自閉症の子を授かって、正直、なんでこの子が?
なんで私が?と
思った事は数え切れないほどあります。
もっとどーんと構えて、
どんな子だって我が子だもの!
かわいいに決まってる!
なんだって乗り越えられる!って
強いお母さんの元に、
愛情深いお母さんのところに生まれたら、
この子は幸せになれただろうに。
私がお母さんでごめん、と何度思った事だろう。
きょうだいに対しても、これから先ずっと重荷を背負わせてしまう。
普通のきょうだいだったら、もっと自由にもっと好きな事をさせてあげられたのではないかと、申し訳なく思う事もあった。
そもそも、私が親になって、困難にぶつかる度に、自分には親になる素質なんて無かったんだと思い知らされた。
だけど、これもまた自分のことしか考えていないなと。
自分勝手なフィルターで決めつけているのではないか?と最近よく思うのです。
過去や、周りと比べ、違っている事、足りない事ばかりに目を向け、
もっとこうだったら、
もっとああだったら、
息子もきょうだいも、私も、
みんな幸せになれたのに!
って。
誰と比べてるの?
何と比べてるの?
あ。
確かに、健常児の子と比べてる。
普通の家庭と比べてる。
障害の軽そうな子と(人それぞれ大変さは違うのに、勝手に決めつけて)比べてる。
理想の家族と比べてる。
自分の頭の中で作った幸せな家族と。
でも、普通の家庭って何だろうね?
健常児がいても、大変な事もあるし、お母さんによっては健常児を育てていても悩む人もいて(私が母親でなければとか)、知的に問題はないのに勉強が出来ないと嘆く人もいる、自閉症のパターンも様々で、みんな悩むポイントも違うし、母のキャパシティ(体力的、メンタル的に)も違う。
じゃ、やっぱり、
誰と何を比べてるの??
ってなるよね。
理想の家族って何?って。
結局、
隣の芝生はめちゃくちゃ青い
もしかしたら、我が家も誰かにとっては羨ましい事すらあるかもしれないわけで。
息子を誰かと比べたり、
きょうだいを誰かと比べたり、
母である自分を誰かと比べたり、
それで、自分が前を向けるなら良いけれど、
後ろ向きになったり、落ち込んでしまうなら、
別にいらないよね?それ。
と思った。
今の息子を見て、何が出来て、何が苦手か?
今のきょうだいを見て何を話すか、どんな風に過ごしているか、
私は何を思い、感じ、どんな幸せを願っているのか。
私が出来る事は、今目の前にいる息子やきょうだい、夫とウチの家族を幸せにしていく事だ。
ヨソと比べる人生はやめよう。
誰かの意見ではなく、
家族の意見を聞く。
そこから先に、周りの人達の協力が必要ならば、助けを求めてみたり、お相手の方々の状況や気持ちを聞きながら進めていけばいい。
私が采配する事じゃなかった。
家族の幸せを願いながら、勝手に私の理想を押し付けたり、私の思う幸せの中に家族を取り込もうとしていた。
それが家族の幸せかどうかをちゃんと聞く事。
周りの意見に惑わされて、グラつく自分を整える事。
母である責任は、子供を管理したりコントロールしようとする事ではないし、無理矢理に頑張って良い母親になろうとしていた。
世間一般的な良い母親に。
違うよね。
息子や、家族にとって良き母親、大好きな家族でいる事がまず先。
良き母親像なんて、人それぞれ違うもの。
私は誰かが認める良き母親になろうとしていた。
私は、息子やきょうだいにとって良き母親でありたい
生まれてきて良かった。
この家族で良かった。
この家族だから、また今日も外で頑張って来れる。
学校や仕事、他人と関わる場面で疲れても、家に帰れば癒され、パワーを充電し、頑張れない時には休める場所として。
家だけは、家族だけは安全地帯。
そんな家庭を作っていきたい。
そのためには、母は頑張り過ぎない事。
出来ない自分も認め、家族に頼る事。
息子やきょうだいの育つ力、生きる力を信じる事。
この子達なら大丈夫!
人生に荒波が訪れようとも、家族の愛に包まれ、ひとりでも多く仲間が見つかればいい。
誰かと一緒に生きるのが辛ければ、ひとりでもいいじゃないか!
とにかく、自分の心地良さを追求し、誰かと比べて苦しくならずに、幸せに生きていけばいい。
幸せは連鎖する。
穏やかに笑って生きている人は、周りに穏やかな空気を纏う事が出来る。
きっと大丈夫。
信じる事。
自分の力を、
自分が生きて頑張って来た日々を信じてみよう。
きっと大丈夫