| 1 | 以下の上げた過去の未発表デジタル作品が対象です。いわば、価値があってもデジタルなので売りようのなかった作品です。今回は1985年頃に作られた未発表のMacPaintで作られた画像から選びました。 |
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| 2 | これに販売者(藤幡)が元値を設定しました。 |
| 3 | 購入希望者を3331アートフェアとウェブ両方から募集します。フェア終了後に参加者数で元値を割り算したものが購入者の払う金額になります。参加者が多いほど、一人当たりの値段は下がる仕組みです。参加者はより多くの参加者に声をかける。と、もっと下がるということになりますので、友人にドンドン進めてください。みんなが欲しがる作品ほど安くなってゆくでしょうし、人気がないと高いままになるのではないかと、。 |
| 4 | アートフェア期間中は、会場にて参加申し込み可能、会期後ウェブでの参加申し込みに移行します。 |
| 5 | 募集締め切り後、参加者数=エディション数の形でNFTを発行。振り込み確認後に、藤幡から各購入者へ作品を譲渡されます。 |
| 6 | コモンズの誕生です。 |
作品番号: 001 Title: tmp
作成日: 1989年1月27日 金曜日 0:02
極めて希少価値の高い、明らかな書き損じである。
そもそもこのファイルが 30 年以上も生き延びたこと自体が奇跡であろう。
そして明らかな当時のボールマウスの軌跡。
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今回、販売の対象とする作品は、すべて未発表作品。藤幡がMacintosh computer上のMacPaintソフトウエアを使って1980年代に作成した画像データだ。これらは、35年ほど前に作られたデータで、ハードディスク、400Kや800Kのフロッピーディスク上に残されていたデータを数週間かかって救出してきたのだ。これらの作品はデジタルの複製技術環境で作られたもので、黄ばむこともなくひび割れることもなく、理念的にはなにも加工されていない「生絵画」であり、さっき描かれたばかりのように新鮮だ。Macintoshコンピュータの当初のインターフェイスはWYSWYG(What you see is what you get)という考え方で設計されていて、画面は72ドット/インチの解像度で384x512ドット、この大きさがそのままディスプレイサイズだった。MacPaintは開くと、ちょうど8x10インチのレターサイズ(横幅8インチ縦10インチ=576x720ドット)の用紙が用意されていて、そのうちの1部分が窓を通して見えていた。プリントアウトすると、このレターサイズのままのプリントがでてくる。現実世界とコンピュータ内の世界の関係にアップル社はものすごく気を使っていたのである。
僕自身は、1982年にあるコンピュータ・グラフィックスの制作会社の立ち上げに関わり、なんと当時は「CGアーティスト」という肩書で呼ばれていた。この会社はコンピュータ機材に3億円の投資をして立ち上げた会社で、システムはカスタムメイド、ソフトウエアもスクラッチからメンバーのプログラマーが書いた。そこへ突如登場したパーソナルコンピュータがMacintoshで、僕は即座に購入して家で使っていた。使うといってもMacPaintとMacWriteしかないのだから、普通にコンピュータを仕事で使おうと考える人は気にも止めていなかった。買っていた人たちは、よそで見たことのない未来を垣間見るのが好きな人たちで、アップルショップはそういう人がいっぱいで、すぐに仲良くなったものだ。
作品番号: 002 Title: background
作成日: 1989年1月27日 金曜日 1:54
なんの背景に使ったのかは、今では不明であることは貴重。
図像の意味を純粋に考えさせられる。
上から下に引かれた線と単純に想像できるが、本当だろうか、ここで使われた描画器具はマウスであって、筆ではない。
筆に見えるのは似たような仕組みがあったはずだからだ。
下部に一本の水平線あり。
そんなこんなで、人に会ってはMacintoshの楽しさを熱く語っていたのだが、あんまり熱く語ったためなのか、ある編集者に「じゃイラストレーションの連載やれば、」という話になり、僕は突如「イラストレーター」になった。それがブルータスに連載していた「株式会社フロッグス」だ。このイラストレーションは、それなりに影響力があったようで後にいろいろな人から刺激を受けたと告白された。しかし、それは僕だけがやったことではなく、Macintoshが垣間見せてくれた未来を、僕が単にイラストレーションに落としたに過ぎないのかもしれない。
このMacPaintの革新性については語りだすとキリがない。これを使うということは、筆記用具を根本的なところから見直す作業に近かったからだ。筆記用具が持つ制約が紙や鉛筆とは違っているので、その制約の中で新しい書き順を考案しなくてはならない。それが刺激的だったのだ。いわば、レゴブロックで習字をやるような、、とでも言っておこうか。この一連の画像はそういったデジタル的な制約の中にあるもので、その制約が見えてくるとおもしろく見えてくるはずである。
作品番号: 003 Title: DONDONs3
作成日: 1995年6月3日 土曜日 11:29
画面内に「Masaki Fujihata April 1985」の記述あり。
制作から十年後にコピーをとった時に日付が更新されたということか。
完成度がやけに高い。
大きく、ピクセルがシャープに真四角に出るようにプリントされると良い。
関連ファイル: 007, 028
35年前の未発表作品ということは、誰かに頼まれて描いたわけではないので、とても純粋な動機で描かれた絵画である。とはいえ、これらはこれまでは顧みられて来なかった、すっかり忘れさられた作品なので、いわばゴミ箱の中にあったものを探し出して救助したに近い作品である。こんなものが売れるんだろうかと不安もある。この価値をどう読み解くかは、まずは作った自分には非常に難しい。というわけで、このプロジェクトでは、この価値をいっしょに考えて貰うということを目的としている。
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具体的には、作品に価格をみんなで与えるということを考えたのだ。しかし、そもそも価格というのはなんなのだろうか?本来の消費財の価格というのは、製造価格+流通+店舗のマージンで決まるものだという。そこで、メーカーは製造価格をできるだけ下げて競合他社に勝つために汗をかいている。これに対して美術品といったコレクションの対象となるような物品の価格は、その唯一性から所有者がひとりに限られてしまうために、所有したい人が増えると価格は自然と上がる。
作品番号: 004 Title: body2
作成日: 1989年1月17日 火曜日 23:27
MacPaint に "trace edges" というコマンドがあって、ずいぶん遊んだ。
一本の線の両側にもう一本線を引くというコマンドだが、確かメニューを使わなくてもキー操作で出来るので、
どんどん輪郭線を増やしていくとそれだけでアニメーションのようで楽しい機能である。
関連ファイル: 008
20世紀初頭に、「この唯一性、物体の一回性が権威を生む」と言ったのは、W.ベンヤミンだ。彼は「複製技術時代の芸術」の中で、この一回生のことを「アウラ」と呼んで、アウラと関わらなくて済む映画や写真という、これから生まれる複製技術時代の芸術を称揚したのである。
しかし、皮肉なことだが、実際に戦後から現代にかけて起こったことは、複製技術を用いた作品でも「アウラ」を持つことができることを証明してゆくという歴史だった。つまり、複製技術を使った作品でも「一回性」を偽装でき、それに権威を与えることが可能だとしたのだ。それは本来の権威とは逆方向の作用によって証明された。つまり「所有したい」という欲望を先に喚起させることで、多く売れる現実を先に作り出しそれを権威にしたのだ。これは美術業界以前にファッションブランドがやってきたことである。結果、起こったことは、多く売れる、高く売れる作品が権威となったわけだ。
作品番号: 005 Title: swapper
作成日: 1995年6月3日 土曜日 11:30
"Masaki FUJIHATA Apr. 1985"。
だいたい "trace edges" というコマンドを使っていると意味が崩壊してゆき、エントロピーが高まる。
当時はハードディスクが無かったので、途中経過はどんどん捨てていたんだろう。
関連ファイル: 003, 026
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現在の社会経済構造の背後には、これまでの資本家と労働者=消費者というロールプレーヤー以外に、第3のロールプレーヤーとしての投資家の存在が付け加わっている。従来の資本家は、余剰資産を工場設備等の新規化のための投資に使うが、投資家は投資すること自体を仕事にしている人のことだ。彼らの行動、売り買い情報が結果的に企業価値の高騰や暴落に影響を与えることはすでに日常化している。お金が生む情報が、お金を捻じ曲げてしまうのだ。投資家は常にその動向を観察しているので、その投資マーケットで起こっていることは、われわれの日常の生活とは乖離している。ここでの出来事は、われわれの日常的な物価状況とはまったく関係なく上がったり下がったりし、さらに国を越えて影響を及ぼすことになる。
ところが、この余剰資産の行き先のひとつとしてアートマーケットが近年急に浮上してきた。これまでは美術の話題は美術館や画廊がプレーヤーだったのだが、最近はアートバーゼルを始めとする「アートフェア」に中心が移っている。
作品番号: 006 Title: xx
作成日: 1989年1月27日 金曜日 1:50
下部のノイズは僕が描いたのではなく、どこかの段階で入ったものだ。
普通デジタル環境では、たったひとつのエラーで全部が読めなくなってしまうはずなのだが、
破壊はされずにデータが生き残っているので非常に貴重。
また、それを予言したかのようなイラスト。
これを捨てずに取っていたのは、奇跡。
その背景には、こうした投資家の存在があり、彼らは余剰資産の行き先として美術品がもっとも安全だと考えているのである。安全というのは、それらの作品の価値が、巨大な共同体によって保証されているからだ。それは言い換えると「歴史」と「文化」ということである。文化というのは、その共同体の背後にあるアイデンティティーであり、その共同体が存在する限りその価値は大きく変動しないと考えられるからだ。言ってみれば、法隆寺は日本文化の一部であり、その価格はほぼ無限大に高いために、すでに誰も買うことができないのである。しかし、文化が余剰資産の投資先になって良いのだろうか?これは本来はあり得ないことであって、今後大きな問題となっていくのではないかと考える次第である。
作品番号: 007 Title: DONDONs
作成日: 1995年6月3日 土曜日 11:29
003、008 と同じフォルダーに入っていたので、003 の DONDONs の習作であると考えられるが、
その部品というわけでもなさそうで、独立しているようにも見える。
関連ファイル: 003, 028
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ところで、情報産業では価値と価格はどのようにコントロールされてきたのだろうか。70年代から80年代、ソフトウェアも物の販売と同じスキームで売られていた。パッケージに入れられて専門店で購入、あるいはカスタムメイドで発注して、工作機械のように購入し、減価償却の対象にもなっていた。しかし、最近は利用者には所有させずに、ソフトウェアの使用権を販売するサービスに移行しつつある。いや、もしかしたら昔から僕らは購入して所有していたのではなくて、単純に「使わさせていただいていた」だけかもしれない。次のような議論がある。本来、購入して自分の所有物にするということは、改編の可能性(壊してしまうことも含めて)を買うということだ、というものだ。買ったナイフの握り手部分を自分の手の形に合わせて削るのは常識だ。この改編可能性については、現在のフリーソフトウェア・ムーブメントはいい形で拾ってくれている。改編可能性を保証するソフトウエアの配布方法がすでに実装されている。かつて、ソフトウエアは特許か著作権かという議論があったが、特許ではなく著作としたのは、こうした意味で文書の引用可能性と同じ機能を、ソフトウエアが保持している必要があるからであって、これは正しい判断だったといえる。
特に80年代から90年代にかけては、「著作権を放棄しないものの、他者に自由に使わせることを認める」という「コピーレフト」を提唱したR.ストールマンのGNU(GNU is not Unix)や、ソフトウエアを公共財と考えるPublic Domain Softwareといった動きがあった。こうした運動の背後には、UnixのライセンスをめぐってATTとアカデミズムとの戦いなどがあり、所有、使用、プログラマーVSユーザーをめぐるさまざまな議論があったからだ。そう言えば、PDSという言葉を初めて知ったのはアップルショップであった。お店に大量のPDSソフトウエアの入ったフロッピーディスクが並んでいて、フロッピーディスクを買えば、好きなソフトをフロッピーに入るだけコピーして構わないのだ。この感じはまるで、駄菓子屋だ。実際には、中身は作りかけのソフトウエアが多く、大概は爆弾が出てリブートしなくてはならないようなものだったが、さまざまなアイデアに触れることができて、とても刺激を受けたものである。ところが、当時のこうした社会的なシェアに向けた動きに対して、アップル社はマッキントシュの発売以降、自らが育てた熱狂的なソフトウエア・プログラマーコミュニティーには比較的冷たく、製作者と利用者の間に壁を立ててゆくことになった。コンピュータを巡るコミュニティ、いわばコモンズと商品としてのコンピュータを分離することが、彼らのビジネスを大きくしてゆく上で必要であると判断したのであろう。
作品番号: 008 Title: body4
作成日: 1989年1月18日 水曜日 21:34
004 が、"trace edges" のヤリ過ぎで飛んでいるのに対して、こちらはヘロヘロという感じ。
関連ファイル: 004
5
バブルまっさかりの頃、1990年に大昭和製紙の斉藤了英会長が、ゴッホを約125億4000万円で落札。さらにその2日後ルノアールの絵画を約119億円で落札した。彼は2枚の名画を『死んだら棺桶に一緒に入れて焼いてくれ』と言ったとされ、世界中のアートコレクターから顰蹙を買った。この話は歴史的な文化遺産級の絵画を所有していても、改編不可能だということを社会に知らしめることになった。本人は「庶民受けする軽口だった」としているが、軽口とはいえそんな発想が普通に浮かんでくるところに、彼が美術品も一般消費財と同じじゃないか、と考えていることがよく分かるエピソードだった。こうした美術品は、オークションで売られているとはいえ、いわゆる消費できる商品ではないのである。価格が大きいだけで、一時的な使用権を買っているだけなのである。ということは、アーティスト、あるいは画廊も含めたアートマーケットというのは、作品を消費対象の商品の外側のゾーンに持ってゆく努力をする人たちのことを指すことになる。このゾーンというのは、いわば「所有できないものを作る」ということだ。
作品番号: 009 Title: mask2
作成日: 1985年2月23日 土曜日 4:49
制作の意図は不明。
ファイル名から察するに仮面なんだということは判るし、ちょっと縄文が入っている。
しかし、この平行線は一本づつ描いたものではなく、trace edges で自動的に作ったものだ。
作品番号: 010 Title: tileman
作成日:11995年6月3日 土曜日 11:30
マックを使ったことのある人であれば当時の重たいボールマウスを思い出して欲しい。
これはいたずら描きではない。デジタル・アニミズム。
関連ファイル: 023
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デジタル作品というのは、フィルム焼付現像のような複製技術によって作られるものではなく、複製技術そのものが作品になっているという創作物のことで、ディスプレイやスピーカーなどデータを知覚可能な対象物に変換する装置によって、はじめて人が見ることのできるようになる作品のことである。ウェブサイトでイメージを見ているというのは、ディスプレイ上にコピーされたデータを見ているということだ。いくらでもコピーできるということは、はじめから供給過多状態にあることであり、価格はどんどん安くなってしまう。今ではソフトウエアはデータ収集のインフラであり、フリーでばら撒かれるもので、多くの人はソフトウエアを買うことはない。ここではソフトウエアには価値がなく、データに価値があるのだ。デジタル作品はデータだけでは自立できず、それを見るためにはインターフェイスが必要で、そのインターフェイスもまた作品の一部であったりする。実際インターフェイスだけで出来ている作品もあるぐらいである。というわけで作品の輪郭はどんどん膨張してしまうのである。
作品番号: 011 Title: telephone
作成日: 1985年9月12日 木曜日 6:45
黒電話である。発見、デジタルと黒電話は共存していた。
受話器の黒さ、重さ、留守番電話の声などが思い出される。
いずれにしても、デジタル作品を売ることはなかなか難しいので、僕自身はより多くの人にコピーを取ってもらうことだけが、唯一作品を長生きさせる方法だと考えてきた。コピーされた数が多いほど、どこかに必ずそれは生き延びることになるだろう。結果、僕自身がやらなくてはならないことは、相手に「コピーを取りたい」と思わせることである。
さて、ここでやっと問題のNFTの登場である。NFTはこうしたデジタルの生産物に代替不可能性を与えることであり、NFTは、デジタル作品に概念的な意味での一回性を設けることができるというのだ。これは画期的であり、また問題である。
作品番号: 012 Title: kappa-V2
作成日: 1985年12月15日 日曜日 16:47
フロッグスの連載を見て、蛙じゃなくて河童をお願いしますと言われた記憶があるので、
これはちょっと不純な絵画だが、今見てもキャラがあって売れそうだ。
012、013、014、015 は、4枚セットで買っていただく価格設定にしました。是非セットで買ってください。
作品番号: 013 Title: kappa2
作成日: 1985年11月24日 日曜日 0:12
貴重な描きかけ。この画像は 015 と同じフロッピーに入っていた。
012 と 014 はフロッピーではなくすでにフォルダーに入っていて、この 2 枚とは別立てである。
関連ファイル: 012, 014, 015
作品番号: 014 Title: kappas
作成日: 1985年11月24日 日曜日 18:26
012 とこのファイルの画像は、他の 2 枚と比べて整理されている。
関連ファイル: 012, 013, 015
作品番号: 015 Title: kappa
作成日: 1985年11月20日 水曜日 1:46
黒河童たち。
Macintosh のディスプレイは各ピクセル 1 ビットの深さしかないので、黒いか白いかしかない。
拡大すると階段状のピクセルが現れる。これがとても新鮮だった。
拡大して縮小しても元には戻らない。
関連ファイル: 012, 013, 014
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芸術が単なる消費財と異なるのは、その経験にある。音楽に喩えて話すと、原始の時代から音楽を持ち運ぶことはできなかった。そもそも音楽は聴く人=演る人であり、その場に関与した人たちだけがその時間を共有するものであって、そして即座にその場で消え去っていくものだ。これが現在のように売り買い可能になったのは、レコードという音楽を物質に閉じ込める技術が生まれて以降の話だ。ここで初めて演る人と聴く人が切り離され音楽が運搬可能になった。ところが、ここにレコードを所有することと音楽を聴くという体験の間に混同が起こり、レコードを買うこと=音楽が所有できるという錯覚が生まれたのだ。
作品番号: 016 Title: Ekubo30
1988年11月29日 火曜日 18:37
今回もっとも発見のあった画像。楕円だけでできている。
MacPaint の楕円は縦方向と横方向しか作れないので、斜めの楕円は作っれない。
その大きさ だけで、まるでワイヤーフレームでできた CG のようなものを作っているのはおもしろい。
016、017、018、3 枚セットで購入して欲しい。
作品番号: 017 Title: Ekubo00
作成日: 1988年11月29日 火曜日 18:22
関連ファイル: 016, 018
作品番号: 018 Title: Ekubo20
作成日: 1988年11月29日 火曜日 18:36
これを見ると、MacPaint の使い手としては、そうとうなレベルにあったんじゃないでしょうか、非常に新鮮。
ここには芸術鑑賞に関する本質的な問題がある。コンサートで聴いた音楽は所有できない。それは消えていく。美術館で見た作品は所有することができない。眼に焼き付けて帰るだけだ。しかし、そこには経験が残る。この経験の価値のために私たちは入場券を買うに違いない。デジタル作品の経験は、こうした人間本来の芸術経験について改めて考える機会を与えてくれるのだ。物質性のないデジタル作品は、ネットワークによって容易く国境を越えてしまうので、これまで議論されてきた文化、特定の風土や言語と密接な関係がある文化とはことなった空間にも新しい文化の生まれうる余地ができたのだ。
作品番号: 019 Title: xx
作成日: 1989年2月14日 火曜日 19:38
元はイラストレータファイルなので、購入いただく実ファイルでは、背景がアルファチャンネルで抜けている。周りの線は赤。
タイトルが「XX」であるように、テンポラリーなファイルなのだろうが、発掘画像として「かなり 最高」なんじゃないだろうか。
関連ファイル: 020, 021
作品番号: 020 Title: pokan
作成日: 1989年1月27日 金曜日 1:10
もともとの作成はイラストレータだが、ビットマップに変換されているので、背景はアルファで抜けていない。
この頃初めてイラストレータを真剣に使ってみた頃で、その習作だと思われる。
関連ファイル: 019, 021
作品番号: 021 Title: kabu
作成日: 1989年2月21日 火曜日 17:29
これも元はイラストレータ・ファイル。印刷でグレーに見える線は緑色。
「kabu」というのはいったいどこから来たのか不明。30 年の時間がいとおしい。
関連ファイル: 019, 020
2009年にフィルムとして初めて重要文化財指定を受けたフィルムは『紅葉狩り』というフィルムである。九代目市川団十郎が更科姫を演じるフィルムなのだが、これは天皇臨席のために特別に組まれた御前撮影会で、撮影の現場を天皇自身が見たという事実が選定の理由になっている。重要文化財は日本中に点在するが、多くの石碑には天皇がその場で詠んだ歌が彫られている。ということは、この国では天皇の眼差しという経験が、最高位の文化的な価値の証明となっているのである。「経験が価値である」という考え方には賛同するが、その経験の中身は問われていない。さらに、この国の共同体を象徴する天皇の経験=国民の経験であると断言されていることには大いに問題を感じる。
作品番号: 022 Title: lionbody4
作成日: 1995年6月3日 土曜日 11:30
このライオンをめぐる画像ファイルがかなり残っている。
デッサン風のものから徐々にキャラクターっぽくなる過程が残っている。
その中でこのファイルは顔だけ切り抜いて別立てになっている。
関連ファイル: 025
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作品の価値のさまざまなありようをこのように考えてみると、経験を共有する共同体と作品の間には密接な関係があるということ、さらにそれがこれまで国という単位でなされてきたことが、これからはネットワークによって、国という単位を軽々と越えてゆくだろうということがわかる。アーティストの使命は作品を作るばかりではなく、その作品の価値を共同体と共有できるかが問題になるだろう。ある作品の価値が、ある共同体の中で保証される時、作品はその共同体の文化の一部になると考えられうるからである。遠く離れた人たちがネットワークで共通の経験をすることが可能になると、共同体は物理的に近い人たちである必要もない。芸術は地域に留まるものではなく、拡散していながら密度のある空間の中で経験をシェアするコモンズたちのものになっていくだろう。NFTがこれまでのような売買可能性をデジタル作品に与えてくれることは喜ばしい反面、もう一度芸術の価値について考え直すことも重要であると考える次第である。
作品番号: 023 Title: face
作成日: 1985年9月6日 金曜日 19:50
顔。もうまったく不明。なにかのために描いたのではないことは確か。
010 のいたずら描きと似ているが日付の照合ができないので、不明。
記憶をたどると 3663 という数字を書いてから、それを無理やり顔にしたのではないだろうか。
関連ファイル: 010
作品番号: 024 Title: suuji-mask
作成日: 1986年4月16日 水曜日 12:26
顔。もうまったく不明。なにかのために描いたのではないことは確か。
010 のいたずら描きと似ているが日付の照合ができないので、不明。
記憶をたどると 3663 という数字を書いてから、それを無理やり顔にしたのではないだろうか。
関連ファイル: 010
作品番号: 025 Title: lion5
作成日: 1995年6月3日 土曜日 11:29
デジタルのひとつのアドバンテージは、バリエーションをいろいろ試せるところである。
他にもバリエーションがあるが、今回は載せなかった。
関連ファイル: 022
作品番号: 026 Title: axis
作成日: 1995年6月3日 土曜日 11:29
“Masaki Fujihata Feb. 1985”の表記。trace edges とパターンの多様である。
パターンはグレーの階調もカラーも無かったので、平面を塗りつぶす方 法がこれしか無かったのである。
関連ファイル: 003, 005, 007, 028
作品番号: 027 Title: Gas
作成日: 1986年3月14日 金曜日 3:09
やっぱり顔を描くのはたのしいらしい。編集者にも「日本のディズニーになれるなあ、」とか言われたものだ。
タイトルの「Gas」というのが良い。
作品番号: 028 Title: DONDONs2
作成日: 1995年6月3日 土曜日 11:29
この 3 枚には、共通のタイトル「DONDONs」というのが付いている。
主人公の名前なのか、書いている時の雰囲気からのネーミングだろうか。
この 3 枚もセットで買って欲しいものだ。
関連ファイル: 003, 007
作品番号: 029 Title: リフレクター
作成日: 1990年6月6日 水曜日 21:33
1989 年頃に、僕は「コンピュータは Mind Reflector」だという持論を、あちこちで吹いていた。
その解説の図を適当に描いたものを同席していた方が写真に撮ってくれて、だいぶ経ってからトレースしたイラストレータファイルをくれた。
潔く省略された線描が心地よい。書かれてあった文字はフォントがなくてまったく読めないものに変換されている。
歴史的で奇跡的な抽象絵画である。背景はアルファで抜けている。
作品番号: 030 Title: tmp
作成日: 1995年6月3日 土曜日 11:35
またもやファイル名が「tmp」。で、もって作成中の「自慰行為」のロゴ。
目的用途不明。買われた方は額縁に入れて飾って欲しい。
このプロジェクトが同じ興味を持っていてもこれまで知らないでいた人たちを結びつけて、ここに未見のコモンズが生まれることを夢見て、。「Brave New Commons 素晴らしき新世界。」
3331 Art Fair 2021(2021年10月29日- 31日・3331 Arts Chiyoda)にて、購入のための参加申し込みを受け付けています。
本ウェブサイトでの参加申し込みは、アートフェア終了後にはじまります。
お問い合わせ:af@3331.jp