体長40cm前後になる。側へんして左右に平たい。
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魚貝の物知り度
★★★★
知っていたら達人級食べ物としての重要度
★★
地域的、嗜好品的なもの味の評価度
★★★★
非常に美味
分類
顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区棘鰭上目スズキ系スズキ目スズキ亜目シマガツオ科シマガツオ属外国名
Pomfret学名
Brama japonica Hilgendorf, 1878漢字・学名由来
漢字 縞鰹、島鰹
由来・語源 田中茂穂はシマガツオのほかにハマシマガツオ、エチオピアを併記している。
●「シマガツオ」は魚類学者の命名。体形がマナガツオに似ているため。(参考/『新釈魚名考』榮川省造 青銅企画出版)
●「しま」は「島」で南方の意味。南方でとれてマナガツオに似ているから。(参考/『新釈魚名考』榮川省造 青銅企画出版、『魚と貝の事典』望月賢二 柏書房)Hilgendorf
Franz Martin Hilgendorf(フランツ・ヒルゲンドルフ 1839-1904 ドイツ)。動物学者。お雇い外国人教師として来日。第一大学区医学校で日本で初めて博物学の講義を行う。魚類の採取を積極的に行い。魚河岸や江ノ島に通い。函館など日本各地を旅行した。地方名・市場名 ?
エチオピア
場所徳島県海部郡海陽町宍喰『宍喰漁業協同組合』 備考【エチオピアの由来】●1935~1937年に相模湾でこの魚の大漁があり、一般の食卓にものぼるようになった。ちょうどそのときにエチオピアの皇族が来日中であり、この皇族に国際的なロマンスの噂がたって新聞などを賑わせた。それを記念(この表現が不明)してエチオピアと呼ぶようになった。●昭和初期からわが国の南方漁業が急に盛んになり、この魚の漁獲も増えたが、丁度そのころ、わが国とアフリカのエチオピア王国との外交関係が親密であったことから、〈エチオピア〉=〈黒人国〉の連想により、この黒褐色の南方魚を、漁船員、魚商等が〈エチオピア〉と呼び始めた。 参考『魚の履歴書』末広恭雄、『新釈魚名考』榮川省造 青銅企画出版生息域
海水魚。水深620より浅場にいて夜になると表層に浮き上がる。
北海道〜土佐湾の太平洋沖、北海道〜九州北岸の日本海沖、伊豆諸島、小笠原諸島、東シナ海大陸棚斜面上部域、九州〜パラオ海嶺。朝鮮半島西岸・南岸、台湾、ピーター大帝湾、北太平洋、東太平洋。生態
ー基本情報
北海道、三陸などで大量に水揚げされることがある。
古くから切り身などに加工されていたもの。
歩留まりがよく、クセのない味わいなので総菜魚として重宝されたもの。
比較的安く大量にとれるので加工品ともなっている。水産基本情報
市場での評価 三陸などからまとまって入荷してくる。安い。また少ないながら釣りものも入ってくる。底曳き網ものに影響を受けて、これもあまり値がつかない。
漁法 底曳き網
産地選び方
ー味わい
栄養
ー寄生虫
ー食べ方・料理法・作り方 (基本はオススメ順掲載です)
シマガツオの料理法・レシピ・食べ方/生食(刺身、カルパッチョ、セビチェ、なめろう・みそたたき)、焼く(塩焼き、みそ漬け、粕漬け、幽庵焼き)、煮る(煮つけ、魚すき)、ソテー(ムニエル)、汁(みそ汁)、揚げる(唐揚げ)
シマガツオの刺身 皮を引くと比較的軟らかな筋のない身が出てくる。血合いはほとんどなく、マナガツオに似た身色をしていて、やや軟らかい。脂から来る甘味があり、イヤミのない味だ。
シマガツオのなめろう イヤミのない味ではあるがインパクトに欠ける味だ。それをみそと香りや辛みにある野菜で補う。身は細かく切り、みそと合わせてたたく、そこにねぎ、青じそ、みょうがなどのみじん切りを合わせてもう一度たたく。
シマガツオの塩焼き 鱗は非常に硬く取りにくい。この鱗のついたままで塩焼きにする。鱗が気にならないくらいにこんがりと焼き上げても身はしっとりと軟らかく仕上がる。身には甘みとほどよいうま味があり、イヤミは全くない。非常に美味である。
シマガツオのみそ漬け 皮を引いた切り身を、みそ、みりん、酒の地につけ込んだもの。ここでは甘口の麦みそを使ってみた。みそはお好みのものを使うといい。焦げないようにじっくりと焼き上げる。シマガツオの甘味にみそのうま味と甘味が加わってとてもおいしい。
シマガツオの幽庵焼き 切り身をしょうゆ、みりん、酒同割りの地につけ込んで焼き上げたもの。じっくり焦げないように焼き上げる。ゆずや山椒などの香りをつけてもとてもおいしい。
シマガツオの魚すき(いり焼き)
シマガツオのあら煮
ムニエル 柔らかくソテーをしても硬く締まらない。クセがないのでバターと合わせてうま味が増す。ハーブなどと組み合わせていろいろ楽しめる。
シマガツオのみそ汁
シマガツオの竜田揚げ
好んで食べる地域・名物料理
日本各地加工品・名産品
漬け魚釣り情報
相模湾では乗合船があり水深160メートルから200メートルの中層で、仕掛けは胴突き、エサはサバの短冊である。引きが強いので根強い人気がある。他には深場づりの外道としても形を見る。歴史・ことわざ・雑学など
日本各地で「エチオピア」という、その由来。
●1935〜1937年に相模湾でこの魚の大漁があり、一般の食卓にものぼるようになった。ちょうどそのときにエチオピアの皇族が来日中であり、この皇族に国際的なロマンスの噂がたって新聞などを賑わせた。それを記念(この表現が不明)してエチオピアと呼ぶようになった。(『魚の履歴書』末広恭雄)
●昭和初期からわが国の南方漁業が急に盛んになり、この魚の漁獲も増えたが、丁度そのころ、わが国とアフリカのエチオピア王国との外交関係が親密であったことから、〈エチオピア〉=〈黒人国〉の連想により、この黒褐色の南方魚を、漁船員、魚商等が〈エチオピア〉と呼び始めた。(参考/『新釈魚名考』榮川省造 青銅企画出版)参考文献・協力
『日本産魚類検索 全種の同定 第二版』(中坊徹次編 東海大学出版会)、『新釈魚名考』(榮川省造 青銅企画出版)、『魚の履歴書』(末広恭雄 講談社)