となっている。先に死刑を宣告してしまうと、被告人が動転してまともに理由を聞けなくなるためである。刑訴法等では主文をどこで宣告するかは定められておらず、あくまで裁判長の裁量に委ねられている(判決文では冒頭に記されている)。
●控訴審
控訴審のことはあまり知られていないようである。
・控訴棄却「死刑→死刑」:ほとんどが冒頭で宣告されるが、後回しの例もちらほら。
・原判決破棄「無期→死刑」:一審死刑判決と同じく主文後回し。
・控訴棄却「無期→無期」:一審無期懲役判決と同じく冒頭宣告。
・原判決破棄「死刑→無期」:難しいのがこのパターン。かつては冒頭で宣告されていたが、最近では後回しが多くなっているような印象も受ける。確認できた事例が少ないのでなんとも言えない。
●上告審
主文後回しが基本のようである。死刑事件以外は未確認。行政訴訟の大法廷判決(差戻)を傍聴したことがあるが、その際は主文後回しだった。
かつて上告審では、主文のみが言い渡されていたが、2002年末の申し合わせで、「刑事事件の判決で、相当と認める場合は理由の要旨を告知する」とされ、2004年4月の黄奕善の上告棄却判決より理由が朗読されるようになった(2003年は死刑の言渡なし)。
ただ、例外もあるようで、帝銀事件上告審判決(1955年4月、最高裁大法廷、裁判長:田中耕太郎最高裁長官)で、冒頭で主文を言い渡した後、簡単な判決理由を述べた例はある。
●いつ頃から?
主文後回しはかなり古く、遅くとも明治後期には慣例として存在したようである。
また、以下の2つの記事は奇しくも同じ昭和36年3月のものである。東京地裁と松山地裁宇和島支部でそれぞれ死刑判決が言い渡された際の記事であるが、興味深いので引用した。
「『まず理由を読みあげる』 荒川裁判長の言葉に傍聴席から『やはり死刑だな』とささやきがもれる」(毎日新聞 昭和36年3月31日夕刊)
「冒頭、遠藤裁判長が判決理由を一語一語ていねいに読み上げると30人ばかりの傍聴席はにわかに動揺、死刑をいい渡す際裁判官が判決文の主文、判決理由の順序を逆にして、判決理由から読みあげるので、傍聴席には『死刑だ』という私語が取りかわされていた」(愛媛新聞
昭和36年3月10日夕刊)
この2つは、50年以上前にすでに慣例が定着していたことを裏付けている。それも、中央である東京地裁と、四国地方の地裁支部という、全く環境の異なる地裁において、傍聴人の間では「死刑判決の主文後回し」が認知されていたようである。
その一方で、「この日は何時もの様に「判決主文」を最初に読み上げず一番最後に「死刑」の主文を読上げる等型破りのものだった」(紀伊民報 昭和32年1月12日、和歌山地裁田辺支部で死刑判決)といった記事もあり、主文後回しの慣例は必ずしも周知されていたわけではないのかもしれない。
●結論は最後までわからないの?
「最後に主文を宣告するまで結論がわからない」と思われるかもしれないが、理由の中で「極刑をもって臨むほかない」などと読まれたり、「法令の適用」が言い渡されるので、その時点で死刑判決であることが見当が付くことが多いようである。緊張の極限状態にある被告人が、回りくどい言い回し判決文をどの程度理解して聞いているかは疑問だが。私が傍聴した限りでは、控訴審での死刑判決(一審無期懲役破棄)2件では理由朗読中で判明し、一審死刑判決(裁判員裁判)では最後の主文宣告までわからなかった。判決文中の「死刑」の語を「極めて重い刑」などと読み替えて暗に死刑を仄めかした言い渡しもあった。
●誤報はないのか
主文後回しの無期懲役判決が稀にある。その際に誤報はないのか…。
主文後回しが告げられると、報道関係者が一斉に席を立ち、外へ報告する。しかし、主文が言い渡されるまでの報道では「極刑の公算」「厳刑判決へ」などのぼかした表現が用いられるので、基本的に誤報はないようである(「極刑」は死刑を意味するが、「厳刑」は「厳しい刑」という抽象的な表現にすぎない)。「死刑判決の際は主文が後回しにされることが慣例になっており、極めて厳しい判決が予想される」と親切に書いてくれる記事もよく見かける。
主文が言い渡される前から「死刑(極刑)」と断定した形で報道された例に、2002年3月の及川和行の判決がある。北海道新聞同日付夕刊の一面トップ見出しは「及川被告に極刑」であった。本文中では「極刑が予想される」と書かれているが、見出しだけとはいえ「極刑」と断定した形で書かれたのは珍しい。
主文後回しの無期懲役が言い渡された高橋義政(2006年12月)の場合、静岡新聞夕刊の見出しは「高橋被告、厳刑へ」であった。恐らく死刑判決を予想して書かれた記事であろうが、誤報にはなっていない。
●主な事例
以下、3つのテーマにおける事例を紹介する。各種報道やネット上の傍聴記を参考にさせていただいた。記事の内容から主文の位置が判断できたもの(推測を含む)を載せたが、誤りが含まれている可能性もある。
・死刑冒頭宣告(第一審)
死刑が確実視される大量殺人犯が多いという印象を受ける。広域重要指定事件も4人含まれている。社会的影響や注目度が大きかった事件、被告人の態度や無反省に対し、厳しい態度で臨むという意向の表れか。藤間や宮崎のように、被告人の精神状態が問題となったケースも多いと思うのだが…どうだろうか。また、冤罪主張事件では被告人に無用な期待を抱かせないという配慮(?)との見方も成り立つ。
判決ではないが、通常、論告求刑公判では検察官は求刑を論告後に行うが、裁判員裁判死刑求刑2事例目(横浜地裁、池田容之被告人)では、冒頭で死刑を求刑した。
被告人 |
判決年月 |
地裁 |
裁判長 |
備考 |
佐藤務 |
1947年9月 |
大分 |
石橋 |
連続拳銃強盗殺傷(1名殺害) |
蓑島飽太郎 |
1951年1月 |
千葉 |
石井 |
母・妹殺害。 |
山崎豊直 |
1956年7月 |
大分 |
青山 |
叔父夫婦強盗殺傷。 |
松岡道男 |
1958年1月 |
四日市 |
渋谷利二 |
控訴審で両名無期懲役。 |
浅田治郎 |
1958年7月 |
小田原 |
雨宮 |
30数件の広域女性暴行事件(2名殺害)。 |
阿部正夫 |
1961年7月 |
弘前 |
飯島 |
控訴審で無期懲役。 |
貞末哲也 |
1962年2月 |
山口 |
永見真人 |
暴力団抗争事件。 |
岡部保 |
1962年6月 |
山口 |
永見真人 |
一家6名強殺事件。 |
押保嘉昭 |
1965年5月 |
千葉 |
石井 |
老夫婦強殺事件。 |
大久保清 |
1973年2月 |
前橋 |
水野正男 |
女性連続8名殺害事件。 |
木村修治 |
1982年3月 |
名古屋 |
塩見秀則 |
女子大生身代金誘拐殺人事件。 |
藤間靜波 |
1988年3月 |
横浜 |
和田保 |
女子高生ら連続5名殺害事件。 |
桑野藤一郎 |
1988年3月 |
新潟 |
堀内信明 |
控訴審で無期懲役。 |
廣田雅晴 |
1988年10月 |
大阪 |
青木暢茂 |
元警官による連続射殺事件。 |
高橋和利 |
1995年9月 |
横浜 |
中西武夫(代読) |
冤罪主張事件。 |
宮崎勤 |
1997年4月 |
東京 |
田尾健二郎 |
連続幼女誘拐殺人事件。 |
西本晴芳 |
1999年2月 |
岡山 |
楢崎康英 |
ライフル乱射3名射殺事件。 |
鎌田安利 |
1999年3月 |
大阪 |
横田信之 |
女性5名連続殺人事件(2つの死刑判決)。 |
日高廣明 |
2000年2月 |
広島 |
戸倉三郎 |
女性4名連続殺人事件。 |
宅間守 |
2003年8月 |
大阪 |
川合昌幸 |
退廷で言渡時不在。 |
津田寿美年 |
2011年6月 |
横浜 |
秋山敬 |
裁判員裁判では初の冒頭宣告。 |
川崎竜弥 |
2018年2月 |
静岡 |
佐藤正信 |
無罪主張(黙秘)事件。 |
ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン |
2018年3月 |
さいたま |
佐々木直人 |
無罪主張(心神喪失)事件。 |
主文中盤宣告 |
||||
及川和行 |
2002年3月 |
帯広 |
榎戸道也 |
・死刑判決以外の主文後回し(第一審) ※共同被告人が死刑判決を受けた事例を除く。
甲府信金OL誘拐殺人事件で無期懲役を言い渡した三浦裁判長は、「冒頭で『無期懲役に処する』と告げると、被告は死刑を逃れられたと思ってほっとしてしまい、判決理由をきちんと聞いてくれないかもしれない」(読売新聞社会部『死刑』)との判断から、あえて主文を後回しにしたという。以下に挙げたケースの多くは限りなく死刑に近い事例が多い。いわゆる「温情判決」であり、三浦裁判長と同様の計らいではないだろうか。
また、甲府地裁での事例が3件もあることから、もしかすると裁判所ごとの慣習もあるのかもしれない。
被告人 |
判決年月 |
判決 |
求刑 |
地裁 |
裁判長 |
態様 |
備考 |
伊藤俊雄 |
1950年4月 |
無期懲役 |
死刑 |
西条 |
塩田 |
伊藤の両親強殺 |
合議がまとまらず判決を延期。裁判長も「異例の判決」と談話。 |
松井久春 |
1950年5月 |
無期懲役 |
死刑 |
小倉 |
篠原 |
香月事件 |
藤瀬と田島は当初懲役15年を求刑して結審したが、後に無期懲役に変更。 |
阿部勝之進 |
1951年3月 |
無期懲役 |
死刑 |
宇都宮 |
山本 |
少女を強姦し殺害(少女1名殺害) |
|
小菅茂 |
1952年3月 |
無期懲役 |
死刑 |
熊谷 |
伊藤 |
古物商強殺(1名殺害) |
|
吉原廣 |
1953年3月 |
無期懲役 |
死刑 |
宇都宮 |
山本 |
女性1名殺害 |
吉原は単独犯として死刑判決を言い渡されたが、控訴審で共犯の存在が明らかになったため地裁に差戻し。 |
福本政雄 |
1953年11月 |
無罪 |
懲役15年 |
和歌山 |
山本 |
女性銀行員1名殺害 |
冤罪疑惑事件。一審は共謀を否定して福本に無罪判決。控訴審で両名とも有罪判決(懲役8年・6年)を受け、上告審で確定した。福本氏は再審請求中に病死。 |
浦和照男 |
1954年5月 |
無期懲役 |
死刑 |
浦和 |
村松 |
母親強殺 |
素行の悪い成人直前の男が母親を強盗目的で殺害、尊属殺人罪と強盗殺人罪に問われる。弁護人すら十中八九死刑と思っていたが、被害者たる母親が何よりも更生を願っていると無期。不孝な子を持つ親からも減軽嘆願が届いていた。検察側が控訴するも、同様の理由で棄却。 |
井上良子 |
1954年6月 |
懲役15年 |
死刑 |
和歌山 |
山本 |
社長の内妻が情夫らと共謀、 |
複雑な男女関係が事件の背景。死刑求刑に対しては軽い判決。控訴審では井上のみ無期懲役、ほか2名は控訴棄却。 |
外間元春 |
1954年11月 |
無期懲役 |
死刑 |
中央巡裁 |
親泊 |
米占領下の沖縄、元警視庁巡査による強殺1名 |
|
梶恒清 |
1956年7月 |
無罪 |
無期懲役 |
下関 |
横山 |
下校途中の小1女児殺害 |
物証なし。自白の任意性否定。 |
丹後善一 |
1957年10月 |
無期懲役 |
死刑 |
福井 |
黒羽 |
警備員1名強殺 |
|
平野亨 |
1958年4月 |
無期懲役 |
死刑 |
盛岡 |
降矢艮 |
男性1名強殺 |
|
千葉忠 |
1958年12月 |
懲役15年 |
無期懲役 |
仙台高裁 |
門田實 |
強姦致傷・殺人 |
被告人は犯行当時17歳少年。 |
18歳少年 |
1959年3月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
諏訪 |
馬場励 |
強盗殺人女性1名殺害 |
死刑を回避した理由の1つに、少年であったことが挙げられている。 |
坂井穎子(19) |
1959年3月 |
懲役10年 |
無期懲役 |
大阪高裁 |
万歳規矩楼 |
婚約者毒殺事件 |
少女が愛人に唆され、婚約者を殺害したとして、少女は殺人、愛人は殺人教唆で起訴された。一審は教唆の今井氏に無罪、坂井被告は心神耗弱で懲役7年判決。控訴審でも今井氏の無罪が維持された一方、坂井被告は正常だったとして一審より重い懲役10年判決。 |
五十嵐正義 |
1959年7月 |
無期懲役 |
死刑 |
八王子 |
河内 |
保険金目的放火(死者8名) |
控訴審で死刑判決。戦後、放火罪のみ(殺人の罪に問われず)死刑が確定した唯一の事例。 |
宮本良一 |
1960年3月 |
無期懲役 |
死刑 |
仙台 |
佐々木 |
女性2名殺害 |
詳細は合田士郎著『そして死刑は執行された』に書かれているが、合田氏の服役時期と明らかに矛盾している。 |
伊藤斗福 |
1960年3月 |
懲役10年 |
懲役15年 |
東京 |
山田鷹之助 |
詐欺・外為法違反 |
保全経済会事件。 |
佐藤栄 |
1960年4月 |
無期懲役 |
死刑 |
小樽 |
山田 |
一家6名殺害(心神耗弱) |
|
長嶺宗正 |
1960年8月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
国頭巡裁 |
立津 |
幼女殺害 |
論告以上に峻烈な判決で、死刑相当とした上で自首減軽。 |
照屋実清 |
1960年12月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
中頭巡裁 |
兼島方信 |
女性1名殺害 |
三たび無期懲役と差戻しを繰り返した結果、4度目の差戻し一審で無罪判決。検察側の上告棄却で無罪確定。沖縄版八海事件。第2次一審(無期)は主文後回し、第3次(無期)と第4次(無罪)は冒頭宣告であったことを確認。(占領下沖縄は二審制) |
ベバリー・ウオーレス・クオッケンブッシュ |
1961年12月 |
懲役8年 |
懲役12年 |
東京 |
清水春三 |
夫・父殺害 |
米軍属妻子による酒乱の夫・父殺害。外国人少年に初めて(アメリカにはない)尊属殺人罪が適用された。法廷通訳。控訴審では傷害致死(尊属傷害致死)罪とされ、妻には懲役4年、長男には同3年(執行猶予5年)の判決が言い渡され、確定した。 |
斎藤篤 |
1962年7月 |
無期懲役 |
死刑 |
甲府 |
降矢艮 |
偶発的な強盗殺人(女性1名殺害) |
検察官主張の「計画的犯行」と、弁護側主張の「殺人と窃盗の併合罪」を足して2で割ったような判決。弁護人すら「検察官の主張のほうが筋が通っている」と話したのは異例では? |
服部健二 |
1964年11月 |
無期懲役 |
死刑 |
熊谷 |
伊沢 |
銀行員による顧客強殺(男性1名殺害) |
銀行員が横領の穴埋めに、顧客の預金を奪う目的で殺害。5歳の子供が犯行を目撃。新聞記事からは、服部が主文言渡まで相当動揺した様子が伺える。野本は心神耗弱による減軽。 |
奥孝一 |
1964年11月 |
無期懲役 |
死刑 |
熊谷 |
伊沢 |
株取引をめぐり重役夫人殺害(女性1名殺害) |
上記5日後の判決。同支部での相次ぐ寛刑判決に非難の声も高かった。 |
車興佶 |
1965年4月 |
無期懲役 |
死刑 |
仙台 |
佐々木次雄 |
身代金目的誘拐殺人(男児1名殺害) |
控訴審で死刑。 |
矢野康俊 |
1966年3月 |
無期懲役 |
死刑 |
長崎 |
淵上 |
路上女性暴行殺人(1名殺害) |
|
少年 |
1966年11月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
名古屋 |
野村 |
連続19件の強盗致傷、強盗強姦等事件 |
約2年半の間に、少女を中心に19件もの強盗致傷、強盗強姦等の事件を敢行した。殺人事件以外では、少年に対して異例の無期懲役判決。 |
辻次男 |
1968年11月 |
無期懲役 |
死刑 |
宇和島 |
水地 |
女子中学生誘拐・暴行殺人 |
孤島で発生した事件。 |
今井昌行 |
1969年2月 |
無期懲役 |
死刑 |
鹿児島 |
徳松巌 |
銀行帰りの経理係強盗殺人(男性1名殺害) |
背後関係が非常に複雑な事件。発案者・首謀者には殺害の意図がなく、末端の実行犯が現場で凶行に及んだため、量刑判断が非常に難しかったと思われる。 |
富井松五郎 |
1970年7月 |
無期懲役 |
死刑 |
浦和 |
石橋 |
教員夫婦強盗殺傷(男性1名殺害) |
|
戸谷修 |
1973年3月 |
無期懲役 |
死刑 |
富山 |
木村幸男 |
幼女強姦殺人(女児1名殺害) |
主文中盤宣告。控訴審で死刑。浄土真宗の『歎異抄』と、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を引き合いに温情判決。 |
ジョージ・ |
1973年5月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
那覇 |
大山永太郎 |
女性1名暴行・殺害 |
沖縄日本復帰後、米兵の殺人事件としては初の判決。 |
滝本末光 |
1973年2月 |
無期懲役 |
死刑 |
高知 |
滝口功 |
少女暴行殺人 |
|
徳田文夫 |
1974年2月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
いわき |
水澤武人 |
妻子放火殺人(3名殺害) |
冤罪主張事件。 |
南郷弘光 |
1974年2月 |
無期懲役 |
死刑 |
大阪 |
井上清 |
男子中学生殺害 |
|
林隆史 |
1974年12月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
千葉 |
鍬田日出夫 |
幼女連続暴行殺傷(2名殺害) |
第一殺人時18歳。 |
尾形健二 |
1975年9月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
盛岡 |
古口満 |
長距離トラック運転手強殺(1名殺害) |
東日本全域にわたる超広域事件。尾形は古口裁判長が後に異動する甲府市の出身というのも何かの因縁か。 |
島田光男 |
1976年9月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
那覇 |
宮城安理 |
保険金目的父親焼殺 |
|
友谷俊一 |
1977年1月 |
無期懲役 |
死刑 |
大阪 |
浅野芳朗 |
女子工員(交際相手)2人連続殺人 |
|
17歳少年 |
1979年7月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
大津 |
金山丈一 |
強盗殺人(老夫婦殺害) |
犯時17歳のため、死刑選択の上、少年法により減軽。 |
山崎正雄 |
1981年3月 |
無期懲役 |
死刑 |
桐生 |
荒川昂 |
アベック襲撃(女性1名殺害) |
殺人前科あり。 |
森川正春 |
1985年11月 |
無期懲役 |
死刑 |
鹿児島 |
須藤繁 |
男性1名強殺、ほか強殺予備2件 |
|
関谷正昭 |
1988年2月 |
無期懲役 |
死刑 |
甲府 |
古口満 |
アパート放火殺傷(女性2名殺害・2名未遂) |
殺人未遂・殺人・放火の各前科あり。死刑回避は殺意が未必的だったためとみられる。 |
宮川豊 |
1995年3月 |
無期懲役 |
死刑 |
甲府 |
三浦力 |
身代金目的誘拐殺人(女性1名殺害) |
理由は上述のとおり。元刑務官・坂本敏夫氏が「あの時期でなかったら間違いなく死刑」と語った。 |
林郁夫 |
1998年3月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
東京 |
山室惠 |
地下鉄サリン実行役等(13名殺害) |
自首と、組織犯罪解明に貢献した事実、死刑を望まない遺族がいること、および深い反省悔悟等を評価し、無期懲役を求刑。一種の司法取引的判断。 |
井上嘉浩 |
2000年6月 |
無期懲役 |
死刑 |
東京 |
井上弘通 |
地下鉄サリン後方支援等(15名殺害) |
深い反省悔悟の情を評価。控訴審では総合調整役と認定され死刑。 |
板垣学 |
2000年9月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
横浜 |
岩垂正起 |
わいせつ目的殺人(女性1名殺害) |
「限りなく死刑に近い」と断罪され、求刑が無期懲役だったため、死刑を回避せざるを得なかったのではという印象。 |
西川和孝 |
2000年10月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
新潟 |
榊五十雄 |
金融業者強盗殺人事件(男性1名殺害) |
元子役俳優らによる殺人事件として世間の耳目を浴びた。 |
横田謙二 |
2001年6月 |
無期懲役 |
死刑 |
さいたま |
若原正樹 |
女性バラバラ殺人 |
無期懲役仮釈放中の再犯。控訴審で死刑。 |
石川義純 |
2001年8月 |
無期懲役 |
死刑 |
福井 |
松永真明 |
日系ブラジル人男女殺人 |
物証の乏しい冤罪主張事件。「玉虫色判決」。控訴審(棄却判決)は冒頭宣告。 |
福田孝行 |
2000年3月 |
無期懲役 |
死刑 |
山口 |
渡邉了造 |
光市母子殺害事件(母子2名殺害) |
|
L.C |
2005年4月 |
無期懲役 |
死刑 |
大分 |
鈴木浩美 |
連続強盗殺傷事件(2名殺害・1名未遂) |
検察が死刑を求めて上告。 |
高瞻 |
2005年11月 |
無期懲役 |
死刑 |
名古屋 |
伊藤新一郎 |
身代金目的誘拐殺人(女性1名殺害) |
加害者・被害者ともに中国人。殺人の計画性の否定、共犯者間の地位などが死刑回避の理由と思われる。 |
高塩正裕 |
2006年3月 |
無期懲役 |
死刑 |
いわき |
村山浩昭 |
同時機会2名殺害の強盗殺人(女性2名殺害) |
控訴審で死刑。 |
宇都宮健介 |
2006年5月 |
無期懲役 |
死刑 |
松山 |
前田昌宏 |
妻子殺害 |
度重なるDVの末に、妻と生後5か月の長男を殺害。 |
高橋義政 |
2006年6月 |
無期懲役 |
死刑 |
静岡 |
竹花俊徳 |
逆恨み・無関係者殺害(女性2名殺害) |
検察が死刑を求めて上告。 |
大倉翼 |
2006年12月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
金沢 |
堀内満 |
強盗殺人(夫婦殺害) |
犯時17歳のため、死刑選択の上、少年法により減軽。 |
小室哲哉 |
2009年5月 |
懲役3年 |
懲役5年 |
大阪 |
杉田宗久 |
5億円の詐欺事件 |
同裁判長は執行猶予付き判決でも主文後回しにすることがある。裁判員制度を控え、「有罪・無罪の判断をした上で、量刑を決める」という流れを見据えたものとの見方も。 |
渡辺勇一 |
2010年3月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
札幌 |
辻川靖夫 |
蘭越母子殺傷事件 |
|
宮原直樹 |
2010年5月 |
懲役3年 |
懲役3年 |
横浜 |
佐脇有紀 |
横浜港2遺体遺棄事件 |
|
山田一幸 |
2011年2月 |
懲役3年 |
懲役5年 |
福岡 |
田口直樹 |
福岡市東区妻刺殺未遂事件 |
裁判員裁判。 |
松田美智浩 |
2011年12月 |
懲役3年 |
懲役10年 |
水戸 |
菱田泰信 |
稲敷父親刺殺未遂事件 |
裁判員裁判。 |
引寺利明 |
2012年3月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
広島 |
伊名波宏仁 |
広島マツダ通り魔殺傷事件 |
裁判員裁判。 |
佐々木靖雄 |
2012年4月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
大津 |
飯島健太郎 |
大津石材店妻殺人事件 |
裁判員裁判。 |
竹中誠司 |
2013年3月 |
無期懲役 |
死刑 |
広島 |
伊名波宏仁 |
広島お好み焼き店夫婦強盗殺人事件 |
裁判員裁判。 |
田畑敏之 |
2015年12月 |
懲役5年 |
不明 |
千葉 |
家令和典 |
強制わいせつ致傷事件 |
裁判員裁判。 |
東竜二 |
2016年2月 |
無期懲役 |
懲役25年 |
宮崎 |
瀧岡俊文 |
元交際女性バラバラ殺人事件 |
裁判員裁判。 |
大内万里亜 |
2017年3月 |
無期懲役 |
無期懲役 |
名古屋 |
山田耕司 |
元名大生による高齢女性殺人事件等 |
裁判員裁判。 |
陳世峰 |
2017年12月 |
懲役20年 |
懲役20年 |
東京 |
家令和典 |
中国人による中国人殺害(ストーカー絡み) |
裁判員裁判。 |
女性被告 |
2018年1月 |
懲役3年 |
東京高裁 |
朝山芳史 |
DV反撃殺人未遂 |
裁判員裁判の控訴審。 |
|
須川泰伸 |
2018年3月 |
無期懲役 |
死刑 |
長崎 |
小松本卓 |
父娘殺人放火 |
裁判員裁判。 |
松原朱音 |
2020年9月 |
懲役3年 |
懲役4年 |
神戸 |
飯島健太郎 |
祖母殺害 |
裁判員裁判。 |
竹島叶実 |
2021年11月 |
無罪 |
無期懲役 |
神戸 |
飯島健太郎 |
家族・近隣住民殺傷 |
裁判員裁判。 |
主文中盤宣告 |
|||||||
尹麗娜 |
2010年1月 |
無期懲役 |
死刑 |
大阪 |
長井秀典 |
連続替え玉殺人事件 |
理由の要旨→主文→理由の詳細の順で朗読。3件の殺人罪に問われ、1件につき無罪、1件につき傷害致死認定。 |
・死刑求刑事件の控訴審判決
控訴棄却「死刑→死刑」 |
原判決破棄「死刑→無期」 |
||||||||||
被告人 |
判決年月 |
高裁 |
裁判長 |
備考 |
被告人 |
判決年月 |
高裁 |
裁判長 |
備考 |
||
頭 |
小原保 |
1966年11月 |
東京 |
河本文夫 |
吉展ちゃん事件。 |
頭 |
大津健一 |
1962年12月 |
東京 |
三宅富士郎 |
カービン銃ギャング事件等。 |
頭 |
諸橋昭江 |
1986年6月 |
東京 |
寺沢栄 |
相被告人に松本明(懲役9年)。 |
頭 |
石川一雄 |
1974年10月 |
東京 |
寺尾正二 |
狭山事件。 |
頭 |
永山則夫 |
1987年3月 |
東京 |
石田穰一 |
一審死刑判決は後回し。 |
頭 |
永山則夫 |
1981年8月 |
東京 |
船田三雄 |
一審死刑判決は後回し。 |
頭 |
大森勝久 |
1988年1月 |
札幌 |
水谷富茂人 |
頭 |
梶原利行 |
1985年3月 |
東京 |
鬼塚賢太郎 |
||
頭 |
宮崎知子 |
1992年3月 |
金沢 |
濱田武律 |
相被告人に北野宏(無罪)。 |
頭 |
井上保幸 |
1986年4月 |
福岡 |
浅野芳朗 |
|
頭 |
林泰男 |
2003年12月 |
東京 |
村上光鵄 |
頭 |
石井喜吉 |
2005年9月 |
仙台 |
田中亮一 |
||
頭 |
早川紀代秀 |
2004年5月 |
東京 |
中川武隆 |
頭 |
細谷俊雄 |
2005年11月 |
秋田 |
畑中英明 |
||
頭 |
豊田亨 |
2004年7月 |
東京 |
高橋省吾 |
相被告人に杉本繁郎(無期懲役)。 |
頭 |
竪山辰美 |
2013年10月 |
東京 |
村瀬均 |
|
頭 |
林眞須美 |
2005年6月 |
大阪 |
白井万久 |
頭 |
礒飛京三 |
2017年3月 |
大阪 |
中川博之 |
||
頭 |
上部康明 |
2005年6月 |
広島 |
大渕敏和 |
頭 |
君野康弘 |
2017年3月 |
大阪 |
樋口裕晃 |
||
頭 |
関根元 |
2005年7月 |
東京 |
白木勇 |
頭 |
ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン |
2019年12月 |
東京 |
大熊一之 |
一審死刑判決は主文冒頭宣告。 |
|
頭 |
吉田純子 |
2006年5月 |
福岡 |
浜崎裕 |
頭 |
平野達彦 |
2020年1月 |
大阪 |
村山浩昭 |
心神耗弱。 |
|
頭 |
魏巍 |
2007年3月 |
福岡 |
浜崎裕 |
後 |
川建熊男 |
1953年11月 |
広島 |
伏見正保 |
||
頭 |
大橋健治 |
2007年4月 |
大阪 |
陶山博生 |
被告人不出頭。 |
後 |
城尾哲彌 |
2009年9月 |
福岡 |
松尾昭一 |
|
頭 |
遠藤誠一 |
2007年5月 |
東京 |
池田修 |
|||||||
頭 |
北村孝紘 |
2007年12月 |
福岡 |
正木勝彦 |
|||||||
頭 |
鈴木泰徳 |
2008年2月 |
福岡 |
正木勝彦 |
|||||||
頭 |
阿佐吉廣 |
2008年4月 |
東京 |
中川武隆 |
|||||||
頭 |
小林竜司 |
2008年5月 |
大阪 |
若原正樹 |
|||||||
頭 |
濱崎勝次 |
2008年9月 |
東京 |
安廣文夫 |
|||||||
頭 |
謝依俤 |
2008年10月 |
東京 |
須田賢 |
|||||||
頭 |
高見澤勤 |
2008年12月 |
東京 |
安廣文夫 |
|||||||
頭 |
清水大志 |
2009年5月 |
東京 |
長岡哲次 |
|||||||
頭 |
伊藤玲雄 |
2009年8月 |
東京 |
長岡哲次 |
|||||||
頭 |
川崎政則 |
2009年10月 |
高松 |
柴田秀樹 |
|||||||
頭 |
小泉毅 |
2011年12月 |
東京 |
八木正一 |
|||||||
頭 |
松原智浩 |
2012年3月 |
東京 |
井上弘通 |
裁判員死刑控訴審判決一例目。 |
||||||
頭 |
奥本章寛 |
2012年3月 |
宮崎 |
榎本巧 |
裁判員死刑控訴審判決二例目。 |
||||||
頭 |
田尻賢一 |
2012年4月 |
福岡 |
陶山博生 |
裁判員死刑控訴審判決三例目。 |
||||||
頭 |
桑田一也 |
2012年7月 |
東京 |
山崎学 |
裁判員死刑控訴審判決四例目。 |
||||||
頭 |
池田和史 |
2014年2月 |
東京 |
村瀬均 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
頭 |
木嶋佳苗 |
2014年3月 |
東京 |
八木正一 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
頭 |
上田美由紀 |
2014年3月 |
松江 |
塚本伊平 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
頭 |
浅山克己 |
2014年10月 |
東京 |
八木正一 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
頭 |
保見光成 |
2016年9月 |
広島 |
多和田隆史 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
頭 |
堀慶末 |
2016年11月 |
名古屋 |
山口裕之 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
頭 |
筧千佐子 |
2019年3月 |
大阪 |
樋口裕晃 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
頭 |
上村隆 |
2021年5月 |
大阪 |
宮崎英一 |
裁判員裁判控訴審判決。 |
|
|
|
|
|
|
後 |
小平義雄 |
1948年2月 |
東京 |
谷中董 |
旧刑訴法のため「控訴棄却」でなく「死刑」判決。 |
||||||
後 |
早本実 |
1957年12月 |
金沢 |
沢田 |
|||||||
後 |
斎藤幸夫 |
1959年5月 |
仙台 |
門田實 |
松山事件。後に再審無罪。 |
|
|
|
|
|
|
後 |
坂野三雄 |
1966年5月 |
福岡 |
岡林 |
|||||||
後 |
本山茂久 |
1966年8月 |
東京 |
樋口勝 |
|||||||
後 |
岡部保 |
1968年2月 |
広島 |
渡辺雄 |
仁保事件第一次控訴審。 |
||||||
後 |
関光彦 |
1996年7月 |
東京 |
神田忠治 |
|||||||
後 |
造田博 |
2003年9月 |
東京 |
原田國男 |
|||||||
後 |
八木茂 |
2005年1月 |
東京 |
須田賢 |
|||||||
後 |
小日向将人 |
2006年3月 |
東京 |
仙波厚 |
|||||||
後 |
山本開一 |
2006年9月 |
東京 |
阿部文洋 |
高尾と同日言渡。 |
||||||
後 |
高尾康司 |
2006年9月 |
東京 |
須田賢 |
山本と同日言渡。 |
||||||
後 |
千葉祐太郎 |
2014年1月 |
仙台 |
飯渕進 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
後 |
高橋明彦 |
2014年6月 |
仙台 |
飯渕進 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
後 |
筒井郷太 |
2014年6月 |
福岡 |
古田浩 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
後 |
西口宗宏 |
2016年9月 |
大阪 |
後藤眞理子 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
後 |
土屋和也 |
2018年2月 |
東京 |
栃木力 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
後 |
肥田公明 |
2018年7月 |
東京 |
大島隆明 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
後 |
川崎竜弥 |
2019年3月 |
東京 |
藤井敏明 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
||||||
後 |
岩間俊彦 |
2019年12月 |
東京 |
青柳勤 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
|
|
|
|
|
|
後 |
中田充 |
2021.年9月 |
福岡 |
辻川靖夫 |
裁判員死刑控訴審判決。 |
|
|
|
|
|
|
原判決破棄「無期→死刑」 |
控訴棄却「無期→無期」 |
||||||||||
頭 |
香野圭造 |
1970年12月 |
福岡 |
中村荘十郎 |
裁判長が説諭で上告を勧める。 |
頭 |
村田満 |
1974年7月 |
仙台 |
太中茂 |
杉田は懲役18年判決(求刑無期)。 |
頭 |
野崎浩 |
2010年10月 |
東京 |
長岡哲次 |
控訴棄却(懲役14年)+破棄死刑 |
頭 |
石川義純 |
2003年10月 |
金沢 |
安江勤 |
一審は後回し。 |
後 |
森下春雄 |
1954年6月 |
岡山 |
有地 |
頭 |
安藝健太郎 |
2005年1月 |
大阪 |
那須彰 |
||
後 |
五十嵐正義 |
1960年10月 |
東京 |
長谷川 |
一審無期懲役判決も主文後回し。 |
頭 |
平栗秀正 |
2005年12月 |
東京 |
池田修(代読) |
|
後 |
吉田稔 |
1966年9月 |
仙台 |
細野幸雄 |
頭 |
張安 |
2006年3月 |
大阪 |
片岡博 |
||
後 |
車興佶 |
1966年10月 |
仙台 |
細野幸雄 |
一審無期懲役判決も主文後回し。 |
頭 |
高橋義政 |
2007年6月 |
東京 |
大野市太郎 |
一審は後回し。 |
後 |
笹沼光男 |
1969年5月 |
東京 |
栗田正 |
少年による結婚詐欺殺人事件。 |
頭 |
畠山鈴香 |
2009年3月 |
秋田 |
藤井俊郎 |
|
後 |
加鬮山秀武 |
1992年6月 |
仙台 |
渡辺達夫 |
頭 |
星島貴徳 |
2009年9月 |
東京 |
山崎学 |
||
後 |
横田謙二 |
2002年9月 |
東京 |
高橋省吾 |
一審無期懲役判決も主文後回し。 |
頭 |
吉岡正行 |
2009年9月 |
東京 |
若原正樹 |
|
後 |
井上嘉浩 |
2004年5月 |
東京 |
山田利夫 |
一審無期懲役判決も主文後回し。 |
頭 |
林大平 |
2009年11月 |
東京 |
原田國男 |
|
後 |
坂本正人 |
2004年10月 |
東京 |
白木勇 |
頭 |
ホセ・マヌエル・ |
2010年7月 |
広島 |
竹田隆 |
差戻し控訴審。 |
|
後 |
服部純也 |
2005年3月 |
東京 |
田尾健二郎 |
頭 |
伊藤嘉信 |
2013年1月 |
仙台 |
飯渕進 |
||
後 |
森健充 |
2006年12月 |
大阪 |
島敏男 |
上告審で差戻し後、地裁で無罪判決。検察側控訴中。 |
頭 |
森健充 |
2017年3月 |
大阪 |
福崎伸一郎 |
差戻し控訴審。無罪→無罪。 |
後 |
高塩正裕 |
2006年12月 |
仙台 |
田中亮一 |
一審無期懲役判決も主文後回し。 |
頭 |
武井北斗 |
2020年12月 |
東京 |
平木正祥 |
|
後 |
片岡清 |
2008年2月 |
岡山 |
小川正明 |
後 |
中村昇 |
2003年9月 |
東京 |
仙波厚 |
一審は冒頭宣告。 |
|
後 |
福田孝行 |
2008年4月 |
広島 |
楢崎康英 |
光市母子殺害事件。差戻控訴審。 |
後 |
守大助 |
2006年3月 |
仙台 |
田中亮一 |
無期懲役求刑。 |
後 |
渡辺純一 |
2009年3月 |
東京 |
長岡哲次 |
|||||||
後 |
岩森稔 |
2009年3月 |
東京 |
若原正樹 |
|||||||
原判決破棄「無罪→死刑」 |
原判決破棄「死刑→無罪」 |
||||||||||
頭 |
奥西勝 |
1961年8月 |
名古屋 |
上田孝造 |
一審無罪判決も主文冒頭宣告。 |
頭 |
被告人17名 |
2012年12月 |
仙台 |
門田實 |
松川事件。第二次控訴審。死刑求刑は4名。 |
頭 |
岡部保 |
1972年12月 |
広島 |
幸田輝治 |
仁保事件。第一次控訴審(死刑)は主文後回し。 |
||||||
頭 |
中勝美 |
2012年12月 |
大阪 |
川合昌幸 |
|||||||
その他 |
|||||||||||
頭 |
岩嵜竜也 |
2019年4月 |
東京 |
中里智美 |
一審懲役23年→控訴審破棄差戻し。 |
・死刑求刑事件の控訴審判決(複数の被告人で判決が異なる事例)
被告人 |
判決年月 |
判決 |
高裁 |
裁判長 |
備考 |
|
後 |
阿藤周平 |
1959年9月 |
第一審破棄(死刑→無罪) |
広島 |
村木友市 |
八海事件第二次控訴審判決。 |
稻田実 |
第一審破棄(無期→無罪) |
|||||
松崎孝義 |
第一審破棄(無期→無罪) |
|||||
久永隆一 |
第一審破棄(無期→無罪) |
|||||
頭 |
岩崎治一郎 |
1961年7月 |
原判決破棄(無期→死刑) |
大阪 |
奥戸新三 |
いずれも死刑求刑。 |
杉山志づ |
控訴棄却(無期→無期) |
|||||
頭 |
少年L.C |
2007年2月 |
控訴棄却(無期→無期) |
福岡 |
正木勝彦 |
少年のみ死刑求刑。 |
金ビン秀 |
原判決破棄(無期→懲役15年) |
|||||
安逢春 |
控訴棄却(懲役14年→懲役14年) |
|||||
頭 |
堀慶末 |
2011年4月 |
原判決破棄(死刑→無期) |
名古屋 |
下山保男 |
|
川岸健治 |
控訴棄却(無期→無期) |
|||||
後 |
竹内景助 |
1951年3月 |
原判決破棄(無期→死刑) |
東京 |
谷中董 |
三鷹事件。 |
他12名 |
控訴棄却(無罪→無罪) |
|||||
後 |
阿藤周平 |
1965年8月 |
第一審破棄(死刑→死刑) |
広島 |
河相格治 |
八海事件第三次控訴審判決。 |
稻田実 |
第一審破棄(無期→15年) |
|||||
松崎孝義 |
第一審破棄(無期→12年) |
|||||
久永隆一 |
第一審破棄(無期→12年) |
|||||
後 |
小林カウ |
1965年9月 |
原判決破棄(死刑→死刑) |
東京 |
小林健治 |
一審も主文後回し。 |
大貫光吉 |
原判決破棄(無期+無期→無期+死刑) |
|||||
中村又一郎 |
原判決破棄(無罪→懲役10年) |
|||||
後 |
新井清明 |
1972年4月 |
原判決破棄(死刑→無期) |
東京 |
||
中村三郎 |
控訴棄却(無期→無期) |
|||||
後 |
迫康裕 |
1998年3月 |
控訴棄却(死刑→死刑) |
仙台 |
泉山禎治 |
死刑求刑、被告人側控訴。 |
熊谷昭孝 |
控訴棄却(死刑→死刑) |
|||||
岡崎茂男 |
控訴棄却(死刑→死刑) |
|||||
熊谷光輝 |
控訴棄却(無期→無期) |
死刑求刑、検察側控訴。 |
||||
菅原勝治郎 |
控訴棄却(無期→無期) |
|||||
石森郁緒 |
控訴棄却(無期→無期) |
無期懲役求刑、被告人側控訴。 |
||||
後 |
外尾計夫 |
2004年5月 |
控訴棄却(死刑→死刑) |
福岡 |
虎井寧夫 |
|
山口礼子 |
原判決破棄(死刑→無期) |
|||||
後 |
小林正人 |
2005年10月 |
原判決破棄(死刑→死刑) |
名古屋 |
川原誠 |
一審も主文後回し。 |
小森淳 |
原判決破棄(無期→死刑) |
|||||
芳我匡由 |
||||||
後 |
菅峰夫 |
2006年5月 |
控訴棄却(死刑→死刑) |
福岡 |
虎井寧夫 |
|
手柴勝敏 |
原判決破棄(無期→死刑) |
|||||
後 |
松永太 |
2007年9月 |
控訴棄却(死刑→死刑) |
福岡 |
虎井寧夫 |
|
緒方純子 |
原判決破棄(死刑→無期) |
●戦前の事例
以前、戦前の事例についてメールで情報をいただいた。主文後回しが相当古くから慣習として存在していたことを裏付けるものと思われる。
被告人 |
事件 |
判決年月日 |
判決 |
地裁 |
裁判長 |
備考 |
|
後 |
松平紀義 |
御茶ノ水おこの殺し |
1897(明治30)年12月2日 |
無期懲役 |
東京 |
||
後 |
中川万次郎 |
堀江5人殺し |
1905(明治38)年8月9日 |
無期懲役 |
大阪 |
05年12月14日、控訴院で死刑判決(主文後回し)。 |
|
頭 |
野口男三郎 |
強盗殺人事件 |
1906(明治39)年5月17日 |
死刑 |
東京 |
強殺1件、殺人2件で起訴されるも、殺人2件は無罪。 |
|
後 |
藤原正次 |
黒焦げ美人事件 |
1913(大正2)年7月14日 |
死刑 |
岡山 |
藤原のみ死刑確定。 |
|
後 |
佐藤忠助 |
六反池バラバラ殺人事件 |
1921(大正10)年6月29日 |
死刑 |
大阪 |
22年1月30日、大審院で確定。 |
|
頭 |
江連力一郎 |
大輝丸事件(24人殺害) |
1925(大正14)年2月27日 |
懲役12年 |
東京 |
同年12月5日、控訴院でも12年判決。 |
|
後 |
高見次男 |
龍野6人殺し |
1927(昭和2)年5月17日 |
死刑 |
神戸 |
大審院で確定。 |
|
後 |
杉山憲太郎 |
陸軍少将令嬢強盗強姦殺人 |
1929(昭和4)年4月5日 |
死刑 |
東京 |
大審院で確定。 |
|
後 |
五味鉄雄 |
大岡山女優一家殺害 |
1931(昭和6)年4月20日 |
死刑 |
東京 |
小林 |
五味は服罪。 |
後 |
小林利平 |
人間細切れ事件 |
1934(昭和9)年9月19日 |
死刑 |
東京 |
玉井 |
一審確定。 |
後 |
川俣初太郎 |
西郷山貰い五25人殺し |
1935(昭和10)年9月23日 |
死刑 |
東京 |
池田 |
一審確定。 |
後 |
鵜野洲武義 |
青酸カリ殺人事件 |
1936(昭和11)年1月31日 |
死刑 |
東京 |
池田 |
大審院で確定。 |