ミクロ経済学の力から。少し脱線だが、面白い話が載っていたので。
コインを、裏が出るまでトスし続けて、賞金は、2のコイントスの回数乗円という賭けがあるとすると、この賭けの参加費用がいくらなら参加するかという話である。この賭けの期待値を計算すると実は無限大になるが、もし期待値から人が行動するとすると、人は100万円でも1億円でも参加するはずである。しかしそれだけ払う人はまずいないだろうから、筆者は人は合理的でなく、また危険回避的な人と危険愛好的である人がいるといった話に繋げている。
人が合理的でないことも、危険に対する感覚が人それぞれであることも正しいが、それとは話は別で、この賭けでいくらでも参加するはずという考え自体が誤謬だということを説明したい。そうこれはアキレスと亀のような詭弁なのだ。
何が間違っているかと言えば、期待値の扱い方である。例えばサイコロの目の期待値は3.5である。しかしサイコロの目が3.5であると考えて行動することが妥当なのは、相当な回数施行した場合を総合して考えた時である。期待値という言葉に惑わされるが、その値が正確にそのものの価値を反映しているわけではないのだ。
それではこの賭けの妥当な金額はどのように考えたらよいのだろうか。
実際のところ無限に低い確率を可能性があるとしているところにこの話の問題がある。そしてどのくらいまで起こりうるかという判断によって期待値が変わってくる。例えば10回までしか起こりえないと考えるなら期待値は10円であるし、20回なら20円だ(この賭けを式にすると実に計算しやすい)。ちなみに10回の時の最高賞金は512円である。
さて、ここまで読んだ上であれば、いくらが妥当だと考えられるだろうか。