――富野監督ってそもそもはコミュ障的に、インタビューとか、人前で話す時とかは苦手な方で、小牧さんの毎月のインタビューなどで鍛えられ、ポジショントークや、イベントでのキャラ付けなどを学んだのではないかと推測しているのですが。
出渕 多分ね、富野さんってね。どーでもいいことを聞いてくる人にはブチっときて、バーっとかましてね、「そんなもんどうでもいいの!」とか言っちゃうんですよね。ま、いいんですけど(笑) その、細かいところのディテールみたいなところ、実は富野さん、本当は気にするっていうか、気にして作ってるはずなんだけれども、気にして作っているものを、そこを「こうですよね」って言われると、またブチっとくるという(笑) ただまぁ、そういうことを調べてちゃんと聞いてくる人に対しては、そうはやりながらも「お、こいつけっこうやるじゃん」とか思うんですよ。まぁあと、当時はインタビュー慣れしていないというか、だいたいアニメの制作者に取材がくるなんてなかった時代ですから、そういう意味では、小牧さんが基準になっちゃったのかもしれないですよね。「小牧以上のことを聞いてくる」「小牧以下のことを聞いてくる」というのはあったと思うんですよ。それで、あと、あの人はまた、話してるうちに思いつくんですよね。「あの、それ、あれはこうだった!」みたいなね。そういう意味では大変感覚的な人なんで、ロジカルなところもあるんだけど、感覚的なところが、よく言えば優れてる、動物的なところがある。だから僕と話していても「あ、そうか! これはこういうことだったんだ!」っていうようなことを気付いて、それを(作品に)フィードバックされるような人ですよね。
――『ガンダム』放映期の一年間の、『アニメック』の小牧インタビューは面白かったです。
出渕 初期のころ、富野さんは「こんなことに答えるんじゃなく、作品が全てです! フィルムが全てです!」だったんですよ。それ正しいんですよ。ものすごく正しいんですよ。僕が氷川(竜介)さんと一緒に富野さんに初めて会った時も、すごい良いことを言ってたんです。「これ(作品)は観てもらって」って。それはもう基本だと思うんですけど、どうもインタビュー慣れして、世間の目が自分の方に来るとなるとね、えぇと、初心の良い部分を、忘れてませんか、お父さん?というね(笑) というのはあるわけですよ。「それはフィルムを観て? それをそんな風に感じられるなんておかしい!」なんてね、そこはちょっと残念なところありますよね。